第222話 退屈?

 航海開始から3日目の昼頃。

 海の景色も完全に見飽き、食事は鮮度が落ちて味が悪くなり、さりとてろくな娯楽もなく、僕を含めた全員が退屈に飲み込まれる。


「まぁ、想像通りなんだけどね」


 いくら大型とは言っても現代の木造船である以上、古代の豪華客船のようなプールやらカジノやら映画館など望むべくもない。

 唯一この退屈すぎる時間を楽しんでいるのは、睡眠を趣味とするファティマくらいだろう。頑丈なハンモックの揺れが気に入ったらしく、ポラリスを抱き枕にして眠っている。

 とはいえ、他の面々は1日の8、9割を毎日寝て過ごせるはずもなく、ぐったりして時間を潰す他なかった。


「……いや、そうなんだけどよ。せめて理想に近づける努力をするべきじゃねぇか? おいマオリィネ、一応貴族なんだからなんか芸くらいあんだろ」


「一応って……失礼ね。船の中で剣舞なんてできないし、楽器の1つだってないんじゃどうしようもないわよ」


「ダマルさんがやればいいじゃないッスか……道化師ピエロが人に暇つぶしを求めちゃ駄目ッスよね?」


「見た目的にも、大道芸に向いてそうではある」


 片腕不自由を理由に寝台を使わせてもらっているダマルは、寝そべったままでプラプラとガントレットを振って適当なことを口にする。

 対するマオリィネは、貴族を何だと思っているのかと深い深いため息をつき、真面目に対応するだけ無駄だと言いたげにアポロニアが加勢すれば、手記に何かを書き留めていたシューニャまで彼女の側についた。


「オイコラ、誰が道化師だよ。大体こういうのは普段とのギャップが大事なんだぜ? たとえば――よし、シューニャ、お前なんか踊れ」


 そんな劣勢を覆そうとしたのか、骸骨はのっそりと身体を起こすと少し悩んでから、ガントレットでビシリとシューニャを指した。それでも彼女の表情は変わらないが、口調から非常に面倒くさいという感情がひしひしと伝わってくる。


「……なんで私が」


「普段はずーっと石像みてぇな面してんだから、たまには弾けるような笑顔でポップに踊りゃ、素晴らしいギャップが生まれるだろ。なぁ相棒?」


「なんで僕に振るんだい」


「見たくねぇか?」


「いや、そりゃ見てみたいとは思うけど……」


 ぐるりと兜を向けてくるダマルに、とばっちりは御免だと首を振る。

 しかし、シューニャのダンスに興味がないと言えば嘘になる。ただでさえ弾けるような彼女の笑顔など、微塵も想像がつかず、むしろ見られるものなら見てみたいくらいだ。

 骸骨はそんな自分の答えに満足したらしく、そうだろうそうだろうと兜をカチャカチャ鳴らして頷いていたが、それに対してシューニャはどこかムッとした様子で視線を険しくした。


「私は踊り子じゃない。そもそも舞踊とは、神や尊敬する人物に捧げるもの」


「いいじゃねぇか減るもんじゃねぇし。カカカッ、想像しただけで笑えてき――オイ待て、ポーチに手を突っ込むな、ここは密室だ。何使っても死人が出るぞ、ごめんなさい」


 彼女のポーチに非殺傷兵器が詰め込まれているのは周知の事実である。その効果は一部野草にアレルギーがあるダマルにとって、分解されるよりも辛い仕置きとなっているらしい。骸骨は慌てた様子で寝台の上に正座すると、早口に静止を求めた。


「……馬鹿馬鹿しい。少し風に当たってくる」


 そんなダマルの謝罪が効いたのか、シューニャはポーチから抜いた手でインク壺とペンを片付けると、不機嫌そうに立ち上がって船室から出て行った。

 普段から冷静な彼女にしては、中々珍しい感情の表し方と言うべきだろう。ギィと扉が閉まるまで僕らは呆気にとられていた。


「あー、その……踊りって現代じゃそんな感じなのかい?」


「シューニャが言ってることも間違ってはいないけれど、ユライアだともっと軽い感じね。普通に酒場で踊ってるような人もいるくらいだし」


「帝国でもほぼ一緒の感じッスよ。大体の人は大衆娯楽って考えてるんじゃないッスか?」


「その割に、シューニャの反応は随分険しかったように思うが……」


 シューニャが不機嫌さを露わにするほど、現代における舞踊とは重大事なのかと思ったが、アポロニアやマオリィネの反応を聞く限りどうやらそうでもないらしい。

 おかげで余計に理由が分からなくなったが、ややあってからマオリィネはハンモックの上でうつ伏せになると、悪戯っぽく笑ってみせた。


「そこまで気にしなくてもいいと思うわよ。女にはがあるものだから」


「そ、れは……ちょっと触れられない問題だな」


 一応、保健体育的知識としては理解しているつもりだが、その身体的なものが原因ならば男の身には想像もできないし、そもそも話題にすること自体がセクハラ案件であり、踏み込むことは大いにはばかられる。

 なんなら、貴族である彼女がさらりと言ってのけたことさえ、驚愕に値すると言っていい。

 ただし、全員がそうという訳でもないらしく、つい視線をアポロニアに向けてしまうと、彼女は少し恥ずかしそうに視線を泳がせた。なんなら両手を空中に彷徨わせながら、無理に会話の方向を修正しようとすらしてくる。


「ま、まぁそうじゃなくても、ほら! シューニャは運動苦手ッスから、やっぱりこう、踊るとかいうのが恥ずかしかったんじゃないッスかね!?」


 アポロニアがひねり出した理由も、十分考えられる内容ではある。不得意な分野を無理にさせられるのは、誰であっても気持ちのいいものではない。

 だが、仮説を並び立てたところで何も変わらないため、僕は無駄に考えすぎる思考を一旦放棄した。


「どちらにせよ、シューニャが帰ってきたらきちんと謝るよ。不快な思いをさせてしまったんだし」


「カカカッ、キレるとおっかねぇからなァ――冗談だって、睨むなよ」


 特に気にした様子もなくカタカタ笑う骸骨を、これ以上余計なことを言うなと睨みつければ、ダマルはいつもの調子でまたプラプラと動かせる方のガントレットを振る。

 自分の頭は髑髏ほど軽くなれないらしい。少しは反省しろと思いながら、寝台に座りなおした。

 だが、シューニャが出て行って暫く、随分長い間風に当たっているものだと思い始めた頃、アポロニアが何か訝し気な顔をして耳をピッピと小さく弾いた。


「……なんスかね? この騒がしい感じ」


「どうかしたかい?」


「お客人! 海賊だ、海賊が出たぞ!」


 彼女が何か答えるよりも先に、ノックもしないまま扉を蹴破るようにして船乗りが飛び込んでくる。その後ろでは慌ただしく武装した水夫たちが走り回っており、ことの重大さを物語っていた。


「成程、海の上にはそういう連中も居たりするのか」


「こいつぁ見ものだぜ! 俺、海賊映画好きなんだわ」


「むー……うるさいですよ。どこのおバカですか」


 ただ、緊迫した空気に対する自分たちの反応は、あまりにも温度差がありすぎたらしい。おかげで船乗りは、至極間抜けな表情を晒していた。



 ■



 現代の海戦は乗り移っての白兵戦が主なのだろう。太陽に照らされる甲板で戦闘に備える水夫たちは、腰にファルシオンを差し長弓を構えて配置を急ぐ。

 そんな中、小柄な少女は船首付近の欄干に張り付いて、前方へ目を凝らしていた。


「シューニャ」


「左前方から小型の船が3つ、その後方に大型船の1つ。随分整った海賊船団」


 シューニャは僕の声にも振り返らないまま、前から迫る3つの影を指さした。

 双眼鏡で覗き込んだ先に見えたそれは、小型とは言っても複数の水夫が漕ぐガレー船でそこそこ足も速く、船首に備えられた大型のバリスタをこちらへ向けている。逆にその後ろから迫る大型船は、船足こそ速くはないようだが、立派な三段櫂船トライリームであり武装した海賊が甲板を埋め尽くしていた。


「正面反航か。回避は?」


「快速船は小回りが利かないから難しいと思う。向こうもわかってて罠を張っている」


「随分小賢しい海賊ね。元々この船を狙っていたかのよう」


 あながち、マオリィネの言葉は間違っていないかも知れない。リング・フラウは持ち前の高速性を生かし、僅かに船首を右へずらしつつ敵を振り切る作戦に出るが、海賊連中はそう動くことを想定していたらしく、こちらを追い込むように小型船を展開してくる。

 海賊の練度はそこそこ高いのか、見事な連携によって快速船の回避行動は失敗し、間もなく小型船の射程に入ったらしく、バリスタからの攻撃に晒された。

 派手に木板が砕ける音が響き、長大な銛が船体側面と甲板に突き刺さる。これにはダマルが興奮したように声を上げた。


「おっほ、ハープーンをバリスタでぶっ放してくるたぁ、現代人も考えるもんだぜ!」


「あれで船の動きを制限して乗り移る算段か」


 銛の後端部にはロープが括りつけられており、リング・フラウは小型船を引きずる形での進行を余儀なくされる。それも敵側には巻き上げ機ウインチが搭載されているらしく、確実に距離が詰められた。

 戦闘が避けられない状況となり、水夫を指揮する男がファルシオンを抜き放って声を上げる。


「奴らを近づけるな! 矢の雨を浴びせてやれ!」


「応!」


 弦が風を切り、言葉通りに雨あられと矢が小舟に降り注ぐ。それに加え、リング・フラウの船首と舷側に装備された、バリスタも長い槍を放って反撃する。

 こちらからの攻撃が始まれば、海賊は接近することに集中したらしい。大きな盾を前に上に防御姿勢を取り、なおもウインチで巻き上げながら確実に距離を詰めてくる。

 キメラリア・カラを主体とする水夫が操る長弓の攻撃力は、木製の盾を貫くこともあり、それ以上に運が悪い海賊は、バリスタの直撃を受けて海の中へ沈められていく。それでも小型船を沈めるには至らず、間もなく海賊たちは長い櫂に手が届こうかというところまで接近してくる。

 轟音と共に水柱が立ち上がったのはその直後だった。


「な、なん、だぁ!?」


 これには攻撃を行っていた水夫たちも、降り注いだ水しぶきにびしょぬれとなってなお、唖然とした表情をしたまま硬直する。


「これでよかった?」


「うん、ちょっとやりすぎかな」


 ポラリスの頭をかいぐりかいぐり撫でながら、僕はしっかり肝を冷やしていた。

 小舟に氷塊をぶつけろ、という指示を出したのは自分であり、彼女もまた言われたとおりに氷塊を空中に浮かべ、それを敵船に叩きつけはした。

 ただし、自分の想像した氷塊とは、三倍近く大きさが異なっていたが。


「おぉ……きれいに粉々……」


「あ、相変わらずとんでもない威力ッスね、ポーちゃん」


 盾を前に長弓とバリスタを防ぎ続けていたはずの小舟は、最早見る影もない。それもそのはずで、ポラリスが降らせた氷塊は小舟の半分はあろうかという巨大な代物だった。

 あまりに大きすぎる質量の直撃に、小さな木造船が耐えられるはずもない。おかげで、海面は放り出された海賊たちの助けを求める声で溢れることになり、これには今まで安眠妨害を受けて不機嫌そうだったファティマでさえも、留飲を下げた様子である。

 そしてそれは、先ほどまで戦闘の指揮を執っていた人間の船乗りも同じだった。


「い、今の……アンタらがやったのか?」


「この子は魔術の天才でしてね。あぁ、ポラリス、次からはもっと小さいので十分だから」


「そーお? 疲れなくっていいけど」


「こ、こんな小さい娘さんが、あんなすげぇ魔術を……あ、お、お前ら! 今のうちに銛を外すんだ! 急げ!」


 我に返った船乗りの言葉により、呆気に取られていた水夫たちもわたわたと突き刺さった銛を外す作業に入る。どうやら舷側に穴が開くくらい、木造船にとってはそう重大事でもないらしい。

 リング・フラウが速度を上げる一方、動きを鈍らせたのが海賊側である。今まで威勢よく迫っていたというのに、最接近していた小型船をやられたことで怖気づいたのか、巻き上げ機による接近を明らかに躊躇っていた。

 ただ、ポラリスを前に動きを鈍らせることが何を意味するかは、推して知るべし。


「そーれっ!」


 まるで運動会でもしているかのような明るい声と共に、再び水柱が立ち上がる。

 ポラリスの魔法に関しては何かと謎が多いが、少なくとも小さな木造船を粉微塵にするくらいの威力であれば、数発撃ったところで大きな疲労もないらしい。

 再び一撃で海の藻屑となった敵船の姿に、水夫たちから喝采が上がった。


「お嬢ちゃんすげぇ!」


「海賊なんて目じゃねぇぞ! この娘さんは、女神ラヴァンドラの子だ!」


「えっへへー、ほめてほめて! あいたっ?」


 船乗りたちに女神の子とまで祭り上げられたことが、ポラリスは嬉しかったのだろう。荒々しい海の男たちを前に元気いっぱい飛び跳ねてくるりと回り、ポーズまで決めて見せるサービスっぷりだ。

 ただ、一応は戦闘中だということで、僕はテンションの高い彼女の頭を軽く小突いた。


「あんまり調子に乗るんじゃありません。ゲームじゃないんだから」


「旦那の言う通りだぞお前ら! 娘さんに喝采浴びせるのはいいが、目の前にはまだ敵が――」


 アイドルの誕生で活気づく男たちに、船乗りが怒鳴り声をあげる。だが、ほれ見ろと指さした先に接近していた小型船は、いつの間にかバリスタを放棄して背を向けていた。


「その敵、逃げてる真っ最中ッスね」


「そりゃ逃げるわよ。あんなのが飛んでくるんじゃ、命がいくつあっても足りないわ」


 アポロニアとマオリィネの言葉に、船乗りは敵の事なのに何故か目を押さえて黙り込む。

 何せ、その逃げっぷりは驚くほど勇ましく、襲撃の際に見せた勢いよりも船足が速いのだ。気づかぬうちに大きく距離が開いており、大型船も異変を感じたらしく大きく回頭して進路を譲ろうとしていた。


「だいぶ距離が開いちまったな。これじゃ流石に手出しできねぇだろ」


「射程、ってどうなんだろうね?」


「魔法は見えている範囲に効果を発現できるとは言われるけれど、あんな遠くを攻撃した話は聞いたことがない。つまり未知」


 シューニャの言葉には明らかな興味が含まれていたが、戦力評価の価値は全員が理解していることから、自然と皆の視線はポラリスへと集中した。

 ただ、当の本人は何のことを言われているのかわからなかったらしい。キョロキョロと全員を見回して、半笑いのような表情で首を傾げる。

 そんな彼女に声をかけたのは、さっきまで敵に同情した様子だったあの船乗りだった。


「……お嬢ちゃん、あのデカい奴を狙うこたぁ、できますかい?」


「えっと……キョーイチ?」


 許可を求めるようにポラリスはこちらを見上げてくる。

 これに僕は悩んだ。逃げている敵の背中を撃つような行為を、無邪気なポラリスにやらせるのか、と言うことにである。

 ただそれも、船乗りがお願いしやすと真剣に彼女へ頭を下げたことで、無用な心配かと意識を切りかえた。大の男がこんな少女に本気で懇願するのだから、彼らがどれほど海賊を脅威と考えているかは想像に難くない。


「あぁ、やっちゃえ」


 僕がそう口にするや否や、轟と冷気の渦が甲板の上を駆け巡る。

 湿気を含んだ空気が凍り付き、ポラリスがユラユラと手を遊ばせれば、それが1つの大きな氷塊を成していく。

 まるで砲弾。生み出される原理も飛翔させる方法もわからないが、その威力だけは誰の目にも明らかだっただろう。

 本日3度目の氷柱が海面に立ち上がった時、遠くにあった三段櫂船は元から無かったように姿を消し、逃走していた小型船は襲い来る波に揺さぶられて転覆したのだった。

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