第157話 アブソリュート・ゼロ

 床を白いもやが這い、耳元に小さな透明の破片が飛んでくる。

 俺の眼孔か、あるいは乾いた頭蓋骨の中身が壊れたのでなければ、これは一体なんなのか。

 眼前に一瞬で現れた透明な壁。それもマキナの装甲さえ貫けるであろう、旋回機銃の弾丸をしっかりと受け止めている。

 それは疑いようもなく現実で、だとすればその原因たりえるものは1つしかない。


「ポラリス……お前が、これをやってるのか?」


「キョーイチのためだもん。止めるよ!」


 まるで俺の疑問を証明するかの如く、ポラリスは両手を前にかざせば、比喩ではなく空色の瞳が強く輝き、部屋の中がキラキラと輝き始めた。

 その直後、煙草を持つ手が自然と震え出す。その理由が急激な室温の低下だと気づくまで、そう時間はかからなかった。


「まさか、魔術……!? けれど、こんな強い力聞いたことが、ない!」


「お、おいシューニャ、どどど、どういうことか、せせせつめめめめめめめ」


 先ほどまでの小刻みな震えは、あっという間に顎を叩くようになり、ガチガチうるさい顎からはまともに言葉が発せない。ただ、周りの女どもは白い息こそ吐いていたが、寒さに震えあがっている様子は見られないことから、俺はここへきて初めて気づかされた。

 どうやら、骨の身体は驚くほど寒さに弱いらしい。

 思えば、今までに居た地域は大概が暑い気候であり、刺すような冷気を感じるようなことはなかったのだ。

 自分でも骸骨ボディがどういう構造なのかはわからないが、寒さによって動作も思考も明らかに鈍くなっている。おかげでなんとなく、このまま冷やされ続ければ機銃掃射を食らうより先に凍え死んでしまうのではないかとさえ思えてきた。

 そんな俺を無視して、シューニャは自らの思考をブツブツと呟いていたが。


「温度を操る魔術は文献にも残っている。身体への負荷が大きい割に、主に冷却する方向でしか使えないから、ハズレの魔術だと……」


「とてもそうは見えないですけどね」


「先のレディヘルファイアとの戦いで、魔術がマキナにダメージを与えられないのは実証済み。だけど、ポラリスの魔術はマキナの攻撃を受け止めている」


 シューニャは増え続ける凍り付いた弾丸を見つめながら、細い喉を小さく鳴らして白い息を吐いた。


「これは――規格外の力」


 三者三様に驚愕の色を浮かべるしかない俺たちに対し、ポラリスは口を真一文字に結んで不明機を睨みつける。

 コンクリートの床はワンピースから伸びる小さな足を中心に凍り付き、ただでさえ透き通るように白い肌は血の色を失って青白い。なのにアクアマリンのような瞳だけはギラギラと輝いていて、その神秘的ながら狂気さえ感じる光景に、凍えた俺はただただ見惚れていた。


「止まれぇ……止まれぇーッ!!」


 シューニャよりもアポロニアよりも小さい身体で、ポラリスは大きく咆えた。

 途端に今まで以上の冷気がドームの中を吹き荒れ、透明な氷壁の向こう側が急激に凍り付いていく。


「だ、ダマルさん、あれ! マキナが……!」


 その中には、あの不明機の姿もあった。

 シンクマキナは状況を打破しようとしたのか、荷電粒子砲の射撃シークエンスを開始していたものの、発射姿勢を取った段階でエーテル機関が稼働温度限界を超えてしまったらしい。砲身の中で輝いていた赤色光は、一瞬で空中へ霧散して消え、機体そのものも巨大な氷像のようになって沈黙した。


「カ、カカ、カカカカ……ほほほ、本気でぇ、とと止めちまいやがったぁぁ。こここここりゃとんでもねぇガキだだだだぞぞぞ」


 温度という遮断の難しい攻撃でなければよかったのだが、と巻き添えを食った俺は、いつも以上に身体を鳴らして笑う。

 翡翠の武装が力負けしていたとはいえ、あの恭一さえ退けた脅威を、生身で行動不能に追い込むほどの力。

 なるほど、兵器として生み出されただけのことはある。効果範囲や発動条件は不明瞭だが、こんな存在を大量に投入されれば、マキナを主体とする戦争はひっくり返っていたかもしれない。

 そして突如訪れた氷河期は、ポラリスがその腕をゆっくりと下げたことで急激に引いていく。彼女が操っていたであろう温度は一気に元へ戻り、震えていた俺の身体も回復しはじめる中、マオリィネは興奮した様子で今回のMVPに駆け寄っていった。


「す、凄いわね貴女! マキナをたった1人で――えっ?」


 だが、彼女が白い手を取ろうとした瞬間、少女の身体はゆっくりと傾いで、凍り付いた床へ力なく横たわった。

 咄嗟に何が起こったのか理解できず、全身の震えにもなんとか落とさずすんでいた電子タバコさえ、あまりにも呆気なく口から零れ落ちる。キィンという甲高い音と共にガラス製のタンクが砕け散り、俺はその音で我に返った。


「お、おい、小娘!」


 ポラリスに駆け寄って軽い身体を抱き起せば、薄いワンピースの下から感じる体温は、まるでインフルエンザを患ったかのように熱く、今まで青白かったはずの顔は赤みがかっていて呼吸も荒い。

 身体的な異常が起こっているは明らかだったが、自分に応急処置以上の医学的知識がない以上、どうしていいかわからずおろおろと周囲へ視線を投げる。

 すると、徹底して冷静を貫いていたシューニャは、小さく息を吐きながら混乱する俺の肩を叩いてくれた。


「あれだけの魔術を行使すれば、倒れるのも不思議じゃない。この様子なら命に別状はないはずだし、今はとにかく退避することを考えるべき」


「そ、そうか。よし、玉匣まで戻るぞ。こいつのエーテル機関がダウンしてるなら、流石にゲートロックも何とか――あ゛!?」


 命に関わるような状況ではないという頼もしい言葉に、安堵の息を吐いたのも束の間。

 携帯端末に映し出された施設のセキュリティ管理画面は、何故か未だにシンクマキナによってロックされたままになっている。


 ――この野郎やってくれやがる。小娘に凍らされてもまだ死んでねぇってのかよ。


 エーテル機関が動作不能状態になってもなお、内部のエネルギーパックがシステムを動作させ続けているのだろう。無人機の癖にどんな執念なのか。

 本当ならば、今すぐにテクニカへ退避して翡翠のチェックや恭一とポラリスの治療を行うべきなのだろうが、隔壁を越えられなければ玉匣に戻る事すら叶わない。

 さりとて、翡翠なしではシンクマキナを破壊することもまた難しく、俺は少しだけ思考を巡らせてから、大きくため息を吐いて電子タバコを踏み砕いた。


「逃げないんスか?」


「あぁ、残念だがまだこっからは出してもらえねぇらしい。だが、このままあの氷像キノコが溶けるまでにらめっこしてても、俺たちの状況は改善しねぇ。とりあえず英雄様と魔女っ娘を寝かせられる部屋探すぞ。話ゃそれからだ」


「え゛っ、まさかヒスイごと引き摺っていくとか言いません、よね……?」


「命かかってるんだから我慢しやがれ。どうせこいつを動かせねぇと、俺たちはお先真っ暗なんだからよ」


 あからさまに嫌そうな表情をするファティマを宥めつつ、俺はポラリスを背負ったシューニャ以外の全員に、翡翠を移動させるよう指示を出す。

 シンクマキナは氷が溶ければ再起動することだろう。それまでに恭一が目覚めるか、あるいは何かしら奴の装甲を貫ける武器が見つからない限り、自分たちに未来はない。

 唯一救いがあるとすれば、この場所が玉泉重工と通じていた特殊な地下研究施設であるということくらいだろうが、今はそれに賭けるしかなかった。



 ■



 瞼の向こうで白い光が瞬いた気がする。

 この感覚は何度も覚えがあり、それは得てして自分がをした時だ。

 おかげで瞼を開いた途端、目の前に広がるのが見覚えのない天井でも、僕は大して混乱しないで済む。とはいえ、こんな状況を何度も体験したくはないのだが。


「……寝台、か」


「おにーさん! 目が覚めましたか?」


 ただ、突如視界の脇から大きな猫耳が生えてきた時は、流石に少しギョッとしてしまった。

 身体の状態を確認しながら上体を起こしてみれば、ファティマが腰に絡みついてゴロゴロと咽を鳴らしている。シーツ越しに体温が伝わってくることから、どうやらまだ死んではいないらしい。

 となると、自然と疑問も湧いてくる。


「ここは……見たところ、玉匣ってわけじゃないようだけど?」


「研究所の居住区。ダマルが言っていた」


 声のした方へ顔を向ければ、少し古びた事務椅子に澄まし顔のシューニャが座っていた。


 ――白衣を着ていれば医者に見えそうだな。いやいやいや。


 自然と浮かんでしまった妄想を振り払い、その間にも頭をぐりぐりと擦りつけてくるファティマを撫でながら、僕は自嘲気味な笑みを浮かべた。


「また迷惑をかけてしまったらしいね……敵機は?」


「今は凍ってますよ。ポーちゃんがやりました」


「ポー、ちゃん……?」


 聞きなれない言葉に首を捻れば、シューニャはふぅとため息をつく。


「ポラリスは魔術師だった。それも、常識では考えられない程凄まじい力を持っている。あのマキナは、その力で氷の中に封じ込められた」


「それじゃあ、彼女が撃破を?」


「できたらよかったんだけどなァ」


 いつの間にか開かれた部屋の入口に、メカニックグローブを手に嵌めた骸骨が立っていた。

 相変わらず白い頭蓋骨からは表情がさっぱりわからないと言うのに、今回はどことなくウンザリしているように見える。カルシウムで構成された頭部だが、もしかすると僅かながら変形して表情を作っているのかもしれない。


「エーテル機関の稼働限界温度を下回って沈黙しただけだ。それもエネルギーパックが生きてるんだろうよ。未だに研究所のセキュリティは野郎が握ってる上、ポラリスが魔術とやらの行使でぶっ倒れちまったからな。まだ耐えてるとはいえ、温度が上がってくりゃいずれまた動き出すぜ」


「倒れた!? あの子は、大丈夫なのかい?」


 僕が慌てて寝台から立ち上がろうとしたせいで、シーツに押しつぶされたファティマが、おにゃっ、と妙な声を出して転げ落ちる。

 しかし、彼女のおかげで僕は一瞬思考がそれたため、取り乱さずに済んだと言っていい。ただ、何故ここまで過剰な反応をしたのかは、自分でも不思議でならなかったが。

 その一方、皆の反応は予想通りとでも言いたげな程落ち着いており、状況を説明してくれたシューニャに至っては、どこか呆れたような様子さえあった。

 

「魔術の行使で疲労して意識を失ったから、今は隣の部屋に寝かせてある。ただ、あれだけの力だと身体への負荷は想像がつかないから、今後はあまり使わせない方がいいかもしれない」


「そう、かい」


「まぁ、小娘のおかげで俺たちゃなんとか生きてるってぇ訳だ。まぁ多少時間が稼げただけで、状況が最悪なのは変わらねぇんだが」


 ポリポリと下顎骨の付け根を掻きながら、ダマルは大仰にため息をつく。

 だが、自分も失神しただけで体に異常がないのだから、まだ絶望するには早すぎると僕は寝台から立ち上がった。


「おにーさん、まだ立ち上がったら――」


「今は時間が惜しい。ダマル、さっきの攻撃の正体はわかるかい?」


「指向性の放電攻撃だろうな。あんだけ高威力な荷電粒子砲ぶっ放せるだけのジェネレーター出力持ってんだ。翡翠の絶縁をぶち抜くくらいの威力が出せても不思議じゃねぇ」


 成程、鈍重な機体の近接防御としては、納得のいく装備である。

 射程圏内に入れば回避はほぼ不可能と言っていい。しかも翡翠を行動不能に陥らせられるとなれば、1体1の接近戦ではほとんどの相手を封殺できることだろう。

 唯一の飛び道具だった突撃銃も弾切れした今、現状の装備でまともに戦える相手ではない。

 それでも僕は脱がされていた青い軍作業服に袖を通しながら、ダマルに問うた。


「翡翠は?」


「放電で受けたエラーに関しちゃ、セルフチェックプログラム走らせて復旧させてるところだ。ついでに、あんだけバカスカ撃たれてるもんだから装甲にダメージが蓄積しちまってる。どっちも完全修復にはそれなりに時間食うが……問題はそこじゃねぇわな」


 少なくとも機体は完全な状態でなくとも、動かすことくらいはできるだろう。

 となれば、解決しなければならない問題は至極単純だ。


「警備隊が常駐していた以上、この施設にはハンガーがあるはずだ。そこを見つけられれば――」


「武装が手に入る可能性も高ぇってか? カッ、外したら全員仲良く召されるたぁ、随分割に合わねぇ賭けもあったもんだぜ」


 警備隊の詰所に高火力武装など望むべくもないかもしれないが、あんな化物が居たのだとすれば何か置かれていても不思議ではない。

 無論、まだ施設内に危険が残っている可能性もあるが、今更の話だろう。


「武器が見つかれば……勝てる?」


「それで勝てなかったら、僕を恨んでくれて構わないよ」


 それこそ、骸骨の言う通り全員仲良くだ。しかし、自分のような兵士のために彼女ら全員が心中させるつもりはない。

 戦いで死ぬのは化石のような軍人1人で十分だ。どうしても敵わないなら、その時は道連れにでもなんでもしてやろう。

 そんなことを考えながらボタンをしめていたら、下からファティマに覗きこまれた。


「……おにーさん?」


「キョウイチ、何があっても刺し違えようなんて考えないで欲しい。私たちには、貴方が必要」


 表情に現れていたのだろうか。彼女らは揃って不安そうな視線を自分へ向けていた。

 全く鋭い娘たちだと、僕は少し悪戯気味な笑みを浮かべ、僕が2人の頭を力強くわしゃわしゃと掻きまわす。

 すると、普段とは違う撫でられ方にファティマが楽しそうに笑った一方、シューニャは頭を揺さぶられて身体をよろめかせていた。


「君たちは優しいな。安心してくれ、僕は800年経っても生きてるんだ。そう簡単に死んでなどやるものか」


 一端の機甲歩兵として、たかが無人機風情にくれてやる命など持ち合わせていない。

 ファティマは家に住んでみたいと言っていたし、シューニャにピルクのパイを買ってやれてもいない。数えれば自分は幾つも彼女らと約束を交わしていて、まだほとんどそれを果たせていないのだ。

 今度こそ、違えてなるかと拳に力が入る。同時に僕は目を細めてほくそ笑んだ。


「向こうの手品は見切ったんだ。人が如何に諦めの悪い生物か、しっかり教えてやろう」

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