第75話 キメラリアは服探しも大変です(後編)

 誰かが自分のために怒ってくれのは嬉しいが、見ず知らずの誰かが自分を悪く言おうとも、正直そんなものはどうでもいい。

 そんなことを今更理解した僕は、街路の脇に設置された花壇に腰を下ろして空を仰いでいた。


「はい、おにーさん。買ってきました」


「あぁ……ありがとう」


 近くに出ていた屋台から、何かしらの串焼きを買ってファティマが戻ってくる。

 それを僕とアポロニアに手渡すと、彼女は尻尾を体に沿わせながら、自分の隣へ腰を下ろした。

 目の前にはファンシーな雰囲気の仕立て屋があり、今はシューニャが1人で交渉の真っ最中である。

 彼女はここまで連続したトラブルに何かを諦めたらしい。全員に対して、これ以上問題を起こさず大人しく待っているように、と言い残し、1人でずんずんと店に入って行ってしまったのだ。

 僕はその命令を律義に守り、通りで遊ぶ小鳥を眺めながら、もそもそと串焼きを齧っている。

 そんな中、ファティマは唐突にポツリと呟いた。


「……ねぇ、おにーさん。おにーさんはよくボクたちを家族って言いますよね?」


「なんだい藪から棒に」


 横へちらと視線を流せば、彼女は串焼きを穴が開きそうな程に眺めていた。

 ファティマは基本的に肉が好物であり、甘辛いソースがかかった串焼きなど普段ならば飛びつくような代物だ。けれど齧ろうとはせず、大きな耳を揺らして首をかしげて見せる。


「どうしてボクたち全員は家族なんでしょう? 親子でも、親戚でもないですけど」


 彼女の素朴な疑問に、反対側で肉を咀嚼していたアポロニアも、耳だけを器用に彼女へ向けた。

 しかし僕はといえば、あぁなんだと苦笑してしまう。何せ、理由は驚くほど単純なのだから。


「僕がそれぐらいの関係に思ってるだけだよ。玉匣が皆にとって安らげる場所で、家族のような信頼関係なら、怖いものはないだろう?」


 機甲歩兵は現代において最強の戦力かもしれない。だが、中身がただの人間である以上、戦うことだけで生きていけるはずもないのだ。

 最初はダマルが居てくれたことで、戦う力と身を守れる我が家を手に入れることができた。しかし自分たちには現代の知識がなく、それを求めた結果、偶然に集まったのがシューニャでありファティマでありアポロニアである。そして彼女らは自然と心を許せる存在になっていた。

 それを気恥ずかしくは思いながら、しかしハッキリ告げれば、ファティマはようやくぐるりと顔をこちらに向けた。


「じゃあおにーさんは、ボクたち全員を家族にしたいって思ってるんですか?」


「家族にするって何だい。僕としてはもう家族だと――」


 思っていると言いかけて、喉に言葉がつっかえた。

 しっかり噛み合っているはずなのに、どこか会話の歯車が食い違っている。それは以前にも似たような経験があった気がして、僕は曖昧な記憶を手繰り寄せた。

 バックサイドサークル、喝采に包まれるコレクタユニオンの大天幕、そして目の前に座っていたのは火照った顔のマティ・マーシュ。


 ――デジャヴ?


 電流が走ったような感覚に、危うく串焼きを落としそうになりながら、勢いよくファティマに向き直った。

 ただし、時すでに遅かったようだが。


「そ、そういうことはもうちょっと早く言ってほしいです……ボク、心の準備が、その」


「ごぉごごごご、ご主人本気ッスか!? いやでもご主人の稼ぎならそれくらいは余裕ッスから……えっ期待していいんス、よね?」


 茹蛸のように真っ赤に顔を染めたファティマは、今まで大人しくさせていた尻尾を激しくうねらせ、アポロニアは僅かに頬を染めながら、上目遣いにこちらを覗き込んでくる。

 それも以前と違って逃げられる相手ではないため、僕は思考をフル回転させて誤解を解きにかかった。


「ちょっと待ってくれ! 僕は別に婚姻関係を指して家族って言ってる訳じゃない! ついでにそれだとダマルはどうなるんだい!?」


「でも家族にするってそーいう意味じゃないんですか?」


 純真な瞳で見つめてくるファティマに言葉が詰まるが、ここで押されるなと僕は首を横に振って思考を整理する。

 そもそも27歳の男が17歳そこらの少女に手を出すのはいかがなものか。加えてアポロニアの発言は倫理という面において、許されざる行為である。

 僕はそれに気づき、これでいけると誤解に対する勝利を確信した。


「そもそも重婚は法律に触れるだろう? 倫理的にも流石に許されざる――」


「何言ってんスか? 重婚を禁止する法律なんてないッスよ?」


 自慢げに語ろうとした自分の表情は、彼女の言葉に石像の如く固まった。

 いやいやそんなまさかと、自分の中で震える古代的倫理感。それを必死で誤魔化しつつ、僕は油の切れたロボットのような動きで、笑顔を貼り付けたままファティマへ顔を向けた。


「は、はは、アポロは面白いこと言うね。なぁ、ファティ?」


「ボクも聞いたことないですけど」


 キョトンとする彼女の表情に、自分の中にあった古代倫理は音もなく崩れ去った。

 どうやら現代の男女関係は大規模なバグを抱えているらしい。何せ合法でハーレムが築けてしまうのだから、金持ちからすれば夢のような時代である。

 とはいえ、ただでさえ庶民だった上に、男女交際に関して驚くほど経験の薄い自分には、とてもではないが現実的でない話だった。

 余りの衝撃に僕がガックリと項垂れれば、アポロニアがわざわざ正面まで回り込んできて、頭頂部をツンツンと突いた。


「ご主人、この際だからちゃんと聞きたいッスけど、本気で自分たちのこと囲ってくれるん――もごっ!?」


 今までに見たことがないほど真剣な表情で、彼女は茶色の瞳をこちらへ向けてくる。

 それのあまりにも現実離れした質問に対し、僕は手に持っていた食べかけの串焼きを彼女の口へ突っ込んで黙らせた。


「馬鹿言うじゃありませんよ……っと」


ごひゅいんもご主人もらいはんっふねぇ大胆ッスねぇいひなりふひにいきなり口に――」


「黙って食べるように」


 もにょもにょと聞き取れない言葉を口にしながら、しかし串焼きが美味いらしく幸せそうにアポロニアは咀嚼する。

 隣へ視線を流せば、そもそもの質問者であるファティマは、未だに何かを考えている様子だったが、結局それを口に出すことはないまま串焼きを齧り始めた。

 その様子にホッと息を漏らしつつ、まったくとんでもないことを言い出すものだと呆れてしまう。

 1人の女性を好きになることにさえ恐怖を感じているような弱腰に、複数人を囲うことなどできるはずもない。何より彼女たちを異性として見るようなことをすれば、仲間としての信頼関係は崩れてしまう可能性まで出てくる。

 無論自分も男性である以上、彼女らに全く何も感じないとは言わない。しかし奇跡的に築き上げられた現代での居場所と比べれば、そんなものは些末な問題に過ぎなかった。

 そんなことを考えて僕が小さくと肩を竦めると、隣で肉を飲み込んだファティマが、はてと首を傾げて見せる。


「シューニャ、遅いですね」


「言われてみれば確かに。ちょっと覗いてみよ――うぉっ!?」


 それは僕がズボンについた砂を叩きながら立ち上がった瞬間だった。

 正面に見えていた仕立て屋の扉が弾かれるように開き、そこから途轍もない勢いで何かが転がり出たかと思えば、そのままこちらへ突っ込んできたのである。

 自分はそれを横っ飛びに跳んで躱し、ファティマやアポロニアも運よく直撃は避けられていた。それでも突然の出来事に、彼女らは揃って毛を逆立てて目を見開いていたが。


「びっくりしました……なんですかこれ?」


「人間、ッスね。ひょろっちい感じッスけど」


「えっ?」


 アポロニアの声に慌てて駆け寄ってみれば、確かに細身で不健康そうな見た目の男が目を回していた。やけにフリルだらけな服を着ているあたり、彼が店員であることは間違いないだろう。

 それが何を意味するかは推して知るべし。まさかと思いながら恐る恐る振り返れば、開いた扉の奥から怒りの陽炎を背負ったシューニャが姿を現した。

 彼女は目元に暗い影を落としつつ、転がった店員を見下ろして告げる。


「この店に用はない。次を探す」


 そう端的に告げると、誰の返事も待たずに彼女はズンズンと街路を歩いて行ってしまい、僕らは慌ててその後を追いかける。


「シューニャ、待ってくれ。一体何があったんだい?」


「あれはあの男が悪い。キョウイチのことを知りもしないのに、ロリコン呼ばわりとは」


 足早に進む彼女は相変わらず無表情ではある。しかし今にも頭から蒸気を吹き出しそうな勢いで怒っていた。

 彼女曰く、最初は普通の対応だったらしい。

 しかしシューニャの見た目が店員の琴線に触れたのか、あの手この手で気を引こうとした挙句、連れに男が居るとわかった途端、悪口のオンパレードで自分を持ち上げにかかったのだという。

 その悪口とやらの内容をシューニャは語らなかったが、あれほどトラブルを起こすなと口酸っぱく言っていた彼女から、冷静の仮面を剥ぎ取ったのだから相当に酷かったのだろう。結果、怒りを爆発させたシューニャによって店員は顔面にカプペニヨの粉催涙粉末をぶつけられ、怯んだところを全力で蹴飛ばされて外に叩き出されたとのことだった。


「ロリコンかぁ……」


 客観的に自分の現状を想像してみれば、僕は苦笑するしかなかった。

 年齢で言えばアポロニア以外は問題があり、見た目で言えばファティマ以外に問題があるのだ。見ず知らずの相手ならば、そう感じても仕方がないだろう。


「そもそも前提がおかしい。私はれっきとした大人。初対面で発育が悪いと言われるのは流石に不愉快」


「まぁまぁ、あそこまでやったんだからもういいじゃないか」


 男の店員も不憫なものである。店に美少女がやってきたと思って口説きにかかれば、まさかの失言で道に転がされたのだから。自業自得と言われれば間違いないのだが、それでも男連れにライバル心を燃やすというのは不思議でもない話だった。

 ただその情熱的なアタックがシューニャに不快感を覚えさせた以上、残念な男であることに変わりはないが。



 ■



 夕焼けに染まる路地をとぼとぼと歩く。

 度重なるトラブルで疲労した上に、結局まともに商品を見ることすらできていないため、精神的ダメージも大きかった。

 最早都市でキメラリアの買い物をしようということ自体が間違っていたのではと、諦めムードを漂わせながら彷徨っていたときである。路地裏に隠れるような格好で立つ店を見つけた。

 どうにも一応仕立て屋らしいが、まるで客を拒むかのような雰囲気であり、通りに面した壁には窓もなく、衣料品店であることを示す釣り看板だけがキィキィと鳴いていた。


「ここでダメなら、今日はもう引き上げるか……」


「同意する。疲れた」


 げんなりとするシューニャを背に、僅かに扉を押し開いて店内を覗き込めば、狭い店内に棚が並べられており僅かな衣服が積まれているのが見えた。

 しかし左右を家屋に囲まれて日が差し込まないのか、早くも蝋燭が灯されており、その割には店員の姿は見つからない。


「ごめんください。誰か居ますか?」


 声を出しながら、僕は恐る恐る店内へ足を踏み入れる。

 しかし返事もなければ気配もなく、周囲を見回してみればカウンターにハンドベルが置かれていたものの、長い間触られていないのか金属面が錆びついていた。

 壁には未完成のセーターらしき服がかけられ、スツールの上には糸玉と編針が放置されている。だが不思議なことに今までの仕立て屋では必ず目にした糸車が見当たらない。その癖様々な糸を保存するラックは立派なものが鎮座しており、保管されている糸の種類も非常に豊富だった。

 そこかしこに漂う違和感は、まるでホラーハウスに迷い込んだかのようである。とはいえアトラクション目的で来店したわけではない以上、店員が居ないのでは話にならなかった。


「不在みたいだね。仕方ない、また明日来よう」


 僕は回れ右をしてシューニャに向き直るつもりだった。

 だが、見えたのは視界一杯の女の顔。それも何故か全てのパーツが上下逆さま向いている。

 一瞬、本気で化物の類かと思った。


「うおっ!? な、なんだっ!?」


 物凄い勢いで心臓の鼓動が跳ね上がり、咄嗟に後方へ飛んで距離を取る。

 危うく拳銃を引き抜きかけたが、僅かに残った刺激するなという本能がホルスターに手をかけたところで、ギリギリ耐えさせてくれた。


「……お客様?」


「へ?」


 店員ののんびりした口調に、僕は肩透かしを食らって素っ頓狂な声を出してしまった。

 そして一度緊張が解けてしまえば、状況は良く見えるものである。

 上下逆さまの女性は、なんとサーカスのように細い糸で天井からぶら下がっているらしい。中に針金でも入っているのか、ドレスはめくれあがることもなく、しっかりと形を維持していた。

 そんな不思議な彼女はお客様と口にした以上、どうやら店員なのだろう。

 逆さ吊りのままぴたりと静止している女性に改めて視線を向ければ、店員は上下反転のままで器用に首を傾げて見せる。


「あー……一応服を見に来た客、なんだが、この店はキメラリアでも買い物させてもらえる、かな?」


 逆さづりの彼女は、たどたどしく喋る僕をじっと眺めていた。

 飄々とした様子はファティマに似ていると言えば似ているが、彼女と違って何を考えているのかがサッパリわからない。むしろただボーっとしているだけだと言われた方が納得できるぐらいだ。

 しかし店員女性はしばらく黙ってこちらの様子を眺めたかと思えば、何故か逆向きに首を傾げなおす。それに合わせて、中ほどから白黒に塗り分けられている長いサイドテールが揺れる。

 傾げる、と言っても軽く頭を持ち上げる恰好になっており、僕はつい苦しくないのかと聞こうとして、しかしそれより早く彼女は口を開いた。


「あなたは私が人間に見える?」

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