第140話 フレイムスロワー

 玉匣の後部ハッチから、僕はゆっくりとを覗かせる。

 だが、その背にロガージョの巣穴から出てきたときのような仰々しい武装はなく、それどころか固定装備のハーモニックブレード以外は無手だった。

 噂に曰く、エリネラは帝国軍最強の将。警戒すべき点はいくらでもある。

 だが、いくら強いと言っても生身の人間であることは変わらず、マキナの装甲を貫くようなガトリング砲はどう考えても威力がありすぎる上、こんなところで貴重な弾を浪費するわけにはいかなかったのだ。

 そのため僕は、ダマルが巣穴の中で、クソ重てぇ! とか、接続が上手くいかねぇ! と汗水垂らして必死に取り付けたガトリング砲一式を、かくもアッサリ整備ステーションに預けてしまった。

 逆に言えば、整備ステーションさえあれば、たとえそれがシャルトルズに搭載される簡易的な設備でも、武装の脱着はそこまで困らないものなのである。

 身軽な機体の各部をほぐすように軽く手足を動かせば、相変わらずアクチュエータが破損している右腕は岩のように重いが、それ以外は異常無し。

 そのついでに戦意喪失を狙い、わざとアイ・ユニットを光らせ、全身から甲高い動作音をたてる。

 だが、こちらの儚い期待に対し、エリネラは怯むどころか、なだらかな胸を自信満々に張って鼻をならすだけだった。


「ふっふーん! テイマーだからって勝てると思うなよ! 今までに倒したこともあるかんね――あれ?」


 そんな啖呵を切る最中、彼女は何の違和感を覚えたのか、突然周囲をキョロキョロと見回しはじめる。

 またその動きが小動物のようで、こちらの戦意はゴリゴリ削られていくのだが、それにエリネラが気づくはずもなく、大きく身体を振りながら自分の後ろを覗き込もうとしてくるではないか。


「ねぇ、ねぇねぇねぇ、アマミはどこいったのさ? まだウォーワゴンの中?」


『ここだが』


 キョトンとした表情のまま、赤いツインテールの左が上がり右が下がる。


「リビングメイルが喋ってるけど」


『そりゃ僕だからね』


 今度はツインテールの右が上がって左が下がる。

 赤い頭を傾いだまま、彼女はしばらくこちらを凝視していたが、やがて思考能力が限界に達したらしい。大きな槍を地面に突き刺してから、両手の人差し指でこめかみを押さえると、酸っぱい物を口に含んだかのような表情を作った。


「うむむむむむむ……これってどゆこと? 私にもわかるように説明してよ」


「あれはキョウイチの鎧。鎧は普通着込んで使う物」


「り、リビングメイルを着込むだとぉ? そりゃ予想以上に規格外な野郎だなオイ」


 シューニャは話が難しいと言われたことを気にしてか、噛み砕きすぎて液化しているのではないかいう最低限の説明を口にする。

 それを聞いたヘンメは僅かに目を見開いたが、歴戦のコレクタリーダーというだけあって直ぐに普段の調子に戻ると、ククッと肩を揺すって笑う。

 問題は理解できるようにされてしまったエリネラの方である。大きく口を開けたかと思えば、そのままゆるゆると項垂れていった。

 それが一種の降参であるならば、僕は彼女を大いに評価したことだろう。銃火器、それも対装甲用の武装を持たない生身の人間とでは、そもそも勝負にならないのだから。


『最後にもう1度だけ聞く。僕は平穏に暮らしたいだけで、生活に影響が出ない限りは国家のいざこざに加担するつもりは微塵もない。だから色々諦めて、剣を引いてくれないか?』


 おかげで、最後と僕が口にしたのは最後通牒と言うよりも、縋りたくなる最後の希望に近かったように思う。どうか戦わず立ち去ってくれと、生活に干渉さえしないのならば食事の席を共にするくらいできるのだと。

 それを聞いても、彼女はしばらく僕に旋毛を向けたまま固まっていたが、やがて小さく肩を震わせ始める。

 これが泣いているように見えた僕は、責任という文言が脳内を飛び交って慌てたのだが俯いたエリネラから漏れた声は、行く当てなく持ち上げた自分の左手を握り拳に作り替えさせるものだった。

 交渉は、決裂したらしい。


「うひ……うひひひ、アマミは面白いね、うん面白いよ! 色々想像してたつもりだったけど、それでも予想外過ぎてビックリだ! こーんな訳わっかんない奴が相手なのに、やらずに帰れるわけないじゃん!」


 エリネラはどこか狂気を帯びた満面の笑みを勢いよく持ち上げると、地面に突き刺した両端に穂先を持つ槍を引き抜き、それを頭上で振り回してからこちらへ向けて構えた。

 それは強者とぶつかることを好む現代の武人としての性か。800年前の古い常識を引きずる僕には理解できない思考であり、命のやり取りを好むような少女には僅かな憐憫さえ覚える。

 おかげで僕の声は酷く弱弱しいものになっていただろう。


『……残念だな』


「国とか軍とか勅命とか、仇とか敵意とか策略とか、そんなのぜーんぶどーでもいい! あたしと遊ぼ、アマミ! いっくよぉーっ!!」


 心底楽しそうに笑いながら、得物を構えてエリネラは強く地面を蹴る。

 それは言葉の通り、責任や立場を無視して動いたからか、あるいは彼女と戦えるような人間が誰も居なかったからか。残念ながら自分の頭では想像がつかず、また、そのために悩んでやろうとも思えなかった。

 しかし、彼女が常軌を逸した存在であることも、その運動能力から察せられる。

 アポロニア並みに小さな体躯でありながら、ケットにさえ勝るほどの瞬足。それも背丈の倍近い長大な金属槍を構えての突進である。これが戦闘中でなければ、僕も間抜け面を周囲に晒していたに違いない。

 そしてここぞという場所で彼女は身体を宙へ躍らせると、空中で前転しながら全身の力を込めて槍を振り下ろす。


「でぇりゃあああああっ!!」


 裂帛れっぱくの気合と共に振り抜かれた一撃を、僕は左腕で防御する。槍と装甲がぶつかる鈍い音が鐘のように打ち響き、その力の大きさを物語った。

 モニター上に表示される評価値は、機械的な補助のない生身の人間としては考えられないものであり、腕に伝わった衝撃力はキムンのマッファイですら相手にならない程の蛮力である。

 ただの人間の小さな体から、どうすればそんな力が出せるのか。万一マキナを着装していなければ、自分はペシャンコにされていたに違いない。

 現代人の中における原因不明の特異存在。キメラリアすら凌駕する力を振るう少女はまさに赤い旋風の如く。

 しかし、マキナはそんな特異存在とさえ一線を画し、痛みすら感じることはない。体重を乗せた一撃さえ左腕1本で防ぎ、それを跳ね除けて見せれば、彼女は器用に身体を捻って着地した。


「硬ったぁ!? 手がビリビリするぞぉ!」


 イテテと言いながら彼女は小さな手を振り、それでも驚くほど嬉しそうに歯を見せて笑う。

 一方の僕は、あまりに常識離れした少女に問いかけざるを得なかった。


『君は、一体なんなんだ?』


「ビックリしたか!? あたしは昔っからキメラリアにも負けないくらい力つよいんだかんね! 理由なんて全然知らないけど!」


 今度は細かい突きが連続して飛んでくる。それも無闇矢鱈に繰り出されるわけではなく、関節部を狙っての的確な攻撃だ。

 この少女には戦いに特化している。それもこちらの防御や回避を素早く飲み込みながら、1手1手を巧みに操って隙間を縫うように刺してくるのだから、最早天才と呼んでいいだろう。

 エリネラが敵に回れば、マキナによる戦力評価は低くとも、生身の人間にとっては重大な脅威に違いない。マオリィネも剣技に関しては、自分など足元にも及ばない程の技術を持って居たが、エリネラは争いにすらならない程の別格だ。力も技術も勘も、将軍と呼ぶにふさわしい武勇としか言いようがない。

 だから、ここで殺すべきだと頭のどこかが警鐘を鳴らす。目の前に居るのは少女ではない。倒すべき敵だ。後悔したくないならば、あの細い首を折れ。この化物はマキナを着込む自分に敵わずとも、お前の大切な人々なら容易く壊せるぞ、と。


「重くて硬い癖にちょこちょこ動く! でも、これはどうだぁっ!」


 回避の隙間を突いて間合いに入り込んだ彼女は身体を深く沈め、そこから飛び上がるようにしてこちらの首目掛けて槍を突き出してくる。

 マキナ共通の弱点である首。たとえ装甲を貫けずとも、衝撃によってダメージが与えられる可能性は高く、当たり所が悪ければ動作停止に陥ることも考えられる。

 その判断は生物的本能という意味で正しく、おかげで僕も防御策を練るのは容易かった。

 穂先が装甲の隙間へと突き刺さる寸前、僕が槍を左手で握りこめば、エリネラは勢いでつんのめるようにしながらも柄にしがみつき、僅かに火花を散らして勢いが殺される。


「かかった!」


『む?』


 次の瞬間、先端の穴から何かの液体が噴霧され、瞬く間に赤い炎がマキナの上半身へ降りかかる。咄嗟に炎を振り払おうと左腕を振った隙にエリネラは槍を奪い返しつつ距離を取ったが、それもこちらに赤い光を帯びた瞳を向けたままだ。

 すると不思議なことに、振り払ったはずの炎が意思を持ったように機体へまとわりつく。それもやがて機体全体へ回り込み、地面をも焼き払いながら大火となって周囲を包み込んだ。

 あまりに突然の高温に、冷却装置ラジエーターが全力で運転を開始するが、各部の温度上昇は止まらない。


「ご、ご主人っ!」


「おにーさん!」


 轟轟と燃える炎の中でアポロニアとファティマの叫び声が聞こえた気がした。



 ■



 マキナを包み込むように立ち上がる炎に、ファティマとアポロニアは顔から色を失い、マオリィネは抜き身のサーベルを持ちながらも火炎から散りくる火の粉に唖然として立ち尽くす。

 斯く言う私も気が気ではなかったが、この状況では取り乱すこともできず、目が乾くのも気にしないでひたすら熱波に身を晒していた。


「これが、レディ・ヘルファイアの力……」


 魔法とはそう便利なものでもない。そう言っていたのは誰だっただろうか。

 こんな時に限って思い出せないが、単体でこれだけの力を振るえるなら、それは途轍もない驚異である。相手がどんな豪傑であっても火炎に焼かれて死なない人間は居らず、それも焼き尽くされるまで炎が離れないとなれば、人は簡単に消し炭となり果ててしまう。

 実際、彼女がどれくらいの間、炎を制御できるのかはわからない。しかし、燃える液体アクア・アーデンなどと共に利用されたとすれば、密集陣形ファランクスを掃討することだって容易いに違いない。

 セクストンが高笑いしながらは強く拳を握りこむのも無理のない話だった。


「見たか、これこそハレディ将軍の力! リビングメイルそのものは焼けずとも、中の者は蒸し焼きになるが道理ぞ!」


 外の空気は熱されて熱いはずなのに、その言葉に体の芯がとても冷たくなった気がした。

 マキナそのものはただの人間が1人で戦えるような存在ではない。しかし、その中に乗っているキョウイチは、いかに強いとも生身の人間なのだ。怪我もするし病気にもなろう。それは炎に炙られて死なないはずもないという結論に辿り着く。


「キョウ、イチ……?」


 私はふらりと足を前に出しそうになり、自分が導いたはずの理論を何とか必死に否定しようとして、隣から聞こえてきたいつもと変わらない調子の声になんとか取り乱さずに済んだ。


「なんだありゃ、炎が離れねぇってどういう仕組みだ? おい、シューニャ、説明してくれよ」


 ダマルとてキョウイチが負傷したり、あるいは翡翠が損傷する事態になれば緊迫した口調になるのはわかっている。だが、今の骨は至っていつも通りに、それこそ大道芸でも見るかのようにフッフゥと声を上げて見せるくらいで、そこに危機感という物が一切感じられない。


「く、詳しくは知らないけれど、自らが見ている先を発火させたり、その炎を意のままに操ったりできると聞く。ただ、凄く精神的な疲労を伴うとも」


発火能力者パイロキネシストってか? ホントとんでもねぇガキだな」


 カッカッカと骸骨は普段と変わらず笑っている。それがどういう意味かを理解できない程、私の思考は混乱していなかったらしい。

 ふと冷静になってみればフェアリーの言葉が思い出された。


『人は空も海も支配し、日照りも干ばつもない畑を持ち、嵐にも地揺れにも壊れない家に住み、灼熱の炎を跳ね返す鎧を着こみ、様々な病が持つ死の鎌を打ち払う力を持っていたのです』


 途端に頭の中で1つのピースが組み上がる。

 現代におけるリビングメイルは一部を除き、自己の意思を持って動きまわる敵対的な金属生物として扱われてきた。だが、本当の姿がキョウイチのように着込んで戦う道具であると言うのなら。


「はぁっ……はぁっ……ど、どーだ! 流石に効いただろー……」


 いつしかエリネラは片目を閉じて、肩で息をしていた。魔法を使用した負荷は大きいのか、額からは多量の汗が流れて赤い髪の毛を濡らしている。

 先ほどまでのように炎は纏わりつくことはなくなっていたが、魔法が行使されずとも炎はその場で草葉を焼いて立ち上がり、ただの人がこの中に居れば、骨も残らぬほどに焼け落ちていてもおかしくない状況だった。

 柱の如く立ち上がる炎と黒煙の向こうに揺らめく影は見間違いではない。確実に火炎はヒスイを捉え、ひたすらに燃え続けている。しかし、私の心はもう揺らがなかった。

 耳慣れない独特の甲高い音、大地を揺らす重い足音、火の粉を浴びて僅かに煤けた青い鎧は、ゆっくりと火炎を破って現れる。


「う、そ……でしょぉー……」


 エリネラは槍を地面に突き刺して杖の代わりにし、悠々たる金属鎧の姿を見上げていた。

 火炎の渦から姿を現したヒスイは、何かを振り払うように体のあちこちから白い煙を勢いよく吐き出しながら立ち止まる。

 肩で息をするエリネラを睥睨するマキナの橙色をした眼。それが一層強く輝いたのは、私の見間違いではなかったように思う。

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