第263話 王都、朝陽を浴びて

 熱波と爆風の去った後。

 農閑期の畑を踏み荒らした罰とでもいうべきか。高温に炙られた土の上には、土足で踏みいった兵士たちの亡骸が積み重なっていた。

 高性能サーモバリック爆弾。

 同じ大きさの通常爆弾より広い危害半径を誇る誘導爆弾であり、急激な気圧変動を引き起こすことから、生身の人間に対する攻撃では絶大な効果を発揮する。

 それが頭上で炸裂したことで、帝国軍の密集陣形は一瞬で屍の山へと変わり果て、軍隊としての活動などとても不可能な状況に陥っていた。


 ――すまない。


 助けを求める兵士たちの声に小さく目を伏せ、僕は機体の向きを西へ変える。

 自分は王国の人々にとって英雄かもしれない。だが、帝国の兵士たちにとっては間違いなく、血も涙もない虐殺者として記憶されたことだろう。

 返り血で染まった翡翠の姿など、できることならポラリスやマオリィネに見て欲しくはないが、それが大切な誰かを守り、自らの望む平穏を掴み取るのに必要である以上、僕は躊躇うことなくトリガを引くことができる。


『西側敵集団捕捉。友軍部隊が交戦中の模様。敵陣形後列に攻撃を集中する』


 反撃する王国軍の頭上を低空で飛び越え、後方に位置する敵へ向かって突撃銃とマキナ用機関銃を両手で掃射しつつ着地すれば、そこからは乱戦だった。

 収束波レーザーフラ光長剣ンベルジュを振り回して歩兵部隊に斬り込むのは、初めてマオリィネと会った前哨基地の戦いを再現しているかのようだったが、今はあの時と違って武装も充実しており、かつ手持ちの弾を気にする必要もないため殲滅速度は比較にならない。

 反撃に突き出される槍を躱すこともなく装甲で叩き折り、クロスボウを跳ね返しながら突進し、当たる幸い撃ちまくり斬りまくる。

 中には火球を放ってくる魔術師変わり者も居たが、エリネラの火炎とは比べ物にならないほど小さく、翡翠のシステムは装甲温度上昇の警告すら発さない。

 ただ、いくら一方的な戦闘といっても帝国兵の数は流石に多く、戦意を完全に喪失させ退却に追い込むにはそれなりの時間を要した。


「こ、こんな奴とやってられるか! いくら命があってもたりねぇよ!」


「退け、退けぇ――ぐぁっ!?」


 バラバラに逃げていく兵士の背中に矢が弾が突き刺さり、中には訳も分からない内に燃え上がる者も見える。

 自分が後方を押さえたことで、その動揺が敵の正面にも伝わったのか。王国側は寡勢でありながら防御の突破に成功し、防御陣形を食い破って追いついてきたらしい。

 その中には、よく見知った顔がいくつもあった。


「武功を競うは今ぞ! 大将首を持ち帰った者には、俺が褒美をくれてやる!」


「キメラリア続け! 森に逃げ込まれる前に仕留めるぞ!」


 紫と金に彩られたシクラスを纏うエデュアルトが、体格に見合う大剣を正面に掲げて豪快に声を響かせれば、その背後から大柄な兜狼ヘルフに跨ったペンドリナが、足の速いキメラリアたちを率いて飛び出していく。

 獣の特徴を持つ彼らは往々にして、人間のように大軍で陣形を組み、呼吸を合わせる集団戦は苦手とされる。だが、それも個々の武勇が重要視される散兵戦となれば話は違うのだろう。退却からの立て直しに手間取ったのか、反攻にもたついている王国軍に先んじる形で、バラバラに逃げだした敵へ食らいついた。

 頼みの生物兵器もそのほとんどが失われ、味方の壁になろうと立ちふさがる失敗作もキメラリアの剛力に突破されれば、最早帝国がいかに大軍であってもその士気を盛り返すことは不可能だろう。

 転げながら退いていく帝国兵たちの姿に、僕は小さくため息をついた。


『……敵の敗走を確認。まぁ、こんなものか』


 自分が到着した時点で、レーダー上に映る敵集団は、王都東側の部隊が何故か戦闘から離脱した位置にあって動こうとせず、北はマオリィネ率いるクラッカー部隊が突入したからか、他と比べて大きく戦力を低下させていた。

 相当数のミクスチャを連れていながら、何故帝国軍がここまで押し返されたのかは、正直言ってわからない。ただ、理由はどうあれ、自分が到着するまでの時間を王国軍が稼ぐことに成功したのは事実である。

 逆に帝国軍は、ほとんど戦果を得られないままミクスチャの多くを失った挙句、サーモバリック爆弾の炸裂により南側の大部隊も壊滅しており、西側の部隊が退却を始めたとなれば、それはこの戦闘の終了を意味していた。

 収束波光長剣を地面に突き刺し、肩を回して張り詰めていた意識を解す。脚部に装備された短距離対空対装甲誘導弾のコンテナ以外、手持ちの武装ばかりを限界まで積み込んだ機体は相変わらず重たいものの、サーモバリック爆弾を切り離したことで最初よりは多少マシだ。

 今回のような対集団戦を単機でこなす場合は、それも仕方ないことだろう。だが、やはりマキナはできるだけ軽い方がいい。ダマルとリッゲンバッハ教授の調整によって、以前よりかなり動きやすくなった分、余計にそう感じられたのかもしれない。

 未だ鳴りやまない戦いの音のを聞きながらそんなことを考えていると、後ろから装甲を何かに軽く叩かれた。


「よっ! まぁた随分派手にやったねぇアマミ」


 突然背後から投げかけられたのは、この場所に居るはずがない声である。慌てて振り向いてみればそれは疑いようもない現実で、褐色肌をした少女が赤いツインテールを揺らしながら、何故か大の男を引き摺っていた。


『え、エリ!? なんで君がここに……それとその男は?』


「あたしはただ手伝いに来ただけだよ。こっちのケモノツカイとかいうのも、失敗作引き連れてケンカ売ってきたから、とりあえずボコボコにして捕まえてみただけだし」


『なるほど……? まぁ、その、失敗作を引き連れていたってことに関しては、重要な情報源にはなる、か?』


 彼女の説明ではイマイチ状況が掴めないが、周りを見回しても詳細を説明してくれそうな某騎士補殿は見当たらないため、僕は早々に考えるのをやめた。

 少なくとも王国にとってはこれ以上ないほどの緊急事態だったのだから、亡命者御一行様に下されていた半軟禁状態による経過観察命令も、大目に見てもらえると信じたい。

 一方、獣使いと呼ばれた男は、失敗作を連れていたことで気が大きくなっていたのだろう。喧嘩を売る相手を間違えたことで、顔は原形が分からないくらいに腫れあがり、足首を掴まれて引き摺られているにも関わらず、抵抗すらできないまま小さくうめき声を漏らしている。

 ただ、自分が捕虜の取り扱いについてどう説明するべきかと悩んでいれば、エリネラは不思議そうに首を傾げた。


「ねぇ、そんなことよりアマミは敵を追っかけないの? せっかく勝ち戦だよ?」


『え? あ、あぁ、追撃は必要ないよ。この急場さえ凌げれば、あとはどうとでもできるから』


「随分余裕だなアマミ殿。総大将を逃しても構わぬと申されるのか?」


 小柄なエリネラに影がかかったかと思えば、隣に現れたのは彼女と対照的に大柄な黒毛のキメラリア・シシである。

 またヘルムホルツはかなりの激戦を潜り抜けたらしい。真銀鎧は返り血に染め抜かれ、手にした大盾もあちこちに損傷が目立っている。それでも本人が負傷した様子はなかったため、僕は軽く会釈を返して話を続けた。


『退いてくれるなら、指揮官の生死は問題になりません。なんなら翡翠を警戒して、兵力をかき集めてくれた方がありがたいくらいですから、わざと逃がしてもいいかもしれませんね』


 今回の戦闘でもそうだったが、表皮を貫通する遠距離攻撃に対し、ミクスチャは全くの無防備であり、こちらの装備が拡充したことによってその脅威度は大きく低下している。

 ただ、それはマキナを着装する自分に限った話でしかなく、ミクスチャをあちこちに分散させて運用されてしまうと、いくら空戦ユニットがあるといっても全てに1人で対応するのは難しい。

 そのため、少数精鋭の自分達にとって最も好ましい状況は、総力を結集するような大会戦となる。しかしこれは、現代常識ではありえない話だったらしく、エリネラは目をぱちくりと瞬かせ、ヘルムホルツはしばし沈黙してからグッグと喉の奥で低く笑った。


「はー……アマミって時々とんでもないこと言うよね」


「相変わらず底が知れぬ御仁だ――とはいえ」


 猪男が小さな目をスッと細めた途端、自分の後ろで岩が砕けるような音がと複数の悲鳴が木霊する。

 何事かと振り返ってみれば、何やら象の鼻に似た太い触腕に、直接3本の足を植え付けたような異形が、全身を大きく振り回して王国兵たちを吹き飛ばしていた。


「あの殿しんがりだけは、この場でどうにかせねばならんな」


『まだ生き残りが居たか』


 今までに見てきたミクスチャの中では、比較的シンプルな外見だと思う。

 だが、如何に単純な見た目をしていてもミクスチャであることに変わりはなく、身体の大半を占める長い触腕の攻撃を受けた板金鎧は、アルミホイルを握ったかのように変形させられ、口のような器官を持つ触腕の先端部は、食らいついた人の首を軽々とねじ切っていた。

 しかも、機動力の高い騎兵を優先的に狙い、その進路を塞ぐように軍獣さえ凌ぐほどの俊足で移動するなど、攻撃力だけでなく判断能力に優れている様子も伺える。


「おいケモノツカイとか言うの! これ以上ボコボコにされたくなかったら、さっさとあの止めろ!」


 エリネラはギリッと奥歯を噛むと、今まで引き摺られていた獣使いの首を掴んで持ち上げ、赤い瞳でパンパンに腫れあがった男の顔を睨みつける。

 ここまで散々レディヘルファイアの恐怖を体に叩き込まれたであろう彼は、その剣幕に明らかな怯えを滲ませたものの、彼女が拳を握るや声を震わせながら首を横に振った。


「む、無理を言うな……あ、アレ、は、副官殿が連れていた護衛用の獣だ……私に与えられた権限では、手綱を握ることなどとても――んぶぉぁッ!?」


「あーもー! あんだけ自信満々にケンカ吹っ掛けてきた癖に、何の役にも立たないじゃんコイツ!」


 理不尽ここに極まれり。

 できないことをハッキリできないと伝えただけだというのに、獣使い君は硬く握られた拳を再び顔面に叩き込まれた上、ゴミの様に地面へと投げ捨てられてしまった。今まで散々帝国兵を焼き殺した自分が言うのも何だが、この扱いは少々哀れ過ぎる気がしてならない。

 とはいえ、味方の被害が増大している現状で、痙攣する彼を介抱してやる余裕はないため、僕は武器を携帯式電磁加速砲パーソナルレールガンに持ち替え、空戦ユニットの翼を広げた。


『なぁに、そう大した問題じゃないよ。帝国の化物共を殲滅することが、この戦争における僕の役目なんだから』



 ■



 王国軍の追撃は想像よりも随分と緩いものだった。

 元々かなりの打撃を受けていたということに加え、副官が使役していた最後の1匹を壁にしたことが功を奏したのだろう。

 だが、軍獣アンヴの上で森の木漏れ日を浴びる私の気分は、人生の中で最悪といっていい。


「あれだけの威容を誇った軍勢が、今はたったこれだけか」


 フォート・ペナダレンを出撃した時は、兵士たちが街道を埋め尽くし、最強の獣たちが部隊の先頭に立って森の木々を押し倒し、軍勢が進むための道を切り開いていた。

 にも関わらず、振り返った先に居るのは僅か数十人の兵士のみ。無論、他にも生き延びている味方は居るだろうが、散り散りになった友軍との合流は絶望的といっていい。

 何せ私は、テイムドメイルの急襲を受けた際、他の軍団に撤退命令を出すことすらせず、誰より先に慌てて退却してしまったのだから。

 果たして、自分はどこから間違えていたのか。どうすればよかったのか。

 獣を最初から投入できなかったとはいえ、彼我の戦力差を考えれば敗北などあり得ないはずだった。

 前哨基地を奪還する際は、僅かな被害で黒曜石オブシディの騎士アン・ナイトを撃破する戦果を挙げ、フォート・ペナダレンを攻撃した時に至っては、半日すら経たないうちに陥落させることができている。無論、どちらの戦いも最強の獣は温存していたと言うのにだ。


「なんなのだ彼奴きゃつ等は……大防壁があるとはいえ、あの攻撃を寡勢で耐え凌ぐなどどうすればできるのだ。その上、やれ鉄蟹の群れだ、やれ強力すぎる魔術師だ、挙句の果てにはあれだけの獣を瞬く間に全滅させられる英雄だと……?」


 ブツブツと口に出してはみるものの、やはりとてもではないが信じられない。

 最強の獣はミクスチャだ。1匹で国を亡ぼす化物なのだ。

 それが束になって襲い掛かってきたというのに、何故王国は未だに残っているのか。

 考えれば考えるほど理解できず、絶対の勝算があったからこそ腹の奥から怒りと恨みが込み上げてくる。

 今まで親の七光りと呼んできた連中を見返すつもりが、このまま帝都に逃げ帰れば最早貴族としての地位すら危うい。だが、最早自分の手勢はこの数十人ばかりと、フォート・ペナダレンに居残っている僅かな兵士のみ。とてもミクスチャを軽々倒すようなテイムドメイルに敵うはずもない。


「ええいくそ……ッ! どうすればこの状況を好転させられるのだ、どうすれば……」


「僭越ながら、自分に1つ考えがあります」


 隣から聞こえた副官の低い声に、私はピタリと足を止めた。

 自分の頭で思いつかない打開策など、武将である彼が持っているとは思えない。だが、万が一ということもあり得るため、聞くだけならタダだと私は小さく顎をしゃくって続きを促した。


「南伐に向かわれていたシャーデンソン将軍に、救援を求められてはいかがかと」


 恭しく頭を下げるまではいい。だが、そこで吐き出された言葉は、とても看過できるものではなく、また理性の皮をはぎ取るのに十分すぎるものだった。


「ふざけるな! 序列第3位の奴めにそんなことを頼めば、私の面子などあったものではないだろうが!」


「しかし、ユライアに与する英雄は常識はずれな強さです! 今はこの危険性を急ぎ伝えることこそが!」


「黙れ黙れぇ! あぁ貴様らはいいだろう!? 国のためとだけのたまえばすむのだからな! だが、それでたとえ勝利が得られたところで、私は帝国中の笑い物だ! それをみすみす――」


 副官の経歴は全て自分が準備した物だ。周囲の騎士より多少武勇に秀でていたから、下級貴族の次男坊に過ぎないこの男をわざわざ拾い上げてやり、帝国北部鎮守部隊の長に据えて色々便宜を図ってやったと言うのに、その恩義を忘れるなどとても許せる事ではない。

 しかし、その頭を蹴り飛ばしてやろうと軍獣の上で腰を浮かせた矢先、どこかからヒュンと風を切る音が聞こえた気がした。


「か――は?」


 頭を下げたままの姿勢で副官の身体はぐらりと傾き、そのまま力なく地面へと倒れていく。

 見れば板金を重ねた頸甲ゴージットの背中側に、短いボルトが突き立っている。しかし、私はそれを目の当たりにしてもなお、どうしてか理解が追いつかなかった。


「か、囲まれてるぞ!」


 そんな頭を揺さぶったのは、絶望を叫ぶ兵士の声である。

 ハッと我に返って顔を上げれば、枝葉が重なる樹上にいくつもの人影があり、続いてボルトの雨が降り注いだ。

 忠誠心を振り絞ったとでも言うべきか。僅かに残った兵士たちは防御陣形をとろうと動いたものの、盾を構えることさえできずクロスボウに射抜かれていく。

 無論、兵たちに薄く囲まれた自分も例外ではない。何処かにボルトを受けたのか、軍獣が突然大きく身体を跳ねさせたことで、そのまま地面へと放り出された。


「ぐぇぁ――っ!?」


 地面に叩きつけられた痛みで、一瞬息ができなくなった。

 ただ、私を絶望の底に叩き落したのは体に走る鈍痛ではなく、薄暗い森の奥から聞こえてきた、実に楽しそうなしわがれ声だったが。


「ひひひ……こいつは思わぬ収穫だ。出遅れちまった詫びの品としちゃ、なかなか上等な獲物じゃないか。なぁ? ウェッブ・ジョイ第5位将軍」

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