第132話 強がり怖がりガトーショコラ

「肩凝ったなぁ」


 白い光を放つタブレット端末を前に僕は欠伸をかみ殺す。

 首を回せばパキパキと関節が鳴り、伸びをすれば凝り固まっていたであろう血流が流れる感じがしてため息が出る。

 ダマル率いる女性陣3人は、テクニカ内部で使える道具を捜索するローラー作戦に駆り出され、僕は1人マオリィネの話を聞くため玉匣に残されていた。そのついでで、御貴族様が目覚めるまで暇だろうからと、ダマルに在庫品の数量チェックを押し付けられたのである。

 しかし、僕が作業の半分を終えてもなお、彼女はまだ寝台で眠っている。ファティマ曰く、自分達がフェアリーと対話している間も一切目を覚まさなかったらしい。


――まぁ、無理もないか。


 今まで玉匣に居た現代人の皆は、何度も翡翠の戦闘を目撃しており、あまつさえミクスチャとの戦闘まで経験している。

 だが、マオリィネは違う。いくら戦場に慣れた騎士でも、初めて目にする化物同士の戦いには、相当なショックを受けても何の不思議もないのだ。

 そんな彼女に、自分が何をしてやれるだろう。そもそもダマルやシューニャが僕に何を求めて、この状況を作り出したのかさえも未だに曖昧である。

 考えても仕方がないと思考を振り払い、僕は玉匣の荷物室に頭を突っ込みながら、また1つずつ使えそうな物を調べていく。そこでふと、ロガージョの巣で見つけたプラスチック爆薬が目についた。


「……そういえば、ガトリング砲のこと忘れてたな」


 工具を持ち込んで装備すると言い放っていたダマルだが、今こそその時ではないのだろうか。それこそ自分と同じように骸骨が忘れていなければの話だが。

 800年前の時点から主力武装である突撃銃は扱いやすかったものの、対マキナ戦闘ではパンチ力に欠けることが指摘されていた。しかも、玉泉重工はカラーフラインダストリ製と比べて装甲厚を重視するきらいがあるため、黒鋼相手では少々頼りないのだ。

 だが、先の黒鋼を見てもわかる通り、ガトリング砲の火力ならば頑丈なマキナとて容易に貫ける。しかも、弾薬は敵が抱えてきてくれたこともあって、多少なりとも余裕がある。重量装備であることから機動力は低下してしまうが、相手の動ける範囲が限定される地下空間における待ち伏せで使うならば、非常に有効な手段と言えた。

 何より背面ユニットに連結するガトリング砲は、右腕が使えないというハンディが関係ないため現時点の補強と言う意味では非常に心強い。

 後でダマルに伝えて、明日にでも取りに行く算段をするべきだろう。そう思って僕がうんうん頷いて居れば、ようやく背後から小さな声が聞こえた。


「あれ、私……?」


「お、眠り姫のお目覚めかい」


 荷物室から頭を出してみれば、身体を起こしたマオリィネが不思議そうに周囲を見回していた。

 精神への急激な負荷で眠ったからか、どうやら少々混乱があったらしい。


「キョウイチ、ごめんなさい私、どれくらい眠って……皆は?」


「何、そう大した時間でもないよ。皆はダマル主導でテクニカ内部を物色中ってとこかな」


「そう……やっぱり、夢じゃないのね」


「夢なら僕もよかったんだけどね。右腕が駄目になったから」


 額に手を当てるマオリィネに対し、僕は苦笑しながらタブレット端末を座席へ放り投げ、代わりに普段はアポロニアが管理している食器類からマグカップと小さな布袋を1枚と、最後に珈琲に似た何かの粉末を持ち出した。

 この珈琲っぽいものセットは、ハイスラーから買ったものである。というのも、夜鳴鳥亭で飲んだ珈琲は、本来のそれとは異なる代替品に違いはないのだが、現代でこれ以上に似た飲料に出会えるとも思えず、個人的な嗜好品として楽しむこととしたのだ。

 抽出の仕方も簡単であり、所謂コーヒーバッグと呼ばれる布袋に粉末を詰め込んで湯に浸すだけだ。インスタントコーヒーが無い現代でここまで簡単に飲めるとは思っておらず、元々それなりに珈琲を飲む機会が多かった自分としては非常に有難いアイテムとなっている。

 そしてシャルトルズのウォータータンクには給湯機能があるため、直ぐに淹れられるというのも非常に大きな利点だった。

 こちらの不審な動きを、マオリィネは前髪をかきあげながら一瞥すると、あら、と不思議そうな声を出す。


「珈琲? ハイスラーに感化されたの?」


「元々それなりに好きだったんだよ。無いと死ぬって程じゃないが、あるなら酒よりもいい」


「それってもしかして嫌味かしら? これでも、果実酒は地元の名産なのだけれど」


 琥珀色の目にジッと睨まれ、いやいやと僕は手を振った。


「いや、僕ぁ体質的にアルコールが苦手でね。果実酒の方がいいかい?」


「ううん、珈琲、いただくわ。ありがと」


 ドリップを終えたマグを手渡そうとすれば、彼女は寝台の上では行儀が悪いと降りてきて、僕に並ぶようにして座席に腰かけた。

 何度飲んでも過去の珈琲とは異なる味なのだが、これはこれで悪くないものだと思う。しかしマオリィネは湯気の上がるそれに視線を落とすばかりで飲もうとはしなかった。

 猫舌が原因かとも思ったが、どうにも口から零れた疑問が理由らしい。


「……ねぇキョウイチ、マキナって何なの?」


「何って、あれは兵器だ。カタパルトやバリスタと同じ、道具だよ」


「じゃあ誰かが操っているということ? さっきのあれも」


「うーん……正確には操っていた、かな。さっきの黒鋼は多分、あの地下へ許可なく侵入したもの全てを攻撃する命令を受けていたんだと思う。その命令者は、何百年も前に居なくなってるだろうけどね」


 最後に下された命令が正確になんだったのかはわからないが、無人機に任せられる自立行動の種類などたかが知れている。それこそ指揮官機が居れば、多少は複雑な命令も下せるだろうが、そもそも人間が居ないのでは話にならない。


「じゃあ、オブシディアン・ナイトもそうなのかしら」


 マオリィネは神妙な面持ちでそんなことを口にする。

 何が言いたいのかわからずに僕は首を傾げたが、彼女の白く細い手が僅かに震えていたので、どうにも精神的な負荷はこの部分に起因するのではないかと当たりを付けた。


「さっきのマキナ……そっくりだったのよ」


 同じ黒鋼なら見た目に大差はない、と言いかけて口を噤んだ。

 これが敵に関する報告や感想であればその返答で問題ないだろうが、彼女はデブリーフィングをしているわけではない。誰かの心を察する能力が低い自覚はあるが、流石にそれくらいはわかる。

 強く握りしめられるマグが震えて珈琲に波紋が立ち、マオリィネは空いた片手で自分の肩を掻き抱いた。


「オブシディアン・ナイトは王国を守る最強の盾。でも、それがもしさっきのマキナのように、私たちに牙を剥いたとしたら……そう思うと怖くなったのよ。オブシディアン・ナイトが受けている命令って何? テイムドメイルがテイマーに従う理由って何なの? 裏切らないっていう保証はある?」


 何故か少しだけ高い声を震わせながら、それでもなお恐怖という感情を押し殺そうと彼女は薄く微笑んでいた。

 現代の知識においてリビングメイルとは生きている存在だと思われている。だが、その内実は800年前に作られた道具に過ぎず、むしろ問題にすべきは使い方が理解できていない事の方だ。

 マオリィネからしてみれば真剣な話だったのだろうが、中身を知る僕はブギーマンを恐れる子供のような振舞についつい笑ってしまった。


「なんだ、そんなことかい」


「そ、そんなことって何よ! そりゃ貴方のように化物みたいな力を持っていれば怖くないかもしれないけどね!」


「化物とはまた心外だなぁ……」


 これでもただの兵士だと苦笑すれば、マオリィネは今はそうじゃないと琥珀色の目でこちらを睨み、直ぐにまた視線をマグへと落とした。


「私は怖い……さっきみたいにオブシディアン・ナイトと戦うようなことになったら絶対に殺されるわ。そう思ったら怖くて、でも騎士が背を向けるなんて無様な真似できるわけないじゃない。それこそ貴方にはわからないでしょうけれど」


 僕は呆気に取られていた。

 マオリィネは自らの発言内容を恥ずべきことだと思っているのだろうし、それが現代の騎士だと言われれば分からなくもない。

 戦争に置いて死を美化することは珍しくない。それは民衆に厭戦ムードを起こさせないためのプロパガンダであり、兵士の士気を落とさないための方便でもある。時に作戦のミスを有耶無耶にし、時に戦死した将兵を英雄として奉ることで人心を掌握し、戦場と言う狂気を霞ませる。

 前哨基地の戦いで、マオリィネは部隊を指揮していた。その手腕がどうであったかは別にして、少なくとも周辺を取り囲む将兵たちを鼓舞する姿は見事なものだったと思う。

 特にマキナ姿である自分に対して恐れず言葉を交わしてきたことを思えば、司令官として恐れを制御できているものだと考えていたのだが。


「王家に忠誠を捧げて戦場に誉を求めるべき貴族が、騎士が、隊長が怖がりなんておかしいでしょう? けれど、私は戦争も化物も嫌い。何を言われても、死ぬのが逃げ出したいくらい怖いのよ!」


 貴族という立場がプライドや建前を強制するのは疑いようもない。責任とはそういう物だ。

 今までのマオリィネの振舞は実年齢以上にしっかりしていた。自らを正しく御して、自らの立場を全うしていると。だが、目の前で髪を振り乱しながら駄々をこねる彼女こそ自然体であるなら、シューニャ達と何が違うと言うのだろう。

 そして何より、戦場における責任を持ちながらも死に対してハッキリ恐ろしいと口にできることに、僕は正直に感心したのだ。


「いいじゃないか、逃げたって」


 驚いたように顔を上げるマオリィネの頭を僕は自然と撫でていた。

 ダマルが彼女を外様だと言った理由がようやくわかった。なんせ僕自身が、無意識にそうするべきだと考えていたのだから。

 屋根の上でマオリィネが相談してきたのはシューニャの言う通り、玉匣の長という立場の自分からどうにかしてを得たかったのだろう。対する僕はビジネスパートナーとして、秘密の共有という意味でのを確認したに過ぎない。

 他人を疑うことをやめられるほど楽天家になりたいとは思わないが、秘密を知られてなお疑い続けるような臆病さは、時に人を泣かせるものだといい加減理解しなければならないだろう。


「僕は職業軍人だった。生きるために戦場に身を置くことを自ら選んだ愚か者だ。マキナに乗っていたって人は簡単に死ぬし、殺されてしまえば強いも弱いもない。もちろん兵士だから覚悟はしていたけれど、それを恐れないなんてことは僕にもなかったよ」


 怖がって突き放していたのは自分の方だ。ならば、マオリィネの恐れを笑うことなどできるはずもない。

 だが、自分の言葉が余程意外だったのか、彼女は大きな釣り目を丸くしていた。


「キョウイチ、が……?」


「僕に騎士だの貴族だのっていう身分のしがらみはわからない。だが、死ぬのが怖いことなんて当り前のことだ。それが理由で騎士を辞めれば、殉死が誉れとか叫ぶ連中は蔑むだろうが、少なくとも僕はマオの決断を否定しないし――安っぽい言い方だけど、君の味方で居るよ」


 マオリィネの琥珀色の目を見ながら告げたそれは、僕なりの殺し合いに対する心構えだった。

 僕は国のため、家族のためと叫びながら死んでいく者を冒涜するつもりはない。だが、殉死を美化することで誰かにそれを強要する連中は別だ。往々にしてそういう連中は自らが矢面に立たされた時には掌を返す。自分自身は覚悟を持たないまま死を美化する無責任な連中のために、彼女が苦しむのは間違っている。

 我ながら臭い台詞に苦笑が滲んだが、目の前のマオリィネは薄く頬を染めたかと思うと、パッと顔を背けてしまった。


「な、何よ急に……」


「いやその、何、と言われると困るんだが」


 思ったままを口にしただけに過ぎない以上、説明もできないため僕は困って頬を掻いた。ついでに臭い台詞だったので、あまり掘り返さないでほしいとも思う。

 落ち着かない様子でマオリィネはしばらく身体をそわそわさせていたが、やがて少し冷めてきた珈琲を一気に煽って小さく息をつくと、改めてこちらに向き直った。


「正直……適当にあしらわれると思ってた。でも、意外と優しいのね」


「そうかい?」


 マオリィネはようやく少し安心してくれたのだろう。先ほどまでの怯えるようなこわばりが取れて、自然な表情になっていたように思う。

 しかし、優しいという表現はどうだろう。シューニャ達にも時々言われているが、その度に自分では疑問視してしまう言葉だ。

 誰かの心の機微を読み取るのが苦手な自分としては、言葉を聞いた通りに解釈して自分の意見を言っているに過ぎない。むしろ他人のことをしっかりと考えているという意味で、本当に優しいのはダマルではないかと思う。

 おかげで僕は、腕を組んで唸っていたのだが、それをマオリィネは口に手を当てながら貴族らしい上品さでクスクスと笑った。


「まさか頭を撫でられるなんて思わなかったけど」


「それはすまない! その、悪い癖だな――なんというか、ついつい……」


「ね、もう1回撫でてくれない?」


 彼女の言葉に、僕は相当の阿呆面を晒したことだろう。

 このところ、ファティマやアポロニアはよく撫でろと言ってくる。シューニャ曰くは種族的にスキンシップを好むとも聞いていたので、そういうものと理解して触れ合っているが、まさか貴族であるマオリィネがそんなことを言いだすとは思いもよらなかったのだ。


「あ、あぁ構わないけど……不快じゃないか?」


「不快だったらこんなこと言うわけないでしょ。それにね、味方で居るって言ってくれたこと、結構嬉しかったんだから」


 面と向かって返されると恥ずかしい言葉だと改めて思う。表現の種類が貧弱なことが原因だろうが、もう少し言い方がなかったかと問いたい。

 とはいえ、嬉しいと言ってくれることは満更でもない自分も居て、我ながらなんとも現金なものだと苦笑した。

 少し照れながらマオリィネの頭に手を伸ばせば、彼女は僅かに身を捩りながらも素直に撫でられるままになる。サラサラとした彼女の髪をしばらく撫でながら、僕はちらと表情を伺い見ていた。

 すると彼女はこちらの視線に気づいてか少しだけ動揺したように瞳を揺らし、それでも琥珀色のそれで僕を見返してくる。ダマルが最初に呼称したクールビューティのクール部分は既にどこかへ霧散しているものの、美人であることに変わりはなく、僅かに心臓が跳ねた。


「……たとえオブシディアン・ナイトが敵になっても、貴方は私を守ってくれる?」


「マオ自身が敵にならない限りは、約束しよう」


「そ、そう……ありがと」


 感謝されるというのは違う気もしたが、敢えて反論するようなこともしなかった。

 彼女の居場所が玉匣の中で作れたかどうかはわからない。しかし、少なくともマオリィネの表情から影が消えたような気がするので、ダマルに呆れられるようなことはないだろう。

 自然と見えた彼女の笑みに対して微笑み返せば、なんとなく心が通った気がして嬉しくなったのも、勘違いではないと思いたい。


「ごっしゅじーん、今帰った――ッス……よ?」


 ただ、まさか後部ハッチがいきなり開け放たれるとは、思いもよらなかったが。

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