激動の今を生きる

第268話 穏やかならざる玉座

 迷宮都市の名を持つ帝都クロウドンの市街地では、戦勝を祝う祭りが盛大に催されていた。

 それも当然であろう。長年に渡る南の仇敵、オン・ダ・ノーラ神国を打ち破ったことで、金属資源とオアシス農業を中心として栄える広大な砂漠地帯全てが、慢性的な食糧難に喘ぐカサドール帝国を潤す糧となることが絶対となったのである。

 帝国臣民であれば、誰しもがそれを享受できるはず。人々は鬱屈とした生活の終わりを夢に見て、南の前線から凱旋のために帰還した部隊を歓声で迎え入れた。

 帝国と並んで大陸の2大強国とされた神国が倒れれば、この地に敵足りうる国家集団はない。我が物顔で豊かな土地を独占するユライア王国も、金さえあれば敵にも利するリンデン交易国も、群れることで自治権などと叫ぶ小国群も、なんなら好き勝手に各地へ広がるコレクタユニオンやテクニカが束になったところで、最早帝国に敵いはしないのだから。


「おいあれを見ろ! 凄い量の戦利品だぜ!」


「こんなに蓄えていやがったとは、邪教徒どもが丸々肥えるわけだ」


「いいじゃないの。これで帝国は一層豊かになれるのだし、きっと労働力も奴隷で潤うわ」


 美しい鎧を輝かせ、雄々しく軍旗を掲げて進む兵たちの後ろから、虜囚となった神国の人々が脚を引き摺って続く。

 襤褸を着せられた男は鎖に繋がれて歩き、女子どもは獣車に乗せられた檻に入れられ、大衆から容赦ない罵詈雑言と嘲笑を浴びせられる。

 いくら不安と悔しさを滲ませようと彼らは敗者であり、それを煽る民草や悠然と進む兵たちは誰もが認める勝者だった。

 ともあれ、町中が訪れるであろう豊かな未来を思い描く人々によって沸き立つ一方、急峻な山を背にした皇帝が座す城の玉座は、重く冷たい空気が流れていたが。


「……妙なことがあると、人は思いの他笑えぬものだな。ええ、ルイス?」


 床に転がる銀の盃。跪いた初老の男は白い頭髪を赤紫色の酒に汚し、それに混ざって赤黒い液体が薄く伝う。

 それでも、ルイスと呼ばれた紳士は静かに顔を上げると、全く怯まない視線を皇帝に対して向けた。


「すべてはこの身の失策によるところ。されど、次の手は既に――」


「次? 2度も余を失望させておきながら、貴様はまだ次をと申すのか?」


 絶対者たるウォデアスの瞳は冷え切っており、ここで彼が顎をしゃくろうものなら、ルイスはこの場で生涯を終えることとなっていただろう。

 だが、悲願であった神国の制圧をこの短期間で成し遂げたのも、この男の功績であることは疑いようがなく、皇帝は押し黙った彼に対し小さく鼻を鳴らしただけで、豪奢なマントを揺らしながら玉座を立った。


「1軍を引き連れておきながら、たかが農民風情に大敗を喫したのだ。余は最早、あの醜い化物を最強などと認めはせん。されど、今一度どうしても汚名返上の機会を欲すると申すならば――よもや子飼いを出さぬとは言わんだろうな?」


「……寛大な御心、感謝いたしまする。次こそ必ずや、陛下に勝利の報をお届けいたしましょうぞ」


「これ以上泥を重ねぬよう精々励め。その首が惜しいのならばな」


 深々と頭を下げたルイスに視線を向けることもないまま、ウォデアスは悠然と玉座の間を去っていく。

 それを周囲で聞いていた近衛兵士達は、主たる皇帝の姿が見えなくなると、傍付きとして雇われていた謎の男もいよいよ斬られる日が近いか、などと小声で噂する。

 お抱えとなった者が何らかの失敗をしでかし、皇帝から流刑や斬首を言い渡されることなど、この城では特段珍しい話でもなく、兵士達からすれば季節ごとの行事のようなものに過ぎない。

 故に彼らは、ルイスに関しても最早結果は変わらないだろうと、僅かに憐みの視線を向けている。

 しかし、その男は何事もなかったかのように平然と立ち上がると、薄い笑みを口元に浮かべながら踵を返した。


「ヒヒッ、これでいい。全てが順調どころではない……最早、私の予想をはるかに超えた最高の展開だ」


「味方の敗北がそんなにおかしいかい。ルイス」


 彼が廊下へ出たところで、柱の影から険しい表情を浮かべた中年女性が姿を現す。

 モーガル・シャップロン。ヴァミリオン・ガンマのパイロットである彼女が、自然とルイスの半歩後ろへと並べば、彼は一瞥もしないまま淡々と言葉を紡いだ。


「当然だろう、彼以外に神代の存在が見つかったのだ。これで私もお前も、互いに悲願へ一層近づくことができる。それに比べれば国家などという愚鈍な連中や、キメラリアですらない人の命など、塵芥ほどの価値もありはしない」


「……今更否定はしないが、あの機甲歩兵は本当に化物だよ。私ゃとてもじゃないけど、アイツを生け捕りにする自信なんてないね」


 フードの中から平坦な声を漏らすルイスに対し、モーガルは呆れたように息を吐く。

 自らの息子、アラン・シャップロンは仮想空間訓練において高い操縦適正を認められ、特に近接戦闘ならばモーガルさえも凌駕する技術を誇っており、ヤークト・ロシェンナとの相性も抜群だった。

 しかし、英雄と呼ばれた本物の機甲歩兵は、彼をあっという間に、そして一方的に戦闘不能にまで追い込んだ。挙句、彼女にとって自信のあった長距離砲撃にさえ咄嗟に反応し、いとも容易く全ての攻撃を躱して見せている。

 おかげでモーガルの視線は酷く険しい物だったが、初老の紳士は歩みを止めると、身体ごと彼女へゆっくり向き直った。


「再侵攻に合わせ、ワースデルたちを出す。お前とアランはこちらに残れ」


「ッ――!? アンタ……そりゃ本気で言ってんのかい?」


「前回の戦闘でアランが敗北したのは、情報の不足から判断を誤り、敵に奇襲を許したことが最大の原因なのだ。今回はこちらも向こうの情報を得ている。しかも、仮に奴らが敗れたところで、こちらの計画に影響はない。それどころか、機甲歩兵の情報が集められるのだから、ここまで分のいい賭けはなかろう。なぁ、モーガル?」


 彼が人命をどうとも思ないことなど今更の事であり、ルイスに望みを託しているからこそ、彼女も現代の機甲歩兵としてこの場に立っている。

 だが、フードの影で口角を持ち上げて笑うルイスからは、ミクスチャを生み出していてもなお感じられなかった狂気が強く滲んでおり、モーガルはその様子に小さく息を呑んだのだった。



 ■



「おお、ロンゲン軍団長殿! よくぞご無事で!」


「う、うむ……よく、来てくれたな。残存部隊について、本国はなんと?」


 執務机の向こうより、先遣隊の若い指揮官が向けてくる、眩しいばかりの視線が痛い。

 自分は唯一の生き残りかもしれないが、言い換えれば戦場からうまく逃げおおせただけの臆病者である。それも帝国を裏切った前将軍からの言いつけに対し、一騎打ちで負けたからという理由までこじつけてのことだ。

 とはいえ、そんなことを口にしてせっかくの士気を挫くわけにはいかず、無理矢理表情を固めた上で鷹揚に頷きながら話題を逸らせば、彼はピシリと姿勢を正した。


「ハッ、ジョイ将軍麾下の残存部隊につきましては、グラデーションゾーンの前哨基地まで後退し、友軍補給部隊の防衛にあたれ、とのことです」


「なるほど……確かにユライアの戦い方を考えれば、補給路の護衛は必要か。承知した。準備ができ次第、すぐに向かうとしよう」


 これまで何度も刃を交えてきた相手の話である。それこそゲーブルを除けば、自分以上にユライア王国の戦い方を熟知する者は、帝国の中にもいないだろう。

 以前より帝国軍は数の上において、1つの軍だけで王国の総戦力を凌駕するほどだった。しかし、その補給能力は数に対して貧弱であり、防衛に特化した戦術と、豊かな食糧事情に支えられた精強な兵士、更にはテイムドメイルの存在によって、常に苦汁をなめさせられてきたのだ。それも今回に至っては、ミクスチャを用いるという外道の戦いを行ってもなお、帝国軍は敗北を喫している。

 だが、帝国にはまだ次がある。数多の命が失われたことは揺るがずとも、それは王国も同じはず。故に、この若い指揮官の到着は、自分にわずかな安堵を与えていた。


「こちらの防衛は、我らにお任せください。じき、シャーデンソン閣下の率いる本隊が合流される予定ですから」


「そうか。シャーデンソン閣下がいらっしゃったら、これを渡しておいてくれ。ユライアの戦力に関する情報だ」


 俺が引き出しからスクロールを取り出し、それを直接差し出せば、線の細い彼は、承りました、と言ってそれを懐へとしまった。

 これでウェッブ・ジョイ将軍の大敗も、全くの無駄とはなるまい。南伐を指揮したシャーデンソン将軍は、武勇だけではなく智謀も備えた人物であり、敵の手の内がわかれば対策をとることも可能だろう。

 長年の宿敵を自らの手で仕留められないのは、他国への征伐時にキメラリア・キムンと決着をつけられなかったよりも、なお悔しく思えてならない。だが、戦争にこれ以上の私情を持ち込むことは、平民から叩き上げでしかないこの身には過ぎたること。

 後のことは増援部隊に任せ、今はひたすら与えられた任務を果たすのだと自分に言い聞かせながら、俺は部下たちに命令を伝えようと腰を浮かせた。


「ところでロンゲン軍団長。ジョイ閣下とは、未だに合流出来てらっしゃらないのでしょうか?」


「合流? 閣下はあの戦い以来、未だに行方が知れんのだが……」


 首を傾げて妙なことを口走る若い指揮官に、俺は訝し気な視線を送った。

 早いうちにハレディ前将軍に敗北し、第三軍団が撤退に移る頃まで意識を失っていた自分は、王都での戦いがどのように推移したのかについては、運よく逃げおおせて合流できた味方の兵士から報告を受けただけで、詳細については理解していない。

 ただ、朝日に照らされて敗走する最中起こった、地面と空気をびりびりと揺すった凄まじい音と空高く立ち上がった分厚い雲は、自分に絶望を与えるのに十分すぎる衝撃だった。

 武人とは言い難いあの男は、最後まで戦場に留まるような誇りなど持ち合わせていないだろうが、大将旗が狙われるのは戦場の常である。ミクスチャすら全て倒されていたという報告が事実なら、五体満足で生きているなどまさしく奇跡だろう。

 だというのに、若い指揮官は何故か力強く頷いて見せた。


「ご安心ください。ジョイ閣下はまだご存命です。と申しますのも、我が部隊が救援に駆け付けられたのは、閣下がホウヅクを飛ばしてくださったからこそなのですから!」


「ははぁ、こちらの出した伝令兵にしては、随分早いと思っておりましたが、道理で」


 今まで黙っていたゲーブルが、隣から感心したような声を出す。

 第三軍団の保有していたホウヅクが、運悪く撤退中の混乱で失われていた為に、足の速い騎兵を伝令としてクロウドンへ向かわせたのだが、どうやら無用な心配だったらしい。それも皇帝陛下がシャーデンソン将軍に救援を指示したとなると、筆跡も蝋印もウェッブ将軍のもので間違いなかったのだろう。


「閣下はどちらにいらっしゃるか、聞いているか?」


「なんでも、敵の激しい追撃によって西への退路が断たれ、今は王国南部の山間に身を潜めていらっしゃるそうです」


「そうか。危機的状況ではあろうが、生きておられるのは間違いないのだな」


 別段、あの男を上官として尊敬していたわけではない。

 それでも王国からの苛烈な追撃を潜り抜け、未だ息をひそめながら退却の機会を窺っているのだと思えば、どうしてか少しだけホッとした。


「シャーデンソン閣下の本隊が合流次第、私は部隊と共に閣下の救出へ向かう予定であります」


「うむ……本来は俺が部隊を率いて行かねばならぬところだろうが、どうか閣下をよろしく頼む」


「お任せください! それではこれより、防衛の指揮に入ります!」


 若い指揮官は将軍の救出という重要な任務を任されたことに張り切っているらしく、一層凛々しい表情を浮かべると、きびきびした動きで踵を返して執務室から立ち去った。

 真面目な青年の背中は輝いて見え、中年と呼ぶべきこの身からは羨ましくも思える。

 ただ、特有の明るさを向けられながらも、己が心中に漂う暗雲は一層濃さを増した気がしてならなかった。


「軍団長、何か悩みごとですかな」


「……いや、自分が情けなく思えただけだ。気にすることはない。それより、全部隊に移動準備の指示を出さねばな」


 心配してくれる副官に感謝しつつ、それでも今はひたすら任務にあたるのだと頭を切替える。

 祖国が勝利する姿を、全く想像できないままで。

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