第155話 燻る地下倉庫
テクニカはけたたましいサイレンの音に、混乱を引き起こしていた。
非常事態を伝える赤い警告灯があちこちで点灯する中、特に音に敏感な一部のキメラリア達は動揺し、非戦闘員であるテクニカ職員たちに恐れの表情が浮かぶ。
だが、それでも精鋭たるヴィンディケイタの面々は冷静だった。
「落ち着いて状況を確認しろ! 研究者たちは奥に退避だ! 何が起こるのか想像もつかん。ヴィンディケイタはどんな小さな異常も見逃すな」
巨大な嘴を開いて酒焼け声で叫ぶのは、キメラリア・クシュのタルゴである。
フェアリーの居室へ続く一本道に陣取った彼は、黒く丸い目を上下の瞼で細めながら周囲を警戒していた。
その眼前には、恭一たちが作っていたのを真似する形で土嚢が積み上げられ、その前に机や盾などを並べたバリケードが築かれており、彼は小さくまるで砦のようだと嘴を鳴らした。
「タルゴ、どうか?」
鳥男の背後から低い声を投げかけたのは、牙を覗かせて息を吐く巨漢。黒猪の異名を持つあのヘルムホルツである。
長い付き合いになるこのシシに対し、タルゴは黒い羽毛に覆われた手で自らの大嘴を軽く叩いた。
「さて……今のところあの喧しい音以外は特に何もないが」
「音だけか?」
「見える範囲ではな。斥候は飛ばしている、そろそろ戻ってくる頃だろう」
タルゴは元々猟師であった。キメラリア・クシュは種族的な特徴として視力に優れているが、彼はその中でも特に目がよく、加えて気配を察する力にも長けていたからだ。
同じく猟師だった父親に、幼い頃から弓やクロスボウの扱いを叩き込まれ、成人前の時点でベテランの猟師すら相手にならない程の技術を誇っていた。
その優れた技量に加え、ヘルムホルツと古い交友関係があったから、彼はヴィンディケイタとしてこの場に立っている。
飛び道具の扱いについてなら、ヴィンディケイタの中でも彼に勝るものは居ない。だが、スノウライト・テクニカが見通しの利かない神代の遺跡を利用しており、その内部で戦うことには、彼も多少の不安を覚えていた。
キメラリアは人間と比べて尖った能力を持つ。だが、そのどれもが万能ではない。ヘルムホルツも鼻はいいが、テクニカの内部は800年の長きに渡り空気を循環させ続けている吸排気装置が消臭もおこなっていることから、臭いで何かを探知することは非常に難しかった。無論、研究者ですらない彼に鼻が利かなくなる理由などわかるはずもないのだが。
感覚を封殺された状態の2人は、何事もなければよいが、と表情の分かりにくい顔を揃って曇らせる。
その思考は即座に現実へと切り替わった。
「報告、報告ーッ!!」
倉庫内を駆け戻ってきたのは、警戒に出ていたケットの男である。
ここまで全力で駆けてきたのだろう。汗にまみれて肩で息をする様に、ヘルムホルツは表情を強張らせタルゴは首をぐるりと回す。
普段なら、この2人が居並んでいるだけで僅かにたじろいてしまいそうな程の威圧感だが、ケットはそれすら気にした様子もなく報告を叫んだ。
「テクニカの中に鉄蟹が現れました!」
「地下からか、数は?」
「それがっ……奴ら壁の中から突然現れて……少なくとも5、6匹は居たかと……!」
タルゴは大きく嘴を開いた。
鉄蟹は彼らにとっても珍しい相手ではない。コレクタユニオンの手に余った場合は、ヴィンディケイタが直々に討伐を行うこともあり、ベテランともなれば何度となくぶつかった経験があってしかるべき敵である。
特にタルゴには猟師として培った観察眼もあり、どういう行動をするかはおおよそ理解しているという自負もあった。
だが、彼の見てきた鉄蟹は地上や遺跡の中を徘徊しているものばかりで、壁の中に隠れているなど聞いたこともなかったが。
「まさか、今までずっと息を潜めていたとでもいうのか――くっ、総員、戦闘用意!」
ヘルムホルツの言葉に、ヴィンディケイタたちは揃って得物を抜き放つ。
すると間もなく、それらは彼が走って来た方向からゆっくりと、しかも耳障りな金属音を立てながら現れた。丸太を横倒しにしたような胴体から、細い枝のようであるにもかかわらず力強い腕を生やし、先端に白い雷を走らせて。
何も変わらない。油断ならない敵ではあっても、勝てない相手ではないのだ。
極彩色の嘴を持つ男は自分にそう言い聞かせ、いつも通りクロスボウで正面の1体に狙いをつける。
その彼の黒くつぶらな眼球を、赤い光が射抜いたのは直後だった。
「いかん、身を隠せ!」
呆気にとられたタルゴの身体をヘルムホルツが蹴り飛ばし、ケットの首根っこを掴んでバリケードの陰に彼自身も倒れ込む。
刹那、バリケードにしていた盾や家具類にいくつも穴が開き、軽い物は吹き飛ばされて火花が飛び散った。
「な――鉄蟹が飛び道具を使うだと!?」
「アマミらが使っていたのと同じ物か……これは思った以上に厄介だぞ」
ヘルムホルツの脳裏に浮かぶのは鉄蟹との乱戦中に現れた男のことである。
アステリオンも共に携えていた槍のような見た目の不思議な飛び道具。それは短弓よりも素早く連続で放つことができ、それでいて
まったくふざけた武器だと思う。あれを扱う連中に正面から会戦などしようものなら、兵の強弱に関係なくあっという間に壊滅させられるだろう。それをただでさえ危険な鉄蟹が持って地上を闊歩しだせば、どれだけの人命が失われるか想像もつかない。
しかも攻撃は僅かな合間もなく雨霰と飛んでくる。おかげでヘルムホルツは身を隠したまま、ギッと奥歯を軋ませた。
防壁は今のところ攻撃を防いでいるが、近づかれれば飛び道具の威力が強まることは現代においても道理である。だからといってクロスボウで反撃しようにも、飛び道具の連射速度は凄まじく、頭を出す小さな隙すら与えてくれない。
やがて煮詰まった彼は、最も装備の分厚い自分が囮に、と膝を立てようとしたところで、蹴り飛ばされたまま伏せていたタルゴにその足首を掴まれた。
「早まるなよ。噂の騎士が言っていた通りなら、やりようもある」
「なんだと? 何か聞いているのか?」
目を見開いて驚くヘルムホルツに対して、タルゴは濁った声でグググと笑う。
「それでもここまで雨粒のように撃ってくるとは思わなんだがな。準備していなければ、あっという間に全滅させられていた。イーライ!」
「おらぁ! 目ぇかっぴらいてよく見やがれ蟹野郎!」
タルゴの声に、イーライはバリケードの奥から円筒形をした何かを投擲する。
それは軽そうな乾いた音を響かせながら床に転がると、たちまち凄まじい白煙を拭き上げ、瞬く間に通路全面を覆い尽くした。
無論、煙が敵味方を判別するはずもないため、ヴィンディケイタ達もたちまち煙に巻かれて咳き込んだ。しかしその効果は絶大で、煙の濃さが増すごとに鉄蟹の攻撃は疎らとなり、やがて視界が完全に奪われるとバリケードを叩く音はピタリと止んだ。
『いいか、もしクラッカー……鉄蟹が出てきたらこいつを投げつけろ。中身はただの煙幕だが、あれは見える相手にしか飛び道具の狙いをつけられねぇ。だから目を奪っちまえば懐に飛び込めるはずだ』
ビビッドなカラーリングをした鳥男は、そのあまりに的確なアドバイスにポリポリと頭を掻いた。
テクニカの研究者が理解できない神代の技術を知っており、我が君と奉ずる女性が生涯をかけた悲願としていた封印をいとも容易く解いて見せ、その上鉄蟹の弱点まで熟知しているという謎多きコレクタ。
彼らが何者であり、何を目指しているのか。タルゴには全くわからない。
ただ、今やるべきことは単純だと思いなおした彼は、煙の充満する奥を睨みながらバリケードの後ろでゆっくり立ち上がれば、他のヴィンディケイタたちも後に続く。
その中には、現代文明初であろう
「うぉ……マジかよ、煙が出るにも程があんだろ。すっげぇなこれ」
「貰い物の力に満足するな。ここからが本番だぞ」
ただの鉄製の筒だと思っていたものが、いざ投げてみれば視界を塞ぐほどの煙を吐き出したことで、青年がその効果に呆けた声を出せば、ペンドリナはそれを横から鋭く諫める。
いくら敵の攻撃を封じたとはいえ所詮は煙。それで鉄蟹が死んだわけではなく、筒が永遠に煙を吐き続けるわけでない限り、いずれ視界はひらけ、攻撃は再開されることだろう。
だからこそ、今が好機であるとタルゴは右腕を高く挙げて見せた。
「撃たれた分返してやるぞ! クロスボウ、構え!」
ヴィンディケイタ達はバリケードから身を乗り出し、一斉にクロスボウを構える。濃い煙幕の中にある敵の姿など、キメラリアたちにも捉えられはしないが、地面を引掻く金属の音だけで位置を把握するには十分だった。
「放てぇッ!」
濁った号令と共に弦が鳴り、短いボルトは空気を切り裂いて飛翔する。
連射の利かないクロスボウであるが、斬撃を跳ね返す金属製のプレートアーマーすら貫通する威力は、薄い装甲を纏うクラッカーにも有効だった。
煙の中で激しい衝突音が響き渡る。
同時に薄く光った火花に、タルゴは大嘴を薄く開いてほくそ笑んだ。
「ガガッ、姿は見えずとも居場所は捉えたぞ」
射手達が再装填に入る一方、特注の
鉄製の弦に込められた力が解放され、他の物よりも大型の金属製ボルトが凄まじい速度で虚空を駆けぬける。
ハッキリ見えた者はいなかっただろう。だが、煙の中で起こった激しい衝撃音と。続いて聞こえた弾けるようなスパークの音に、その一撃が致命傷となったことは確信できた。
その一方、鉄蟹は味方が撃破されたことで敵対者の脅威度を上方修正したのか、一気に煙幕を抜けようと4脚の動きを加速させる。
更に視界を奪われた状態でも、ボルトの射撃対しては散発的ながら応射も行うようになり、ヴィンディケイタにも数名の負傷者が発生した。
ならばとヘルムホルツは、バリケードに足を乗せて大盾を前に構えると、味方に向かって大きく咆えた。
「攻撃用意! 奴らが煙幕に捕らわれている内に、近づいて叩き潰す! 小生の後に続けぇ!」
長柄のメイスを高く掲げ、猪男は駆けだしていく。
人々の口に精鋭揃いと謳われるヴィンディケイタに怯える者などあるはずもなく、彼らは指揮官たる大きな背中に続いて、クロスボウ部隊の脇から対鉄蟹用の鈍器を携えて飛び出した。
「この時を待ってたぜ! ぶっ壊してやらぁ!」
イーライもいつもの槍ではなく、重々しいハルバードを振るっている。
大上段から振り下ろされるそれは、人間を鎧ごと叩き潰せる一撃であり、薄い金属板しか持たない警備用自動機械には十分致命傷となり得るだろう。
とはいえ、煙幕の中であっても接近してカメラに捉えられれば、クラッカーはプログラムが暴徒と判断した相手を無力化するため、ロボットアームで敵から武器を奪取することを試みてくる。それも異常なまでに強力な電撃が走らせながらだ。
槍の扱いを最も得意とするイーライには、振り下ろし始めた重量級のハルバードを途中で止められるほどの膂力が無い。何より年若い彼には、攻撃を止められなければ死ぬという危機意識すら、ほとんどなかったと言うべきだろう。
だが、クラッカーが戦斧を掴む直前、風のように通り過ぎた何かによってロボットアームは弾かれて横にずれ、結果ハルバードは勢いよく丸太のようなボディに叩きつけられた。
「っしゃぁ! どうだぁ! 鉄蟹なんぞこの俺の相手じゃ――痛ぇっ!?」
彼が雄たけびを上げた途端、後頭部をダガーの柄で殴られ、勝鬨は途端に悲鳴に切り替わる。
「この粗忽者! いきなり真正面から鉄蟹に殴りかかる奴があるか! 危うく雷の魔術で黒焦げにされるところだったんだぞ!?」
美しい毛並みを持つウルヴルの女性は戦いの中にありながら、あまりに危機感が薄すぎると、まなじりを吊り上げてイーライを怒鳴りつけた。
彼女は動きを阻害するという理由で重量級の武器を嫌う反面、種族的な膂力の強さと素早い立ち回りを持って、味方の支援を行っている。誰の、と問われれば、主に彼女の眼前で頭をさすっているイーライであろうが。
「い、いいじゃねぇか。ちゃんと一撃で潰せたんだし……」
「私の援護があることを当たり前に――あぁいや、もういい。この戦いが片付いたら、ホルツ殿に報告してもう一度修行のやり直しだ。その人に頼り切る腐った性根を叩き直してやる」
青年の言い訳にペンドリナは輝きを失った瞳を向け、ダガーナイフを軽く手の中で弄んだ。
「げえっ!? お、俺だってそこそこ強くなっただろ!? そろそろ半人前扱いは――」
「そういうのは私に一太刀入れてから言え。あぁ、痣だらけにされる覚悟ができているというのなら、私はお前の足腰が立たなくなるまで付き合ってやるぞ?」
「む、無茶言うな! ウルヴルのお前に、人間が1対1で勝てるわけねぇだろ!」
やや悲痛さすら感じさせるイーライの言葉も、今の彼女には届かない。それどころか黒い鼻を鳴らしたペンドリナは、どこか挑発するような笑みを浮かべて見せた。
「その辺りが甘えだと言うんだ。それに、一太刀入れられたらなんでも言うことを聞いてやる、という約束はもういいのか?」
「ぐぬぬぬぬ……だぁっ、わーったよ! 今はとにかくこの鉄蟹共だ!」
スパークを走らせるクラッカーの残骸からハルバードを引き抜いた青年は、どこか自暴自棄になったかのように叫ぶ。
その様子に目を細めて満足げな表情を浮かべた狼女は、彼に先んじて新たな敵へ躍りかかっていった。
「あんの性悪狼めぇ……」
「ケケケ、若いねぇー」
苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる青年に対し、プレートメイルで胴体だけを覆ったラウルは、身の丈に合わない大きなバトルハンマーを担いでクスクスと笑う。
「うるせぇぞ腹黒ぉ!」
煽られたイーライが音を立ててハルバードを振り回しても、寸胴な大鼠は一切恐れた様子もなく、それどころかオヒョヒョヒョと謎の笑い声を叫びながらひらりと身を躱すと、その勢いを維持したまま前へ飛び出した。
「さぁてぇ、ウチもちょいとは仕事せんとねぇ。よいっ、しょぉっ!」
ラウルはまるでふざけているかのように、あるいは酔っ払いのように体を左右に揺すりながら、ペンドリナのダガーにロボットアームを切り落とされたクラッカーへ、勢いよくバトルハンマーを叩きつける。
ファアルが小柄で非力な種族だという常識は、前歯を出して笑う彼女の前に通じない。無論、一般的な人間の成人女性と比べれば、その背丈は肩に届かない程度ではあるのだが、それでもファアルとしてはかなりの大柄である。その上、軽々と振り抜いたウォーハンマーの一撃は、鉄蟹のボディを大きく陥没させ、状態を支える4つ足が悲鳴を上げるほどの威力を誇っていた。
クラッカーは優れたバランサーの働きによって、なんとか転倒こそまぬがれたものの、脚部を損傷したのだろう。胴体が大きく傾いだ状態で硬直してしまった。
このあまりに大きすぎる隙を、ヘルムホルツが見逃すはずもない。
「ぬぅぉぉぉおおおおおおお!!」
全身に力を漲らせ、空気を揺るがす咆哮と共に叩きつけられたメイスは、まるでアルミ缶を踏みつぶすかのように円柱状のボディをくしゃりと歪ませた。
亀裂から覗く基板が火花を散らし、上からの衝撃に耐えかねて拉げた関節部が潤滑油を噴いたかと思えば、間もなく金属の化物は全身を弛緩させてその場に崩れ落ちた。
それが最後の1体だったのか、戦闘の音は消えて警報だけがうるさく鳴り続けている。
ただ、薄くなりつつある沈黙に包まれたヴィンディケイタたちに声はなく、やがて沈黙に耐えかねたのだろう。誰かの、勝った、という小さな呟きが、異様に大きく聞こえていた。
掠れるような途切れ途切れの笑い声。どこからともなく零れ始めたそれは、さざ波のように広がって、各々が戦闘の終結を感じ始める。
だが、指揮官たる猪男は、未だ険しい表情を崩していなかった。
「ホルツ殿? 浮かない顔ですが、何か気になる事でも?」
天井へと消えていく白い闇の中、ヘルムホルツが廊下の奥をきつく睨んだまま動かないことが気になったのだろう。誰かが背後から軽い声で問いかけた。もしかすると、最初に斥候に出ていたケットだったかもしれない。
その直後である。派手に響き渡った金属音が、自らの持つ大盾からだったとヘルムホルツが理解した時には、後ろで派手に血が飛び散っていた。
廊下の奥に並んで見えた、霞むようないくつもの輪郭。
それは煙で散らされる赤いレーザー光で、バリケードの前に出たヴィンディケイタ達に狙いを定めていた。
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