第164話 ソーシソーアイ、そんな未来

 僕はテクニカの中で、派手に扉を叩きまくる人物を見たことがない。

 それどころかこの部屋に来るのはほとんど身内だけであり、ダマルや彼女らがそんなことをするようには思えず、僕は首を捻った。

 しかし、その答えは自ずと出される。


「開けて開けてあーけーてー!!」


「あぁ、開いてるよ。どうぞ」


 言うが早いか、体当たりをしたかのように勢いよく開かれるドア。そして相変わらず白く小さな体は部屋の中へ転がり込んでくると、何を思ったのか素早く僕のベッドの中へ潜り込んだ。

 状況がわからず混乱する僕に対し、ポラリスはこちらの胸の上で顔を出すと、唇に人差し指を添えて、何かしらの秘密を訴えてくる。


「えぇっと……何かあったのかい?」


 いつ目覚めた、とか、体の調子はどうだ、とか、何故この部屋に自分がいるとわかったのか、とか、聞いておきたいことを聞けないうちから、こんな訳の分からない質問をさせられるとは思わなかった。


「マオリーネに追っかけられてる」


「マオに? なんで?」


「聞いてよキョーイチ、マオリーネひどいんだよ! さっき目がさめてね、おなかすいたって言ったら、いきなりお野菜がいーっぱいはいったスープもってくるんだよ!?」


 それが嫌で逃げてきたのだ、と少女は頬を膨らませて涙目になりながら訴える。

 僕はその様に唖然としていたが、思い出してみれば、確かにストリも野菜嫌いで食堂のおばちゃんに叱られていた記憶がある。

 そして毎度毎度僕の部屋に来ては、野菜なんてサプリメントで十分だ、などと文句を言い放ち、結局菓子を食い漁って満足しては、勝手に人のベッドで眠っていた。

 あまりにも記憶と重なる景色に、僕はついつい思い出し笑いが零れ、それをポラリスは不思議そうに見上げてくる。


「ねぇ、どしてキョーイチは寝てるの? まだお昼だよ?」


「この間の怪我が治ってないんだ。僕は大丈夫だって言うんだけど、皆が寝てろ寝てろってうるさくてね。皆に隠れてこっそり出かけてたんだが、バレてこっぴどく叱られたところだよ」


「それじゃ、わたしたちはどっちもワルモノだね!」


 叱られた、という部分に謎の共感を覚えたらしく、ポラリスはアクアマリンのような瞳を輝かせて笑う。

 その無邪気な笑顔に、なんだか僕は毒気を抜かれて同じように顔を綻ばせた。


「成程、それもそうだなぁ」


「ワルモノどうし、なかよくしよ?」


「そいつはいい提案だ。僕も退屈でね」


 長く広がる青みがかった銀色の髪を撫でれば、彼女はくすぐったそうにしながらも僕の腹にしがみついてくる。

 ここまで小動物っぽい雰囲気はストリには無かったが、初めて出会ったときの彼女よりもなお幼いポラリスを見るに、もしかすると10歳前後のストリはこんな様子だったのでは、と想像が膨らんだ。

 同時に、二度と見られない彼女の笑顔を思い出して、少しだけ鼻の奥がツンと痛む。


「やっぱりキョーイチからはいいにおいがするぅ」


 ポラリスはついさっきまで自分が悩んでいた内容を見透かすように、それも嬉しそうにはにかんで僕の服に頬ずりしてくる。


「なんでかぜんぜん思い出せないんだけど……ずーっとまえにね、だいすきだった人のにおいみたいで」


「随分とませたことを言うもんだ。初恋の人かい?」


 また少し震えた自分の心を押さえつけるように、僕はわざわざぎこちない笑顔を顔に貼りつけて、どうでもいい質問を返す。

 それに対してポラリスは真剣な表情で唸り、わかんないやと笑った。


「でもね、キョーイチのことはすきだよ?」


「ワルモノ同士だからかい?」


「そうじゃなくって、んと……きいてもわらわない?」


 ポラリスはもじもじと身体を揺すりながら、白い顔を少し赤らめ上目遣いで僕の顔を見てくる。

 笑うものかと頷けば、彼女は僕の身体を少しよじ登って、他に誰も居ないと言うのに小さな声で耳打ちしてきた。


「さいしょにキョーイチを見たときね、この人だって思ったの。なんにもわかんないのに、知らない人はずなのに、すっごくドキドキしたんだよ?」


「――ハッ、ハハハハッ! 一目惚れかぁ! そいつは照れるなぁ! ハハハッ、くぉっ……アタタ腹が……」


 約束が瞬く間に吹き飛ばされ、僕は久しぶりに大きな声を出して笑ってしまった。おかげで胸やら腹やらが謎の痛みを発し、途中から堪えるように身を縮めてしまう。

 無論、笑わないとの言質があって喋ったポラリスからすれば堪らなかったらしく、今度はトマトのように顔を真っ赤に染めて、小さな拳を振り上げた。


「もぉーっ!! 笑わないっていったのにぃ!」


「ご、ごめんごめん。でもダメだよ、兵隊なんかを好きになると、いつ不幸な目に遭うか」


 胸に飛んでくる小さな衝撃を両手で受け止めながら、僕はいつもと同じ言い訳を口にする。

 彼女はストリではない。メヌリスもそう思って彼女に罪悪感を覚えたに違いないのだ。

 だからもう1度ストリを生み出して、また怖い目に遭わせることは許されない。その戒めとして、僕は口にしたはずなのに。


「どうして? 兵隊でも、好きな人なら一緒に居た方が幸せだし、楽しいよ?」


 たった一言で僕の決意はたちまち瓦解した。

 ポラリスの不思議そうな顔と、意を決したようなストリの顔が重なって見え、彼女との約束がフラッシュバックする。


「兵士が幸せになっちゃいけないの……かぁ」


「キョーイチ?」


 僅かに涙声になったのを気づかれないように、僕は彼女の長い髪をわしわしと撫でた。

 ストリは幸せだったのだろうか。あの瞬く間に過ぎた日々が。

 もう答えを聞く術はない。けれど、自分が感じていた充実感を幸福と呼ぶのであれば、ポラリスを突き放すことで彼女からそれを奪うのは間違っている。

 結局僕に選べたのは、彼女を受け入れることだけだった。


「ありがとう。僕もポラリスのことは大切だよ」


「え、えへへへ、ソーシソーアイって奴だ!」


「それは十年早いかな……」


 両手で頬を押さえて照れる彼女の額を軽く弾き、ため息をつく。

 こういう部分は本当に似ていて、あの子も同じようによく僕を困らせてくれたものだ。

 自分の中でストリへの感情に決着がついたわけではない。けれど、今を生きることを選んだのならば先に進まなければと痛む腹を括ったのは事実だ。

 おかげで少しだけ肩の荷を下ろせた気がして、僕は穏やかな気分に包まれていた。

 それを見事なタイミングでぶち壊してくれるの者も居たが。


「ここかぁっ!!」


「とぉーっ!」


「お、おおぅ? マオ? それにファティも。そんなに慌ててどうしたんだい?」


 部屋を制圧するかの如き勢いで突入してきた2人に、ポラリスが素早くシーツの中へ潜り込む。

 それもそのはずで、マオリィネは野菜がたっぷり入ったスープを持ち、ファティマもスプーンやらを手に鬼気迫る様子である。


「キョウイチ、ポラリス来てない!? あの子ったら、野菜が嫌いとか言って逃げちゃったのよ」


 口から炎を吐きそうな雰囲気さえ醸し出すマオリィネに、僕は顔を引き攣らせた。

 好き嫌いに関わらず、こんな迫り方をされれば誰でも逃げたくなるだろう。ただでさえポラリスは子どもである。

 しかし、彼女を匿うことはほとんど不可能に近い。何せ、ポラリスが丸まっているのは薄いシーツ1枚の下であり、そこには不自然な小山が盛り上がっていたのだから。

 ファティマは僕の腹部あたりを輝く金色の瞳で見据え、マオリィネもシーツの不思議な膨らみに対して琥珀色の目を細めた。


「ほー……なるほどですね」


「ねぇキョウイチ、そのシーツの不自然な膨らみは何かしら?」


「いないっ!」


 ひっくり返りそうになった。何故わざわざ声を出したのか。そして居ないとはどういう意味なのか。

 僕ならわざと見逃そうと思えるくらいのセンスだったが、年上の女性2人は甘くない。


「シーツって喋るんですか」


「居ないじゃない! もう逃がさないわよ!」


 スープを机に置いてから、マオリィネはシーツへと飛び掛かる。

 ポラリスは藻掻きながら僕の足元へと移動を試みていたが、相手からは位置が丸見えなのに対し彼女は視野を喪失した状態という、圧倒的劣勢を前に素早くシーツごと確保された。


「あーっ! あーっ! 野菜嫌いーっ! マオリーネも嫌いー!」


「なんとでも言うといいわ! さぁ、食べるっ!」


 彼女はモガモガと暴れるポラリスから布を取り払うと、素早くスプーンを口の中へ突っ込んだ。

 ポラリスはそれでも激しく抵抗していたが、力に勝るファティマに身体をロックされ、一度口に入れた物を吐き出すような真似まではしなかったこともあって、結局無理矢理スープを強制的に飲まされていった。

 無論、その度にポラリスは嫌い嫌いと叫び続けたが。


「はは、マオは野菜と同列っぽいなぁ」


「おにーさん、何かいいことでもありました?」


 ポラリスの両手足をがっちりと固定したままで、ファティマは不思議そうに首を傾げる。


「どうしてだい?」


「とってもいい笑顔だったので」


 そう言われて僕は自分の手に視線を落とした。

 ポラリスとのやり取りで心が少しだけ軽くなったと感じたのは嘘ではない。そして一度転換してしまえば、自分が閉塞したままで居る事がストリの死を問い詰め続けているようにも思えてきたのだ。

 おかげで僕は肩をすくめてファティマに向き合う。


「誰かさんに頭を齧られて、変わったのかもね」


「もっかいやりましょーか?」


 何故か少し嬉しそうに八重歯を見せたファティマに、それは勘弁してくれ、と首を横に振って、僕は散らかされたシーツをそっと回収したのである。



 ■



 それから更に1週間後。

 僕が痛み止めを飲む回数も減り、ようやくそれなりに動き回ることが許可された頃、ダマルとシューニャから仕事について報酬の報告を受けた。


「家?」


「ああ。俺たちが必要な物は地下から必要なだけ拝借させてもらうとして、別にテクニカの権力やら地位が欲しいわけじゃねぇし、あの女から根こそぎ奪いたいわけでもねぇだろ? だから、俺たちの住処を探してもらったわけだ」


「そりゃまた……いや、それが建前かい」


「研究所の道具はテクニカの所有物でもねぇし、あれを開けれたのは俺たちの手柄だ。向こうのメンツも考えて、俺たちなりに必要な物を提案したつもりだぜ?」


 仕事に対する報酬を何もかもと提示した手前、それを全て無視されたとなれば、テクニカとしての立場がないということだろう。


「妥当と見るべきなんだろうね。ありがたく受け取っておこう。それで?」


 家についての詳細を聞けば、ダマルに代わってシューニャが1歩前に出る。


「スノウライト・テクニカから南、ポロムルと王都のちょうど間くらいの位置に、持ち主が居なくなった屋敷があったらしい」


「屋敷? なんだか曰く付きそうだが」


 新築でないならば、持ち主が居なくなった屋敷など運良く転がり出てくるとは思えず、僕は頬を掻いた。

 聞く限り町から外れた場所にあるのはいいが、幽霊屋敷のようなボロボロの建物を渡されても困るのだ。

 それに対し、シューニャは問題ないと首を縦に振る。


「元々は王都に居た子爵が、アンヴ狩りを行う時に滞在する別荘だったとか。その子爵がで裁かれて、宙に浮いていたところをテクニカがコレクタユニオン経由で買い取ったらしい」


 まさか、とアポロニアは顔を引き攣らせる。


「ど、どっかで聞いたことがある話のような気がするッス……」


「まったく酷い奴が居たものね。王国貴族の風上にも置けないわ」


 ここ最近で汚職事件の摘発と言えば、思い当たるのは1つだけ。それも売買にコレクタユニオンが絡んでいるとなれば、国家に対する賠償という言葉の影がチラついた。

 とはいえ、曰く付きの部分が自分たちに端を発したものであれば、特に恐れる必要もない。ある意味でお誂え向きである条件に、シューニャも納得したのだろう。


「中にあった調度品は売りに出されていて既にない。今はダマルの指示で建物の整備と改築を始めたところ」


「オブシディアン・ナイトだったか? あの黒鋼B-4の修復も終えたからな、俺は先にお家改造計画でそっちに行くつもりだ。お前が寝てる間に地下で色々見つけたからな」


 マオリィネとの約束も無事果たしたらしい我らが骸骨は、早くも次の仕事を始めていて驚かされる。

 世界一優秀な骸骨というのはあながち冗談でもないのだろう。おかげで僕は、撃ちあい殴り合いくらいしかまともにしていない。


「君は建築もできるのかい?」


「素人工事に決まってんだろが。それでも、快適な暮らしのためだからな。お前が完治する頃には住めるようにできそうだぜ」


 何をするつもりなのか、ダマルは在りもしない喉の奥でカカカと小さく笑う。


「手間をかけるね。それで、皆はどうするんだい? 僕はまだ流石に動けないと思うが」


「大丈夫、ちょうどいい機会だからテクニカで勉強したい」


「ボクはおにーさんと一緒に居ますよ?」


「身の回りのお世話は任せるッス」


 ダマルが後ろで、俺に着いてきてもいいんだぜー、と小声で言っていた気がしたが、彼女らは振り返ることもしないため、多分聞こえていなかったのだろう。

 逆にゲスト状態だったマオリィネは暫く考えてから、うん、と何か意を決したように小さく頷く。


「私は一度王都に戻るわ。オブシディアン・ナイトの件も伝えないといけないし」


「一度って……君は元々王国の貴族だろう?」


「そう、なんだけどね。ちょっと色々、自分の思うままに動いてみたくなったのよ」


 珍しく歯切れが悪い様子を不思議に思い、僕が首を傾げるとマオリィネは慌てて両手を振った。


「べ、別に何か変な事考えてるとかじゃないわ! だから――」


 そこで彼女は再び言い淀む。

 僅かに俯いた様子に全員の視線が集中するが、それを振り払うように長い黒髪を大きく揺すると、マオリィネは頬を赤らめながら小さな声を零した。


「時間かかるかもしれないけど、ちゃんと帰ってくる場所、置いといてよね」


「――あ、あぁ。それは、いつでも」


 何が言いたいのか僕にはよくわからなかったが、それを聞いた女性陣達は何故か呆れたような表情を作り、隣でダマルがカッ! カッ! と笑いを堪えている。

 しかし、いつでも、と言った僕の言葉にマオリィネは笑顔の花を咲かせ、約束よ、と拳を握りこんだ。

 そして最後にもう1人。


「わーたーしーはー?」


「と、言われてもなぁ」


 寝台にしがみつくポラリスを見て、僕は少し困った。なんせ彼女は、フェアリーが求めた同族なのだから。

 だが、それに対してダマルは意地悪そうに呟いた。


「フェアリーからは好きにさせろって言われてるぜ? どうすんだ?」


「じー……」


 今度は全員の視線が僕に突き刺さる。身体が穴だらけになったらどうしてくれるのだろうか。

 しかし、そう言われては彼女の願いを聞き入れない訳にも行かず、僕は大きくため息をついた。


「家があるなら、寝床には困らない、か」


「決まりッスね」


「だろうと思いましたけど」


 ケラケラとキメラリア達は笑い、やはりマオリィネとシューニャには呆れられる。

 今後がどうなるかはまだわからない。しかし、これが自分たちの生活を大きく変えるであろうことだけは確かであり、僕は穏やかな未来を思って小さく笑ったのだった。

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