第219話 快速船

 王国最大の貿易港は早朝から多くの人で賑っていた。

 特に王都と違ってキメラリアの数が多い。何せ現代には何トンという荷物を上下させられるコンテナクレーンも、トレーラーやトラックをそのまま飲み込むRORO船やカーフェリーといった便利な船舶もないのだ。大量の荷役作業をマンパワーに頼らざるを得ない以上、海運業者が筋力に優れるケットやシシ、カラなどを労働者として雇用したがるのは当然と言える。

 重労働に従事する彼らは、キメラリアの中では生活レベルが高いのだろう。筋骨隆々の男たちが威勢のいい掛け声と共に、とても人間では持ち上げられそうにない木箱を易々と担ぎ上げ、次々と積み下ろしていく様は圧巻である。

 そんな海の男たちは忙しなく走り回っていたが、自分の前を通りがかった者は大概ギョッとして立ち止まり、マオリィネとファティマに毎度毎度見世物ではないと追い払らわれていた。

 とはいえ、彼らの反応は至って正常だ。海を渡るという条件により、玉匣はポロムル近くの廃屋でヴィンディケイタたちに警備を任せる形で置いて行くしかなく、その上で翡翠を運ぶとなれば、着装して歩くのが最も効率的である。結果、町中に堂々とリビングメイルが突っ立っているという非常識な光景を生むことになったが。

 しかもそのリビングメイルは、小さな女の子ポラリスを肩車しており、その娘は恐れる様子もなく頭上で串肉を頬張っている始末。そんな情報過多っぷりに人々が困惑するのは当然で、僕は現実逃避気味に船を眺めるくらいしかできなかった。


『――快速船って聞いていたが、思ったより大きいねぇ』


「快速船は海運の要で、交易国が独占する造船技術の粋。だけど、ここまで大型の物は私も初めて見る」


 シューニャは暫く新鮮な物は口にできないからと、市場で見つけた果物のジュースを啜りながら、船に対する感想を述べる。彼女がそう言うからには、これ以上大型の船舶はほとんどないのだろう。手配者が若いイーライでもこの対応なのだから、テクニカという組織が社会に及ぼす影響力は、自分の想像を大きく超えていた。

 それはどうやらダマルも同じらしく、兜の隙間から器用に果実酒を流し込みながら、面白そうに顎を鳴らしていた。


「長生きはするもんだな。まさか博物館以外でガレアス船なんて目にするとは思わなかったぜ」


『ほんと、なんで君はそんなこと知ってんだい?』


 骸骨の知識には助けられているが、乾いた頭は一体どこでそんなものを集めてくるのか。僕には不思議でしょうがない。

 とはいえ、それを聞いたところでダマルが言うのは、いつも変わらない一言なのだが。


「ちょっとした趣味って奴さ。昔行った海軍資料館にレプリカがあってな」


『それってもしかして、古いバンカーを利用して作られたとかって奴かい? 行ったことはないが』


 自分の断片的な記憶が正しいのであれば、企業連合領北部にそんな場所があると聞いた覚えがある。とはいえ、興味があるわけでもなく行ったこともない場所なので、どういう展示物が有名な資料館なのかさえ、全く思い出せなかったが。

 腕を組んで唸る僕に対し、ダマルは鎧をガシャンと揺らして肩を竦めた。


「知ってただけでも上等だな。まぁ、あんときのレプリカと比べてもこいつは立派だし、いきなり船底から浸水沈没なんてこともねぇだろ」


「やめてくださいよ。ボク泳げないんですから」


 縁起でもない骸骨騎士の言葉に、ファティマはムッと耳を後ろに倒したが、それを隣からアポロニアが嫌らしい笑みでつつく。


「おんやぁ? こないだ、お風呂に慣れました、なーんて言ってた癖に、猫が水に弱いのは変わらないんスねぇ?」


「お? なんですか、喧嘩なら買いますよ。手足ブッチンからの海にポイです」


 ヒュンヒュンと軽く振られる拳を、小柄なアポロニアは身体を器用にひらひらと躱す。そんな牽制しあう仲も馴染んで長くなり、最早僕やダマルはおろかシューニャもまったく気にしない。

 だから彼女らの演武じみた行動を諫めるのは、貴族として多少は体面を気にするマオリィネくらいのものである。


「はいはい、いきなり往来で暴れないの。私だって泳ぐのは苦手なんだから」


「わたしも泳いだことなーい」


「えっ!? じゃあまともに泳げるのって、自分くらいなんスか!?」


「……私は何も言ってない」


 軽く後ろに踏んで距離を取ったアポロニアは、ポラリスとマオリィネの言葉に驚愕していた。勝手に一括りにされたシューニャはどこか不満げだったが、アポロニアから視線を向けられると大きく顔を逸らしていたので、少なくとも泳ぎは得意でないらしい。

 ただ、これは不思議でもないように思う。現代には教育機関と呼べるものが存在していない以上、泳法の指導など行われているはずもないのだ。そうなると泳げる者というのは川や海に親しむ環境で育ったか、職業柄必要に迫られて覚えたかくらいであろう。無論、種族柄による得意不得意あるだろうが。

 しかし、泳げないのが多数派だとわかるや、ファティマはまるで泳げる者がおかしいのだと言いたげに笑い、逆にアポロニアは何故かこちらへ救いを求めるように顔を向けた。

 ただ、泳げないことを誇るのはどうかと思う。


『僕は泳げるけど、特殊装備無しバニラの翡翠を着装してるから水に入ったら沈むね。いざとなったら、頑張ってよろよろ飛ぶくらいしかない』


「飛べるだけいいじゃねぇか。元々泳ぐのは得意だったが、鎧に骨じゃ沈む気しかしねぇわ。大体、まだ片腕動かせねぇし」


「やっぱ自分だけじゃないッスか!」


 全員敵だと嘆くアポロニアを、ダマルはまたカッカッカと笑う。

 ただ、あまりにも沈むという単語が乱発されていたからか、歩み寄ってきた船乗りは至極微妙そうな顔をしていたが。


「お客人がた、船出の支度ができましたんで、そろそろ……」


『あぁ、すみません。それじゃあ案内を頼みます』


 よく日に焼けた彼は人間で、しかし海の男と言わしめる荒々しい風貌をしていながら、わざわざ丁寧な口調を使って失礼な物言いにも反論しなかったのは、間違いなく自分の存在があったからだろう。



 ■



 腹に響く太鼓の音に合わせて、左右から突き出た櫂が一斉に水をかき、快速船リング・フラウは、多数の船が行き交う海を走る。

 シューニャの言葉通り、ベル地中海は非常に凪いだ海であり、他船と比較して大型のリング・フラウは思った以上に揺れも穏やかだった。


「こんだけ揺れねぇなら、あそこまで面倒くせぇ固定しなくても良かった気がするぜ」


 甲板上で太陽を浴びる全身鎧が面倒くさいというのは、船が動揺した場合に備えて翡翠をガチガチに固定したことについてである。わざわざウィラミットから受け取ったアラネア糸製のロープまで持ち出してきて、船倉でうつ伏せに寝かせた状態で縛りつけたのだ。あれなら大荒れの海でも動くことはないだろう。

 ただでさえ鎖骨が折れて片腕を吊っているダマルには、それが大きな手間と感じられたらしい。無理もないことだが、きちんと固定できたのだからいいじゃないか、と僕は軽く手を振って笑った。


「ガッチリ固定できたんだし、あれでよかったと思うよ。いざ揺れ動いて船倉を破壊でもしたら、洒落にならないじゃないか」


「まぁそれもそうか。海の上でマキナ動かす事態なんざ、早々ねぇだろ」


 特に船上ではできることもないため、骸骨は日も高い内から温いエールを煽る。

 このところ日常は化物だ戦争だ忙しく、今後もそれが暫くは続くことを考えれば、船旅の最中くらい穏やかでもいいだろう。

 そう思って太陽を浴びていれば、間もなく甲板に顔を出したポラリスが、パタパタとこちらへ駆け寄ってきた。


「キョーイチ、みーっけ!」


 彼女は手前で軽く跳躍すると、そのまま腰に飛び込んでくる。やけに楽しそうなのは、初めての船旅だからだろう。となれば、見つかってしまった以上、男だけの静かな時間は終焉を迎えた。


「カッ、おチビは喧しいもんだぜ」


「お酒くさいダマル兄ちゃんよりいいでしょ?」


「おいおい、消化器系もねぇのにどうやって酒くさくなるって――なってねぇよな相棒?」


「僕に聞かれてもな……ジョッキからしてる臭いのことじゃない?」


 ただでさえダマルの生命活動に関しては、骨折が治癒するのかどうかも含めて謎しかないのだ。どこにも繋がらないはずの髑髏から発せられる口臭問題など、専門知識をもたない自分にわかるはずもない。

 僕が肩を竦めれば、ポラリスは会話が妙な方向に流れそうだからか、自分の袖を強く引いた。


「ダマル兄ちゃんがくさいのなんてどーでもいーの! わたしはキョーイチ呼びにきたんだから!」


 小さな彼女に手を引かれた僕は、どうでもいいってなんだ、という骸骨の叫びを背に船室へと降りる。

 これまたテクニカという名前が効いているのか、あるいはイーライの交渉によるものか、本来は廊下なりなんなりに眠らねばならないところを、数少ない船室が割り当てられていた。

 そこで荷物類の整理を終えた女性陣は床に円を組んで座っており、その下には何やら小さな木の板が複数転がされている。


「キョーイチ見つけてきたよー」


「おっ、新しい毛糸獣ムールゥが来たッスねぇ?」


 振り返ったアポロニアは1人、まるで獲物を見つけた肉食獣かのように、ぺろりと舌なめずりをして嫌らしく笑う。

 どういう意味かと首を傾げてみれば、シューニャは平常通りな感じで手招きし、マオリィネとファティマは何故か救いを求めるような視線を向けてくる。


「えーと……何してんだいこれ」


「ちょっとした遊びッスよ。船の長旅は退屈になるってシューニャに聞いてたんで、ポロムルで簡単な絵札を買っといたんス」


 絵札という名の通り、ばら撒かれている板を見れば、確かに何らかの模様が描かれている。それ以外にも棒きれのような物もあり、アポロニアの前にはそれが山積みである一方、ファティマとマオリィネの前には最早1、2本しか転がっていない。

 この景色から大まかな状況を察するのは容易であり、顔色の悪い2人に関しては、およそ何か大切なものを賭けた上で、無条件降伏寸前という所なのだろう。


「アポロ姉ちゃんね、すっごい強いの」


「というより、マオリィネとポラリスは顔に出る。ファティは無計画」


 シューニャからの鋭い指摘にマオリィネは琥珀色の視線を泳がせ、ファティマは長い尻尾で長い三つ編みをぺんぺんと叩く。


「う゛っ……こ、これでも結構隠しているつもりなのだけれど?」


「だって、計画って言われても、よくわからないんですもん」


「まぁ見事にド素人って奴ッス。まだシューニャは顔色が読めない分、それなりに強いんスけど、堅実過ぎて勝ち点が薄いッスよ」


「……運の要素は苦手」


 結果的に盤面は最も博打に慣れていて、かつ心理戦にも強いアポロニアの半ば一人勝ち。あまりのワンサイドゲームっぷりに、進退窮まった弱小勢力側は、応援要請のためにポラリスを派遣してきたということらしい。


 ――まぁ、この顔ぶれなら予想通り、かなぁ。


 マオリィネとファティマが大負けしているのはこの際いいとして、ポラリスは年齢が離れた姉ばかりが相手なため、少々可哀想にも思えてくる。何を賭けていたかは知らないが。


「とりあえず状況はわかった。僕も博打は得意じゃないが、とりあえずルール説明から頼むよ」


「ほいほい、了解ッスよ。ぐふふ……」


 もはや詐欺師にしか見えない笑顔を浮かべながら、アポロニアはルールや役の説明をしてくれる。

 こうして僕は船旅開始早々、博打大会へと踏み込むことになったのだった。

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