第277話 天海航空チャーター便

 目の前で長い尻尾と三つ編みがユラユラ揺れている。

 何やらゴキゲンなファティマは、聞き覚えのない鼻歌を口ずさみながら、いつぞやウィラミットから貰ったロープを担いで、足取りも軽やかに大地の裾を歩いていく。

 その様子は適当にぶらついてるだけのようにも思えたが、決して地形の確認という目的を忘れたわけではないらしく、彼女は時折崖の周りをぐるりと回ってみては、ふむぅ、と唸っていた。


『何か探してるのかい?』


「ええ、まぁ、そんなところなんですが――あっ、これいいですね」


 ロックピラーはテーブルマウンテンが乱立する特有の地形によって、地上での見通しは何処へ行ってもすこぶる悪い。

 そのため僕は、台地の頂へ上る道でも探しているのだろう、と勝手に想像していたのだが。


『これ、と言われても……僕には今までとの違いが全く分からないんだが』


 ファティマが駆け寄った場所へ目を凝らしても、そこにあるのは今までと変わらずただの崖であり、登り口らしき場所は何処にも見当たらない。

 しかし、一体何が他と違うのか、と僕が首を傾げている内にも、ファティマは肩にかけていたロープを、慣れた手つきで自らの腰に巻きつけると、こちらへ駆け寄ってきた。


「はい、おにーさん」


『いや、はいじゃなくて――何をする気だい?』


「地形を確認するには、崖の上に登った方がいいでしょ? この辺りなら、これが1番高そうですし」


 何ボケたこと言ってるんですか、みたいな顔でファティマは首を傾げてくる。ただ、足りないのは自分の想像力ではなく、彼女の説明だと声を大にして言いたい。

 ただ、垂直に伸びる赤土の崖と、彼女の胴回りに巻かれたロープを手渡されたことにより、何を望まれているかは流石に理解できた。あまり理解したくはなかったが。


『もしかして、君をぶら下げて飛べと?』


「はい。前にマオリィネを抱えて飛んでましたし、崖を登るよりその方が楽し――安全そうだったので」


 零れかかった本音を両手で押さえたファティマは、身体をメトロノームのようにゆっくり揺らしながら、チラチラとどこか期待の籠った視線を投げかけてくる。

 おかげで僕は、げんなりとため息を零した。


『……あれは一種の緊急対応だったからで、マキナは人員輸送機じゃないんだ。それに、上を見てくるだけなら僕だけで――』


「おにーさん、もしかしてボクの事、置いて行っちゃうんですか……? ボク、もう必要なくなっちゃったんですか?」


 十分だろう、という言葉は、揺れる金色の瞳に喉の奥で引っかかる。

 硬い翡翠の手にそっと触れてくる彼女は、捨てないでと言わんばかりの表情を浮かべており、ぺたりと伏せられた大きな耳と、今までと打って変わってだらりと垂れ下がった尻尾は、一層の悲壮感を醸し出していた。

 これが演技であることは明らかである。だが、今にも泣きだしそうな顔をした彼女を振り払うことなど、自分にできるはずもない。


『ぐ……そ、そんな顔をするんじゃない。それに必要ないなんて、僕が言う訳ないだろう』


「……ホント、ですか? ボク、おにーさんについていってもいいんですか?」


 それはあからさますぎるものの、しかし回避のしようがないトラップだった。

 ここでいいと言ってしまえば、快適な空の旅への御招待にほかならず、ダメと言えば一切の同行を拒否したと拡大解釈されることだろう。

 そのため、僕は僅かに言い淀んだのだが、間違いなくこれは最悪の判断だった。


「あ、やっぱりそうですよね……困らせちゃってますよね……」


『ち、違う違う、そうじゃなくて! あぁもうわかった! 抱えて飛べばいいんだろう!? ハイヨロコンデ!!』


 影を落とし、なんなら涙まで浮かべた迫真の演技に、僕は安全意識だのなんだのを容赦なくドブへ捨てた。

 これで自分も飛ばないなどと言った日には、地形を把握するという本来の目標を達することが難しく、最悪は2人仲良く、安全装備無しで崖登りをすることになりかねない。

 であれば、如何に人を乗せて飛ぶことを想定していないマキナであろうとも、ファティマの要望に応えて飛行したほうが、まだいくらか安全である。僕はそう結論付けることで、無理矢理自分を納得させた。


「んふふ、お許し、ちゃーんと聞きましたからね」


『全くとんでもない娘だよ……ほら、おいで』


 ひまわりのように笑う彼女に対し、僕は負けた負けたと降参を表明し、青い肩にアラネアロープをがっちり巻き付けて軽い身体を抱え上げる。

 するとファティマは甘えるようにゴロゴロと咽を鳴らし、硬いであろう翡翠の胸に顔を摺り寄せた。


「優しいおにーさんは、大好きですよ」


『からかうんじゃない。できるだけゆっくり飛ぶし、ロープで身体も固定しているだろうが、本来の使い方じゃないんだ。どこでもいいからしっかり掴んでいてくれ』


「はぁい」


 明るくはきはきとした返事に、僕はまたも大きくため息をつきながら、しかしやると言った以上は、と腹を括って空戦ユニットの表示を睨んだ。

 それに呼応して青い炎は、ゴォ、と音を立てながら地面を舐め、背面では折りたたまれていた細い翼がゆっくりと展開される。

 舞い上げられる砂塵にファティマが大きな目を閉じたとき、翡翠の足は周囲の様子から想像もつかない程穏やかに、ゆっくりと地面から離れた。

 できるだけ負担の大きい垂直上昇を避け、円柱状に盛り上がった台地を回るようにしながら徐々に高度を上げていけば、やがて暑い風が砂埃を払ったのだろう。ファティマは再び目を開けると、パっと表情を輝かせた。


「おぉー! ホントに、ホントに飛んでます! 飛んでますよおにーさん!」


『そりゃ、飛べないんじゃ空戦ユニットの意味がないんだから。乗り心地はどうだい?』


「風がとっても気持ちいーです!」


『そいつはよかった。誰かさんは随分怖がったんだが』


「なんででしょう!? こんなに楽しいのに、勿体ないですね!」


 降ろして助けてと叫んだマオリィネに比べれば、その反応はまさしく正反対で、ファティマは大きな耳を風に弄ばれながら、心の底から楽しそうに笑ってみせる。

 時間にしてたった数十秒。この辺りで最も高い台地なのは間違っていなくとも、空戦ユニットを装着した翡翠はあっという間にその頂へとたどり着いた。

 そこでまた翼を畳み、彼女を土の上へと下ろせば、余程面白かったのだろう。興奮冷めやらぬファティマは、向かい風に猫耳をひっくり返されたことにも気づかないまま、ほぁー、と妙な声を出していた。

 逆に自分はそこそこ気を遣ったため、一瞬にも関わらずほんのりと肩が凝ったように思えてならなかったが。


「とっても素敵でした……ね、おにーさん、もう1回やってくれませんか?」


『気に入ってくれて何より。だが、先にやるべきことを済ませてしまおう』


「あ、そうでしたそうでした」


 本気で忘れていたのだろう。ファティマはいそいそと腰からシートベルト代わりのロープを外したかと思えば、切り立つ崖の縁まで歩いていって、周囲の様子を見回しはじめる。

 ロックピラーを上から見るのは初めてだが、どの台地も大きさ以外は似たようなもので、頂上部分はほとんどがなだらかな地形になっていた。わかりやすい違いがある場所と言えば、広い頂上部を持つ台地に、雨による浸食で抉られたらしい窪みが見えるくらいである。

 ただ、人工物も自然物も特徴がないというのは、中々厄介な問題でもあった。


『上から見たところで、こうも似たような地形が並んでいるとは……これでは、どこがどこやら』


「街道はあの辺りだと思います。ほら、谷の出口があそこに見えますし」


『すまない。同じような谷の出口がありすぎて、君の指してるのがどれかもわからない』


 東西を結ぶ主要な街道が走っている以上、少なくとも他の谷よりは広くなっているのではないかと思ったのだが、彼女の指す方角をズームしてみても、地面から壁や柱のように生える台地が大きくなるばかりで違いは全く分からない。その上、自分たちの立っている場所からでも、林立する他の台地に阻まれて地面を見ることはほとんど叶わず、往来の痕跡などを目印とすることも不可能だった。

 とはいえ、僕が景色と地図とを照らし合わせていると、ファティマは何かを思い立ったらしい。こちらの正面へ回り込むと、微笑を浮かべながら体を傾けた。


「それなら、もっと近づいて確認しましょ? ほら、せっかくここまで来たんですから」


 せっかく、というほど要塞から離れてはいないが、そんなものは方便だろう。

 何せ、金色の瞳はまたも爛々と輝き、口調にまで明らかな期待が込められているのだから。

 いかに鈍感が過ぎるこの身であろうとも、流石に彼女が望んでいることは容易に理解できる。いや、これでできないほうがおかしいと思うが。


『……それはつまり、ここから向こうまで君を抱えて飛べ、ってことかい?』


「ボクはなーんにも言ってませんよ。その方が楽ちんだろうなー、とは、思いますけどね」


 そう言ってはにかみながらも、視線はこちらのアイユニットを捉えて離れない。

 しかも、こちらが対応を決めかねているとわかるや、長い尻尾の先を小さく揺すりながら歩み寄ってきて、腰を少し曲げながら甘えたような上目遣いを向けてくる始末。自ら、好きなものにはしつこい、と豪語するだけのことはある。

 おかげで僕は全ての否定的な思考の一切を、どうせ帰りだって抱えて飛ばねばならないのだから、1回も2回も一緒だ、とヤケクソ気味に投げ捨て、期待を乗せて突き刺さるファティマの視線に対し、両手を挙げて降伏を宣言した。


『わかったわかった、僕の負けだよ。もう一度、快適でも安全でもないフライトにご案内だ』


「んふふ、おにーさんだから安心してるんですよ――っと」


『全く、そんな殺し文句をどこで……あぁもういいや』


 どこか小悪魔的にも思える笑みを浮かべた彼女は、2回目にして早くも手慣れた様子で安全対策のロープを結び、翡翠の腕の中へとすっぽり収まって体重を預けてくる。

 マキナのパワーによってファティマの体は紙のように軽くとも、寄せられる全幅の信頼は重電磁加速砲リニアカノンよりなお重い。

 だから僕は一層操縦へと意識を集中し、台地を蹴って宙を舞った。


「アハっ! 体がふわふわして不思議な感じです!」


 先ほどとは違い、緩やかに下降する独特な浮遊感に、彼女はまた楽しそうに笑う。

 その様子はとても愛らしいのだが、緊張感を最大まで高めている自分は、表情を隠すヘッドユニットの中で、いつも以上に引き攣った笑いを浮かべるしかない。


『あんまり喋ると舌を噛むよ』


 向かい風にまた大きな耳をひっくり返されながら、彼女は、はぁい、と甘い声で返事をする。

 そんな微笑ましくも思えるやり取りの直後、突如耳元で電子音が鳴り響いた。


 ――生体反応?


 レーダーに映りこんだ人間を示す光点に、僕は一気にスピードを殺して姿勢を整える。

 元々大した速度ではなかったが、それでも今日行った挙動の中では最も激しいものであり、ファティマは少し驚いたように腕へ強くしがみつくと、こちらを見上げながら首を傾げた。


「おぅぁっ!? お、おにーさん、どうしたんですか? 街道の通ってる谷はまだ先ですけど――」


『西に人間の集団らしきものを確認した。一旦手前の台地に着地して様子を見る』


 状況を説明しつつ、何者かに発見されないよう高度を落としていく。ただでさえ空戦ユニットの噴射音はうるさいため、地形で視界を遮らないことには、遠くからでも見つかる可能性は高いのだ。

 そんなこちらの判断に、ファティマも警戒感を抱いたらしい。表情はいつも通りのぼんやりとしたものではあったものの、先ほどまで纏っていた無邪気な雰囲気を完全に霧散させた。


「敵ですか?」


『さて……それは相手が見えてからのお楽しみ、かな』

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