第294話 白魔女脱走中

 わたしは歩く。どこかをめざしているわけでもなく。

 わたしは進む。なにかをさがすつもりもなく。

 ただ、かるい石をけっとばしながら、ひとのいないほうへと。


 ――キョーイチはオトメゴコロがわかってない。


 キョーイチもみんなも、いまは戦争にいそがしいことくらいわかっている。わかっていたから、わたしもお手伝いがしたくて、ガンナーをさせてほしいって言ったのだ。おもっていたよりあそこのイスはかたくて、ずっと乗っているとお尻がいたくなったけれど。

 でも、キョーイチはいままでと何にも変わらなかった。やさしいし甘えさせてもくれるけれど、わたしがいちばんほしいのはそうじゃない。

 だから、温泉をさがしにいきたいなんて、どこにもホンネがないワガママだとわかっていても、それをダメだといわれた時、わたしはこんなにもスネてしまったのだと思う。


「……オトナになるって、どうしたらいいのかなぁ」


 ながい時間がたてば、きっとオトナにはなれるはず。だけど、それはキョーイチたちも同じでわたしはぜったいに追いつけない。

 じゃあ、キョーイチからすれば、わたしはずっとコドモなのだろうか? だとすれば、ずっとオヨメサンになんてなれないじゃないか。

 みんなはわたしよりオトナなのだ。アポロ姉ちゃんは背の高さはほとんどかわらないけど、あのおっぱいはやっぱりオトナだし、シューナはみんなのなかだと小さい方だけど色々知ってるし、いつも落ち着いててすごくオトナっぽいと思う。ファティ姉ちゃんとマオリーネはいうまでもなく、わたしとはぜんぜんちがう。

 キョーイチはわたしのことを大事にしてくれているけど、みんなに向ける大事とそれは同じなのだろうか。わたしにはよくわからないし、考えれば考えるほど胸のなかがグチャグチャしてくる。


「んー……んんんあぁぁぁッ! やっぱりわっかんないよぉ!」


「何がそんなにわからないんだい?」


 とつぜん聞こえた声に、体がビックンとはねた。

 あわててぐるぐる周りを見回してもだれもいない。あたりまえだ、誰にもみえないようなところまで走ってきたのだから。

 でもまちがいなく声はきこえた。まさかオバケということはないだろうけれど、なんて思いながらそっと自分を抱きしめる。

 するとその声はクスクスとわらいだした。


「ふふふふ、そんなに怖がらなくても大丈夫さ。別にとって食べたりする気はないよ」


「うぐ……べ、べつに怖がってないし!」


 なんとなくバカにされている気がして、わたしは姿の見えないその声にムッとくちびるを尖らせる。ただの強がりなので、岩にせなかを当てながらではあったけど。


「そいつは結構。それで、お嬢ちゃんはこんなとこで何してんだい? ここは子どもが1人っきりで来るような場所じゃないだろう」


「――ッ! わたし、子どもじゃないもん!」


「おやおや、そいつは悪かったねぇ。私としたことが、随分意地の悪いことを言ったよ」


 はじめて、その声がどこにいるのかわかったように思う。たぶんだけれど、わざとわたしにわかるようにうごいたから。

 怖さを強がりで隠していたわたしは、おそるおそるせなかを当てていた岩の向こうを覗き込む。

 そこに居たのは、自分とおなじように岩へもたれた女の人。

 みおぼえなんてなかったけれど、すらりと高い背と口にくわえたタバコから、オトナであることはまちがいなかった。

 その人はぷかりとけむりを1つ吹いてから、ほそい目でわたしのことをチラリとみたのである。



 ■



 ヘッドユニット上に踊る有毒ガス注意の文字。

 特有の臭気は、風向きが変わった事で火山性ガスが野営地に流れ込んだことによるものだろう。翡翠のシステムを信じるなら、少なくとも害を及ぼす程の濃度には至っていない。


 ――だが、急いだほうがいいだろうな。


 野営地を離れた僕は、青白い光を地面に吹き付けながら、地面を舐めるように低く翡翠を飛ばす。

 開けた場所にあっては無害な濃度かも知れないが、火山性ガスは空気より重いため、窪地に高濃度で滞留する事例は聞いたことがある。

 ポラリスが何を思って駆けだしたのかはわからない。だが、その理由を聞くことは連れ戻してからでも十分なのだ。


『ハズレか。なんだい、あの重機みたいなカニは』


 野営地の外に見えた生体反応を辿ってみるも、そこに居たのは青銀色の髪をした少女ではなく、人間程の大きさの甲殻類だった。

 似ている見た目で言えばシオマネキ。ただ、普通は大きなハサミを持っているはずの片腕には、何やら太い杭のような部位がついており、それを振動させているのか突き刺しているのか、とにかく岩を破砕しながら反対の小さなハサミで何かをモソモソ食べている。

 はつりガニとでも呼べばいいだろうか。久しぶりに目にした奇妙な生物だったが、今はそれどころではないため、無視して別の反応へと進路を変えた。

 だが、悪いのは自分の運か判断か。行く先々で見つかるのは茶色い毛並みの兜狼ヘルフに、群れからはぐれたらしき軍獣アンヴ、地面にへばりついて休む小さいエイのような生物の集団、挙句は背中から2本の樹木を生やしているウサギに似た大柄な生物が、苔玉のような体をワサワサ揺らしながら駆けて行く始末。

 そんな光景ばかりが繰り返されていれば、いい加減頭も痛くなってくる。自分は別に、現代産珍生物を探しに来た訳ではないのだ。


『くそ、余計な情報ばかり……』


 軽く毒づいてみたところで、当然ながら返事はない。

 ただ、既に近場の光点はあらかた探し切ってしまっている。

 となれば、必然的により遠い場所ということになるのだが、野営地からの距離を考えるとこの短時間に移動できるとは考えにくい。

 僅かな焦りが心の中に芽吹く。ポラリスの身に何かあったのではないか、あるいは相当思い詰めているのではないか。


『――ポラリス』


 噛みしめるように呟きながら、僕は強く地面を蹴って再び跳ぶ。

 今は立ち止まっていたって仕方がないのだから。



 ■



「ポラリス様が!?」


 状況が状況でなかったら、俺は大爆笑していたと思う。

 普段は岩石のように落ち着き払っているヘルムホルツだが、ポラリスの名前を聞いた瞬間驚愕と興奮の入り混じった大声を響かせる。

 別にそれだけなら何の不思議もない。何せあのちっこいのは、連中の信仰対象とでも言うべきフェアリーにとって、世界にたった1人の同族なのだから。

 ただ、その厳つい顔の猪男が、まさか鼻の穴に布を突っ込んだ間抜けな姿で出てくるなど、誰が想像するだろうか。一応にもこいつはテクニカ最強の武将だったはずなのだが、今はそんな威厳などこれっぽっちも感じられず、俺は自らの感情を緊急事態だからと必至で抑え込まねばならなかった。



「あ、あぁ。急に飛び出しちまってな。こんな状況の中で悪ぃんだが、野営地の中を探してやってくれねぇか」


「もちろんだ……皆聞いたな! 動ける者は直ちにポラリス様の捜索へ向かえ! わかっているだろうが、たとえ見つけても無茶なことは絶対にするでないぞ!」


 言葉の最後に、ポラリスにかすり傷の1つでもつけたらその首へし折ってくれる、という脅しが続いていたような気もするが、鼻声ではどうにも締まらないものである。

 だからなのかはわからないが、命令を受けたヴィンディケイタ達は鼻のいい者を残し、瞬く間に四方へ散っていった。


 ――まぁ、野営地の中にゃ居ねぇような気もするがなァ。


 迷惑をかける、ともう一度ヘルムホルツに頭を下げてから、俺は彼らのたむろしている天幕を出て、入口の横で揺れる黒髪を横目に小さくため息をついた。


「あのおチビは、一体何が気に入らなかったのかねぇ?」


 ガントレットの手のひらでアークライターを弄びながら、行くぞと言えば、マオリィネは俺の横に並んで歩きだす。


「はぁ……全然見当がつかないわ。今までは、あんな無理言うことなかったのに」


「中心的な教育役だったお前がわからねぇんじゃ、完璧にお手上げだな。ただでさえ、ありゃ普通のガキじゃねぇんだしよ」


 俺には子どもの気持ちという奴がよくわからない。それもあのポラリスとなればなおさらである。

 だからこそ、なんだかんだで最もポラリスと接しているであろうマオリィネに考えてもらっていたのだが、彼女がガックリと肩を落としているようでは、本人に聞いてみる以外に理解のしようがない。

 だから俺は、その一言をもって思考を放棄するつもりだったのだが、隣を歩いていたマオリィネは不意に立ち止まると、静かに顎へと手を当てた。


「……そう、かしら?」


「あん? 何が?」


「ポラリスは確かに扱う魔術も桁外れだし、知識を飲み込む速度や直感の鋭さも天才的かもしれない。それでも、中身は普通の女の子なのよ」


 どこか遠くを見るような琥珀色の瞳に、俺はガチャリと鎧を揺らして向き直る。

 ホムンクルスという兵器として生み出された歪な存在。元となった遺伝子はマキナの制御システム開発における天才、ストリ・リッゲンバッハ。この2つが事実であることは今更疑いようもない。

 だが、俺の存在しない目に映っていたあの白いおチビは、果たしてそれだけだったのか。

 一瞬の自問に、俺は痒くもない頭を意味もなく兜越しに掻いた。


「普通の女の子、か……そうかもしれねぇな」


 俺はポラリスの能力を買い被っていたつもりはない。

 だが、それは成績表に乗る数字の部分に過ぎず、そうでないメンタルの部分については、自分が思っていた以上に歳相応か、あるいは年齢よりも幼いくらいにガキなのだろう。

 ならば我儘の1つや2つ、ないほうがおかしいのだ。それも戦場という狂気の日常に引っ張り出されなければ、想い人と一緒にいることすらできないのだから。

 自分は恭一のように甘ったるくはなれないが、それでも兵士という肩書は変わらない。

 だからだろうか。こんなにも己が情けないと思ってしまうのは。



 ■



「はっはっはっは! そうかいそうかい、そいつはなかなか困った旦那様だねぇ!」


「あー! わらわないって言ったのにぃ!」


 おなかの底から出てきたような笑い声に、わたしはほっぺたをふくらませる。

 山をあるきながら話をきいてくれたのはいいが、いきなりやくそくを破るのはだめだろう。

 しかし、そのモーガルと名乗った背の高い女の人はオトナであり、わたしがふくれたところでゴメンゴメンとやっぱりわらう。

 ただ、それなのに嫌な感じがしないのはフシギだった。


「まぁでも、ホントのことじゃないか。アンタはまだ成人してないんだから、子どもだって思われるのが普通だよ」


「それは――! そうかもだけど……でも、それじゃわたしだけ、どんどんおいていかれちゃうもん」


「年齢ってのは残酷だからね。でも、悪いことばかりじゃないよ? アンタは他の連中が私みたいなオババになったとき、1番若くて綺麗な娘でいられるじゃないか」


 少し考える。

 そう言われてみればたしかにそうだ。わたしがオトナになったとき、みんなは7さいとか10さいとかちがうんだから、もうシワシワになってるかもしれない。言ったらぜったいおこられるから言わないけど。

 でも、それはやっぱりずっとずっと先のことで、わたしはそうじゃないと首をよこにふった。


「でもさでもさ、ショーライのわたしはそれでいいかもだけど、今のわたしのことをちゃんと見てほしいんだよぉ」


「なんだい、欲張りな子だねぇ。ま、気持ちはわからなくもないけどさ、でも生きてりゃいつかは絶対成人するんだ。子どもで居られる間は、子どもで居たほうがいいと思うけどね?」


 そう言って、モーガルはなんだかなつかしそうに笑う。

 けれどわたしには、なぜ子どもでいたほうがいいのかがわからない。そうじゃなくてもキョーイチもみんなもオトナだから、わたしだけナカマハズレなのに。

 そう思うと、どうしてもくちびるはとがってしまう。


「んむぅー……ねぇ、セージンっていくつになったらできるの? 20さい?」


 オサケトタバコハハタチカラ。オトナニナルマデダメナンダヨ。

 ちゃんとおぼえていたわけではないけれど、ずっとむかしにトードーがそんなことを言っていたような気がする。ならきっと、セージンというやつは20さいなのだろうと思ったのだ。

 けれど、わたしがそう言ったしゅんかん、モーガルはなんだかオバケでも見たような顔をした。


「……っ! アンタ……!?」


「どしたのモーガル?」


 はてな、とあたまをかたむける。そんなにビックリするようなことだろうか。

 するとモーガルはハッとした感じで、さっきまでより声を大きくしながらわざとらしく笑いだした。


「あ——あぁっハハハ! いや、なんでもない、なんでもないよ。それにしても20歳だって? そんなに遅れて成人してちゃ、どんないい女でも行き遅れになっちまうじゃないか! 成人は大体どこの国でも15歳、まぁ流浪してるような連中はバラバラだろうけどね」


 モーガルのかおをのぞきこんでみても、もうさっきみたいなフシギな感じはのこっていない。たぶん、むかしといまとでセージンがちがうことにビックリしたのだろう。

 でも、むかしのことはしゃべっちゃいけないってキョーイチに言われているから、わたしはセージンそのもののことにあたまをきりかえることにした。


「そー、なのかぁ……それでもあと5年……んむむむむ」


 どうしたって5年はながい。10年よりはみじかいけれど、なんだかとんでもなく先のことに思える。

 けれど、時間をちぢめるやり方なんて思いつくはずもなく、それでもあきらめられなくて、わたしはむーむーとうなりながら歩いていたのだが、それも急にほっぺたをつつかれておわりになった。


「ほら、いつまでも唸ってないで、ついたよ。ここが私の寝床だ」


「ほぇ? って、おおぁ! すごい、どーくつだ!」 


 ガケにぽっかりと口をあけた黒い穴。

 それはゲームの中のけしきのようで、わたしがいままでうなりながら考えていたことは、どれもこれもあっという間に吹き飛んでしまったのである。

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