第10話 自己紹介と情報収集(後編)
「ちょ、ちょっと待て! 買われたってお前……そんな簡単に言うことか!?」
ダマルが驚いて前に出る。僕も内心は同じ気持ちだった。
目の前で朗らかに語る少女が、まるで自身が物であるかのように、しかも本人がそれをさも普通であるかのように語る姿に僕らは愕然とした。
「奴隷制度」
ぽつり、とシューニャから声が漏れる。全員の視線が彼女に集中した。
不思議でもなんでもないとばかりにシューニャは言った。
「カサドール帝国法には奴隷法が存在する。隣のオン・ダ・ノーラ神国や商業国リンデンにも同じような制度が存在しているし、むしろ奴隷を使わない国は聞いたことがない」
少女は淡々と、それも嘘偽りない常識を語っていた。むしろ、なぜそんなことに驚いているのかと言わんばかりで、僕とダマルは言葉に詰まる。
800年の間に何があったにせよ、人道というものは形すら残らなかったのかもしれない。とはいえ、自分がここに居る理由を考えれば、800年前でさえ人道がきちんと作用していたかは怪しいのだが。
まさかという視線を向けるとファティマはただただきょとんとしていた。
売られるということ、意志ある者が物扱いを受けるということに、僕もダマルも怒りを覚えたのは間違いない。だが、それをここで言っても仕方ないことだった。
そんな僕らの様子を見て、ファティマは優しいんですね、と笑う。
「ボクはなんで売られてたのかよくわかってないんですけど、気づいたら奴隷でした。でもご飯は一応貰えるし、ちゃんお仕事さえしてれば、あとは食べて寝るだけなんで、そんなに困らなかったんです」
そうか、としか言えなかった。
奴隷だったということをアッサリと語る少女が居る世界。その衝撃はあまりに大きい。
同じではないと思い知らされた。文明も、常識も、何もかも。
「お金の説明はこれくらいでいいですか? 他にも種類はありますけど、普段から扱うお金は大体この3つですし。それにボク、お腹がすきました」
「あ、あぁ、そうだね。と言っても、さっき言ってた不味い食事しかないんだけど」
「ボクは慣れてますから」
「じゃあ俺ぁ飯取ってくる。恭一、火ぃ起こしといてくれ」
「あぁ――」
「待って」
僕の言葉を制して今までよりも余程大きなシューニャの声に、全員が動きを止める。僕は立ち上がりかけた中途半端な姿勢のままで、返事を喉の奥に押し込んだ。
「先に1つ聞かせて」
「なんだい」
彼女は切迫した表情で僕を見上げてくる。
「コレクタ部隊は……どうなったの」
聞かれなかったから伝えなかったが、彼女らの仲間だっただろう人々の状況を僕は言い淀んだ。
その原因は間違いなくこちらからあまりにも唐突に質問を始めてしまった僕にある。驚愕と恐怖からシューニャも聞くことを躊躇ったに違いない。
子供のような少女に凄惨な現実を伝えるべきではないかもしれない。だが、彼女に知る権利がある以上、僕は見た事のすべてをありのまま伝えることにした。それには、助けられなかったという償いの意識もあったかもしれない。
「そう……やっぱり私たちだけだった」
「後方に散らばってたって連中はわからないが、あの近くに生きている人は居なかった」
聞けばあのザトウムシは、ポインティ・エイトというらしい。
この荒野における厄介者。大規模な群れで行動し、あらゆる動物を攻撃捕食する生態系の上位者であり、発見次第討伐が行われるとシューニャは語る。
本来ならば、毒を準備することで比較的簡単に殲滅できるそうだが、今回の突発的な追跡行にその準備はなく、今回のような結果を招いたと。
「あれが掃除屋と呼ばれるのは、奴らが通過した後には動物も人間も死骸すら残らないから。全滅させなければ、仲間の死体も喰らう悪食。逃げた掃除屋の生き残りも、貴方が居ないとわかったらいずれ食べ残しを求めて戻ってくる。遺体を収容する方法がない今、彼らを簡単に埋葬しても奴らに掘り起こされるだけ」
その場で埋葬しても意味がないと、シューニャは目を伏せた。
「随分と攻撃的な
後ろ手に両手を組みながら呆れかえるダマルは、俺に食うところはないけど、と小声が続けた。彼女の気持ちを考えろと、僕は視線も向けずに肘を骨の横腹あたりに突っ込む。
そこにあるのはただの空洞だが、ダマルは反射的に呻き、腹を抑えて仰け反って見せた。そこまでの演技ができるなら何故わざわざ無神経な骨ジョークを挟んできたのかを問いたい。
「ヘンメはベテランだったけど、今回は無理な追跡をしすぎた」
「昨夜からずっと追跡してきてたこともそうだが……アレが出てこなければ全滅なんて」
彼女の様子を気遣って同情的な言葉を投げたが、シューニャは首を振った。
「コレクタが全滅するのはよくある事。私は生きているから、貴方が気にすることじゃない……食事の準備、邪魔してごめん」
そうか、と僕は短く告げた。彼女がそう思っているのならば、これ以上感傷的な言葉を言うことはやめた。
シューニャは何か納得した様子だったので、僕は速やかに焚火を準備し、ダマルは自分たちが1食分と管理していた食料を倍にして全員に配る。
団欒とまではいかないが、食事をとることでようやく落ち着けたように感じた。
僕とダマルはともかく、シューニャ達は所属部隊が全滅した挙句に当初のターゲットと焚火を囲むことになっているのだ。緊張をほぐしきることは不可能だろうが、僅かでも安らげるのなら、その方がいいに決まっている。
これでもかと質素な食事に各々が取り掛かった。地面に腰かけながらファティマは堅い黒パンと格闘し、ダマルは不味い干し肉を少しでもマシにしようと炎で炙る。
そんな奇妙とも言える光景を、シューニャはじっと眺め、
「キョウイチ、だった?」
と、初めて僕の名前を口にした。
あぁ、と水に浸した黒パンを口に入れながら返事をすると、シューニャがグッと傍に寄ってくる。マキナを脱装したこともあって、視線は先ほどよりも近づいていた。
本来ならばマキナを外すのは不用心とも言える。しかし、食事開始前に一番の警戒対象だったファティマに板剣を預けられた以上、警戒を続けるのもおかしな話だ。
それはシューニャにとっても、少しは警戒心を薄れさせる効果があったようで、彼女は口数が増えていた。
「貴方は何?」
「何……と言われてもな」
あまりに大雑把な質問に僕は後ろ頭を掻いた。
だが、真剣な眼差しを向けてくる少女にやや身体を反らせて、どこまで告げていいものかと僕は悩む。
全てを伝えるのは難しい。コレクタが800年前の技術や歴史を収集しているのならば、僕やダマルはその生き証人ともいえる。ともすれば自己をひけらかすのはまだあまりにも危険だった。
こちらが聞きたいことをどう聞き出すか、その分の情報開示をどうするか。うまく妥協点を見つけなければならなかったが、彼女の質問ではそれを掴む糸口が見つからない。
困惑する僕を見て、シューニャは言葉を続けた。
「貴方達はあまりにも常識から外れている」
「言い切るね」
「貴方はリビングメイルをまきなと呼ぶ。それは何故? あの鉄の箱は何? お金のことをよく知らず、安い肉やパンで食事をとりながら、薬は大量に持っている。薬は高級品なのに、どこで手に入れたの?」
彼女はまくしたてるように聞いた。あまりにも不可解だと、とてつもなく歪だと。
それら全てを内包しながら、貴方は何、と聞いたのだと言う。
「ただの盗賊だと言ったら?」
真剣さをからかうように、僕は真実をはぐらかす。
だが、シューニャはそれを即座に否定した。
「盗賊がお金を理解していないのはありえない。仮にそうだとすれば、わざわざ価値と使い道のわかりにくい薬だけを狙ったりしない。武具や家畜、あるいは食料を狙うはず」
「盗みに入った場所に価値がありそうなのが薬しかなかったとは考えられないかい?」
「それもない。あの軟膏は一般的な薬草から作られる傷薬とは明らかに違うし、包帯の質も驚くほど高かった。ただの医者や薬師が持っているものではない。もしもあの軟膏が上流階級の専属医に流通しているような薬で、そんな場所から盗んだとすれば、他に狙えた金目の物は多いはず。どう?」
こちらの言い分に綻びがあると彼女は指摘する。まるで試すかのように、答えを求めてくる。
即興の嘘で適当なことを言っているに過ぎない僕には、的確過ぎる指摘に反論などできようはずもない。ここでも適当にはぐらかすことはできるが、それで彼女の追及から逃げ切るのは難しいだろう。
とはいえ、逃れられないからと言っても真実を伝えることもまたできない。
「色々訳ありだ、ということで許してはくれないかい?」
「……言えない事情があると?」
「僕らには知らないことが多すぎる。君たちを助けたのは、シューニャさんの言う常識から外れた部分をなんとかしないと、生きていく上で不都合があると判断したからで、いわば下心が発端だ」
この部分に嘘はつかなかった。それは恩着せがましく助けたにせよ、真摯にこちらの質問に答えてくれる彼女たちに対し、あまりにも不義理だと思ったからだ。
現在の情報を少しでも手に入れられるならば誰でもよかった。自分が救援に駆け付けた時点で軽傷であり、救助が間に合ったのが彼女たちであったというだけだ。
それもただ道行く人に尋ねるより、何かしら恩を売れば非常識な質問にも嘘偽りなく答えてくれる可能性が上がるという打算からにすぎない。
しばらくシューニャは僕の顔をじっと見ていたが、ふと視線を手元で揺れる水に逸らし、そう、と小さく呟いた。
その一瞬に彼女がわずかに微笑んだ気がしたが、今焚火に照らされる表情には一切感情の動きを読み取れない。
「失望したかい?」
僕は暗にそのほうが自然だと彼女に言ったが、シューニャは首を横に振る。
「そうじゃない。今聞ける貴方達の情報がそれだけだってわかった。それで十分」
少しだけ声を明るくした彼女は、手元にあった塩辛くて不味い干し肉を小さくちぎって口に入れた。
何故かはわからない。僕は彼女に自分たちが何者で、どういう状況なのかを伝えられないことが酷く情けなかった。出会って数刻も経たない間柄ではあるが、まだあどけなさの残る少女1人を信じる余裕がないことに表情を苦々しく歪めることしかできない。
金属製のマグに注がれた水には、そんな苦虫を噛み潰したような僕の顔が映りこんだ。
「質問、ある?」
隣から再び聞こえた声に顔を上げると、シューニャは炎を眺めたまま同じ言葉を繰り返した。
少しくぐもって聞こえたのは、噛み切れない干し肉と口の中で格闘しているからだろう。ややあってそれを飲み下した彼女は小さく息をついた。
「さっきはファティに任せてしまった。次はちゃんと答える」
シューニャはエメラルドのような瞳で僕をしっかりと見つめてくる。
その表情はぎこちなくとも、僕には確かに微笑みを湛えているように見えたのだ。
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