第135話 残された者
なぜこうなったのだろう。
いや、原因の所在は無茶をした自分だとわかりきっているのだが、それでも私は頭を抱えていた。
どうにも私は何かを決断するという行為が極端に苦手である。だからといって武術に優れているわけでもなければ、智謀に長けているわけでもない。生まれた場所が貴族家の長女という椅子の上だっただけに過ぎず、騎士になれたのも運がよかったからとしか言えないのだ。
しかし生きている以上、人は常に選択を迫られる。そして悩むほどの選択を迫られた時は、決断が遅れれば遅れるほど事態は深刻化していき、取り返しのつかないことになることくらいわかっているのだが。
「あの……えっと、ヴィンターツール様……?」
か細い声に私はハッとして、表情を取り繕った。
「だ、大丈夫だからね! クリンちゃんが何か気にするようなこと、ないから!」
まるでこれから売られゆくかのような目を向けられて、冷たくあしらえるようならば、きっと悩むこともなかったのかもしれない。
そういう意味では、エリと名乗った赤目の旅人は、あの僅かな時間だけで私の甘さを確信していたのだろう。彼女は小さく頬を緩めると、あまりにもサラリとこちらの隠し事を言い当ててみせた。
『ねぇ君、貴族なんでしょ? この子の事任せていい?』
少なくともジークルーンは偽名を使っていたし、服装からも見た目からも町娘、あるいは田舎娘丸出しの恰好をしていたはず。特にディアンドルは、貧乏田舎貴族であるヴィンターツール家で実際に労働に使っていた物であり、その着こなしは同じように働く農民たちと遜色ないと自信があったのだが。
『農民にしちゃあ、お上品すぎるよ。それにクリンは名前も知らないんじゃ、アマミがどこ行ったかなんて知らないんでしょ? その続きを君が教えてくれるわけでもないならそっちに用事もないしね。あぁ、追っかけてくるのは勝手だけど――君たち程度じゃ何もできないね、うん。アタシ頭悪いけど人を見る目はあるつもりだから』
混み合う酒場で剣呑な空気が流れたことは言うまでもない。
私が店に潜り込ませていた兵たちは、剣の柄に手すらかけていなかったと言うのに、その全てをエリは視線で指し示して見せたのだ。しかもあろうことか彼女は、自信満々に全員を突破できると言い切ったのである。
決断するというのが大いに苦手な私は、何の事かな? と言ってはみたものの、引き攣る頬ではどれほどの説得力があっただろう。こちらの様子を見るやエリは大きくため息をつき、グッと机に身を乗り出して私の胸元へ指を突きつけた。
『アタシをちゃんと疑って罠を張った事は褒めてあげるし、君の変装……じゃないかもだけど、それは見事だと思うよ? でも君自身が向いてないね。見た目は可愛いんだからこんなことやめた方がいい――せっかくだから約束してあげる。このままなーんにもせずにクリンの面倒だけ見てくれるなら、私もこの町じゃ何にもしないし君にも危害を加えない。でも、そっちの酔っ払い共が剣を抜くなら……アタシは誰も残さないよ?』
霞むように小さな声は、きっと自分以外には聞こえていなかっただろう。だが、フードの奥から覗く赤い瞳の迫力だけで、私はハッキリと格の違いを思い知らされた。
歯向かうな、この相手は小さな体をしていても化物だ。それはまるで痺れの様に身体を伝い、危うく緩みかかる股の栓にキュッと力を込める。
ただ、こちらが硬直したままで動かないとわかると、彼女は威圧的な空気をまるでなかったかのように引っ込めてにっこりと笑い、外套を翻して席を立った。
『クリンの事、よろしくね。クリンも、アタシから施しを受ける奴なんて早々居ないんだから、感謝してくれていいんだぞー』
それだけ言うとエリは堂々と酒場を後にしたのである。
兵士たちは追跡の指示を待っていたようだが、私にできたことは手を上げて首を横に振る事だけ。結果としてアマミを追っているという人物の新たな情報を掴むことには失敗し、相手にこちらの素性を知られてしまっていたのだ。
こうなっては最早自分で事態への収拾は不可能だと諦め、私は速やかにクローゼとマオリィネに対して状況報告と謝罪のホウヅクを放った。後で怒られると思うと気が重いが、一応これで追跡者への対応は終わりを告げている。
だが、私にはクリンの取り扱いという問題が残されてしまった。
彼女は英雄アマミと接触した人物であり、本人が言うには彼から施しを受けたとのこと。それ以上の情報は何も知らないらしい。
であれば、何も気にせず放逐するべきだっただろう。だが、エリとの約束に含まれている以上、下手なことをしてはポロムルに災厄を引きこんでしまうような気もする。また、クリンの身の上話を聞いてしまったこともあり、そのまま貧民街へ放り出すような真似はどうにもはばかられたのだ。
無論、彼女のような境遇の者が沢山いることはわかっている。それなのに、クリンだけを助けて他を見捨てるのはどうなのか。けれど、貧民全員を救える力などあるはずもなく、私は渦巻く悩みから頭が爆発しそうだった。
「マオぉ、私には荷が重いよぉ」
執務机に突っ伏しながら、私は必死で涙を堪える。
するとその様子に驚いたのか、ソファに腰を下ろして居心地悪そうにしていたクリンが慌てて立ち上がった。
「わわ、だ、大丈夫ですか? す、直ぐに人を呼んできますから!」
「い、いいの、気にしないで!」
だが、年下の少女に混乱された途端、私の頭は逃げ出したいという思考をすぐに放り出し、自分でも驚くほどに背筋を伸ばす。それがどれほどの強がりだったかは言うまでもないが、クリンの純粋な行動はしっかり私の心を揺さぶっていた。
――こんな優しい子に、もう1回飢えろなんて私には言えない、よね。
ただでさえ私には年下の兄弟姉妹が男女合わせて6人も居る。その内3人は未だ彼女よりも幼いくらいの子どもだが、だからこそ実家で笑う弟や妹たちの影と彼女が重なり、小さく息を呑んだ。
あのエリと言う魔術師が善人か悪人かはわからない。だが、彼女を疑うこととクリンの現状は一切関係がないではないか。生まれも環境も何もかもが運命だと言うならば、クリンがここに居ることもまた運命と呼んでいいだろう。
「クリンちゃん、聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」
決意を込めて私はその言葉を口にする。
クリンはそんな私を不思議とじっと見つめていたが、こちらが真剣な表情をしているとわかると、身体を緊張させながらも小さく頷いてくれた。
私は誇り高き王国貴族、ヴィンターツール男爵家の長女。縁した少女の1人にも手を差し伸べられないなら、家名を守るなどできるはずもないのだ。
■
1日明けてその夕刻。街道から人影が消える時を待って、玉匣はスノウライト・テクニカを出発した。ロガージョの巣穴まで最短経路を選択して草原をゆっくりと進めば、間もなく夜明けというところで以前にも立ち寄った巣穴付近の景色が見え始める。
『お前も意外と見境ねぇよな』
「やかましい」
ただ、砲手席に腰を下ろした僕は、無線機から聞こえる不躾な声にげんなりしていた。
信頼を得たいと言う下心はあったのは認めるが、そこにやましい気持ちが介在したわけではない。
だが、年頃の娘たちの目にどう映ったかと問われれば、自分が大いに疲労している段階で理解を求めたいところでもある。
先日、マオリィネと対話して要求通りに頭を撫でていたところで、狙ったかのように後部ハッチを開け放ったアポロニアが、直後に石化したのは言うまでもない。また、彼女の後ろから覗き込んだシューニャとファティマも連鎖的に硬直していた。
自分にはわからなかったが、もしかすると空気どころか時間経過さえも凍っていた可能性もあるだろう。
ただ、そんな状態がいつまでも続くわけもなく、マオリィネが照れた様子で慌てて腰を浮かせた途端、犬猫ペアが見事なまでに噴火した。
『いきなりなぁにイチャついてやがるッスかぁ、このムッツリデミがぁぁぁぁぁ!!』
『やっぱりぽっと出にはそういう魂胆があったんですね! 色々と吐いてもらいますよぉ! シャァーッ!!』
『う、うえぇぇ!? ちょっ、2人とも落ち着いて―――あがぼぁ!?』
アポロニアによる助走付き両足飛びからのフライングヘッドバッドは、マオリィネの腹部に見事直撃。玉匣の床に倒れ込んだ彼女目掛けてファティマが取り付き、いつだったか格闘技の訓練中に教えた気がする逆エビ固めを敢行した。危機を察知して僕はそっと座席から離れたのが幸いし、この攻撃に巻き込まれてはいない。
一方のマオリィネはクールビューティという最初の印象を完全に失い、涙目になりながら折れる折れると叫んでおり、僕はそれを尻目に元気だなぁと笑っていたのだが、当事者である以上これは悪手だったと言わざるを得ない。
『キョウイチ』
それは地の底から響くような声だった。
恐る恐る背後を振り返ると、金紗の前髪の奥で美しいエメラルドの瞳が煌々と輝いている。小さな体から発される怒気が陽炎を作り出しているかのようで、僕は血の気が引いていくのを感じていた。
『こういう事態を多少は想定はしていた。けれど、現状は私の予想を遥かに上回っている』
『よ、予想って言われましても』
『ここに至るまでの事情説明を要求する。できる限り、仔細な情報を、嘘偽りなく、聞かせて……!』
自分は無実である。その叫びは人類の歴史に置いてどれほど多く繰り返されてきたことだろう。しかし、その中には何者かの都合でかき消された物も少なくないはず。今回の僕のそれも、危うくそのうちの1つとなりかけた。
この後に受けたひざ詰めの尋問に関してはあまり思い出したくない。そのため僕は、モニターの光に照らされる砲手席でゆっくりと眉間を揉んで、記憶の海へ深く沈めることとした。
ただ、不思議なのはシューニャ達の反応である。家族を守ると言うにはやけに過敏と言うべき動きであり、まるで恋愛対象に向ける嫉妬のようだとさえ思う。無論、ここまでの経緯を考えれば、それはないという結論に疑いはないのだが。
何せ自分は既に彼女らを袖にした糞野郎であり、未だに好意を抱いてくれているのではと考えるのは余りに虫のいい話がすぎる。あるいはこれが彼女らの恨みによる行為ならば納得もできるのだが、それにしてはマオリィネを含め、女性関係に目くじらを立てるというのはどうもズレた反応と言わざるを得ない。
僕は決して彼女らのことが嫌いなわけではない。それどころか、自分には勿体ないくらいにいい娘たちだと心底思う。だが、だからこそ、もしも万が一自分に対する好意を引き摺っているというのならば、それは彼女らにとっていいことではないはずだ。
所詮は仮定に過ぎない話だが、一度考え始めるとどうにも引っ掛かる。それこそ夜光中隊の部下たちがここに居てくれれば安心して彼女らを任せられるものの、現代における交友関係の狭さでそんなことができるはずもなく、そもそも自分は仲人などができるほどの器用さは持ち合わせていない。
そんな考えるだけ無駄であろう堂々巡りを繰り返す脳に、我ながら嫌気がさしてきた頃、思考を止めてくれたのは頭上から聞こえたファティマの声だった。
「おにーさーん、巣穴が見えてきましたよー」
「あ、あぁ、ありがとう。今回は僕とダマルだけで十分だから、皆は玉匣の警備を頼むよ」
巣の周囲に生体反応がないことを確認し、僕は砲手席から這い出して凝り固まった身体を解す。
あまり余計な事は考えないようにしよう。そんな風に自らへ釘を刺しながら。
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