第57話 グラスヒル

 帝国軍に対する一方的な戦闘を終えた僕は、戦争加担を行ってしまったことを僅かに後悔しつつ、鋼鉄の我が家を目指して歩いていた。


『夜明けか……』


 白く輝く地平線からの光を受けて、玉匣は地面に影を落としている。

 無事に渡河が成功したことを思えば、憂鬱な気分がゆっくり晴れる。加えて帰りを待っていてくれる仲間が居るのだから、辛気臭い顔なんてしていられないとヘッドユニットを振って小さく笑う。

 僕は気分を切り替えつつ玉匣の後部ハッチへ手を伸ばす。だがその瞬間、外から呪詛のような声が聞こえてきた。


「助けてくれぇ」


 何事かと車体を朝日の差す方へ回り込んでみれば、不思議なことに木杭が地面に突き立っている。

 しかも根元には人骨が積み上げられ、先端には金属製の兜がぶら下がって助けを求める声を発していた。

 そのあまりにオカルト的なオブジェは、爽やかな朝の空気をぶち壊すのに十分な迫力を持っており、僕は翡翠の中で深い深いため息をついた。


『朝からなにをやってんだい、君は……』


「太陽が眩しすぎて溶けちまうぜ」


『どうせ君が悪いんだろう? ファティもアポロも器用になっていくものだ』


 最初はひたすら分解されるだけだったダマルも、最近はなにか目指すものがあるような芸術作品にされつつある。その方向性はどう転んでも邪にしかならないだろうが。


「聞いてくれよ! 俺は善意であの黒髪ロングのチャンネー救助をお前に命じただけで、誓ってお前がお持ち帰りしてくる可能性を期待してねぇんだ!」


「あぁそうか……今回の元凶は君だったねぇ人骨模型君」


 自分の懊悩も知らずに適当な指令を全力で寄越した骨の現状を見れば、童話の吸血鬼のように太陽光に焼かれて一度消滅してみればいいと、僕は薄暗い笑いをヘッドユニットの中で浮かべる。

 その雰囲気を察したのか、慌てた様子で金属製の兜がカタカタと震える。手足もなければ頭蓋骨だけでどうやって動けるのかが不思議なところだ。


「待て待て待て! 俺は100%善意で、今後世話になる国家の臣民を救おうとしただけだ! 見ろこの真摯な瞳を! これが嘘をついている奴の目か!?」


『兜のスリットから見えると思ってんのかい。それに君にあるのは目じゃなくて孔だろう』


「俺の渾身ジョークをとるんじゃね――あっ、待って、置いていかないで! 俺も美味しい朝ごはん食べたい!」


 無意識にハッチに手を伸ばしていたらしい。

 今日ばかりは助けて助けてとうるさい髑髏しゃれこうべに手を差し伸べる気が一切起きなかったものの、流石にこのまま放置しておくわけにも行かず、僕は地面に突き刺さった木杭を翡翠のパワーで引き抜いて車体の上に乗せた。

 ついでに残された骨は全て小脇に抱えて、ハッチを開く。


『落ちないように気を付けてくれ』


「おい待てコラぁ!? せめて固定しろよ! 落下物は運転者の責任だって高速道路公団も言ってんだろ!」


『落ちたら道路異常ダイヤルにでもかけてくれ』


 太古の道路交通法を叫ぶ声を無視して、僕は車内へと身体を潜らせる。

 どうせ出発する前には拘束を解いて運転席へ蹴り込まれるのだから、もうしばらく外の空気を楽しんだって罰はあたらないだろうと思うのだ。


「おかえりなさーい」


おふはれはまっふお疲れ様ッス


 こちらを出迎えたのは、弛んだ様子のキメラリア達だった。

 ファティマは自身のプライベートスペースと化した寝台上段で寝転がりながら、爪を丁寧にやすりで研いでおり、アポロニアは機甲歩兵用座席に寝ころんでダマルから回収したであろう大腿骨を両手で齧っている。

 そのあまりに猟奇的な光景に、僕はぐぅと唸った。

 どうすれば玄関先に人骨エフィジーが立てられ、中では犬耳巨乳美少女が骨を齧っているという猟奇的な絵面が生まれるのだろう。


「あー……その、なんだろう。ダマルの骨なんて齧って大丈夫なの、かい?」


「いやいや、これがなかなかいいんスよ! 今まで骨齧るのは骨付きの肉くらいだったッスけど、なんとなーく魅力的に見えるなぁなんて思ってたら齧ってみて大正解ッス!」


 徹夜明けだというのに、アポロニアの表情は花の咲くように明るい。

 だが僕が聞きたかったのは骨の齧り心地ではなく、骨を齧った事で胃腸に問題が起こらないかという衛生的なお話だったのだが。


「この骨齧っても削れないし、その上齧り心地も抜群で、特に大腿骨が1番ッスねぇ」


「肉の部位じゃないんだから、そんな力説されましても」


「犬は犬ですからね。ダマルさんと手羽先の違いもわかんないんでしょ」


 息をするようにファティマが毒を吐けば、解体した本人がそれを言うのかとアポロニアが寝台を睨みつける。

 こんなやりとりにも慣れてくるもので、2人を宥めることすらせずに僕はマキナを簡易メンテナンスステーションの前で脱装し、運転席へと足を向けた。

 ダマルが外で速贄になっていたことを考えれば、ハンドルを守っていたのはシューニャしか居らず、その労をねぎらいにと思ったのだが。


「おっと……少し待たせすぎたかな」


 運転席を覗き込めば、金紗に包まれた頭がこっくりこっくりと舟を漕いでいる。

 敵部隊の動向を探ってから作戦を開始したため、全員揃って徹夜明けなのだ。戦闘が終了したことで緊張の糸が解ければ、誰でも眠くなって当然だろう。

 とはいえ、流石に運転席では寝づらいだろうと、僕は僅かに彼女の肩を揺すった。


「シューニャ」


「ん……あ、キョウイチ、おかえり」


 よほど疲れていたのかシューニャはボンヤリした目をこちらへ向けてくる。

 口を押さえて欠伸を1つ、目を擦りながら運転席から立ち上がったまではよかった。しかし半分夢の中に居るらしい頭は、波に揺られる海藻のように揺れていた。

 元々生活するために作られたわけでない車内には突起なども多く、足をもつれさせて転びでもすれば怪我の危険も高い。

 仕方なく僕は安全第一と、振り子時計かヤジロベエのように周期的に揺れている彼女の身体を抱え上げた。


「うぁ、大丈夫だから、自分で歩ける」


 シューニャはパタパタと両手足を動かすことで、お節介に抗議してくるがそれも驚くほど弱弱しい。


「見てるこっちが怖いんだ。甘えておいてくれ」


 僕の言葉に彼女は唸ったが結局諦めたらしく、体重を預けて右手で小さく僕の軍服を掴んだ。

 普通に歩けば僅かな距離を足元に気を付けて進み、寝台へシューニャを下ろせば少女は全身の力を抜いて丸くなる。

 それに薄いシーツをかけてしまえば、数秒と経たないうちに寝息が聞こえてきた。


 ――朝食は少し遅いくらいに頼むかな。


 シューニャの寝顔を見ていれば、どこか穏やかな気分になる自分が居て苦笑した。

 父性からくる庇護欲というやつは誰にでも起こるらしい。

 しかしそれを全く違う目線で見る者も居る。


「おにーさんって」


「天然すけこましッスよね」


 などと頭上と背後から不名誉な呟きが投げかけられ、穏やかだった心に岩石が投げ込まれて波浪を立てた。

 しかし疲れた体で反論する気にもならず、僕は知らん知らんと首を振りながら、床にシュラフを敷いてその中へ逃げ込んだ。

 特に夢は見なかったように思う。



 ■



「おー、草原ですよおにーさん」


 両足をチェーンガンの砲身に遊ばせているファティマがそんな声を出したので、僕は上部ハッチから半身を乗り出した。

 途端に今までは感じなかった湿度を帯びた空気が顔にかかり、それに混じる青々と茂る草の臭いに僕は目を見張った。


「グラデーションゾーンを抜けた途端これかい。環境の変化にしたって急激すぎるだろう」


 牧歌的雰囲気が漂う周囲。荒野を見慣れた目には新しく、小さな白い花を咲かせる低い草が辺り一面を覆っており遠くではボスルス数頭がそれを食む姿もある。

 ぽつぽつと生える広葉樹はまだ熟さぬらしい青い果実を枝にぶら下げて連なる丘陵に変化を与えていた。

 大自然の驚異というだけで説明していいのかわからないほどの変化に唖然としていれば、足元から伸びてきた手にズボンの裾を引かれる。


「ここはグラスヒル。ユライア王国東の玄関口で牧畜が盛んな地域」


「畜産業か……まぁこれだけ広い草原があればなぁ」


 シューニャの声に周囲を見渡してみれば、丘を2つほど越えたあたりに倉庫のような人工物が建っていた。

 ただの草原地にもかかわらず、何故かロックピラーから比べればはるかに人間の営みを感じられる。否、人間が生きていてもいい場所のように思えるのだ。


「ムールゥから毛糸を取り、ボスルスから乳製品を得ている。野生にも生息している代わりに、それを狙う肉食動物も居る」


「肉食動物っていうと、ポインティ・エイトとかブラッド・バイトとかかい?」


 草原を走る巨大カバと人喰いザトウムシの群れを想像して怖気がした。この長閑な景色には血生臭すぎる。

 しかしシューニャはそれをハッキリ否定してくれた。


「ポインティ・エイトは乾燥地帯にしか居ない。ブラッド・バイトも元々は南の地域の固有種でフラットアンドアーチでの大繁殖も異常事態」


「そうなのかい」


「この地域に出てくる代表的な肉食獣は兜狼ヘルフ。害獣としては双頭大芋虫バイピラーも居る」


 それがどんなものなのかは理解できないが、シューニャの口調からは先に遭遇した生物よりは危険度が低いことが察せられた。しかし800年の時の流れは生物の姿形を大きく変え、食性から上下関係すら覆しているのも事実だ。この美しい草原丘陵地帯においてもそれは同じらしく、イモムシと狼が並列で語られるのだからたまったものではない。

 科学の力の大半を失った人類が生きるには厳しい現状だが、少なくとも対抗ができないほどの敵ではないのだろう。1つ丘を越えた先で見えた民家を守るのは木を組んだだけの塀と荒く低い石壁だけなのだから。


「おぉ、ムールゥが一杯ですね」


 ファティマが楽し気な声を上げるのもむべなるかな。柵に囲まれた中は白い毛玉が大量に蠢いており、巨大綿菓子の集団のようにさえ見える。

 毛糸獣と呼ばれることから完全に羊を想像していたが、体が見えない程の体毛に覆われた何かがそこにあった。そのせいでどちらが前でどちらが後ろなのかもわからない。


「もうすぐ毛刈り」


「毛を刈ったらどんな姿になるんだいアレ」


 なんせ毛玉が地面を転がっているようにしか見えない不思議生物である。中身の想像が全くつかないのだ。

 そんな僕に対し、シューニャは手で何かの形を作った。


「これをひっくり返したようなの」


「――すまん、わからない」


 手指の形を見れば、四角くて角が4本生えているとしか表現できない。これは自分の想像力不足が原因だ。

 加えて補足説明も難しいのか、シューニャは眉間に小さな皺を作って悩み始める。

 しかしその努力が実を結ぶよりも先に、ファティマが進行方向右側を指した。


「あれですよ」


「え、えぇ……?」


 そこに居たのは、言わば足の生えた豆腐である。

 毛も白ければ身体も脱色したかの如く白く、毛玉の大きさからすればやけに小さい体は見事な立方体で、そこから爪楊枝のように細い足が4本出ている。

 ミクスチャを除けば、今まで見た中で圧倒的に意味不明な姿であり、その上シューニャの手の形が正確だったことも証明された。


「あれ、頭はどっちだい?」


「黒い点がついてるでしょ? あれが目と鼻ですよ。適度に毛刈りしないと見えなくなっちゃうらしいですけど」


「蚕並みに人間に依存した生物なんだなぁ」


 自分の毛に視界を塞がれて天敵に喰われました、というのは自然界で生きていくのに無理がある気がする。それこそ肉食動物からすれば無防備な肉が歩いているのと同じだ。

 シルクを産出する蚕も自然界では生きていけないが、まさかこの外敵だらけの世界でそんなドン臭い生物が存在しようとは思わなかった。


「カイコって何?」


 ぼそっと呟いただけだと言うのにしっかり食いついたのは知識欲魔人シューニャだ。

 このところ説明が長くなるのを嫌って何かとはぐらかしていたためか、輝くエメラルドの瞳が絶対に逃がさんと語っている。

 加えてまたズボンの裾をぐいぐいと引かれたのでは逃げることもできず、僕は諦めて腐り果てた記憶を探った。


「あー……糸を吐いて繭を作る白い芋虫だよ。その繭を解いて繊維を作る産業があったんだ」


「シルクのこと?」


「そう。もしかして今も作られているのかい?」


 誰が伝えたのかはわからないが、名前が800年前から変わらない物も多い。シルクもどうやらその類なのだろう。

 だがシルクがあるというのならば、蚕が知られていないのは流石に妙だと僕が首を傾げれば、とんでもない答えがシューニャから帰ってきた。


「命がけでバイピラーの巣を襲い、繭を奪って作る高級な繊維。持ち帰っている最中に繭が羽化して、成虫の持つ毒鱗粉でハンターが全滅したという話も聞く」


「僕の知ってるシルクじゃない」


 虫の吐く糸を利用している以外に共通点が全く見当たらず、名前だけ同じで完全に別物だということがハッキリわかった。

 まさかカイコガが人間を襲ってくるなど、800年前において誰が想像したことだろう。

 僕が現代生物の脅威に震えていると、無線がガリリと音を立てた。


『レーダーに感。疎らだが人間が集まってるっぽい場所があるんだがどうする?』


 ダマルの発言に前方を見てみるも、アップダウンを繰り返す丘陵地帯では見通しも効かず情報は得られない。

 分からない時まず頼るべきはシューニャである。

 僕が砲手席を後ろから覗き込めば、彼女は既に画面上に表示されるレーダーを見ながら予想を立てていた。


「この街道沿いには小さな集落と酒場があったはず。それだと思う」


 動物と比べて小さな光点はダマルの言うように疎らで、だが明らかに1箇所に集中している以上予想に間違いはないだろう。

 酒場を利用するのは最初に甲鉄を蹴っ飛ばした時以来だが、同時に食料の確保が目的ならば最良の場所と言えた。


「ダマル、車両を街道から離れた木陰に停車させてくれ。食料品の買い出しだ」


『はいよぉ、っと、じゃあ俺はシエスタ―――玉匣で警戒してっから、皆で仲良く買い物してきてくれ』


 無線機越しにゲフンゲフンと大仰にせき込むダマル。何やら不謹慎な言葉を口走っていた気がしたが、面倒なので突っ込む気にはならなかった。

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