第64話 整備兵、叫ぶ

 金槌の音が森に響く。最初はリズムよく、徐々に失速して、最後は何者かの叫び声。


「くっそボケぇ! ピンがひん曲がってて抜けねぇ! 誰だ、こんなボロ履帯作りやがった野郎は!」


 ダマルの魂からの絶叫に周囲の木々から鳥が飛び、茂みで驚いたアンヴが足を止めても、整備兵の怒りは収まらない。

 かくいう僕も気持ちは同じである。


「もう次のブロックから外そう。部品が少ないなんて言ってられない」


「その前にアーク出せ! この出来損ないピン、焼き切ってやらァ!」


 車内から延長リールで電源線を引っ張り出してプラズマトーチを取り付け、ダマルに溶接面を投げ渡す。


「こっち見んなよ! 失明するぞ!」


 その言葉に覗き込んでいたシューニャとファティマが車内に隠れる。僕が車体の反対側に回り込めば、途端に弾けるような音が響き渡り、火花とストロボ光が飛び散った。

 バッテリーへの負荷が大きいこともあってあまり使いたくない工具、とダマルが言っていたことも頷ける。発電機として動作しているエーテル機関が、バッテリーの電圧低下を感知して唸りを上げた。


「う、うぉぇぇぇ……と、止まってくれてよかったッス……うぐ」


 バチバチと鳴り響く切断の音とは打って変わって、あまりに温度差が激しい唸り声が背後から聞こえてくる。

 振り返ってみれば、いつの間にか青い顔のアポロニアが近くの木に手をついて口から涎を垂らしていた。


「大丈夫――じゃあないよね」


「あれは無理ッスよ……吐いたら、ちょっと楽にはなったッスけど」


 へへへと微妙な笑いを漏らす犬娘の背をさすってやれば、またおえーと言いながら地面に腹の中身を流す。

 正直気持ち悪くなった時は、下手に我慢せずに全て吐き出した方が楽になることが多いため、僕は暫く彼女の背を撫でていた。


「うぅ、まさかまたこんな醜態を晒すとは思わなかったッス……もうお嫁にいけなぁい」


「前と比べればマシだろう」


「あれに関しては本気で忘れて欲しい……スぉぇっ」


 普段なら極秘の話題など出しただけで噛みつかれそうだが、流石にそんな余裕はないらしく僅かに首を振っただけで、再びこみ上げてきた残留物を口から吐き出す。

 ふと先日見かけた騎士のことを思い出した。

 彼女も全身から色々と液体が流れていた気がするが、流石に吐いては居なかったと現状のアポロニアと比較して苦笑してしまい、彼女にギッと睨まれる。


「人が苦しんでるのが面白いッスか」


「まさか。しばらく外の空気を吸っているといい。水とってくるからうがいもしなさい」


「うぅ、ご主人が優しいんだか非道いんだかわからないッスよぉ……」


 複雑な表情をしながら犬娘ははぁとため息をついた。

 このタイミングで先日の体液騎士様を思い出すのは、アポロニアに失礼だったと反省する。贖罪という訳ではないが、僕は車内に設けられた蛇口から水を汲み、ようやく胃の中を空にできたらしい彼女に手渡した。


「あ、ありがとッス」


 口の中をしっかり濯ぎ、はぁとまた大きなため息をつく。

 これで玉匣に対して嫌な思いを抱いたり、あるいは振動での酔い癖のようなものがつかないかが心配だった。医療嚢の中に酔い止めが入っていなかったことが悔やまれるが、基本ないないづくしなので諦めも早い。

 何処か遠くを眺めるようなアポロニアの表情を見ていると、ようやく車体を挟んだ向こう側からカーンという鉄の落ちるような音が聞こえた。


「っしゃぁ! 恭一、交換用のブロックとゴムパッド持ってこい!」


「はいはい」


 破断した履帯のブロックが外れたらしく、ダマルが歓声を響かせる。

 僕はまたも車内に戻って履帯の一部を引っ張り出し、それを骸骨に手渡せば次はマキナの出番だ。

 本来の使い方ではないとはいえ、人間よりも圧倒的なパワーを発揮し、かつ人間並みの器用さを持っているというのは、工具として扱うにしても非常に便利なのである。

 外れた履帯を点検して異常がないことを確認すれば、やっとのことで復旧作業にとりかかる。ダマルが車内へ入ってシューニャとファティマを追い出し、僕は履帯の端をバールで保持しながら無線を飛ばした。


『左前進もうちょい――停止!』


 動輪に履帯を巻き込ませ、車両の動力で送り込みながら間にある転輪から外れないように位置を調整し噛ませていく。やがてそれは全周を巻き込み履帯の両端が車体前方で結合できる状態になった。

 再びダマルが車内から出てきたかと思えば、今度は勢いよくハンマーを振るう。

 履帯に連結用のピンを打ち込んで固定すれば、最後に遊動輪で全体の張り具合を調整だ。


「シューニャ、おにーさんたちが何してるかわかります?」


「修理しているということしかわからない。でも興味深い」


 汗腺などどこにもないはずが、ダマルは汗だくになりながら履帯を張り、僕はマキナ姿でラチェットを用いてボルト締め。

 その異様な光景にファティマは首を傾げ、シューニャは瞳を輝かせた。

 唯一興味を示さなかったのは、相変わらず遠くを見つめて呆けているアポロニアくらいだった。


「あ゛ーっ!! くっそ、なんつぅ重たいトルク設定してんだよ! ファティマ、手伝え!」


「えっ、ボクですか? どうしたらいいんですか?」


 ダマルは長いトルクレンチに体重までかけているものの、調整ボルトの規定トルクがかからないらしい。否、骸骨ボディが軽すぎるのが原因だった。

 そこで動員されたのがパワーファイターのファティマである。


「これ回せ! ガチッていったら力抜けよ!」


「はぁ、よくわからないですけど――じゃあ行きますよ」


 流石はキメラリアの馬鹿力と言うべきか、トルクレンチで最終調整をするダマルが驚いていた。そして突如工具を握らされたファティマも、おぉと何かに感心している。


「よぉし、終わった。あぁくそ、これだから全装軌車は嫌いなんだよ。こいつを装輪装甲車として設計しなかったボケナスは、世界中の整備兵に伏して詫びるべきだ……あぁもう地に伏してるわな」


 俺のお仲間だぁ、と1人でカラカラと笑うダマル。その苦労は痛いほどよくわかった。

 何せ整備工場での作業ならばいざ知らず、一切設備のない野戦地での作業を考えれば、全装軌車というのはとにかく不便なのだ。

 加えて車両を放棄して行動するという選択肢がとれないため、状況は前線よりもなお酷いと言ってもいい。

 しかし骸骨の心中など、一切気にしない者たちも居る。


「ホントにカチカチ言うんですね。これどういう意味なんですか?」


「待って私も知りたい。ダマル、全てに関して説明を求める。そのカチカチとはどういう――」


「うるせぇー、一仕事終えたんだ。酒持ってこい、俺はもう今日運転したくねぇ」


 ファティマはトルクレンチが規定トルクを知らせる軽い衝撃が気に入ったらしく、シューニャはいつも通りの知的好奇心を発揮してダマルへ食らいついた。

 無論骸骨にそんな心の余裕などあるはずもないため、工具を片付けながらしっしと2人を追い払う。


「教えて欲しい」


「ねぇ、いいじゃないですかぁ」


「嗚呼……冷えたビール飲みてぇ」


 完全に取りあうつもりのないダマルを追って車内に戻っていく2人。その様子を車外から見守っていたアポロニアは、マキナ着装姿の僕に向き直って小さく零す。


「便利ってだけじゃ無いんスねぇ」


『複雑な道具は直すのも大変だから』


「どーやったらそんなものを作ったり直したりできるんスか。想像もつかない世界過ぎるッスよ」


『まぁ……仕事だったからね』


 特に不思議なこともない、と僕は肩を竦める。

 しかし僕の曖昧な答えに、アポロニアは不思議そうに首を傾げた。


「ご主人って元々兵士だったんスよね?」


『ああ』


「昔の兵士って皆こんなことできたんッスか?」


『どうだろう。歩兵は必然的にできる人が多かったと思うけど、空軍や海軍はなんとも言えないな』


 自分には戦車兵としての経験があるわけではない。しかし、機甲歩兵という立場からシャルトルズに乗車することは何度もあったために、履帯の破断や脱落、なんなら敵の攻撃で破壊されたことは1度や2度ではなかった。

 それが戦闘中ならば機甲歩兵は防衛を強いられるため修理とは無縁だが、安全圏を移動中に発生した場合、乗組員総出で作業をするのは当然である。

 おかげで僕は否応なく修復方法を叩き込まれており、だからこそ少人数で素早く修復を終えたダマルの能力に驚かされた。

 とはいえ、現代人にそれを理解しろというのは無理がある。実際アポロニアもこめかみを押さえて、渋い顔を作っていた。


「質問に質問重ねて申し訳ないッスけど、クウグンとカイグンってなんスか。できれば共通語で喋ってほしいッス」


『……まぁ、昔の人は空を飛んだんだよ。うん』


「へ?」


 完全な無知に知識を与えるのは難しい。シューニャのような、ずば抜けた応用力と吸収力をもつ秀才でさえ苦戦するのだ。

 その事前知識がまったくないアポロニアにとって、僕の話は完全にキャパオーバーだった。兵士という共通点を見出した努力は認めるが、名前以外の要素が異なりすぎて繋がらない。今頃アポロニアの脳内では、生身の人間が空を飛び交っていることだろう。


『ほら乗った乗った。出発するから』


 話を無理やり打ち切った僕がアポロニアを車内へ押し込んでハッチを閉めた。

 その運転席には何故か疲れ果てたダマルが座っている。


『あれ? 今日はもう運転しないんじゃないのかい?』


「この道相手で初心者に任せられるかよ……行くぞ」


 ダマルの評価を受けてシューニャはどこか不満げだったが、しかしそれも事実と受け止めているらしい。

 結局玉匣は、骸骨がハンドルを握って森の悪路をヨタヨタと進んだ。



 ■



「……少し反省している」


 しゅんと肩を落とすシューニャ。それを後ろからファティマが撫でている。

 その前で僕はマキナ着装し、履帯の下に丸太を突っ込んでいた。

 明らかに横滑りした後を残す地面は落ち葉と泥で柔らかく、僅かに沈み込んだ車体はキャタピラが地面を掘り返してしまった証拠である。


「タマクシゲの弱点ですねぇ」


『というか、車両っていうのは全部こんな感じだよ』


 如何に全装軌車の悪路走破性が高くとも限界はある。

 そういう意味では、マキナが主戦力とされた理由の1つでもあるだろう。歩兵と変わらない柔軟性もち、戦車並みの火力を発揮できたのだから。

 結果マキナは戦車を陸の王者から蹴り落としたが、しかし戦車は衰退するどころか、高火力兵器の搭載や機動力の特化という形で進化を続けていた。

 とはいえ、腐葉土のように軟弱な地面に弱いことは変わらない。

 僕は丸太を特殊な固定具で履帯へ括りつけ、ついでに牽引用鋼索をマキナの背面ハードポイントに固定する。


『ダマル、低速前進だ』


『応よ』


 無線に合わせて身体に力を籠めれば、マキナの足が軟弱な地面にめり込み、張力がかかった鋼索がギリギリと軋む。

 丸太は履帯に巻き込まれて地面の下へ潜り込み、スパイクとなって泥濘をかいて玉匣を前進させた。

 ゆっくりと車体が軟弱な地面を脱して自力で動けるようになった時、僕はマキナの中で汗だくになっていたが。


『脱出成功だ、丸太外せぇ』


『はいはい』


 アクチュエータの音を響かせながら振り返る。早くマキナを脱装したかったが、このまま放置して動き出そうものなら、今度は丸太が車体に巻き込まれて再度履帯を千切りかねない。


「キョウイチ……その、ごめん」


『シューニャが謝る事じゃないよ。選択したのは僕ら全員だ』


 それでもと申し訳なさそうに目を閉じたシューニャをつい撫でそうになって、慌てて手を引っ込める。

 第三世代型マキナは人間への追従性がよく、あやとりもできると言われたほど器用だったが、複合装甲の手で乙女に触れることは流石にはばかられた。

 そのうえさっきまでの作業で泥まみれなのも加えれば、最早近づくことすら躊躇してしまう。

 しかし言葉だけで何もせずに僕が離れると、シューニャはなんだか泣きそうな顔をしているように見えた。それも横からファティマが頭を撫でたために、罪悪感に押しつぶされそうになり、慌てて言い訳を口走る。


『そんな顔しないでくれ。本当にシューニャのせいじゃないんだから』


 急いで履帯から固定具を外し、収束波レーザーフラ光長剣ンベルジュで無理矢理斬り倒した丸太を道の脇に転がす。

 これは履帯に合わせたサイズに成形するため、両端を切り落として成形したものだった。しかし成形段階でレーザーの高熱を受けて丸太が発火、アポロニアとファティマが水をぶっかけて消火するという事故も起こっている。

 大事には至らなかったが、あわや山火事という場面であったため、今後武器の用途外利用は控えようとダマルと反省させられた。

 ともかく僕は早くシューニャを慰めてやりたい一心で、翡翠をその場で脱装し、水で泥を洗い流そうと玉匣の外部に設けられた蛇口を捻る。

 しかし水が勢いよく出たのは一瞬。すぐにぽたぽたと滴る程度になって、やがてそれすらなくなる。


「ま、真水がない、だと?」


 それは思いがけない緊急事態であった。

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