第226話 シンクホール
『これは……なんというか、凄い景色だな』
スクールズに続く獣車と共に街道を抜ければ、狭隘な渓谷に阻まれていた視界は突然大きく開け、すり鉢状の地形に田園地帯が広がっていた。
周囲は断崖絶壁の岩山が天然の防壁を築き、その内側にあるクレーターのような場所で農業が営まれている。それもなだらかな傾斜を利用して、岩山から湧き出す地下水が田畑に自然と流れるように作られているらしい。
「あぁ、隕石でも落ちたのかって地形だぜ。それに中心はなんだ? 露天掘り鉱山でもあるみてぇじゃねぇか?」
幌から兜を覗かせるダマルは、景勝地を訪れた観光客のように周囲の景色への感想を述べる。
水田にはコゾとも違うらしい穀物が植えられ、その中で草編の笠を被った農民が仕事に勤しんでいるのは、なんとも長閑で生活感のある景色と言えるだろう。また、防壁の内側に農地を有するのは、防衛という観点から見ても非常に強力だ。それに加えてなにかの鉱山まで保有するとなれば、都市国家とでも呼んだ方がいいかもしれない。
自分や骸骨は籠城特化型の集落に感心する一方、アポロニアはその光景に違和感を覚えたらしい。
「なんかこう家が少ないというか、普通の村と比べて田畑ばっかりじゃないッスか?」
「確かにそうね……農民の数は多いのに、建物が明らかに少ないわ。それに遺跡なんてどこにもないような――シューニャ?」
「すぐわかる」
全員から疑問の視線が集中する中、シューニャはわざとらしく答えを口にしなかった。
獣車の外を歩く自分の目にも、見えるのは点々と存在する木造の高床式建築物くらいで、800年前から存在する建物はまったく見受けられない。とはいえ、ここまで来て本当は遺跡などありません、などと彼女が言うはずもないため、考えられるのは地下となる。
この予想は当たっていたと言っていい。しかし、スクールズにご覧下さいと指さされた先にあったのは、想像していたものとは大きく異なる光景だった。
「これは……地下都市、なのか?」
大型ヘリコプターでも余裕で出入りできそうな広い竪坑に見えたのは、その空間に蜘蛛の巣のように橋を渡し、壁面に穴を穿って暮らす人々の姿である。灯の光が届かない空間ではあるためか、あちこちに小ぶりな
「ここが司書の谷の市街。下層部に多数の遺跡施設と、最下層に封印を内包する守護の穴」
「すっごぉーい! こんなにおっきい穴がおうちなの!?」
「ほ、ほんとに、ね」
シューニャのどこか自慢げな説明に、ポラリスはぴょんぴょんと飛び跳ねて興奮する一方、高所が苦手と言っていたマオリィネはそっと目を背ける。
そんな彼女らの反応がよかったからか、先導していたスクールズは大口を開けて笑った。
「ハッハッハァ! 素晴らしい反応をありがとう! 我ら司書はいにしえより今まで、この守護の穴で暮らしてきたのだ」
「な、なるほど……確かにこの感じだと最大の遺跡っていうのも頷けるッス」
「でもこれ相当深いですよ。どうやって降りるんですか?」
「入口は幾つかあるが、獣車ごと入れる広い坂道は向こうに1つだけだ。案内しよう」
そう言ってスクールズは手綱を引いて、再び先導を再開する。
すると彼の言った通り、間もなくぽっかりと口を開けたスロープが姿を現した。地下なのですぐに方角は見失うが、どうやら大穴の周囲を回るように道が掘られているらしい。
堅牢な地盤をくりぬいて作られたスロープを下っていけば、やがて吹き抜け空間が前に広がった。そこは上から覗き込んでいた大穴の壁面を抉って作られた周り廊下のような場所であったが、看板をぶら下げた商店らしき部屋が並び、行き交う住民らしき人々も多く、商店街という雰囲気が感じられる。
「獣車やマイリッチで入れるのはここまでとなります。この先は太い道がありませんので、どうぞご容赦を」
「おおー……本当に穴だらけですね。なんていうか、ロガーにょぶふ――!?」
荷台から降りて早々、周囲を見回したファティマは素直な感想を口にしようとしたのだろうが、某巨大蟻であろう名前を言い切る前に、慌ててシューニャがその口を塞いだ。
「ファティ、それ禁句」
「――
「私は気にせんが、まぁ虫と同じように言われて喜ぶ人はおらんだろう。違うかね、毛無の娘よ」
ファティマの例えは誰しもが納得できるかもしれないが、確かに面と向かって、お前の家はアリの巣みたいだ、などと言うのは失礼である。それも現代では下に見られるキメラリアが口にすれば、大きなトラブルになりかねない。
しかし、温厚なスクールズは彼女がコレクタの一員だったからか、僅かに声を低くしただけで優しく諭してくれた。
『知らぬとは言え、身内が失礼しました。今後、気をつけます』
「私も先に伝えておくべきだった。ごめん」
「ごめんなさいです」
「なんのなんの、ここで分かってもらえてよかったと言うべきでしょうな。中には名前を聞いただけで激怒するような、気の短い者も居りますので。さ、行きましょう」
ハッハッハとまた大きく笑いながら、底抜けに明るい髭の警備隊長はズンズンと先へ進んでいく。
たとえ地中に住んでいても、髪の色が揃って金髪で緑色の瞳をしていても、人間が集まれば気性の荒い奴が居るのは変わらないらしい。それはキメラリアも同じであるため、ファティマは珍しく少ししゅんとなっていた。
そんな彼女をシューニャは気にしない気にしないと慰めたのだが、それを歩きながらちらと見たスクールズは、何か恐ろしい物でも見たかのような表情をしていたように思う。
それでも彼はここが居住区だとか、人力式の昇降機が存在するだとか、そんなガイド的なこと以外は特に口にせず、どんどん下層へ下層へと降りていく。
ただ、固い岩盤をくりぬいたような場所を越えると、建設途中のまま放置されているようなコンクリートの空間に変わり、いくつも並ぶ部屋はどれもこれも、現代的な木製の扉を無理矢理に埋め込んだような不思議な空間だった。
そんな中、スクールズが入っていったのは、開け放たれたままの大きく立派な扉である。その広い部屋は講堂か会議場か、あるいは玉座の間といった雰囲気であり、最奥には全身をローブで覆った性別不明の存在が、1人で腰かけたまま香を焚いていた。
「……管理官、お客人をお連れしました」
「うむ。スクールズ、ここを外から遮断せよ。誰人も入れるな」
「ハッ」
しわがれた声が指示を出せば、髭の警備隊長はガシャガシャと鎧を鳴らしながら部屋を出ていく。
すると残された自分たちに向かって、その謎ローブこと管理人はゆっくりと振り返った。
「よく参られた封印を解きし者たち――そしてティムケンの娘、追放者シューニャよ」
「管理官、お久しぶりです」
『管理官? この人が――』
シューニャと同じ金髪に緑色の瞳ながら、男の顔には深く皺が刻まれており、四角い顔は厳しそうな印象を受ける。その姿に彼女は流れるように膝をつくと珍しく敬語を使い、それに従うように皆もとりあえず頭を下げた。
しかし、男はシューニャのことよりも自分が声を出したことに驚いたらしく、大きく目を見開くと、両腕を広げながらこちらに歩み寄ってきた。
「ほぅ、噂の通りリビングメイルが喋るとは……俄かに信じがたい話だが、となれば其方がアマミ・キョウイチで間違いないか?」
『ええ、自分が天海恭一です。それで、貴方は――』
「司書の谷、当代管理官のアルト・リギ・ニクラウスである。遠路はるばる、よくぞ来てくれた――のだが、まさか追放者が同行するとは思わなんだぞ。これは少々厄介な問題だな」
自分達を歓迎する意思に嘘はないのだろう。ニクラウス管理官は薄く微笑みを湛えながら、翡翠の装甲に手を触れてくる。しかし、ちらとシューニャに視線を向けた際には、皺が刻まれる目に異なる意志が浮かんでいた。
話に聞いた通り、彼女へ罪を問うたのが管理官ならば、ニクラウスが司書の谷において首長的立場であることは間違いない。だからこそ、掟という法を絶対と考えるのは当然といえば当然だった。
とはいえ、その宣言を撤回する力を持つのもまた長たる者でしかないため、自分はここぞとシューニャとの間に立ちふさがる。
『それなのですが、彼女の過去がどうであれ今のシューニャは自分の身内です。我々の力を必要とする以上、不問とすることを絶対条件としていただきたい。それでも、彼女に危害を加えるつもりであれば、我々は剣を抜かねばならなくなります』
「む……流石に守護の穴でリビングメイルに大暴れされては、こちらにどれほどの被害が出るのか想像もつかんな。しかし、我々は掟に従って生き、掟に従って死ぬことで、太古よりこの地を守り抜いてきたこともまた事実。そこに極端な例外を設けるわけにはいかん」
『では戦いますか? この地が焦土となり、世界からシューニャ以外の司書と呼ばれる人間が全て消えるまで』
つれない返答に、僕は僅かに声を低くして拳を握る。その様子にシューニャは背後で不安げな視線を向けていたが、逆手で静かにと小さくジェスチャーを送った。
以前シューニャに告げた通り、彼女の故郷を焼き払おうなどとは微塵も思っていない。それどころか、どうしても掟優先で彼女が殺されるような事態になるなら、さっさと全員を連れてトンズラするつもりだった。ただでさえ迷宮のような地下市街地で戦闘となろうものなら、全員を守りながら自分1人で戦うなど容易ではない。
つまりこれは、相手を揺さぶるための脅しに過ぎず、指導者たる男もまた、この程度で揺らぐほど凡愚でもなかった。一息で人命を奪える金属の化物を前にしながら大口を開けてひとしきり笑うと、今度は口を閉じて鋭い視線を向けてくる。
「ハッハッハ! なるほどなるほど――実にコレクタらしい過激な考えだが、それでは互いにとって不利益にしかならんことは、まさか理解できんわけでもあるまい?」
『もちろんです。我々がここに来た目的は、ニクラウスさんも先刻ご承知でしょう』
「無論。しかし、我らにも簡単に譲れぬ話でもある。そこで、お主らが真に太古より約束された来るべき人物なのかを試させてもらいたい。神代文字を読み解き、遺跡を開くことができる者であることをな」
『それができれば、シューニャは追放者でなくなると?』
「当然だな。まぁどちらにせよ、遺跡の奥へ立ち入るためには神代文字が読めねばならぬから、そちらに損はあるまい。それに、お主らが言い伝え通りの人物であるとなれば、司書はお主らに従わねばならん。そういう掟なのだ」
ニクラウスはこちらの度胸を試すように、クッと口の端を釣り上げてみせる。それは財宝と権力を前にして、まさかコレクタが逃げないだろうな、とでも言いたげだった。
しかし、ダマルは掟の強制力に呆れたのだろう。鎧を鳴らして1歩前に出ると、馬鹿にしたように肩を竦める。
「オッサンさんの頭ん中は花畑でできてんのか? ぽっと出の相手に、ここに住む全住民の生殺与奪の権利を握らせようなんてよ」
「我ら司書はここの守護を神代の父母より仰せつかった身。太古より約束された来るべき人物が現れるまで、この地を誰人にも荒らさせぬことと、その者に従うことが使命なのだ」
「カラーフラ教の宣教師より堅物って感じね。感心するわ」
ニクラウスにとって、あるいは司書の谷に住まう全員にとっては当たり前のことなのだろう。彼の言葉には一片の迷いもなく、加えて自分たちにどこか期待を寄せている風すら感じられる。
とはいえ、誰が聞いたともしれぬ言い伝えが人間集団の未来が決定するなど、少なくとも自分やダマルには理解できる感覚ではなく、なんなら現代人であるマオリィネにさえも信じがたい言葉だったらしい。僅かに引いた様子で半眼をニクラウスに向けていた。
ここまで厳格な掟に挑戦することに対し、アポロニアは僅かに腰が引けたのだろう。未だに笑みを崩さない管理官へ向かい、恐る恐ると言った様子で質問を投げた。
「あの、一応聞いときたいんスけど……もしも自分たちが来るべき人物じゃなかった場合、どうなるッスか?」
「そうなれば遺跡が牙を剥くだろうが、少なくとも我々はお主らに危害は加えんと約束しよう。ただし、追放者は別だがな」
さらりと言い放たれる、セキュリティは生きているという言葉に、アポロニアは以前のスノウライト・テクニカにおける戦闘を思い出したらしく、うげぇと舌を出す。それも今回は、玉匣はおろか対戦車擲弾発射器すら持ち合わせていないという状況なので、マキナが出てきた際は自分かポラリスでないと対応も難しい。
だが、遺跡に潜る以上危険は承知の上であり、僕は改めてニクラウスに向き合って頭を下げた。
『いいでしょう。自分たちにはその選択肢を取る以外に道はありませんし、古代文字を読み解くくらいなら、自分たちには造作もないのですから』
自分の返事は満足の行く物だったらしい。堅物そうな見た目に違わぬ管理官は、
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