第96話 気になる依頼

「えーっと……きん、きゅう――緊急依頼、であってるかい?」


 珍しくシューニャは出掛けてすぐ戻ってくると、そんなことを言いながらこちらに1枚の紙を手渡してきた。こんなところで日頃の読み書き訓練の成果が試されるとは思わなかったが、僕はなんとか苦心しながら表題を口に出す。

 だが内容の方は断片的だ。より複雑な文章だからか、まだ見たことのない記号がいくつも混ざりこんでいて意味を理解できない。

 しかし表題だけ読めれば十分だったらしく、シューニャは満足げに頷いて続きを補足した。


「コレクタユニオンが重大問題と判断した場合に告知される依頼。国家やテクニカから直接要求される場合もあるけど、今回はそうじゃない」


「テクニカに関することならともかく、できればあまり関わりたくないが……何か思うところが?」


「ん。私たちにとって有益な可能性がある」


 ただでさえコレクタユニオンなる魔窟に手を突っ込みたくないと思う中で、テクニカや遺跡に関する内容ですらなければ、自分が受ける理由はない。しかしそれを知っているはずのシューニャが、わざわざ依頼書を持って帰ってきたとなれば、全くの無関係というわけでもないのだろう。

 その理由を求めて、同行していたファティマにチラと視線を流したが、彼女は大きな耳を手でカリカリと掻いているだけで、こちらを見ようともしない。

 挙句シューニャが読み上げた内容からも、その中身はイマイチ把握できなかった。


「ロガージョの巣穴の駆除と調査」


「ロガージョ?」


 僕が聞き覚えのない単語に首を捻る一方、アポロニアがうげっと顔を顰めるあたり、シューニャだけが知っているような固有名詞ではないらしい。情報を求めてアポロニアに顔を向けると、彼女は赤茶けたポニーテールの後頭部を擦ってため息をついた。


迷宮建築士ダンジョンメーカーって呼ばれるデカい蟲ッスよ。帝国の鉱山地域じゃよく見かける厄介者で、あちこちに巣を掘り進んでは地盤が緩くなったり坑道とぶつかったりして何かと問題視されてたッス」


 デカい蟲、と言われて思い出されるのはポインティ・エイトだが、群れだけで組織コレクタを殲滅するような連中だとすれば確かに危険度は高い。それも緊急で依頼を発布するとなれば相当のものだろう。

 しかしそれはシューニャに軽く否定された。


「ロガージョは基本的に人間に興味を持たず、巣穴に侵入したりこちらから襲い掛からない限りは攻撃してこない。ユライアランドのような平地では大発生も稀で、これといった害もない」


「だとしたら余計にわからねぇな。町の下にでも穴を掘られたならともかく、野原のどっかに巣を作るくらいで緊急とまで言って目くじら立てるほどのことかァ?」


 ダマルがガントレットをひらひらと揺すりながら言うのも尤もだろう。

 そもそも人間を襲わない連中なら、わざわざ喧嘩を吹っかけたことになる。それでいて緊急依頼と言うのは、いくらなんでも間抜けが過ぎる。しかもそれで配下戦力を失って苦労するのはコレクタユニオンであり、フリードリヒである以上、彼の指揮能力を疑わざるを得ない。

 しかしシューニャは重要な部分が異なると指摘した。


「問題は何故コレクタが巣を刺激したかということ。今王都には私たち以外に組織コレクタが居らず、集団コレクタから成りあがりを求める者が多い。彼らは依頼の片手間にあちこちで遺物などの情報を集めている」


 危険を承知で現代では解明できない古代遺物を探し、テクニカや国家に売り渡すことで信頼と金、そして名声を獲得することこそ、大半のコレクタが目指す目標だと彼女は語る。

 そしてシューニャは依頼書の一点、謎の模様が刻まれた場所を指さした。残念ながら僕とダマルには全く意味が分からず、ひたすら首を捻る他なかったが。


「これはコレクタユニオンが特別に手配した依頼を示す印。個人コレクタが達成できれば組織化が認められる可能性が非常に高い。聞いたところだと、既にいくつかの集団コレクタが攻略に出向いて、そのことごとくが大きな被害を受けているらしい」


「それだけでは、僕らには関係がないように思うが?」


「重要なのは、特例的な組織化をコレクタユニオンが認めたこと。巣穴を最初に発見した集団コレクタの報告によれば、謎の模様が描かれた鋼の箱を内部で見つけたらしい。これをコレクタユニオンは大きな成果と判断している」


「なるほどな。組織はその箱とやらを、太古の品なんじゃねぇかと踏んだ訳だ」


 ダマルは机についていた肘を離し、納得したように腕を組んだ。

 地中に作られた巣穴で見つかった鋼の箱となれば、十中八九太古の遺物だろう。それも何かが描かれているのがわかるような状態で保存されているとすれば、抗劣化庫が稼働している可能性も高い。


「判断は任せる」


 シューニャはそう言ったが、その目はどこか確信に満ちていたように思う。

 情報は曖昧で不明瞭。しかし何もかも手探りな自分たちが動くには、十分すぎる理由だった。


「ただでさえ物資は貴重なんだ、誰かに荒らされる前に確認する必要がある。今日の夕方に王都を出て、夜のうちに目標地点へ移動することにしよう」


「決まりだな。じゃあ早寝といくか」


 誰からも反対意見が出なかったことで、僕たちは一時的に王都を後にすることとなったのである。



 ■



 白い前照灯に照らされた夜道を玉匣が進んでいく。

 ダマルの努力により、砲塔側面には誘導弾発射器ミサイルランチャーが取り付けられ、消耗していたチェーンガンの砲身も交換されていた。加えて注油作業なども行われたらしく、調子よく履帯を回して闇の中を突き進む。


「寝台で寝ればいいんじゃないかい?」


 ハッチから半身を出してみれば、夜中だというのにファティマは装甲に寝そべっていた。昼間なら寝心地の悪い日向ぼっことも言えるが、夜風に冷たい装甲の上というのは体調を崩さないか心配になってくる。


「今日はお昼にいっぱい寝ましたから、音を聞いて周りを警戒してるんです」


 ファティマはごろりと顔をこちらに向けたものの、言葉の通り大きな耳をクルクルと忙しなく動かしていた。

 走行音が喧しく響きわたる環境に、人間の耳では虫の音はおろか夜行性生物の鳴き声もかき消されて聞こえない。しかしキメラリアの鋭敏な耳には、どうやらしっかり他の音が聞こえているらしく、彼女はスンと鼻を鳴らして空を見上げた。


「……なんでか粉虫が沢山飛んでるので、こういう時は気を付けておいた方がいいですよ」


「粉虫?」


 彼女の言葉に目を凝らしてみても、虚空には闇があるばかりで何も見えない。おかげで首を捻っていれば、ファティマはそっと身体を伸ばして空を掴み、その掌を僕の前で開いて見せた。

 そこにあるのはファティマの細い手指だけである。しかし暫く凝視していると、僅かにその輪郭が僅かに滲んだようになった。どうやら非常に細かく、透き通った身体を持つ虫だったらしい。


「これが粉虫ですよ。夜にしか出てこないし、小さくて透明だから大人の人間には見えないっていいますね」


「おぉ……なんだか背中が痒くなってきたよ」


「噛んだり刺したりもしませんよ?」


 自分には目に見えない虫が居るというのがどうにも気持ち悪かったが、彼女にはその感覚が理解できないらしく、軽く手を振って粉虫を散らす。

 なんとなく外に居ること自体が嫌になった僕は、速やかに車内へ退避することを決め、ハッチへ滑り込む。

 だが梯子を下るより先に、ファティマの声に鋭く呼び止められてしまった。


「おにーさん、ボクの勘正解みたいです」


「勘? 粉虫が沢山飛んでるのは、って奴かい?」


 悪い予感と言い換えればいいのだろうが、言われて周囲を見渡せば途端に玉匣が急停車した。

 前照灯が照らす先に浮き上がった人影。ぼろを纏ったような恰好に錆びた鉄の棍棒のような得物を持った数人の男たち。

 思えば僕が直接目にしたのは初めてだったが、一瞬でダマルが初めて遭遇したであろう野盗連中と判断できた。


「ダマル、レーダー監視はどうなってる?」


『さっきからやたらとノイズが走りまくる所為で、人間の反応を見落としちまったぜ。まるでチャフ撒かれてるみてぇだ』


 ダマルの言い分からファティマの勘が急に現実味を帯びてきて、僕はついつい顔を引き攣らせる。

 まさか粉虫にジャミング効果があるとは思いたくないが、状況から考えればそれが最も現実的であろう。

 舌打ちをしながら周囲に現れた人種の群れに視線を回せば、ニヤニヤした笑顔が続々と光の中に数を増やしていく。それはいつの間にか玉匣を取り囲めるほどの数に膨れ上がっていた。

 集団にはキメラリアと人間が入り混じっており、総じて装備品は貧相。背後には短弓を構える者も居るようで、松明を火種にしていつくも火矢が浮かび上がっている。


「いい夜だな兄さん?」


 野盗らしき奴らの中で、1人比較的まともな斬馬刀を持ったキメラリアが声を発する。どうやらケットらしく、猫のような髭と手足に毛を生やして細い尾がユラユラと揺れていた。

 集団全体の栄養状態が随分悪いのか、身なりの汚さと酷く痩せた姿は野党と言うにも痛ましい。そして何より辺りに漂い始めた鼻をつく異臭に、僕は自然と顔を顰めてしまう。

 しかしそんな野党連中が相手の表情を伺うはずもない。ケットはへんと鼻を鳴らして斬馬刀を肩に担いだ。


「俺たちゃ腹が減っててな、兄さんなんか持ってねぇか? もちろんタダとは言わねぇよ、俺たちが安全を保障してやるぜ」


 どこで拗らせれば、それをタダでないと言い張れるのか。僕はため息をつきながら無線に声を発した。


「ダマル消灯してくれ、3秒間機関銃を掃射する。その後全力で強行突破だ。アポロは後方ハッチから敵を迎撃」


『あいよぉ、犬娘仕事だぜ』


 無線から響いた唸り声は聞かなかったことにして、僕は男に返事を言う前にハッチから砲手席へ滑り降りた。ファティマも続いて梯子を滑り降りてくる。


「自動対人目標設定、制圧射撃開始」


 僕が一切の躊躇いなく攻撃目標を設定すると、たちまち鳴り響いた派手なドラムロールが地面を粟立たせた。

 突然襲い掛かった弾雨に、前方の数人が一切の反応ができないまま倒れ込む。

 それはあまりに一瞬の出来事で、ケットの男は表情もそのままに硬直していた。しかしダマルがアクセルを一杯に踏み込み、玉匣が弾かれたように突進すると慌てて弓持ちに指示を飛ばした。

 空を覆う火の雨に対し、装甲車は猛然と突き進む。その勢いに慌てて野盗の多くが道の端へと転がる一方、あのケットだけは腕に自信があるらしく斬馬刀を構えて立ちふさがった。

 尾の毛を逆立てて斬りかかってくる心意気こそ見事であり、しかし無謀でもある。最も堅牢な正面装甲には錆び付いた刃など通るはずもなく、おぉんという情けない声と共に車体に撥ねられて道路脇へ転がり落ちていった。

 野盗共もそれで諦めればいいものを、頭目をやられたならば仇を、などとでも思ったらしい。謎の忠誠心を発揮して、一様に得物を抜き放ち追いかけてくるのだ。

 しかし玉匣には早々追いつけるはずもなく、挙句前に出た所為で連携の取れない火矢に射抜かれるなど、なんとも悲惨な状況が生まれる。

 ただ玉匣も全力で走れるような環境ではなかったため、一部のキメラリアは見事な健脚で取り付く手前まで迫っていた。しかしまさか後部が開く構造だとは思っていなかったらしく、先頭を走っていた犬面は蹴り開けられたハッチを顔にぶつけられ、見事にその場で転がされた。


「追ってくるなら容赦しないッスよぉ!」


 今こそ訓練の成果を見せるときと、アポロニアは腰に3つの弾倉を突っ込んだ姿で自動小銃を後方に向けて構える。それを守る形でファティマがバヨネットを構え、流れ弾のように飛び込んできた火矢を見事に叩き落した。


「寝床が燃えたらどーするんですか! 犬、サクッと殺っちゃいましょう」


 チリチリと燃える油紙を剣先で払いのけた彼女は、自らのスペースとして大切にしている寝台が被害を被りかけたことに憤慨していた。大きな耳を後ろに下げて毛を逆立てながら、腹の底から唸り声を響かせる。

 自分の命が狙われていることよりも、寝台が破壊されそうになって怒るとは非常にファティマらしいが、その様子にアポロニアは肩透かしを受けていた。


「ベッドと命が等価ってのも中々悲惨ッスねぇ……ケットの同族も居たじゃ無いッスか」


「あんな汚っこい知り合いなんて居ません。それに知り合いだったとしても、ボクの寝床に手を出すならボコボコポイです」


 ふんすと鼻を鳴らす彼女は擬音語で誤魔化していたが、その血生臭さは全く拭えていない。おかげで砲手席から状況を見守る僕は、ファティマの寝床は手出し無用と唾を呑んで心に刻んでいた。あの蛮力でボコボコポイなんてされた日には、全身ぐちゃぐちゃにされてしまいかねないのだから。

 これには流石のアポロニアも返事に窮したらしく、会話は断続的な銃声に置き換わった。砲手席のモニターに映し出される後ろの景色では、直撃を受けたであろうキメラリア達がゴロゴロと転がっていく。

 彼女は教えたとおり、近づいてくる連中に向けて単射で狙いをつける。命中率はそれほど高くはないものの、教科書通りの射撃で確実に数を減らしていった。

 足の速いキメラリアが全滅するまでものの数分。最後の1人がフルメタルジャケット弾に喉笛を貫かれて転がされ、レーダー異常に端を発したしょうもない戦闘は、あっけなく幕を閉じたのだった。

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