第72話 ユライアシティ支部

 陽が上がってから見てみれば町というのは随分雰囲気が違うものだと思う。

 道を挟んで2、3階建てほどの家々が連なり、それらを内外に分離するように櫓や塔を備えた背の高い市壁が囲んでいる。しかし見た目には重厚な防壁であっても、建設から長い年月を経ているらしく、あちこちで修復工事が行われていた。


「王都っつぅからには、バカでかい城がど真ん中に建ってるイメージだったんだが、見当たらねぇな」


 拍子抜けだと言わんばかりに兜を傾げるダマルに対し、シューニャは王都と城という貧相なファンタジーイメージが想像できなかったらしい。訝し気な視線を向けて、そんなものはない、とバッサリと否定した。


「町の中央にあるのは大王宮。王国の内政外交両方が行われる中心で、加えて王侯一族が居住する建物」


「王宮ねぇ? まぁ用事はねぇだろうが」


 自分たちはテクニカや遺跡に関する情報収集が目的であり、それは戦力や生活向上のために重要ではある。

 しかし王宮やら貴族街やらという、明らかに面倒なことになる範囲にはできるだけ近づきたくないのだ。それこそ、翡翠のアクチュエータを手に入れる方法がそれしかない、などという事態にならない限りは。


「ここが目抜き通り」


 そう言ってシューニャが指さしたのは、昨日くぐった市壁門からまっすぐ伸びる太い道だ。

 ボスルスが牽引する荷車が行き交い、農民職人商人に兵士も加えて複雑な雑踏を形成したその場所は、夜鳴鳥亭に続く街路とは比べ物にならない程賑わっている。そんな人混みの中をシューニャに先導されて、僕らは町の中心付近にある広場へと向かった。


「おぉ、こりゃすごいな」


 そこは色とりどりのテントが立ち並んだ朝市であった。

 露天商たちは各々威勢のいい声を張り上げて目玉商品を叫び、大勢の買い物客が沢山の商品を抱えて右へ左へ歩いていく。

 その様からは、この国が戦争中だなどとはとても思えなかった。あるいは王国の人々は帝国を脅威と考えていないのかもしれない。


「同じ戦争当事国でも、ここまで違うか」


「王国は国境線を動かす戦いをしていない。圧倒的に潤沢な兵糧備蓄を利用した防衛戦闘をするだけで戦争を長引かせているし、もしかしたら帝国が餓死して内側から崩壊するのを待っているのかもしれない」


「消極的な戦い方だな。賢いと褒めるべきか、陰湿だと蔑むべきか……」


 戦争を継続している限り、国民の命は大なり小なり確実に消耗していく。にもかかわらず人々の顔に不満や不安が見られないならば、その治世の良さは称賛に値する。これで種族に対する差別などが無ければ、永住することを考えてもいいくらいだ。

 他愛のない会話をしながら市の中を進んでいけば、やがて広場を抜けて反対側の通りに出る。

 シューニャはその通りに面した、一見何の変哲もない建物の前で足を止めた。強いて周囲との違いを言えば、謎の模様が入った木製の看板がぶら下げられていることぐらいだろう。


「ここがコレクタユニオンのユライアシティ支部」


「へぇ、こりゃまた随分印象が違うなぁ」


 バックサイドサークルの印象が強すぎて天幕を思い浮かべるせいか、他の家々と同じような建物には、凄まじい違和感を覚えてしまう。彼女に続いて開かれたままの扉をくぐれば、その違和感はいやまして膨らんだ。

 入って早々目につくのは掲示板とベンチ、そして飾り気のない受付カウンターであり、酒場のような施設は見る影もない。受付の奥で事務作業に追われる職員も含めて、まるで役所のような雰囲気だった。


「ダマルとアポロニアは、ここで待っていてほしい」


「あいよぉ」


「了解ッス」


 ダマルが作業用グローブをプラプラとさせ、アポロニアと共にベンチへ腰を下ろしたのを確認すると、シューニャは改めて1つのカウンターへと向かって歩き出す。

 その中で彼女が目指したのは、他と比べて明らかに1箇所だけ空いている、右角のブースだった。


「フリーピッカー、シューニャ・フォン・ロール。手続きをしたい」


「フリーピッカーの受付は一番左。ここは組織用って書いてあるでしょう」


 予想していたのとは大きく異なる杜撰な対応が返ってくる。字が読めないのかとでも言いたげだ。

 シューニャの背中越しにカウンターの中を覗き見れば、大きな眼鏡をかけたビジネスマン然とした男が、書類の束と向き合っていた。

 フリーピッカーと名乗った彼女に向き直ることもなく、一瞥した書類にため息を落として、ここが間違っている、と隣の女性職員へそれを投げ返している。

 これでは人が寄り付かないのも当然であろう。ただ、そう言った一般論はシューニャに一切通じない。


「組織コレクタに仮所属している」


 感情を乗せずに放たれたこの一言に、初めて男の手が止まった。


「私の記憶が間違っていなければ、王国領内に活動中の組織コレクタはないはずですが」


「帝国領バックサイドサークルから、先日移動してきたばかり」


 シューニャの言葉に男は僅かな間をおいてから、諦めたように眼鏡の位置を片手で修正すると、ようやくこちらへ向き直った。

 その視線は完全にこちらを値踏みするものである。しかし彼の目がこちらを捉えた途端、それは意外そうなものに切り替わった。


「なるほど、バッジ持ち――貴方がコレクタリーダーですか」


「ええ。そういうことになっています」


「では、こちらに認定人名と所属メンバーを記入してください。最新の実績とその年月もお願いします」


 事務員男はどこかに愛想を置いてきてしまったらしい。いっそ清々しいほどの冷淡な対応で書類がこちらへ差し出され、シューニャがそれを受け取ってペンを走らせる。

 まるで仕事のために感情を凍らせたかのような男だと、僕はその出で立ちを見ながらため息をついた。

 何かでしっかり固められた銀髪に丸メガネ、僅かな装飾が施された黒いコットをきっちり着込んだ姿は、スーツを着たビジネスマンに似た1つの完成形と言える。しかしそれが余計にお堅い印象を強めており、まるで効率と合理に手足を生やしたかのようでもあった。


「……私に何か?」


「い、いえ……ハハハ」


 こちらの視線に気づいたらしく、鋭く光る青い目に睨まれてしまい、僕は苦笑しながら顔を背ける。

 不適材不適所、この男を接客担当に据えた上司は、一体何を考えていたのだろうか。


「書けた」


「よろしい、では確認を。リーダーはアマミ・キョウイチ氏、貴方ですね? 認定人は――いや、そんな馬鹿な」


 初めて男の表情が揺らいだのはその時だ。

 眼鏡の端を押さえて書類を何度も見直しては、ついにレンズの曇りまで疑ってか何度も息で曇らせては白い布で拭き取り、それでも文字に変化がないことを確認すれば大きく咳払いを1つ。


「ロール氏、この推薦人名は真実でしょうか。これが間違っていた場合コレクタユニオンの規約による虚偽説明の禁止に抵触することになりますが」


「ボルドゥ・グランマ・リロイストンの名前に間違いはない。キョウイチ、バッジを」


 言われるがままにシューニャにバッジを手渡せば、彼女はそれを裏に向けて男へと突き付ける。

 なんだと、と小さく男の口から洩れたが、エリートと言えばいいのかベテランと言えばいいのか取り乱すことはなく、男は小さく息を吐くと椅子へと座りなおして背筋を伸ばした。


「虚偽がないことは確かに確認しました。大変失礼いたしました。最後に実績ですが――は?」


 しかしせっかく自然な流れで取り繕ったにもかかわらず、書類の続きへ目を通した彼は、再び阿呆面を晒すことになった。


「群体ミクスチャの単独撃破、それにも嘘はない。必要ならグランマに直接聞いてもらって構わない」


「な……あ……馬鹿な」


「まぁこれがフツーの反応ですよね」


 シューニャが毅然と言い放ったことで、事務員は今までの氷のように冷たいイメージを完全に崩壊させてしまっていた。その様子には、ファティマでさえ同情した様子を見せている。

 ミクスチャは人類共通の脅威に他ならない。それは数千、数万を数える軍すら容易く屍の山に変え、なんならマキナさえ破壊できるほどの力を持った暴れ狂う災厄である。

 そんな天災をたかが数人の組織コレクタが屠った。それをボルドゥ・グランマ・リロイストンが保証している。

 ただの受付で応対するには余りにも重すぎる案件に、事務員は物凄い勢いで席を蹴って立ち上がった。


「しょ、少々お待ちを」


 彼はぎこちない動きで頭を下げると、凄まじい大股で建物の奥へと消えていく。

 それを見ていた僕は、自分自身の非常識を喧伝してしまった気がして、僅かに気が重くなっていた。


「もう少し常識的な実績を積んでおくべきだったなぁ……」


「あれほどの素晴らしい実績はない。コレクタユニオンの中で貴方に敵う戦力はないし、本来なら特別待遇があって当たり前」


 それはいいことではないのか、と彼女は首をかしげる。

 しかし妖怪老婆のせいでコレクタユニオンに良い印象を抱いていない身としては、わざわざ自分が詮索されるようなことは極力避けたかった。


「あんまり目立つ真似はしたくないんだがなぁ……」


 胸に輝く金バッジを見ればため息が出る。

 コレクタリーダーという立場が放浪者と比べて圧倒的に社会的信用が高く、何かと便宜を図ってもらえるという点においては、文句を言う方が贅沢であろう。

 だが、リベレイタ問題や権謀術数を使ってくるクソババアの存在は、そのメリットを上回る嫌悪を組織に与えており、可能な限り関わり合いにならないよう過ごしたいと考えてしまうのだ。


「おにーさんおにーさん、大丈夫ですよ」


 こちらの複雑な内心を見透かしてか、ファティマがポンポンと肩を叩く。

 振り返ってみれば優し気な笑みを湛えた彼女の顔があり、ミクスチャ以上にトラウマ気味なグランマという記憶を思い返していた僕は、その慈母のような姿に心を打たれそうになった。


「英雄様って呼ばれてる段階で、もう十分目立ってますから」


「……あぁわかっていたよ。君が傷に塩を塗ることが得意なことくらい」


 ファティマは良くも悪くも嘘をつかない。だがここまで心に堪える言葉も珍しいだろう。

 甘えの感情を殺せば脳が急速に冷え込み、おかげでこの後起こる事態の想像がついた。

 それはドタドタという派手な足音と共に、瞬く間に自分の前に現れる。

 先ほどとは打って変わって慌てた様子で再登場した事務員は、カウンターの前で素早く腰を折って頭を下げた。


「先ほどは大変失礼いたしました。支配人が直接お話を伺いたいとのことですので、どうぞこちらへ」


「ん」


 僅かに誇らしげなシューニャに対して、僕は暗澹たる思いを抱きながら、事務員の後に続く。

 自分の目的はテクニカの情報を得る事であり、お偉いさんと対談したいわけではない。

 けれどそんな自分の意見は言ったところで通るはずもなく、僕は黙ってシューニャの判断に従うしかなかった。



 ■



 まるで売られゆく子牛のような姿だとダマルは、小さく笑う。


「カカカ、英雄様も大変だよなァ」


「帝国軍人とかだったら、いきなり爵位貰えちゃってもおかしくない活躍ッスからねぇ」


 隣でプラプラと足を遊ばせるアポロニアは悪い笑みを浮かべると、仕官してからやったほうがよかったんじゃ無いッスか? などと言って見せるが、それに対してダマルは肩を竦めることで一笑に付した。


「んな面倒くさいことしてまで人殺しを生業にするぐらいなら、さっさと皇帝だの元老院だのを殺して国を乗っ取った方が早ぇーよ」


「それいい考えじゃないッスか。ご主人ならいい国王様になれそうッス」


 自分の想像に余程自身があるのか、何度か妄想を繰り返してはこれも悪くないとアポロニアは相好をだらしなく崩す。

 王として善政を敷く恭一は民に慕われマキナを中心とした古代の戦力を用いて国防を成し、手腕を振るうその脇には人間もキメラリアも分け隔てなく立って彼をサポートするのだ。そして国家元首であれば跡継ぎたる子を残すことも大切な使命であり、正室はシューニャに譲るとしても側室として自分が侍る姿は悪くない。

 うへへと奇妙な笑い声を出せば、彼女が破廉恥な妄想に耽っていることくらいダマルにも想像がつく。国を取るという単語1つから、どれだけ世界を広げたのか聞きたくなるほどの様子に、兜の隙間から大きなため息が出た。


「あのなぁ、恭一みてぇなお人好しに国家運営なんてできるわけねぇだろ。猫1匹救うために命かけちまうような馬鹿野郎だぞ?」


「それが大事なんじゃ無いッスか! ご主人みたいな変じ――もとい、性欲に基づかない混合人間キメラリア・偏愛者コンプレックスは居ないッスよ!」


「変人の方がなんぼかマシじゃねえか」


 我が相棒ながら酷い言われようだとダマルは肘をつく。とはいえいい名前を聞いたとも言える。今度ファティマ辺りに何かやらかしたら是非自らの乾いた口で、混合人間偏愛者なんていう称号をくれてやろうとほくそ笑む。

 しかしそうじゃないとグローブを振って見せた。


「あんな考えで国の覇権を握ろうとすりゃ、あっという間に海千山千の連中に喰い潰されるぜ。最強なんて言われたところで人間から弱点が消えるわけじゃねぇんだ。悪くすりゃ数か月で俺みたいになっちまうだろうよ」


「知ってるみたいに言うッスね」


 納得がいかないと頬を膨らせるアポロニアに対しダマルは、あれほど不味いと文句を言った煙草の煙をぶつけ、むせ返った犬娘をカッカッカと笑う。


「歴史を紐解きゃわかるこった。大体なんで今の帝国があんなで、王国がこんなかを見ればわかんだろ。まともな奴に国政なんてできやしねぇよ」


「うー……じゃあロクデナシのダマルさんならできるッスか?」


「器じゃねぇし興味もねぇよ。あと誰がロクデナシだ、俺ほどの紳士で聡明な男は居ねぇだろ!」


 骸骨の自信たっぷりな物言いに、アポロニアは、どの口が、と半目で睨みつける。

 これが玉匣の中であれば骨の2、3本は外していただろうが、人目がある場所でそれをするわけにもいかずにグルルと咽を鳴らすだけで耐えた。

 その様子にダマルが怖い怖いと笑い、アポロニアはふんと鼻を鳴らして視線を背ける。

 この骸骨は時々まともなことも言うが、その言葉の大半はふざけた内容の代物であり、まともに取りあう必要はない。それは知り合ってから今日までの付き合いで、アポロニアが下したダマルという骨の評価だった。

 そんなスチャラカスケルトンに自身の妄想を全否定されたことは腹立たしかったが、実際たらればに過ぎないのだからイライラするのも馬鹿らしいと会話を打ち切る。

 すると自然に周囲の会話が耳に入ってくるもので、彼女の優れた聴力はその言葉を明瞭に聞き分けていた。


「……ダマルさん、なんか化物がどうのこうのって話が出てるッス」


「オイもうちょっと詳しく聞けよ犬っコロ。化物ってのが俺だったらどーすんだ」


「次犬っコロって呼んだら足返さないッスよ。えーっと……街道に、大きな、化物?」


 ダマルとしては犬っコロという呼び方を気に入っていたが、いきなり大腿骨を永久欠損するわけにもいかず咳払い1つで場を濁す。

 どうやらその話をしているのは受付に駆けこんだ数人のグループらしく、何やら緊迫した様子から、事務員たちも慌ただしく動き始めていた。

 しかしその内容を聞き続けていると、凄い勢いで走っていた、長い筒をつけた鋼の生物、ガラガラうるさかった、など、やけに自分たちの身に覚えがある話になってきて、アポロニアは苦笑した。


「あー、どうもダマルさんじゃなくて、タマクシゲのことッスね」


 アポロニアの報告にダマルは彼女に顔を向けて黙り込んだ。

 暫くそのまま何か考えているようだったが、何か悪いことを思いついたらしく、カカッ、と小さく笑うと膝を叩いて立ち上がった。


「――よし、。適当なホラ吹きに行くぞ、ついてこい」


「はぁ……もうそれでいいッス」


 自分にはちゃんと名前がある、と言いかけてアポロニアは全てを諦めた。結局ダマルに対してまともに対応すればするほど疲れるだけなのだ。

 顔を上げてみれば骨はそのグループに気安く話しかけており、彼女も慌ててそれを追いかけた。

 これにより立ち上がりかけた鋼の化物に関する依頼は、南へ走り去っていったという出どころ不明の情報によって攪乱され、結局根も葉もない噂として立ち枯れることになったのである。

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