第144話 揺蕩う陰謀論(後編)

「帝国は領土も人口も大きいけれど、土地の大半は農作に適さない荒れ地だし、鉱物資源も正直あまり期待できない。そんな状態で帝国を滅ぼして占領しても、私たちには何も残らないわ。飢えた人民を増やして、国を不安定にするだけよ」


 マオリィネは随分大局的に戦争を俯瞰しているらしい。正直、戦術的な面以外から戦争を見られない兵士としては、おぉ、と感嘆する話だった。

 確かに多くの戦利品は、一時的に国内を戦勝好景気に沸かせるだろう。だが、その後に残る負債が余りにも大きすぎる。


「神国もそういう状況なのかい?」


「オン・ダ・ノーラは確かに砂漠で農耕には向かんが、各地に点在する山から水路を引き込んで人工のオアシスを作る技術を持ってる。おかげで、環境なら明らかにあっちの方が厳しいのに、帝国よりも食料が潤沢なんだとさ」


「必要に迫られて伸びた灌漑技術って感じだな」


 ヘンメが鼻で笑うのは帝国の現状をよく理解しているからだろう。隣で大衆に近いセクストンが苦々しい顔を作り、逆に天上人と言えるエリネラはそーなのか? と首を傾げるという、一種国家の縮図が見て取れた。


「じゃあ帝国が停戦を申し出たとすれば」


「多額の賠償だけで戦いを終わらせられるだろうな。それで国民は余計に飢えるとしても、徴兵された連中が戻ればその内食料生産もうまくいくようになるかもしれん。だが帝国はそうしない。何故だ?」


「カカッ、分かりやすい話じゃねえか。帝国からすりゃ、王国も神国もびっくりするぐらいの御馳走だぜ? それも攻め込んでこねぇのがわかってるから負けもねぇ。そこに盤をひっくり返せる奥の手があったなら――」


「まったく、ダマルが有能ってのもあながち嘘じゃないらしいな。そうだ、俺はそう読んでる」


 帝国に戦争を終わらせたくない理由があるとすれば、話は大きく変わってくる。ヘンメは素早くそれを見抜いたダマルに、感心とも呆れともつかぬ表情を向けていたが、それは自分も同じだっただろう。

 とはいえ、ミクスチャを奥の手として使うなど正気の沙汰ではない。仮に生み出せたとしても、生態も不明な怪獣を制御できる保証はなく、下手をすれば自国を亡ぼすことになってしまう。

 とはいえ、問題はその話がどこに繋がるのかがわからないことだったが。


「しかし、自分に何をしろと?」


 この無頼漢がどういう人物なのかはともかく、わざわざ帝国軍人を連れて王国くんだりまで追跡してきた理由は特に気になる。何せグランマの影がちらついているのだから、最大級の警戒が必要であろう。

 そんな自分の心情を知ってか知らずか、ヘンメは煙草に火をつけながら口の端で笑った。


「言っただろう? 知っておいた方がいいってだけだ。これは証拠もない俺の独り言で、それこそ明日の天気みたいなもんさ。誰にも分からん。そして、知ったからと言って何ができるものでもない。ミクスチャを倒したお前たち以外にはな」


「備えておけと言うことですか」


 確証がないとはいえ、彼の言をないがしろすることはできなかった。それは一種、いつ来るかもわからない、一生来ないかも知れない大災害に備えろと言うのに等しく、予防で自分の大切なものが守れるのならば否やはない。


「王国が攻め込んで帝国を滅ぼすなら気にすることもないが、こんな与太話を誰が信じて割に合わない戦いを挑むわけもないだろう。なぁトリシュナー令嬢」


「……そうね。私がガーラット様に伝えたところで、軍を動かして攻め込むなんてできるわけないわ」


 ヘンメの言葉にマオリィネは危機感を募らせているのか、動かせない軍隊という自らが発した言葉に対し苦虫を噛みつぶしたような表情をしていた。

 しかし、ヘンメは表情を変えないままこちらへと向き直ると、シューニャの手元にある報告書を指さして真面目な口調で言った。


「だが、お前らは群体ミクスチャを倒した。だからグランマはお前に情報を渡すって形で保険をかけたかったんだろうさ」


「僕が戦わないとは思わないんですか? その方が皆に危険が及ばないなら、僕は迷わず逃げますよ」


「俺はグランマじゃねえ。あくまでお前に恩返しのつもりで、を伝えに来ただけだ。お前がこの与太話をどう扱うか、そこまでは干渉しねえよ」


 情報を与えるのは一致した意見だったが、ヘンメはグランマと同じ考えではないとハッキリ告げる。それを信じるかどうかは悩んだが、シューニャが隣から、信じていい、と袖を引いてくれたので、僕はようやく肩の力を抜けた。


「……わかりました、情報は確かに受け取ったとグランマには伝えてください」


「そう気怠そうな面すんなよ。俺はエリたちと帝国に戻って色々調べてみるつもりだ。何かわかれば、コレクタユニオンを経由して情報をそっちに流す。お前らもいいか、これは帝国の名誉のためだからな?」


「自分は何も聞いてません。ええ、聞いていませんとも。これでいいんでしょう?」


「お、おう」


 石頭と呼ばれるセクストンが、あまりにアッサリと了承したため、もう一押ししておこうしたらしいヘンメがつんのめったようになる。

 そしてその様子が可笑しいのか、いつもの対応に不満があるらしいエリネラは、ここぞとばかりにセクストンを煽った。


「へぇ? 頑固な癖にヘンメの言うことは聞くんだセクストン。なんで? ねぇなんで?」


「将軍の軽そうな頭と一緒にせんでください。この場で必要な臨機応変さくらい自分にもあります」


 だが、それも慣れっこらしい堅物騎士補は、確実に毒を混ぜつつそれを受け流す。

 そしてその毒に耐性を一切持たない、いや耐えようという発想そのものが存在しないエリネラは平常運転で噴火し、セクストンの眉間に人差し指を突きつけた。


「軽そうってなにさ!? セクストン君、この際ハッキリ言っておくが、あたしの方がものすっごく偉いんだぞ! 色々酷い目に遭わされたくなかったら、その態度を改めたまえ!」


「貴女の秘書になったことがこれ以上ないくらい酷い目なんで、できればどこぞの百卒隊にでも左遷してくれませんか」


 エリネラの権力ならば、セクストンの人生を狂わせるくらい容易いだろう。そんな存在に対し少しは委縮してもいいものだが、肝が据わった騎士補は簡単に心中をぶっちゃける。

 そんな対応にエリネラはしばらくフーフーと怒気を吐いていたものの、セクストンから冷徹な視線を向けられ続けた結果、しおしおとその場にしゃがみこんで地面をつついた。


「ねぇ泣いていい? あたしだって女の子なんだぞ。もうちょっと優しくしろよぉ」


「人をポンポン燃やすようなのに女子宣言されてもなァ」


 ダマルが優しさの欠片もないことを口走れば、ファティマがサンドイッチを食べ終わった手を叩きながら首を傾げて見せる。


「そうですか? いいじゃないですか、火とか水とか噴いても」


「いやお前も大概だし――剣の柄に手ぇかけんな! そういうとこだぞ!」


 薄笑いを浮かべるファティマが、今にも跳躍するように身体を縮めたため、ダマルが慌てて宥めにかかる。

 その様子を見ていたヘンメは、ククと小さく笑いながら僕へと向き直った。


「まったく、退屈しねえ連中だな。お前らはこれからどうすんだ?」


「テクニカでやることがありまして、それが片付いたら落ち着ける場所を探そうかと思ってますが」


 まだ確定した話ではないが、翡翠の修復が完了すればしばらくどこかに腰を落ち着けるのも悪くない。ファティマには以前にも話した内容だが、彼女以外の皆は揃って驚いたような表情を浮かべており、その中でもマオリィネには相当な衝撃だったらしい。


「キョウイチ、貴方、どこかに定住する気があったの!?」


「あ、あぁ。将来のことも考えれば、流石にいつまでも装甲車で根無し草って訳にもいかないだろう。コレクタとか以外で食っていきたいし」


「ご主人ならどこでもやっていけると思うッスよ。強いってそれだけでお金になるんスから」


「できれば命のやり取りがない職場がいいんだが……」


 職業軍人だった自分に、戦う以外で自分にできることは少ない。だからこそ困っていたのだが、これにも何故かマオリィネが食いついた。


「ねぇ、貴族になるとか、興味ない?」


「貴族」


 突拍子もない提案に、僕はオウム返しをすることしかできない。


「貴方の武勲を女王陛下に伝えれば騎士くらい簡単よ。それで……た、例えばだけど、どこかの貴族に婿入りしたりすれば、正式に爵位を得られるわけじゃない?」


「婿入り」


 とんでもない言葉が飛び交う状況に、既に思考がパンクし始める。

 少なくとも貴族にせよ婿入りにせよ、それは現在に至るまでの自分に縁のある言葉ではなかったはずだ。

 だが、これこそ最良だとばかりに、マオリィネは自慢げに目を閉じて語った。


「新たな爵位を得た後で騎士を辞めてしまえば、戦争へ直接参加する義務はなくなるし、そういうのは配下とかに任せるの。これなら血生臭くはないでしょ? どう?」


 どうと言われても、前提がおかしい話だと僕は首を振った。


「いや、まず女王陛下とやらに謁見するのは、秘密的にダメじゃないか。仮に上手く隠し通したとしても、どこの馬の骨ともわからん男を婿入りさせてくれる貴族なんてないだろう?」


「リビングメイルと一緒に来てくれればいいだけじゃない。それに婿入り先は私が責任もって探してあげるわよ? 最悪駄目でも……私はまだ未婚、だし」


 途中までこれでもかと自信満々だったのに、途中から彼女は琥珀色の目を泳がせはじめ、最後にはうつむき気味でモニョモニョ呟き、僕には全く聞き取れなかった。


「すまない、最後はなんて言っ――」


「ああぁぁああああ貴方を求めてる先もあるってことよ!!」


 かと思えば真っ赤な顔をこちらに向けて両手を突き出してくる。突然の奇行に思わず身を引いてしまったが、それでも自分の意見を思い出してなんとか踏みとどまった。


「い、いや、そもそも僕は結婚と言うのはまだ考えてなくて、というかあまり考えられないというか」


「そんなこと言ってると婚期逃すわよ?」


「ぐぅ……ッ! い、いや、確かにそうなんだが……ちょっと色々ありまして……」


 心に茨の棘が突き刺さった気がした。身体のどこに心が存在するかなど知らないが、何故か咄嗟に胸を押さえながら身体をくの字に曲げてしまう。


「おい、このヘタレ血ぃ吐いて死ぬぞ?」


 ダマルはカタカタうるさく笑うが、今ばかりはどんな形でも援護が欲しい。骸骨に言われるまでもなく、今まさに致命の一撃を受けたところなのだから。

 しかし、マオリィネは頬に赤みを残したままで、いつも通りに長い黒髪をふわりを払い、いいじゃない、と続けた。


「婚姻を結んで子を設けるのは自然な事よ。貴族なら側室を複数人持つことだって不思議じゃないし、血脈を繋いでいくことに不満でもある?」


「だから色々あるんだ……僕ぁまだ家庭を持つつもりはないし、仕事は追々なんとかします」


 思い出しそうになる黒い影を振り払い、僕はスープを一息に飲み下して話を断ち切った。

 それにマオリィネは不満げな顔を浮かべていたものの、こちらの下手糞な笑顔を見たからか渋々引き下がる。


 ――結婚ね……片付けられる日が、僕にもくるのだろうか。


 少しだけ浮上した悩みに頭がモヤモヤする。

 ただ、自分の思考に沈んでいると、後ろから何者かの声が聞こえた気がした。


「作戦失敗。切り出しは自然でよかったッスけど、むしろ問題が大きくなったッス」


「ぽっと出がメスの顔をしてましたからね。ライバルを増やしちゃいました」


「最早アレはこちら側の人間。彼女を含めて新たな作戦を可及的速やかに検討する必要がある」


 囁き声は風に乗って消えていく。

 ただ、こちらをボンヤリと眺めていたエリネラは何を思ったのか、露骨に渋い表情を作り、ヘンメとセクストンも視線を逸らしていた。


「アマミさぁ、なんか君のチームはどす黒い物抱えてる気がするよ」


「ややこしいことに巻き込まれる前に、俺たちはそろそろおいとまさせてもらうわ。グランマにも報告せにゃならんしな」


 馳走になったと言ってヘンメが立ち上がれば、セクストンはいそいそと手荷物を肩に担ぎあげる。

 唯一何も手にしていないエリネラだけは、何故か笑顔を輝かせながら僕の前に仁王立ちになったが。


「ひっさしぶりに全力でやって負けたけど、楽しかったよアマミ! 今度はぜーったい負けないかんね! あ、今度もリビングメイルはなしでね?」


「もうやらないよ。僕だってできれば痛い思いはしたくないんだから」


「えー!? アマミだって人を思いっきりぶん投げた癖にぃ、勝ち逃げはズルいぞ!」


 納得いかないと、赤い目が下手くそに睨んでくる。

 これが業火の少女レディ・ヘルファイアなどという物騒な二つ名を持たない娘であれば、ただただ可愛いだけだったのだろうと思う。膨れた小麦色の頬をつつけば、素直にしぼんでいくのだから。


「むぅー、いーじゃんか……意地悪だなぁ。ねぇセクストン?」


「意地悪と言うより、子ども扱いされてるんですよ」


 自分はどうにもセクストンには嫌われていたらしい。何か恨みでもあるのか、と聞きたいが、元々敵対なのだから仕方ない気もする。


「誰が子どもか――あいったぁ!?」


 再び感情を燃やして跳びあがろうとしたエリネラだが、タイミングを合わせたように降って来た拳骨が旋毛つむじに直撃したため、その場で呻きながら蹲った。派手な衝撃音がしたので、相当痛かったのだろう。


「別れの挨拶も碌にできんのかお前は。悪いな、最後まで騒がしくってよ」


 プラプラとを振って、すまなさそうに笑うヘンメ。僕としては騒がしさよりも、金属製の義手が直撃した彼女の頭が割れていないかが気がかりだった。


 ――殺し合った相手の心配か。なんというか妙な話だなぁ。


 そう思って僕は後ろ頭を掻いたのだが、最後までマオリィネは警戒感を消しきっていなかったらしく、ヘンメに目を細めて警告を告げる。


「寄り道せずに行きなさいよ。王国領でのんびりしてたらからね」


「そりゃ堪らんな。んじゃお前さんへの借りに、1つ担保を付けとくか」


 ヘンメはまるで悪戯を思いついた悪童のように、表情を歪めてマオリィネに歩み寄ると、身構える彼女に対して何かしらの耳打ちをした。

 途端にマオリィネの覇気がしぼんでいくのがわかる。代わってでてきた感情は困惑か羞恥かそれ以外か、そちらは読み取れそうもない。

 だが、その表情に満足したらしいヘンメは彼女から身を離すと、片手を挙げて踵を返した。


「さて、それじゃあ行くか。お前らも気をつけてな」


「では……できれば戦場で会わないことを願っています」


ー!」


 セクストンは律義に姿勢を正して小さく頭を下げ、エリネラはパタパタと両手を振りながら、ヘンメの後に続いて去っていく。

 景色の中に残る赤いツインテールがやけに印象的だったが、それは一種の忌避感に近いかもしれない。


「もう来てほしくないんだが」


「癇癪玉みてぇに騒々しい奴だったな。俺たちも行こうぜェ」


 僕のげんなりした呟きに、ダマルも疲れたように携帯灰皿で煙草をもみ消しつつ、撤収だと女性陣に声をかける。

 この場で帝国の大将軍と大立ち回りを演じても、ミクスチャと帝国の謎が深まろうとも、自分たちが直近で考えなければならないのは、テクニカの地下を調査することに代わりはないのだ。

 考えても仕方がないと、僕は一切を頭の片隅へ追いやってから皆の後に続こうとしたのだが、1人呆けたままのマオリィネに気付いて足を止めた。


「マオ? どうしたんだい?」


「えっ!? あ、ご、ごめんなさい、なんでもないのよ。行きましょう?」


 目の前に立って話しかけたのに、彼女はビクリと身体を跳ねさせて驚き、しかもやけにギクシャクした動きで逃げるように玉匣の中へと入ってしまった。

 どうせ狭い車内では隠れる場所もないのだが、素早く定位置である後部座席に身を委ねると、何か胸を押さえながらフゥと息を吐いていた。


 ――まぁ、聞かれたくないことくらいあるか。


 あまり人の心に土足で踏み込むものではないか、僕はダマルに出発指示を出してから、いつも通り周辺警戒のために砲手席へと滑り込んだ。


「ヘンメさんも火種作っていきますね」


 だというのに、珍しくファティマが上部装甲へ登る途中に声をかけてきた。

 それも、なんだか不機嫌そうに尻尾を左右へ大きく揺すり、大きな耳を斜め後方へと傾けながら、である。


「……どういうことだい?」


「生き方は自由って話ですよ」


 そう言うと彼女は、こちらの返事を待たずにハッチから出て行ってしまう。

 曖昧な言葉だけで自分のポンコツな頭が何かを察せられるはずもなく、僕はひたすら困惑するばかりだった。

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