第329話 過ごした時間をインクに込めて

 アマミ・コレクタ所属ブレインワーカー、シューニャ・フォン・ロール。記す。

 ユライア王国の暦において、若芽萌ゆる季節への節、年変わりの頃、戦争は終わった。

 結果は反帝国連合軍の勝利。皇帝ウォデアス・カサドールがアルキエルモで戦死し、直後に発生したクロウドン災禍において、その血族もほとんどが行方不明となった。

 大地に覇を唱えたカサドール帝国は、最早地図の上にない。

 だがこの結果は、本当に勝利と呼べるのだろうか。

 カサドール帝国の侵攻に端を発した戦いは、ミクスチャが兵器として用いられたことで、反帝国連合軍として団結した各勢力にも尋常ならざる打撃を与えている。

 特に連合の盟主となったユライア王国は、王都ユライアシティの大防壁が崩壊し、フォート・ペナダレンと大地の裂け目にかかる大橋を喪失。民衆の死傷者が多いことは勿論、続く激戦となった反攻作戦においても数多の命が失われ、低下した国力の立て直しにはどれだけの歳月を要するのか想像もつかない。

 その上、一連のクロウドン災禍によって帝都は完全に消滅。反帝国連合軍は何もない荒野を占領することとなり、領土を除く戦後賠償は大半が回収不能になってしまったと言っていい。

 また、反帝国連合軍以外にも、クロウドン災禍の直前に帝都を包囲していたコレクタユニオン本部も、一瞬にして大部隊のほとんどが呑み込まれたことで戦力を喪失。更にその行動を不服としたグランマが、リロイストン派を名乗り分裂したことも打撃となり、戦争終結から現在まででその勢力を急速に縮小せざるを得ない状況となっている。

 一方で、カサドール帝国による統治が失われたことで、旧帝国領及び占領地は混迷を極めていると聞く。

 帝国領の分割統治は、事前の取り決めもあって滞りなく決定されたが、各勢力の実情は先に述べた通り逼迫している。


『新たに王国領へと加わった地、其方らに任せます。爪痕を負ったユライアに、恵みを与える隆盛を期待していますよ』


 ノーリーフを最西端に、旧国境であるグラデーションゾーンまでの帝国領東部地域を取り込んだユライア王国は、今次戦争における勲功を元に陞爵しょうしゃくを行い、新たな伯爵家を設けて運営に当たらせる決定を下しはした。

 しかし、戦争によって疲弊した貴族家に積極的な動きをとれるものはなく放置され、ほぼ無法地帯と化しているのが実情らしい。

 ただ1人、フラットアンドアーチを任されたマーシャル・ホンフレイ元子爵が、ブラッド・バイトを相手に奮闘している以外は、だが。


『……昨日仕掛けた罠は、どのような具合か?』


『ハッ。非常に申し上げにくいのですが、討伐隊からの報告には、ゼロと』


『んぬえぇぇい! これで改良も3度目だぞ!? にもかかわらず、ただの1匹すら獲れぬとはどういうことだ!?』


『そう仰られましても……ブラッド・バイトというのは、複数人の猟師が命懸けで狩ってようやくという――』


『人手が潤沢なれば、私とてこんな面倒くさいことせぬわ! この僅かな手勢で! あの厄介な大顎を! どうすれば! 女王陛下の仰った恵みの存在へ変えられるのかとッ! 申しておるのだ! あ奴らの数が減れば、豊かな鉄の町も作れようというにっ!!』


『まぁまぁ、気長にやりましょう大旦那様。小官はいくらでも付き合いますから』


 なんでも、あの変り者と名高いホンフレイ卿は、ゴルウェ・ノイシュタットなるデミの老兵を副官に据えて、大発生しているブラッド・バイトに罠猟を挑んでいるのだとか。

 酷く苦戦しているようだが、忠誠心の厚い新たな伯爵の努力が実った日には、ユライアの鉄不足は過去のものとなるだろう。ユライア王国の国力回復に対する、数少ない希望の火かも知れない。

 それほどまでに疲弊したユライアと比べ、コレクタユニオン・リロイストン派の占領地は、比較的統治が行き届いていると言える。

 否、既にこの名称を使うべきではないだろう。

 数日前、一切の手勢を引き連れ、レンドより広がる旧帝国領南西部地域へと入ったグランマは、その夜驚くべき宣言を成したのである。


『懐かしきハーコートよ! 多様なる氏族の民たちよ! 大酋長フォンティヌ・シャールルがこの地を追われたあの日より、長きに渡ったカサドールの支配は終わりを告げた! 最早、帝国の影と暴力に怯え苦しむことはない。再び我々の時代が訪れたのだ! 我が名はプラティガ・シャールル! ハーコートを収めしシャールルの血を継ぐ者としてここに宣言する! 今よりこの地が、この場所が、我らが求めて止まなかった融和の国! リロイストン首長国であると!』


 この演説は、圧政に苦しんでいたレンドの民に、歓声を持って迎えられたと言う。

 ハーコート集落群についての歴史は、帝国による長年の支配で多くが失われており、グランマとシャールル家の関係性は証明が難しい。

 だが、リロイストン派からはハーコート出身者や酋長家に縁のあったと名乗り出る者が多く、グランマはコレクタユニオン支配人という立場を隠れ蓑として各地へ配下を送り込み、情報収集や反乱勢力の支援などを活発に行っていたという情報もあり、その可能性は非常に大きいと言える。

 これは、ユライア王国における代表格が、私もよく知る人物だったからでもあるが。


『どんなに陽の当たらない路地裏でも、庶民街にキメラリアが1人でお店を持って、あんなにお客様が居なくても普通に暮らせる。子犬ちゃんたちはともかく、貴女が不思議に思わなかったのなら、私も捨てたものでは無いわね。まぁ、今はこの生活が気に入っているから、離れるつもりもないのだけれど。うふふ……』


 ウィラミットは自らの出身や家系についてほとんど語らなかった。

 だが、元々はグランマの命によって王都に残り、情報収集に当たっていたのは事実だという。その一方、決してグランマの手勢が裏で仕立て屋が表、という訳ではなく、どちらも偽りのない自分なのだと付け加え、くすくすと笑っていた。残念ながら私には、どれを信じていいのか判断がつかない。

 彼女以外にも、リベレイタへの復帰が叶ったマッファイや、娼館で働いていたマリベルなど、意外な人物の名前が多く上がっており、少なくともその2人に関しては、リロイストン首長国の中で重要な立ち位置の人物となっているそうだ。

 しかし、新たな国家態勢を築きあげているグランマでさえ、レンド以外の地域には手を伸ばせていないのが現状である。

 コレクタユニオン本部からの離反は事前の計画通りであり、むしろクロウドン災禍によって余計な被害を出さずに済んだのだと、グランマは終戦間もない戦後処理を行う会議の席で語っていた。

 それでもなお、手勢の損耗は事前の予想を遥かに上回ったのだろう。事前の取り決めでユライア王国との合同統治に落ち着いていた帝国領北部の地域について、グランマは自ら辞退を申し出たのである。

 当然、王国側にもそんな余裕はなく、さりとて元々が小勢力であるスノウライト・テクニカやアマミ・コレクタだけでどうこうできる話でもない。

 そこで、会議は1つの結論を出した。


『――という訳で、アンタには新しい国の長をやってもらうよ』


『い、い、嫌だァァァァァ!! 俺は絶対に、ぜぇったいに、そんな厄介事引き受けねえぞ! おいマルコ! 黙って見てないで今すぐこの縄を解け! いきなり呼び出されて来てみりゃ、どういう仕打ちだこいつぁよぉ!?』


『そう悪い話でもないだろうに。お前自身は出涸らしのようでも、その体にはが流れてるんだ。なぁ、元近衛隊長ヘンメ。いや、フランコ・エフレイム=カサドールと呼ぶべきかい?』


『クソババアてめぇ、どこまで知って……!? チッ……! エフレイムは建国帝の血だぞ。とうの昔に薄れまくってる上に、今じゃその名前すらほとんど誰も覚えちゃいねえ。わかるか? この時点でアンタの考えは破綻してるのさ。今の俺は近衛隊長でも皇族の末端でもなく、どこにでも居るただの無頼漢ヘンメなんだからな。諦めやがれ』


『……そうかい。そりゃあ残念だ。お前がかの地を治めれば、帝国軍残党の受け皿となって盗賊に身をやつすものも減らせ、元帝国臣民全てが行き場を失うこともないかと思ったが。残念だ。そうなれば我らリロイストン首長国は同盟のため、我が近縁にあたるフォンティヌ氏族の娘を嫁がせることが部族間で纏まっていたと言うのに、なぁ


『はい、残念です太母様。私もいよいよこの身を立てられると――』


『待て、そっちがそこまで腹括ってるなら俺も男だ。皇帝の血を受け継ぐ者が失われた今、帝国の受け皿となるのは俺の責務! 世のため民のため、やってやろうじゃねえかよぉ!』


『偉い! よく言ったヘンメ! なら、この将軍と部下が手を貸してやろーじゃん!』


『将軍、早い、早いです。ヘンメさんが出てきてから、という話をされていたでしょうに。ヘンメさんの風車が如き掌といい、これでは先が思いやられます……はぁ』


 この密室に拉致されてのやり取りは、同席していたというマリベルから教えてもらったものだ。

 彼女は言っていた。相変わらずあの男はチョロいと。

 それでも、ユライアとリロイストンの2国からの、金子や物資の数年にわたる支援を取り付けさせた辺りは、流石ヘンメと言うべきだろう。

 その後、彼はエフレイム姓を名乗り、乱入したエリネラを国家の将軍に、セクストンを秘書官に据え、旧帝国領北部地域にネッサ自由国という旗を建てた。

 戦勝2国の属国扱いではあるが、これにより戦火を免れた北部の町は、特例的な賠償の減免を受けられることとなり、今後は多くの行き場を失った避難民や兵士はもちろん、孤立した町村も合流していくことだろう。

 領内の安定を目標に掲げたヘンメは、治安維持兵力の拡充が急務であるとして、すぐに手を打った。それもエリネラ・タラカ・ハレディの力を借りてだ。


『みっけたぞきんにくー! こんな洞窟に隠れてやがってぇーい!』


『ぬぉ!? 何奴――は、ハレディ閣下!?』


『……将軍、せめて普通に入ってください。なんで立板をわざわざ蹴り壊すんですか』


『これはこれは……クロウドンが消えれば、いよいよ我ら逃亡兵も追われる身ですかな? 閣下が来られたとなると、ここの者が束になったとて敵わんでしょうが』


『まぁ聞きなってゲー……ゲーナントカ』


『ロンゲン軍団長、ゲーブル副長、我々はあなた方元第三軍団の皆様に、助力を求めるためここへ来たのです。どうか、話を聞いて頂けないでしょうか』


『……いーんじゃないロンゲン? そろそろ君たちも、本気で盗賊の真似事しないと生きて行けなくなるとこでしょ。オレみたいなの拾ったせいで、余計にさ』


 曰く、第三軍団はフォート・ペナダレンから後退する最中、王都における戦いに似た爆音を何度も聞いたという。

 シャーデンソン将軍率いる大部隊が消えた。斥候からそう報告を受けたロンゲンとゲーブルは、最早この戦争に勝ちはないと絶望し、独断により軍団を解散。行く宛てのない者だけを連れて逃亡兵となり、戦火を逃れるために、帝都より北西に位置する廃鉱山に潜伏していたそうだ。

 彼らは戦争の終結とカサドール帝国の崩壊を知り、ネッサ自由国への合流を決断した。

 この話を教えてくれたセクストンが言うには、その中に軍団の兵士ではないが混ざっていたらしいが、よく分かっていない。

 精強で知られる第三軍団の合流は、ネッサ自由国の統治能力を大きく向上させたことだろう。もしかすると、最も早く統治が安定する地域はネッサかもしれないと、私は考えている。

 これが全ての現状である、と記して歴史に紐をかけたいところだが、最も大きな問題を記さない訳にはいかない。

 それは、元オン・ダ・ノーラ神国ついてである。

 かの地は帝国の占領から脱したものの、教皇の血族が断絶したことで正式な後継者が居らず、また帰る先を失った占領軍が分裂し、ミクスチャや失敗作イソ・マンを率いて軍閥化。守る者のない町村を荒し回るという事態に陥っているらしい。

 戦争が終わっても混乱は終わらず、奪われた者たちは新たな火種となって、いずれまた燃え盛るかもしれない。元より落ち着いた世の中では無かったかもしれないが、この大きな地図の書き換えは、一体どこまで流血を続けなければならないのだろう。

 私たちは、自らの望む未来を切り開くために戦った。私がタマクシゲのウンテンセキに座り、ハンドルを握っているのではなく、机に向かって文字を認めていられることが、結果の証明と言ってもいい。

 それでも、一連の戦争によって得られた世界は、失われた多くの命に相当する価値ある物だろうか。

 私はその答えを持たない。

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