第220話 博打タイム

 賭けごとは得意ではない、という言い方には少々語弊がある。

 何せ僕は生まれてこの方、ほとんど賭博という行為をしたことがないのだ。

 これは得手不得手という以前の問題であろう。

 そんなド素人を前にして、アポロニアはという、役を作っていくゲームのルールを得意げに説明してくれる。

 毛糸獣ムールゥ。彼女は僕のことをそう称した。

 こちらに向けられる茶色の半眼は、博打経験の薄さを見抜いていたに違いない。ムールゥは豆腐に足が生えたような珍妙草食動物だが、要するにアポロニアという肉食獣からすれば格好の獲物という意味だろう。


「えーと……これで色揃いだっけ?」


「そッスよ。2枚なんで1点ッスけど、自分は役がないんでご主人の勝ちッス」


 揃った札が捨てられ、点数を計算するマッチ棒のような物が1本渡される。最終的にコレが多い者が勝ちらしく、そう考えればここまで彼女の重ねた勝利は相当な数であろう。

 たが、とりあえず軽く練習してみて、ザックリとルールを理解することはできた。


「よし、大体了解だ。それじゃ本番でやろうか」


「さっきまでの続きッスけど、ポーちゃんの代わりでホントにいいんスよね?」


「二言は無いよ」


 アポロニアが念を入れて聞いてくるのも当然である。何せ、こちらに残っているのはポラリスが死守した僅か1点のみ。その僅かな国力から勝ち上がらねばならないのだから。

 しかし、自分も企業連合軍の一翼を担う機甲歩兵なればこそ、笹倉大佐の教え通り、決戦を前にして退くは許されないのだ。

 彼女にとってこの戦争は勝ったも同然であり、こちらの返事に対して悪魔のような笑みを浮かべる。

 ただし、ここには彼女の大きな読み間違いが潜んでいた。


「畑と農夫、4点役だったね?」


「へぇ……結構いきなり攻勢に出てくるッスね? んー、まぁでもここで勝負ってのはあれなんで、ほい4点ッス」


 アポロニアは余裕を見せながら点数を渡してくる。たかが4点、蚊に刺された程度と考えたに違いない。


「少女と花に青空札、7点か」


「あちゃー、青空札ッスか……ちょっと痛いッスねぇ。嵐と雷なら勝てるんスけど、雨札持ってないし……他の役は無いんスよねぇ」


 ざらざらと棒が増えていく。ついでに山が軽く切り崩され始めたことで、アポロニアの顔が少し引き攣っているように見えた。


「天秤と本、花冠に神殿に祈りの手を合わせて、男神ロズマリ、だっけ?」


「ちょ、ちょっとタンマッスご主人……!」


「ん?」


 手札を読みながら役を揃えていた僕に、何故かストップがかけられた。

 ふと辺りを見回してみれば、自分の点数は先ほどまでアポロニアが抱えていた量と変わらなくなっており、逆に彼女の方は僅かに3本が残るのみ。戦局は完全にひっくり返っていた。

 そして最後に出した男神ロズマリは、他の神々と並んで最高得点の役であり、相殺がなければ20点が徴収されることになる。

 これには相変わらず極貧状態で耐え抜くファティマとマオリィネが唖然とし、防御用の役を集めていたらしいシューニャさえも、無表情を僅かに強張らせていた。


「きょ、キョウイチも中々えげつないことするわね」


「同感。アポロニアの手に18点以上の役が無ければ破産する」


「アポロ姉ちゃんならもってそうだけど」


 全員の視線が唸るアポロニアの手札に集まる。

 すると彼女は最後まで出し惜しんでいたのだろう。ギギギと唸りながらも、なんと18点の役を叩きつけてみせた。


「ホントは相殺なんかで使いたくないッスけど、この際致し方なし! 城と冠と王と聖職者! 戴冠式なら18点ッスよ!」


「おー……まだこんなの持ってたんですね」


 息も荒く、まだ負けていないとアポロニアは目をギラギラと輝かせる。その博打狂い的な闘志にファティマが呆れを滲ませた。

 ただ、彼女が出せる最大戦力で反撃の狼煙を上げたにもかかわらず、ここでゲームは終了することになる。


「あ、すまない。僕、反乱札持ってる」


「な、なななななんですとぉー!?」


 一部の札には、他の役をかき消す効果がある。彼女は伸びあがって中央に置かれた札を睨むと、まるで骨が抜け落ちたかのようにふにゃふにゃとその場で崩れ落ちた。

 栄枯盛衰は歴史の常。アポロニアという超大国は周囲の極貧国に戦争を挑んで拡大したが、そこから手痛い反撃を受けて、その極貧国たちよりも先に消滅してしまったのである。


「すごーい! キョーイチつよいね!」


 背中に抱き着いてくるポラリスは、自分の点が凄まじい量になったことで、満開の笑顔を見せて頬を摺り寄せてくれる。それに続いてマオリィネとファティマから拍手が送られ、シューニャはアポロニアを慰めるようにポンと小さく手を置いていた。


「う、うぐぐぐ……ダマルさんならともかく、まさかご主人がこんなに強いとは思わなかったッス……」


「賭け事はほとんどしたことないんだが、テーブルゲームは暇つぶし程度にね」


 これはストリの所為でもある。何せ自分は娯楽の類を持っていなかったため、彼女が妙な気を利かせて、自分の携帯端末に簡単なゲームを大量に叩き込んだのだ。

 しかも、ストリはマキナのシステム開発ができるほどの天才だからか、この手のゲームには非常に強かった。それこそ最初は、子どもの遊びに付き合ってやっているのだから、という感覚で流していたのだが、それも何十と連敗を重ねてくれば流石に対抗策を練り始める。対策を練るには真剣に向き合う必要があり、すると考え方が変わって本気になった。

 結局のところ、ストリに勝てたことなどほとんどなかったのだが、当時培ったテーブルゲームの感覚は残っていたようで、この勝利を招いたと言えよう。


「あぁそうだ。終わってから聞くのもなんだが、これは結局何を賭けてたんだい?」


「添い寝権ですよ」


「……なんだいそりゃ?」


 ファティマの口から出た謎の言葉に、僕は顎に手を当てて目をしょぼしょぼさせる。

 しかし、むしろ意味を理解できないのは自分だけらしく、マオリィネはため息をついて両手を広げた。


「部屋の中を見て気付かないかしら?」


「この船室に入ったのは今が初めてだが、置いてあるものなんて寝具くらいで――ハンモックが4つに寝台が2つ、だけ?」


「そういうことよ。船としては相当にいい設備なのだけれど、7人ともなるとね。最悪はダマルを解体して籠に放り込むつもりだったけれど」


 以前、夜鳴鳥亭ではそんな扱いをされていた覚えがある。しかし、流石に何の悪事も働いていないのに、備品として果物籠に積まれるのは可哀想だと思われたらしく、添い寝権なるよくわからない権利を賭けたゲームが行われていたと。


「理由は分かったんだが、その添い寝権ってのは、どういう?」


「キョーイチとね! いっしょのベッドでねれるんだよ!」


「ほぅ、僕と一緒のベッドで……?」


 このところ寒さのせいで、おしくらまんじゅうのような就寝態勢には慣れている。おかげで、それをわざわざ賭けの対象にする意味は理解できそうもない。

 ただ、女性陣が本気でゲームに取り組んでいた様子を見ると、皆してその権利を相当に欲していたのは間違いないだろう。これには流石に少し照れたが。


「あー……この場合、勝者はポラリスになるのかな?」


「まだ決していない。アポロニアが敗北しただけ」


 シューニャの言葉に、敗者として転がされた小型犬を除いた全員がうんうんと頷く。

 無論、賭けの内容を聞かなかったことが悪いのだが、こうなると賭けの対象である自分がゲームに参加するのはどうなのか、とも思えてくる。何せ己の勝利がもたらすものは、ポラリスとの添い寝なのだから。


「……うん、ポラリス。あとは自分でやんなさい」


「えー!? せっかく勝てそうなのに!」


「勝てそうだからだよ……ズルは良くない」


「あら、キョウイチは戦いから逃げるの?」


 円座から立ち上がろうとした僕に対し、マオリィネは不敵にそんな言葉を投げかけてくる。

 だが、そんな安い挑発に乗ってやるつもりはない。


「僕と戦いたいなら、もう少し表情筋を固めてから来るんだね。綺麗な顔が引き攣ってるよ?」


「き、綺麗? そ、そう……かしら」


 適当な誉め言葉を返してみれば、彼女は堂々たる表情を一瞬で崩してしまい、その上照れたように長い黒髪を弄りだす。普段の凛とした様子からはかけ離れたポンコツ感もまた、マオリィネの魅力であると僕は想っているが、ゲームにおいてはどう転んでも弱点でしかない。

 ただし、離席を制止する相手は彼女だけではなかったが。


「これは頭脳戦。私としても、負けられない戦い」


「む……」


 ギラリと翠玉のような瞳が輝く。普段はあまり感じないが、意外とシューニャも負けず嫌いらしい。

 その真剣な眼差しとしばらく睨めっこをしたが、ポーカーフェイスの彼女に敵うはずもなく、僕は仕方なく円座に戻った。


「頑固だなぁ……仕方ない」


「負けない」


 彼女は素早く札を揃えて、戦う構えを取る。

 ただ結論から言えば、アポロニア相手に苦戦した彼女はやはり床を転がされることになり、残された弱小2人は互いに削りあっていたところを、まとめて踏みつぶされてゲームは終了した。



 ■



「キョーイチぃ……えへ、えへへ……」


 ポラリスはただでさえ慣れない船旅に、早くも疲れが出たのだろう。夕食が終わるや否や僕を引き摺ってベッドに潜り込むと、撫でろと要求して早々、夢の世界へ旅立っていた。

 そう思えば、彼女が添い寝権を手に入れたのも悪いことではない。何せポラリスは、自分で起きる際の寝起きはいいもの、一度寝付くと多少揺すられた程度では起きないのだから。


「いい夢を、ポラリス。さて――」


 丸くなる彼女を起こさぬように、そっと寝台から僕が起き出せば、思い思いに過ごす面々からチラと視線を向けられる。


「あら勿体ない。ポラリス寝ちゃったのね」


「まだ子どもなんですから、その方がいいですよ」


 サーベルを手入れしながらマオリィネは苦笑し、ファティマは揺れるハンモックから頭を逆さまにして欠伸を1つ。長い三つ編みが床につくギリギリで揺れていた。


「どうせ起きてたってやるこたぁねぇんだ。お前も寝ちまえばいいもんをよ」


 昼はエールに夜は果実酒と、中々優雅な酒浸り生活を送る骸骨は、海の上が比較的温暖だからか快適そうに壁にもたれてカタカタと笑う。とはいえ、船の上に居る以上、これと言った娯楽もやるべきこともないのもまた事実であり、休暇と言っても時間を持て余すのは避けられない。ダマルが自堕落に過ごせばいいと言うのも、ある意味当然であろう。

 ただ、わざわざ寝台から抜け出したことにも意味はある。


「少し気になることがあってね。シューニャとアポロは?」


「さっき出て行ったきり、戻ってないわよ」


「そうかい、ありがとう」


 マオリィネに礼を言いながら、僕は船室を出る。するとちょうど交代の時間だったらしく、漕ぎ手らしき大柄なキメラリア・カラたちで廊下は混雑していた。

 同じ犬系キメラリアだからか、その中には船乗りたちと会話するアポロニアの姿もある。最初は声をかけようかと思ったものの、楽しそうな雰囲気を邪魔するのも申し訳ないかと考え、僕は静かに甲板上へと上がることにした。

 夜の帳が下りたベル地中海は、昼間と違って僅かに風が出るらしい。煌々とランタンを輝かせるリング・フラウは、マストに白い帆を張って船足を速めている。

 そんな湿気を含む僅かな潮風に晒される甲板上。シューニャは金紗の髪を明かりに煌めかせながら、1人ぼんやりと遠くを眺めていた。


「夜の海に何か見えるかい?」


「キョウイチ、起きていたの?」


「まぁね」


 ゆっくりと振り返ったシューニャの横に並び、黒い海面に目を凝らしてみる。

 無論、そこに見えるのは反射する月光だけで、それ以外には遠くをポロムルへ向かって走る他船の小さな明かり程度。文明の明かりがない陸地など、輪郭すらもつかめない。


「――不安かい?」


「……少し、だけど」


 海から視線を外さないままで、シューニャは小さく頷く。

 向かっている先は親兄弟の待つ生まれ故郷。しかし、彼女はそこを追放された過去を持つ。僕の気がかりはそれだった。


「本当はもう少し落ち着いた状況で行くつもりだったんだけどね。まぁ招待状を渡しておいて、いきなり斬りかかってくることはないだろうが」


「けれど……私が戻ることで、その……家族に迷惑が掛かりそうで」


「その遺跡を守る言い伝えとやらが、僕の生きた時代を起源としているなら、きっと大丈夫だよ。僕もダマルも居るんだし」


「そう、かな」


 珍しくシューニャは歯切れが悪い返事をすると、視線を足元に落として黙り込んだ。

 今の生活を守るため、王国の友人たちを救うため、ミクスチャやマキナの脅威を払うため。自分の選択をここで後悔するわけにはいかない。しかし、だからと言ってシューニャの抱える不安を無視することなど、僕にできるはずもないのだ。


「決定した責任は僕にあるんだ。シューニャと家族に迷惑が掛からないよう、向こうとは交渉するよ。それこそ最悪は、銃口を突きつけてでもね」


「――それはそれで、谷を焼き払われないか心配になる」


 じっとりと、それこそ潮風以上に湿り気を多く含んだ半眼に睨まれる。

 ただ、その呆れかえった様子がいつものシューニャらしくて、僕は船の欄干にもたれかかりながら、ハッハッハと笑い声をあげた。


「冗談だよ。わざわざ君の故郷を更地にしようなんて思うはずないだろう?」


「……キョウイチが言うと冗談に聞こえない」


「それくらい鋭い毒が吐けるなら、心配いらなかったかな」


「えっ?」


 いつもの調子に戻りつつあるのを感じ、僕は欄干から離れて踵を返す。

 結局、向こうに着くまではどうなるかなどわからないが、招待状まで寄越しておいて斬りかかってくるような蛮族でもないだろう。あとは彼女やその家族の身を、自分が保障できるよう取り計らうだけだ。

 そう思って船室に戻ろうとした時、後ろから不意に袖を引かれた。


「なんだい?」


「う、ぁ……あの……」


 どうやら反射的に手が伸びたらしい。

 シューニャは戸惑ったように視線を泳がせたが、やがて1つ大きく深呼吸すると無理に表情を固めたようにして、懇願するような上目遣いを向けてくる。


「よ、よければ、その――もう少し一緒に居て、欲しい」


 僅かに、心臓が跳ねた。

 そもそも断る理由はないのだが、こんな頼み方をされれば我儘も聞いてやりたくなる。もしも彼女がそこまで計算してやっていたなら、自分は既に掌で転がされているのだろう。

 おかげで僕は小さく息をついてから元の位置へ戻り、欄干を背もたれにその場へ座り込んだ。


「お望みのままに、お嬢さん」


「……ありがと」


 シューニャはポンチョの裾をつまみながら同じように隣へ腰かけ、そのままこちらへもたれてくる。

 ファティマともアポロニアとも違う、どこか躊躇うような甘え方。金色の美しい髪を梳くように撫でてやれば、彼女は僕の手を掴まえてそっと頬を摺り寄せた。


「キョウイチと一緒なら……きっと大丈夫」


「ああ」


 軽い体重を肩に感じながら、航海の1日目は過ぎていく。

 やがてどちらともなく船室へ戻ろうと言い出すまで、僕らは今にも降ってきそうな星空を眺めていたのだった。

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