第182話 ジョリー・ロジャーは愛を語るのか
ジークルーンと共にリビングへ戻ってきた僕は、客間で発生した事案についてをマオリィネに語った。
「全身打撲って……また随分派手にやったわね」
彼女が呆れたと肩を竦めるのは無理もないことだろう。
せっかくスイビョウカ中毒から目覚めたと思えば、まともに対話を試みるまでもなく全身を壁に強打して再び昏倒させられ、再びベッドへと逆戻りさせられたのだから。
「ごめんなさいごめんなさい、私がもっとしっかり止められていれば」
「いや、ジークルーンさんが悪いわけでは。まさかファティが手を上げるとは思わなかったもので、僕の考え足らずが原因ですよ」
ぺこぺこと頭を下げるジークルーンに、付き合いの長いマオリィネは特に彼女を慰める様子もないまま長い黒髪をふわりと揺らし、簡単に謝罪を切り捨てる。
「責任の所在なんてどうでもいいわ。でも彼が倒れたままなんじゃ、ジークとクリンも今日は泊りね」
「あうぅ、すみませぇん……」
「まぁ今回のは不幸な出来事だったということで、彼には申し訳ないがこちらでは水に流すとしましょうよ。どうぞゆっくりして行ってください。マオ、悪いんだが後を頼むよ。僕はファティたちを手伝ってくる」
「ええ、わかったわ」
しゅんと小さくなっていくジークルーンの姿があまりにいたたまれないものだったので、僕は無理矢理落としどころをつけて席を立った。
自分が離れれば少しは話題を逸らせるのではないかという判断からの行動だが、これが珍しく正解だったらしくマオリィネも同意してくれたことで、僕は速やかに部屋を後にしたのである。
■
カチカチと骨を鳴らして組み上がった胴体の違和感を取り除いていく。
普段のファティマが組み上げた時にはない、身体が固まったような症状に俺は兜の中から苦情を吐いた。
「やぁれやれ、やっと直ったぜ。ゲロッパ役立たずは組み立てもろくにできねぇのか」
「そもそもバラされるようなこと言わなきゃいいじゃないッスか。あと、次その名前で呼んだら石臼で砕いて森に撒くッス」
本気だぞとアポロニアは尻尾の毛を逆立てて唸る。
まったく軽口一つ叩くのに命がけとは、現代も困ったものだとため息を付く。
石臼で自分の骨が砕けるかどうかは知らないが、しかし万一にも砕けたら骸骨から骨粉、なんなら肥料などに転生してしまうため、俺はそれ以上煽るのをやめてリビングのドアを開いた。
「冗談に決まってんだろが――おう、ご客人。そろそろ日暮れだが、今日は泊りの予定でいいのか?」
「だ、ダマルさん!? わ、わ、えっとその、そんな感じ、なん、です」
兜のスリットから見えるリビングのソファには、マオリィネと相対する形でジークルーンが座っていた。
それもこちらに気付くとわたわたと立ち上がって、律義にぺこりと頭を下げてくるので、彼女が貴族というのは中々に疑わしい話だと思う。
俺がしょうもない疑問を抱く一方、アポロニアは俺の背中から顔を覗かせると腕をまくってニッと笑う。
「おっ、そんじゃあ気合入れて晩御飯作るッスよ! ちょっと遅くなるかもしれないッスけど我慢してほしいッス」
「あっ、それじゃあ私も手伝うわ。ダマル、ジークをお願いね?」
「あ? あぁ、まぁいいけどよ」
マオリィネが一番の知り合いであるはずなのに、と俺は意外に思ったが、自分が料理を手伝えないことくらいは承知しているため素直に了承する。
しかしジークルーンはこれに慌てた。
「ちょ、ちょっとマオ!?」
「ほらほら、お客様はお客様らしく、くつろいでいて頂戴」
それもマオリィネのウインクに押さえ込まれ、僅かに腰を浮かしたまま伸びた手は空を切った。
結局ジークルーンは扉の向こうへ消えていく黒髪を見送るしかなく、最後には眉毛をハの字に曲げながらソファへと身体を沈めて呻き声を漏らす。
そのどこか同情を誘う姿に俺は兜の後ろを掻きながら、あーと声を出した。
「女どもとの方が居やすかっただろうに、悪ぃな」
「い、いえ、そんな! そういうことじゃなくて――」
俺の発言をどう捉えたのか、彼女はまた慌てて顔を上げると両手を前に突き出して振り回す。
それはまるで怯える小動物のようだ。
「とりあえず落ち着けよ。んなジタバタしなくても、俺は何もしねぇって」
「あう……」
そう言いながら俺が彼女から見て直角の位置へ腰を下ろすと、やはりジークルーンは小さくなる。
どうにも気弱な娘相手は調子が狂う。それこそアポロニアのように快活か、あるいはファティマのように毒でも向けてくれた方がやりやすいのだ。
おかげでどう声をかけたものかと悩んでいると、暫くしてから意外にも彼女の方から口を開いた。
「その、今朝の事、なんですけど、ありがとうございました」
「別に礼を言われるようなこたぁしてねぇさ。運が良かったと思いな」
「そ、そう、ですよね」
きっとジークルーンは本気で感謝しているのだろう。しかし、こちらが思ったままを伝えれば、彼女はやはり言葉を見失って視線を自らの膝へ落とした。
だが、その沈黙もまた僅かな間で、小動物のような貴族様は再び会話を切り出してくる。
「あの、ごめんなさい、少し質問してもいい、ですか?」
「あ? あぁ」
「どうやったら、ダマルさんみたいに強くなれるんでしょうか。私、一応騎士なのに今日も……」
それもまさかのお悩み相談ときた。
少なくとも自分はカウンセラーに不向きだと思うのだが、今朝の救出劇が余程衝撃的だったのだろう。
最初はどうオブラートに包んでやろうと考えたものの、思案してもいい答えは見当たらず、俺は結局いつも通りの口調で意見を口にする。
「アンタは人間だ。人間にゃ向き不向きってもんがある」
「やっぱり向いてない、ですか」
「ハッキリ言っちまえばそうだろうな」
実際ジークルーンは戦うことに驚くほど向いていない。
元々気弱なのは仕方ないとして、武器を向けられて得物を抜くことすらできないのでは、騎士かどうかという以前の問題だ。
だからこそ俺はそこが間違っていると思ってしまう。
「だが、そりゃアンタのいいところだぜ」
「いいところ……?」
「不思議そうな面ぁしてんなよ。ものは見方だろ? アンタは気弱で臆病だが、それは弱者に対する優しさにもつながってる。騎士なんて枠だけで考えちまうから、弱点に見えちまうだけだ」
ふいに顔を上げた彼女はひたすらキョトンとしていて、その顔が妙に癪だった。
貴族の娘だからなのか、あるいは現代人にはそういう考えが浸透しているのかはわからない。しかし、その余りにも一面的な考え方は、どうにも腹が立ったのである。
「俺ぁよ、マオリィネにしてもアンタにしても、貴族だなんだって凝り固まった考え方が気に入らねぇ。そりゃ何かと事情はあるんだろうが、環境なんてのは自分から変わろうとしねぇかぎり、誰も変えちゃくれねぇぞ」
どこか吐き捨てるような口調の俺に対し、何故かジークルーンは今までのように小さくなることもなく、脱力したような顔でこちらをじっと見つめていた。
投げやり気味な声を吐き切ってから、泣かれでもしたらどうしようかと、早くも後悔が脳裏を過ぎる。
しかし、彼女はここへきて初めて、儚げな野花のような笑顔を浮かべ、俺はその予想外な反応に兜の奥で密かに息を呑んだ。
「ダマルさんは、ホントにお強いんですね」
「……強い、ねぇ。アンタは何を見てそう思うんだ? 腕っぷしか?」
ガントレットの拳を彼女に突きつけても、やはりジークルーンは何か心のスイッチが切り替わったようで、怯えるようなこともなく、ゆるゆると首を横に振った。
「それもですけど、こう、簡単に言いきれちゃうところとか、かな」
「そいつぁちと買い被りすぎって奴だぜ。こう見えて俺は結構繊細なんだ」
「とてもそうには見えないですけど?」
「おいおい、そりゃ心外だな。ガラスのハートが砕けちまう」
あれほどどう接すればいいか悩んでいた相手に、俺は自然と軽口が出たことに自ら驚いている。
ジークルーンもまた相談した内容が、心の中にうまく落ち着いたのか、短い沈黙の後で口に手を当ててクスクスと笑い始めた。
「――ふふふ、本当に変な人」
「なんせ呪いの騎士様だからな。惚れるなよ?」
俺は照れ隠しもあって、マオリィネに言われたことを冗談交じりに口にした。
するとジークルーンははたと笑うのをやめて、どこか真剣な目で兜を見つめながら、腰をずらして少しだけこちらに近づいてくる。
「惚れては、いけませんか?」
「カッカッカ! やめとけやめとけ! 呪われてる奴の嫁になったりしたら、アンタまで呪われちまうかも知れねぇんだぜ?」
努めていつも通りに笑い飛ばす。
自分に必要な物はわかりきっていて、軽口と冗談と煙草の煙。それに酒でもあれば万々歳なのだ。
なのに骨の身体になってから自らを縛り続けてきた枷は、今になって酷く揺さぶられている気がするのは何故だろう。
そんなこちらの内心を知ってか知らずか、ジークルーンは聞こえるように呟きを漏らした。
「それも悪くないかも……」
「あんだって?」
「う、ううん、なんでもない」
わざと聞こえないふりをしてとぼける俺に、彼女は首を振ってから再びスリットに視線を合わせた。
「あの、私の事、アンタじゃなくて、ジークって呼んでくれませんか?」
「お、おう……そりゃ構わねぇが」
存在しないはずの心臓が跳ねている。
――本気かよこの女。どうする骸骨の春。
800年前の自分にとって恋愛は日常茶飯事だったはず。今となっては少々恥ずかしい話だが、女遊びと言われてもおかしくないくらいとっかえひっかえもやったことがある。
それが今になって、二十歳そこらの田舎貴族生娘相手にかき乱されねばならないのか。
訳の分からないプライドから、俺はならばと反撃を考えた。
「そうだな、じゃあ俺からも1つ。その妙に堅苦しい敬語はやめてくれねぇか。むず痒いんだ」
「そう?」
「俺平民、ジーク貴族、オーケー?」
ガントレットで自分と彼女とを交互に指さして、立場の違いを明確に示す。
いわば心の平静を保つための仕切りのつもりだったのだが。
「そんなの気にしてないのに。でも、いいよ」
にっこりと笑ってそう言った彼女に、俺は自ら掘った落とし穴へあろう事か己の意思で飛び込んだことを悟ったのだった。
■
サフェージュの看病をシューニャ達に任せて、そろそろ配膳作業もあるだろうからと手伝いに出てきた僕は、リビングの手前で不思議な光景に遭遇していた。
「まさかジークがあんなに積極的に行くなんて……ダマルも1対1の時って真面目な事言うから、2人きりにしたの失敗だったかもしれないわね」
「この空気入りづらすぎるッスよ。どーするッスか」
2つの頭が扉にはり付いている。それも片方は鍋掴みとシチューポット装備で。
こんなわかりやすい覗き行為が行われている場面など、人生でもそう目にする物ではない。
しかし、その何とも間抜けな姿に、僕は呆れて声をかけた。
「君ら何してんだい?」
途端に2人は肩を揺すって跳び上がる。それでもシチューポットを手放さない辺り、アポロニアの料理に関するプライドを感じたが。
「うひゃぁ!? ご、ご主人、脅かさないで欲しいッス!」
「っ、そ、そうよ! 今いいところで――」
しかし、それだけ大きな声と物音を立ててしまえば、結果は自ずと知れる。
ギィと軋むような音を立てて扉が押し開かれると、その向こうから、珍しくじっとりとした半目のジークルーンが姿を現した。
「マーオー……? そんなとこで何してるの?」
「いっ!? ち、違うのよジーク、私は貴女が心配だったから――!」
「嘘ついてる時、マオは目線を右上に逃がすよね」
付き合いが長ければ相手の行動はよくわかる。それはジークルーンにとっても同じ条件であり、結果マオリィネは見事に言い逃れに失敗した。
となれば、彼女に取れる手段など限られている。1つは素直に謝り怒りを沈めてもらうこと、そしてもう1つはと言えば。
「あ、アハハハハ……そ、そう! まだお皿が残ってたわね! キョウイチ! 後よろしく!」
そう、トンズラである。
踵を返して床を蹴った姿は、言葉のままに脱兎の如く。ドタバタと貴族にあるまじき足音を立てながら、黒髪の美少女は全力で廊下を駆けてゆく。
「待ちなさいマオぉ! どこから聞いてたの!? どこまで聞いたのぉ!? 今日はごめんなさいするまで、絶対許さないからねーっ!!」
それをジークルーンもまた怒涛の勢いで追いかけた。
この段階でわかったことだが、彼女は決して運動が苦手なわけではなく、なんならマオリィネよりも足は速いくらいだ。
引っ込み思案な性格が、彼女の弱弱しい雰囲気を作り出しているだけなのだろうと僕が納得すれば、隣でアポロニアも同じことを感じていたらしい。
「ジークルーンさんって、意外に動けるッスねぇ」
「あれはあれで新鮮な一面だぜ」
アホくさ、とため息をつきながら、ダマルは面倒臭そうに開け放たれた扉から姿を現す。
しかし、そんな彼女らの姿を見て呆れ返っているだけかと思えば、どうにも声色が普段のそれとどうにも違って聞こえた気がしてならず、僕は小さく首を傾げた。
「……ダマル? なにかあったのかい?」
「何でそう思う」
「やけに嬉しそうだな、って」
「お前にゃ兜の裏が見えるのかよ。いや見えても髑髏なんだけども」
「なんとなく、だが」
それこそ確証があるわけではないし、何より今までダマルの表情など白い骨と黒い穴以外に見えた記憶もない。
しかし、雰囲気だけなら意外と察せるもので、それはこの骸骨にも理解できたらしく、何故か少し照れたように腕を組んで壁にもたれかかった。
「いくらポンコツでも相棒は相棒か。まぁ、嬉しいってのもあながち間違っちゃいねぇがよ」
「正解は違うのかい?」
「……ちょっとばかし、俺にも悩みができたってとこだな」
細い兜のスリットは、廊下の奥でタックルを敢行したジークルーンに向けられている。
転がされたマオリィネの上で馬乗りになり、ポコポコと胸を叩く姿は微笑ましい物だ。それもちょうど二階から降りてきたポラリスが遊んでいると勘違いして乱入すれば、最早じゃれているようにしか見えない。
だというのに、ダマルはただむっつりと黙り込んでいるだけだった。
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