第105話 家族だから

 玉匣へと戻ってくるのが一番遅かったのはダマルだった。

 骸骨はやれやれと首を振りながら、鎧のままでドンと機甲歩兵用の座席に尻をつく。


「仕留めたかい?」


「あぁ、お前と違って俺は優しいからな。ちゃんとさ」


「なんだいそりゃ。まるで僕が惨殺しようとしてたみたいじゃないか」


「主犯格をポテトサラダみてぇにするつもりだった奴がよく言うぜ。流石に女がぐちゃぐちゃにされる姿なんざ見せられたら、寝覚めが悪ぃにも程があるっての」


 これには僕も唸った。

 いくらなんでも形が無くなるまで叩き潰そうなどとは考えていない。しかしシューニャの首につけられた傷を見たときには、収束波レーザーフラ光長剣ンベルジュで蒸発させてやる、とは思っていたため、惨殺を否定することもできなかった。

 そんな戦闘時の狂気も、一切終わってシューニャが無事となれば、やらなくてよかったと本気で思ってしまう。

 しかもアポロニアの手で絆創膏を首に貼られているシューニャは、何か不満があったらしく半眼でこちらを睨んでいた。


「剣の刺し傷も痛かったけれど、閃光を受けた時の方がよっぽど苦しかった」

 

「一応上手くいったんだから、その辺りは許して欲しいんだけど――ダメかな?」


「あんな武器を持っているなんて知らなかった。今後は手持ちの武器兵器に関して、先にしっかりと説明しておいてほしい」


「絶対後の方が本音だろそれ……」


 聞こえるか聞こえないかという程の小声でダマルが呟けば、キャスケット帽の奥で輝くエメラルドのような視線に射抜かれ、骸骨も慌てて兜を逸らした。

 しかし平謝りを続ける僕を憐れんでか、アポロニアは横目でクスクスと笑いながら、むっつりと不機嫌なシューニャの耳元に顔を寄せた。


「つんけんしちゃダメっすよシューニャ。ご主人はコレクタも国も、全部敵にしたっていい、なんて言うくらい心配してたんスから」


「――そう、なの?」


 シューニャは相変わらず無表情でわかりにくいが、どことなく呆けたような雰囲気でゆっくりと顔をこちらへ向けてくる。

 ただ改めて口にされたのがと気恥ずかしくて、僕はむぅと唸りながら頬を掻くしかなかったが。

 

「まぁそりゃ……心配はしてたし、そういう風にも言った、んだが」


 スイッチが切り替わった自分は、感情という回路を殺している。これは戦争などと言う殺し合いの日常において、自分の心を守るための手段として会得した方法だ。

 しかしこの時ばかりは、臭い台詞にも程があるからもう少し言葉を選んでくれ、なんて自分を責めることになった。

 苦悶する僕に対し、シューニャは珍しく小さく微笑んだ。

 そんな希少価値の高い彼女の笑顔にもかかわらず、何故か憐憫に見えてしまい余計に辛くなってくる。やり直せるのならば、もう少しまともな言葉で表現したい。それを思いつける程高性能な頭ではないことは、百も承知なのだが。


「……キョウイチ」


「う、うん?」


 気付けばシューニャはぐっと近づいていた。緊急時を除いて今までにない距離感に僕が硬直すれば、細い腕に頭を包まれる。

 アポロニアとファティマが何か言っていた気がしたが聞き取れない。


「心配かけてごめんなさい……それから、助けてくれてありがとう」


 それはとてもとても優しい声だった。

 ゆっくりと肩の力が抜けていくのを感じる。ポンチョ越しに感じる柔らかな体温が、額が触れた胸元から聞こえる心音が、自分を落ち着かせているのだろう。


「こんなことを言うのは不謹慎かもしれない。けれど、私は今とても嬉しいと感じている。貴方が怒ってくれたことに、心配してくれたことに、そして私を大切にしてくれていることに」


「当たり前じゃないか。シューニャは、家族なんだから」


 これはただの我儘だ。

 だというのにファティマにもっと軽く考えろと言われたことが、思いのほか自分の心に刺さっていたらしい。


――あぁ、そうか。嬉しかったんだな、家族だって言ってくれたことが。


 ファティマとアポロニアの言葉が、自分の心を大きく揺れ動かしたのだろう。だからせめてシューニャにくらい、自分の口から先に言いたいと思ってしまったのだ。

 僕の言葉を聞いたシューニャは僅かに身体をこわばらせる。触れているからか、いつも以上に彼女の感情が伝わってきた。


「私は――まだ、ここに居てもいいの……?」


「シューニャが嫌じゃないなら、だけど」


 ふわりと解かれた彼女のハグに僅かに体を離せば、さっきまでの様子とは打って変わってどこか怯えたような目と視線が合う。


「い、嫌な訳ない。そうじゃなくて……キョウイチは」


「僕はもう答えを言ってるじゃないか。それとも、何か証明が必要かい?」


 僕は掌を自然の彼女のキャスケット帽に置いていた。

 白い肌を僅かに朱に染めながら、俯きがちに視線を逸らす。


「……スケコマシ」


「僕が? あぁ、いや、そうなるか……そんなつもりはないんだけどね」


 自分が如何に違うと言い張れど、現実には彼女の言う通りだった。

 同時に3人に言い寄られ、その3人を同時に振った男が女たらしでなくてなんだろう。そんな男とまだ一緒に居ようとしてくれるのだから、蓼食う虫も好き好きだと笑ってしまった。


「はぁ~、いつまでイチャついてんだよ。こんなとこでラブコメトーン全開にしてんじゃねぇ」


「ダマルさんの言う通りッス! シューニャだけ羨ま―――けしからんッス!」


「そろそろ代わってくれてもいーじゃないですかぁ」


「おいコラ畜生ズ、欲望駄々洩れだぞ」


 僕とシューニャに呆れかえったダマルは周囲からの応援を期待したらしい。しかし拳を握りこみつつ何かと葛藤するアポロニアと、堂々と言い放つファティマは骸骨の予想をしっかり裏切ったため、ダマルはやってられるかと兜を投げ捨てていた。


「そ、それは誤解。これは家族としてのスキンシップ」


 周囲から謎のヤジが飛ばされ、シューニャは恥ずかしそうにしながらも、その腕はしっかと僕の頭を掻き抱いたままである。

 おかげでその様子を見たダマルは、げんなりと肩を落とした。


「顔真っ赤にして何言ってんだ。あと家族だ、ってんなら俺にもしてくれよ」


 君も欲望が漏れてるじゃないか、と言おうとしたが、僕の言葉よりも女性陣の行動が感情をハッキリと現した。


「……ごつごつしてそうだから嫌」


「ふざけたこと言ってると足噛み砕くッスよ」


「控えめに言って気持ち悪いです」


「泣くぞコラ!! なんでいきなり、家に居場所がないお父さん、みてぇな扱いになってんだよ!? 俺ぁそういう家族を望んでるわけじゃねえ!」


 3人からの驚くほど冷たい視線に、ダマルは涙腺などないはずなのに全力で涙を流した。この扱いは流石に哀れだと思うし、場合によっては自分もこういう扱いを受けかねないという恐怖に体が震えてしまう。

 だからせめて、僕だけは骸骨の味方であろうと言葉をかけた。


「あー……その、僕でよければ?」


「相棒、惨めになるから余計なこと言うな。あとそもそもの原因がお前にある気がするから、とりあえず1発殴らせろ」


「ガントレットに殴られるのはシャレにならない」


 今のダマルなら本気でやりかねないので、僕はシューニャの腕から離れると、足早に砲手席へと逃げ込んだ。それを機に各々が普段のポジションに戻っていく。

 最後にシューニャが運転席に座り、隣に指導官のダマルがつけば、玉匣は発進準備が完了する。

 だが、エーテル機関が始動するよりも先に、無線から骸骨の鋭い声が響いた。


『警戒、始動待て――どうにも、追加のお客さんみてぇだ』





 王都からロガージョの巣穴を目指して駆けていた最中、遠くからドンドンと戦太鼓を叩くような音が聞こえはじめ、私は周囲を見回していた。

 まさか夜中の街道で祭りをしている阿呆が居るわけもなく、わざわざ音を立てて居場所を知らせる間抜けな野盗も聞いたことがない。だとすれば、一体なにが鳴っているのか。

 しかし私がそれを探し始めて早々、突然視界にまっ白な大閃光が迸った。訓練された軍獣さえも驚いて立ち上がり、慌てて手綱を繰って必死に抑え込む。

 

「どう、どう!」


 一角鹿はシューと鼻を鳴らして首を揺すり、なんとか平静を取り戻した。しかし、私は急激に胸騒ぎが強くなっていく。先の閃光や戦太鼓の音が英雄一行によるものだったなら、彼らは本当に何者なのか。

 隣に駆け寄ってくるクローゼは固い表情を崩さず、付き従うジークルーンも大きく体を震わせていた。


「ま、マオ……今のって――」


「わからないわ。でも、多分そうだと思う」


「確認を急ぎましょう。事は一刻を争います」


 クローゼは普段見せない焦った様子でアンヴを進ませる。私もジークルーンと頷きあい、彼の背に続いた。

 閃光が起った場所へと近づくにつれ、血の匂いが次第に強くなり、時折断末魔らしき叫びも聞こえてくる。


――戦っている。何と、誰と?


 暗闇に炎の揺らめきが見えたのは間もなくだった。それに照らされて浮かび上がるのは、鋼が全体を覆う車。

 私が驚いてアンヴを止めれば、クローゼは額に汗を浮かべ、一層表情を強張らせていた。


「あれは、まさか……」


「知っているの? あれは何?」


「バックサイドサークルで瞬く間に帝国軍を蹴散らした鋼鉄のウォーワゴン。英雄アマミが使う武器の1つだと、報告を受けていますが……」


 私はその言葉に首を捻った。

 コレクタユニオンが持っている情報はグランマのお墨付きだとはいえ、自分の聞いていた内容と大きくかけ離れている。


「私は本人から、無辜むこの民を陥れる悪逆な百卒長を斬り捨てて逃げてきた、としか聞いていないけれど……?」


「確かに彼は百卒長を討ち取っており、彼はそれが理由で帝国に追われてもいたようです。しかしそれだけでは情報が足りない」


「それは?」


「曰く、バックサイドサークルで帝国の英傑ロンゲンと刃を交えた際、あれが帝国軍の一団を血煙に変えたのだとか」


「普通なら驚くところでしょうけど……アマミが本当にミクスチャを倒したのなら、いくらフォートサザーランドの闘将でも敵うはずがないわね」


 そのウォーワゴンが静かに止まっている。ミクスチャを撃破しロンゲンを下したという男の装備を前にして、私は体の震えを止められなかった。

 だがアマミがそこに居ると分かった以上、迷っている暇はない。

 私はそっとアンヴを降りて松明に火をつけると、自分たちの存在をわからせるように高く掲げながら、ゆっくりとウォーワゴンへと歩み寄る。

 しかし、自分たちが背の高い雑草を破って前に出た途端、今まで静寂を保っていたウォーワゴンは上半分がぐるりと回し、長い鼻のような筒をこちらへ突き付けた。


「ひゃあっ!?」


 臆病なジークルーンが慌てて私の背中に隠れるが、私もあまりの恐怖から硬直しただけに過ぎず、戦場と同じように彼女の盾になどなれはしない。

 自分の顔はハッキリ青ざめていたことだろう。あの筒が何なのかはわからないが、近づくなという警告であることだけは、ひしひしと伝わってくる。

 だから私はその場で立ち止まったまま、声を出そうとした。だというのに、恐怖で固まった頭は言葉を生み出せず、乾ききった口はパクパクと動くだけで、何1つ音を発せない。


――怖い。


ただそれだけの感情が、自分の中を支配していた。

だから自分に代わって、クローゼが声を上げてくれたことには、どれほど安堵したことか。


「アマミ氏、どうか我々の話を聞いていただきたい! 私はコレクタユニオンの手先ではなく、貴方がたに敵対するつもりもありません!」


 彼は腰からサーベルを外すと、遠くの茂みへと投げ捨てた。更に両手を挙げて抵抗の意がないことを示しながら、静かに膝をついて目を伏せる。

 私はこの行為に驚いた。

 コレクタユニオンに属していたとしても、クローゼはチェサピーク伯爵家という王国内でも屈指の大貴族であり、腰に下げた剣はチェサピーク家が築いてきた武勇の誇りそのものなのだから。

 それすら投げ捨ててまで、クローゼはアマミとの対話を求めている。そう思えば、今まで痺れたようだった頭から、自然と言葉が溢れ出してきた。


「私からもお願いするわ! だから、どうか私たちの話を聞いて頂戴! この通りよ!」


「お、お願い、しますぅ……!」


 私が頭を下げれば、後ろでジークルーンは膝を折って祈るような姿勢を取る。

 姿勢こそ三者三様ながら、英雄と敵対したくないという思いは同じだった。

 周囲に散らばる亡骸は襲撃者たちで間違いない。しかしその数は数十人にも上っており、更に多くはキメラリアなのだ。鋼の化物が帝国軍を撃破したというのも、嘘ではないだろう。

 だからもしも英雄一行が、ここで感情に任せて行動したなら、私たちに生きる道はなかっただろう。

 私にできることなど、ひたすら頭を下げて声を効いて貰うことしかなく、その時間は永遠にも思えるほど長かった。

 だが結果的にウォーワゴンはこちらを踏みつぶそうとすることも、謎の閃光を発するようなこともないまま、やがてガリと奇妙な音を発したのである。

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