第106話 白い茉莉花は小さく強く咲き香る

 粉虫の影響が続いているのか、レーダーは相変わらずまともに仕事をしてくれていないらしい。おかげで3人連れの男女に気付いたのは、掲げられた松明の光によってだった。


「マオリィネさんとジークルーンさん? あと……クローゼと言ったかい?」


『クローゼ・チェサピーク、伯爵家の次男で――


『親玉の登場ってか? やるなら今だぜ相棒』


 無線機から聞こえたシューニャとダマルの声に、僕は発射桿に手をかけながらも、トリガを引く事には迷いがあった。

 コレクタユニオンの権力者だというなら、このタイミングで自分たちの前に姿を現すのは確実に悪手であろう。罠を張った味方部隊は全滅しており、彼を守れるとすれば隣に控える貴族の2人のみなのだから。


「相手の狙いがわからない。とりあえず、威嚇して様子を見よう」


『あの貴族の嬢ちゃんら、敵だったらどうすんだ?』


「その時は迷わず撃つよ。主砲、標的ロックオン」


 ゆっくりと砲塔が旋回し、モニター上に浮かぶレティクルがクローゼの体を捉える。ここでトリガを引けば焼夷榴弾は確実に彼を粉砕し、身体は消し炭と化すだろう。

 砲口を突きつけられたことで、本能的に恐怖を感じたのか3人は驚いたように足を止めた。特にジークルーンは飛び上がって先頭を行くマオリィネの背後に身を隠してしまう。

 ファティマの訓練に付き合ってくれた友人に武器を向けている事には、流石に少し良心が痛んだ。それでも敵である可能性が捨てられない以上、マオリィネやジークルーンが如何に怯えようと、トリガにかかった指は離せない。

 ただ意外なことに、真っ先に声を上げたのはマオリィネではなく、あのクローゼと言う男だった。


『アマミ氏、どうか我々の話を聞いていただきたい! 私はコレクタユニオンの手先ではなく、貴方がたに敵対するつもりもありません!』


 初めて受付で見たビジネスマンらしき雰囲気は何処へやら。彼は酷く力んだ声で叫び、自らの帯剣を解いて遠くへ投げ捨てると、その場に膝をついて目を閉じた。

 するとクローゼに続くようにしてマオリィネも深く頭を下げ、ジークルーンに至ってはまるで祈るかのように両手指を組む。


「私からもお願いするわ! だから、どうか私たちの話を聞いて頂戴! この通りよ!」


「お、お願い、しますぅ……!」


 これには流石に参った。

 懇願されたからといってコレクタユニオンの行いを許すつもりはなく、敵対の可能性が高い相手をすぐに受け入れることもできないが、無抵抗な人間を焼き払うのは血塗れの過去がフラッシュバックしてしまい、口の中に苦い物が広がってくる。

 共和国に与する者なら女子供であろうとも。恨みだけを原動力に動いた自分は、その時に擦り切れた心は800年経ってなお癒えていないのだろう。

 僕は諦めたようにため息をつき、無線に向かって言葉を吐いた。


「……敵対意思はなさそうに見えるが、どう思う?」


『単純に考えるなら撃っちまえって感じなんだが、流石に泣き顔の女を吹っ飛ばすのは気乗りしねぇぜ。それになんだ、ユングリーン陸戦条約だったか? あれに武装解除者の取り扱いとかあっただろ』


『自分は殺す方に一票ッスね。コレクタユニオンはシューニャを襲ったんスから、ここに来て話をしたいなんて虫が良すぎるッスよ。御貴族様2人が結託してないとも言えないじゃないッスか』


 積極的に排除しようとはしたがらないダマルに、亡き者にされて当たり前と語るアポロニア。

 人道的に見れば、武器を捨てて対話を求める相手に砲弾をプレゼントするのは頂けない。だが脅威排除目的で見れば、敵と繋がっていた可能性も高いため、ここで殲滅しておく方が安全であろう。

 しかしそんな2人の意見に対し、ファティマは興味もないのか眠たげに呟いた。


『あの御貴族様たちから話を聞くにしても、無視して首をブッチンするにしても、シューニャが決めればいいと思います。痛くて怖い思いしたのはシューニャなんですし』


「なるほど」


 一理あると思った。

 丸投げと言われればそれまでだが、確かに彼女の心がクローゼを含む3人をどう感じているのかというのは重要なファクターである。無論、クローゼが今回の黒幕だったとすれば生かしておくつもりはないが、その確証はとれていないため、この場での判断は彼女に任せてもいいだろう。

 ただダマルは小さく愚痴を呟いていたが。


『なぁ、俺も首落とされたんだけど』


『でも生きてますし怪我もしてないんで、ダマルさんなんてどーでもいいです』


『オイコラ、そこはせめて、ダマルさんの意見なんて、だろ!?』


『そうとも言いますね』


『いやそうとしか言うんじゃねぇよ!? 扱いがヒデェにも程があんだろが』


 緊迫した表情を浮かべるモニター上の3人に対し、無線の声はあまりにも場違いすぎて、肩の力が抜けてしまう。

 ただ、このままでは話が進まないため、僕は直接判断を仰ぐことにした。


「シューニャは、どうしたい?」


 猫と骨の応酬がピタリと止み、一時的に無線から音が消え去った。

 その時間は僅かな物だったが、シューニャは大いに悩んだに違いない。ややあってレシーバーから聞こえてきたのは、意を決したような声だった。

 

『クローゼの――彼らの言い分を聞きたい』


 ここで仮に彼女が報復を選んだとしても、現代においてなら文句を言う者など居なかっただろう。しかし拉致された挙句怪我まで負わせられてなお、彼女は冷静に対話することを選んだ。


「……理由を聞かせてもらっても?」


『あのタグリードと呼ばれていたカニバルは、支配人のフリードリヒ・デポールを主と呼んでいるようだった。この襲撃がフリードリヒによるものだとすれば、クローゼが関わっているとは考えにくい』


「どういうことだい?」


『クローゼは副支配人でありながら常に受付業務に回され、支部の中で冷遇されていた。ハッキリした理由はわからないけれど、2人の間に何らかの確執があったのは確か。だとすれば、フリードリヒの悪行に手を貸すとは思えない』


「――なるほど。だとすれば、話を聞いておいた方がよさそうだ」


 僕はここでようやく射撃桿から手を離し、外部スピーカーを起動する。

 外には大きくガリッとノイズが流れたのだろう。マオリィネは大きく肩を震わせ、恐る恐ると言った様子でこちらを見ていた。


「クローゼ・チェサピーク。こちらは先ほどコレクタユニオンから襲撃を退けたばかりで、貴方はコレクタユニオンの副支配人だ。それが襲撃者と関りがないと言うなら、相応の証拠を提示してもらいたい。なお、不十分だと判断した場合、こちらは容赦しないこと先に付け加えておく」


 脅しも加えつつ、僕は感情を乗せない声で宣言する。これで逃げ出すようならば、その時点で背中に火の玉をぶつければいいだけだ。

 しかし、3人は揃って緊張した面持ちながらその場から動こうとはしない。ただジークルーンに関しては、腰が抜けて動けないだけかもしれないが。


 ――さて、誰が何を語ってくれるのか。


 これで万歳をしにきただけです、というのはできるだけ勘弁してほしい。降伏されても受け入れるつもりはなく、その時点で撃ち殺すしかなくなるのだから。

 だからマオリィネが口を開いた時、僕は僕で少し緊張していたと言っていい。


『対話に応じてくれたこと、感謝するわアマミ。どうか信じて欲しいのだけれど、私たちと今回の襲撃者は繋がっていない。むしろ敵対しているの』


「それを信じるに足る証拠がありません。口では何とでも言えます」


『以前、私が王都からの退去するよう忠告したことを覚えていらっしゃいますか? あれはこの事件の首謀者であるコレクタユニオン支配人、フリードリヒ・デポールに貴方がたが取り込まれるのを阻止するためだったのです』


「あぁ、確かに随分不愛想な忠告を受けましたね。だとしてもわかりません、何故貴方は上役であるフリードリヒと敵対するような真似を?」


 自分の中にあるコレクタユニオン支配人のイメージはあのグランマであるため、どんな理由でも反旗を翻すこと自体が無謀であるように感じてしまう。

 おかげで、僕にはそうまでして抗っていること自体が疑わしかったのだが、クローゼはさも当然と主張の違いを明らかにした。


『我々はキメラリアの地位向上を主張しています。逆にあの男は一部貴族と癒着し、キメラリアの奴隷化を推進している』


「奴隷化の推進……? それと今回の襲撃に何の関係が?」


『フリードリヒが求めるのは、自身の権力による成り上がりです。そのためには強力な私兵軍が必要ですので、英雄アマミの力を欲したのでしょう。それはキメラリアの奴隷化を推し進める理由とも重なります』


『奴隷化を国法にすれば、大量のキメラリアが市場に溢れて値崩れを起こすわ。結果的にコレクタユニオンは安価で多くのリベレイタを仕入れられ、フリードリヒの私兵軍は大幅に強化できるでしょう』


 クローゼが整然と説明をしていたからか、マオリィネもようやく落ち着いて彼の言葉を補完する。

 この話は確かに筋が通っていた。キメラリアを安価で仕入れられれば、リベレイタを主戦力とするコレクタユニオン私兵部隊は、飛躍的に戦力を向上させるだろう。それは直接フリードリヒの権力基盤を強めることに繋がる。

 だがこの話には大きな欠陥があるようにも思えた。


「貴族との癒着と言われましたが、なぜフリードリヒの権力強化に貴族が加担するんです? そこまで力が膨れ上がれば、王国としても無視できない存在になるように思いますが」


『フリードリヒと癒着関係にある奴隷化推進派の貴族は、キメラリアを穢れとして嫌い、市壁の中から排除したがっているような連中です。フリードリヒから賄賂を受け取りつつ、キメラリアはコレクタユニオンに丸投げできる魅力の方が大きいのでしょう』


 同じ貴族のことを喋っているにもかかわらず、クローゼは忌々しいとでも言いたげに吐き捨てる。

 癒着による相互利益が余程大きいのだろう。あるいはフリードリヒが権力を持つことを望んでさえいるのかもしれない。裏取引でも友好関係である以上、コレクタユニオンが後ろ盾になってくれるとでも考えれば、十分あり得る話だ。

 僕がそんな考えを巡らせて沈黙すると、マオリィネは最早すがるように1歩踏み出して片膝をついた。


『アマミはキメラリアを大切にしているでしょう? どうか、私たちのことを信じて、力を貸してほしいの』


「――それは」


 正面からそう言われると、流石に少し困った。

 自分は確かにキメラリアだからと言って差別するような真似はしないが、だからと言って種族全体の地位向上を叫んでいるわけでもない。それこそこんな状況でなければ、知人の頼みとしてマオリィネ達に手を貸したいとも思えただろうし、そうすることでファティマやアポロニアが過ごしやすくなるなら万々歳だ。

 しかしクローゼという存在が判断を躊躇わせる。何せ彼は派閥争いで煮え湯を飲まされてきた副支配人であり、フリードリヒを蹴落として支配人というポストに収まりたいだけである可能性も否定はできない。

 せめて何か1つでも証拠となるものがあれば、と僕はむぅと唸った。外部スピーカーから漏れ出たその声を、3人がどう受け止めたかはわからない。

 しかし自分が求めた証拠は、意外なところから飛び出した。

 

『ヤスミンちゃんが、私たちに教えてくれたの!』


「――ヤスミンが?」


 ジークルーンが必死な声を上げたことにも驚かされたが、それ以上に予想外の名前が出てきたことで、僕は発射桿からつい手を離してしまった。


『ヤスミンちゃんは平民で、しかも立場の弱いデミなのに――アマミさんはそんな人じゃない、コレクタユニオンなんて嫌いだって言って、クローゼさんに食って掛かったんだよぉ』


 鏡が前にあったなら、自分は相当な間抜け面を晒していたことだろう。ジークルーンから告げられた言葉に、僕は相当な衝撃を受けていた。

 ヤスミンがデミだとは聞いたことがなかったが、だとすれば母親がキメラリアなのだろう。ならばキメラリアの地位向上を叫ぶマオリィネやジークルーンに、彼女が懐くのは当然とも言えた。最初あれほどつっけんどんな対応をしてきたクローゼが、ここまで必死になって対話を求めてきたことも含め、急激に信憑性が高まってくる。

 これには今まで黙って話を聞いていたシューニャが、どこか咎めるような声を出した。


『キョウイチ、これは――』


「わかってるよ……ダマル、攻撃中止だ。後で確証が取れることになった」


 僕は彼女の言葉を制し、座席にもたれかかって眉間を揉んだ。

 その甘すぎるかもしれない判断には、レシーバーから骸骨の大きなため息が聞こえてきたが、これも甘んじて受けるほかない。


『やーれやれ、子供ってのはとんでもねぇぜ。国もぶっ壊せるような機甲歩兵様でも、言葉1つでひっくり返しちまう……っつっても、あのチビっ子泣かすのは、俺も遠慮してぇがな』


『そ、ッスよね……』


『御貴族様が嘘ついてても、後でヤスミンに聞けばわかりますし』


『私も、これが最善手だと思う』


 まだまだ幼い健気な少女は、自分だけでなく皆の心を掴んでいたらしい。誰からも異論は上がらず、僕はロックオンを解除し砲塔を再び初期位置へと戻すと、外部マイクに対して関係改善を宣言した。


「あくまで仮ですが、そちらの意見を受け入れましょう。ただし、後日敵対的と判断した場合は、確実に対応させてもらいますよ」


『――アマミ殿の英断、感謝します』


 再び深々と頭を下げるクローゼを前に、ヤスミンには敵わないと苦笑する。その一方でマオリィネとジークルーンを消し飛ばさずに済んだことを、僕はこっそりと安堵していた。

 上部ハッチを開けて半身を乗り出せば、月明かりの下で安堵した表情を浮かべるマオリィネが駆け寄ってくる。

 彼女にも聞かなければならないことは多いが、それでも自分たちの方針はここに定まったと言えるだろう。

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