第252話 ユライアシティ攻防戦②

「流血は毛糸獣ムールゥ兜狼ヘルフに変えるとは、よく言ったものだなァ……小さな被害で終わらせたかったが、今は時の方が重要か」


 飛び交う火矢と篝火が薄く闇を払う夜の戦場にあって、ウェッブは動向を見守りながら眠たげな目尻をピクリと震わせる。

 帝国軍の兵器とイソ・マンを焼いた炎の壁は、既に松明と変わりない。

 ただ、いくらミクスチャを温存している状況だと言っても、ここまでの被害を開戦早々に被るとは想像しておらず、おかげで彼は心労を抱えたかのように大きなため息をついた。


「――全軍へ通達。これより一斉攻撃を敢行する。イソ・マンによる攻撃は続行しつつ、各門には衝車を取り付かせて打ち破らせろ」


「ハッ!」


 ガチャガチャと鎧を鳴らして伝令兵はかけていく。

 彼の言葉に意見する者は居らず、周囲の騎士たちや副官はただ、見事なご采配です、などと口々に言うばかり。それに対してもウェッブは特に何かを感じる様子はなく、ポリポリと兜を掻いた。


「私はただ、無駄な抵抗だとわかってほしいだけなんだけどな。神にすがったオン・ダ・ノーラが滅んでもなお、英雄に縋るなんてばかばかしい話じゃないか。全く罪なもんだよ」


 平凡な鎮護将軍と呼ばれた男は、その視線を兵士たちが群がる壁に向けながら、どこか悲嘆にくれたような自らの物言いに失笑を浮かべる。

 兵士たちのウォークライが響き渡る中にあって、誰が表情に気付けただろう。

 僅かに吊り上がった口の端と、瞳に宿った小さな光に。


「――躊躇わず希望を捨て去れ。貴様らの絶望は私の糧になるのだ」



 ■



 軽装の帝国兵は、1人2人と長い梯子を軽快に駆けあがる。

 彼らは守りを固める王国兵に飛び掛かり、手にしたグラディウスでその咽を掻き斬り、その勢いのままに防壁上を蹂躙せんとなお走った。

 あまりにも大きすぎる物量の差に、王国軍はゆっくりと押し込まれていく。今まで投石攻撃を続けていたキメラリアたちや、弓やクロスボウを構えていた兵士たちも乱戦に巻き込まれ、飛び道具による防御力が低下すれば更に敵の侵入を許すという悪循環。

 それでも王国兵たちは上りくる敵兵を力の限り押し留め、キメラリアたちは果敢にイソ・マンへと立ち向かっていく。

 怒号に悲鳴、防壁に染み込む血肉、足の踏み場もないほど積み重なる屍、充満する焼けた臭い。どれもこれも、敵味方どちらものかさえわからないほど、散らかされていく。

 武器を失ったのか、石を手に敵を殴りつける騎士。幾重にも身体を刃で貫かれてなお、最後の力で敵を道連れにする豪傑。化物に立ち向かって八つ裂きにされたリベレイタ。

 泥臭く醜い争いの中に種族の壁はなく、生死はひたすら平等に訪れる。

 彼らには永遠とも思えるほどの時間だっただろう。だが、現実から程遠い。


「くそっ、敵が門に取り付いたぞ!」


 木屋根のような装甲が施された衝車は、火矢や投石を浴びてもなおその歩みを止めず、やがて取り付いた分厚い市門を、まるで鐘を突くかのように何度も叩いた。

 その度に金属で補強された扉が軋み、大きなかんぬきはミシミシと音を立てて歪んだ金具が弾けていく。

 四方にある市門の全てに対する同時攻撃。しかし、帝国の攻勢が苛烈だったからか、あるいは王国の防御が脆弱だったからか、どこより先に打ち破られたのは東門だった。

 吹き飛ぶ破片と立ち上がる砂埃。門は衝撃に耐えかね、轟音を立ててその口をぽっかりと開き、同時に役目を終えた衝車の脇からは歓声を上げる帝国兵が大通りへ殺到していく。

 無論、王国軍も陣形を組んでこれとぶち当たった。彼らは防壁上より余程広い通りで刃をぶつけあい、静かな市街はあっという間に乱戦の喧騒に包まれる。

 その報告は、総指揮官たるガーラットのもとにも届けられていた。


「東門が破られました! 敵、市街地へと侵入!」


「ここが正念場である! なんとしても市街地で押し留めるのだ! 貴族街門を破られれば、ユライアの栄華は失われると心得よ!」


 激しい衝突音と揺れる足場の上であってもなお、老将はどっしりと構えたままでガントレットを振って指揮を執る。

 乱戦となれば数の上で圧倒的に不利な王国軍には、最早抵抗すら難しい。それでもなお、ガーラットは敵を混乱させる作戦の指示を次々と飛ばした。

 建物の上に隠れさせていた弓兵や、細い路地に潜んだ斥候隊で奇襲することで、確実に敵の侵攻速度を落とし、少しでも多くの敵を屠ってその場を死守させ続ける。

 だが、間もなく到着した報告は絶望的だった。


「報告! アウグスト子爵、討死!」


「何だと!?」


「敵将はフォート・サザーランドのロンゲンです。子爵は奮戦されましたが、残念なことに力及ばず……」


 伝令兵の言葉にガーラットは奥歯をギリギリと鳴らす。

 アウグストは槍使いとしてそれなりに名を馳せた騎士である。だが、何度となく刃を交えた帝国の武将、ロンゲンが相手では分が悪いこともすぐ理解できた。


「現在はヴィンディケイタの、イーライ・グリーンリー殿が援護に向かっているとのこと! 指揮はマレー男爵が執られております」


「そうか――マレーには指揮系統を回復させ、なんとしても防衛線を死守するよう伝えよ!」


「ハッ!」


 駆けて行く伝令兵の背を一瞥したガーラットの表情は険しい。

 戦闘はテクニカの若造、指揮は高齢の騎士。しかも指揮官を討ち取られた兵士たちは、指揮系統の混乱で間違いなく大きく士気を落としているという状況である。

 マレー男爵が踏みとどまることに成功すればまだしも、ここで防衛線を抜かれて東門守備部隊が戦闘不能となれば、その被害は致命的な物となり全軍へ波及してしまう。

 加えて、未だ持ちこたえていた門も、足元に迫った敵によってついに限界を迎えた。


「お、王都最大の西門が……!」


「ぐぬ……うろたえるな! 防御陣形を崩さず、敵を抑えこんでみせぇい!」


 総指揮官である以上、ガーラット自ら敵へ突入していくわけにはいかない。だからこそ、自分の代わりに倒れていく兵士や騎士たちの姿を、彼はひたすら眼に焼き付けながら指揮を執り続ける。

 その間にも被害報告はどんどん大きさを増し、防壁を突破された王国軍はあちこちで壊滅していった。


「まだか――英雄」


 だからだろう。戦場と共に生きてきたようなこの老将が、そんなことを誰にも聞こえないよう呟いたのは。

 ただ、それは戦の神として崇められるベイロレルへと届いたのかもしれない。


「ほ、報告! チェサピーク卿! 北門にです!」


「援軍だと? 最早王国内に兵力などほとんど残っていないはずだが、英雄が戻ったわけではないのか?」


「英雄ではありません! ですが、あれは、あのお姿は間違いなく――!」


 今まで硬い表情ばかりを浮かべていた伝令兵は、何に希望を見出したのか興奮に頬を綻ばせ、その言葉は間もなく空に現れた眩い光に遮られた。

 それが照明弾であることなど、ガーラットは知りもしなかったが。



 ■



 その異変に気付いたのは、部隊後方に位置する帝国兵だった。

 彼は投石器カタパルトの護衛を担当していたが、何せ圧倒的に優勢な戦闘である。別段野心的な訳でなくとも、一応にも立身出世を夢見る兵士である以上、この護衛の仕事は完全に外れであり、暇を持て余していたと言っていい。

 王国軍の兵器に狙われれば危険かもしれないが、城壁上に殺到する友軍を見ていればそんな余裕が敵にないことは明らかで、だからこそ彼は一応盾を構えながら、適当に周りを眺めていた。

 だから、彼はその微妙な違和感を見つけられた。


「なんだ……? 白い、光?」


 踏み荒らされた農地の向こう。僅かに盛り上がったあぜ道に点々と並ぶ小さな光。

 強い光を放つ星かもしれないと彼は考えた。だが、暗闇におぼろげな輪郭が浮かんでいるように思え、どうにも何かが居るような気がしてならなかったのだ。

 おかげで兵士は直属の百卒長に小突かれる。


「おい! ちゃんと前を見ておかんか!」


「い、いえ、何かが後ろに居るような気がしまして」


「ハッ! ユライアは既に死に体だぞ。立てこもるしか能のない連中に、最早兵力の余裕なぞあるもの――ん?」


 百卒長は兵士がポカンと口を開けていることに気付いた。

 同じ隊の人間である。流石にそんなことをする奴でないことは彼も知っており、訝し気に視線の先へ顔を向ける。

 さて、仮に星が煌めいていたとして、白かった星が僅かな間に赤く染まることがあるだろうか。

 少なくとも彼らはそれを見たことが無かったし、あるいは誰も見たことが無かったに違いない。それもまさか迫ってくるなどとは。


「なな、なんだぁ!?」


 兵士の慌てた声に、投石機部隊の面々もゆっくりと後ろを振り返る。それこそ敵の奇襲部隊でも現れたのかと言いたげに。

 だが違った。彼らの見た物は小さな閃光であり、彼らが効いたのは弾けたような音。

 最後に、目の前で崩れていった男の姿である。


「て、敵襲ーッ!!」


「全員防御態勢! 王国の連中め、一体何を持ち出してきたんだ!」


 味方が殺されたことで護衛隊の兵士たちは慌ただしく集結し、投石機を操作していた者たちも自衛のために得物を抜き放つ。

 だが、篝火に浮き上がった敵の姿は、そんな彼らでさえ一瞬で震え上がらせた。


「鉄、蟹……だと!?」


 百卒長が呟くが早いか、ドラム缶を横倒しにしたようなそいつは、ガシャリと細い足の動きを止めると、カメラをぐるりと回して僅かに沈黙する。

 まさか武器を向けられていることに気付いたのか、と兵士たちは盾を前にしたまま指示を待っていた。


「た、たかが鉄蟹1匹程度がなにするものぞ! 臆することは――む!?」


 剣を振りかざした百卒長の声は、現代人にとって耳慣れない高音によって止められる。

 それは、彼らにとっての死刑宣告だった。

 ドラム缶の右側に供えられた鉄管より獣が唸るような音が響き、断続的に瞬く光が一帯を駆け抜ける。

 軍用に設計された重クラッカーは、防御陣形を組んだに躊躇いもなく重機関銃を掃射し、金属製の鎧に包まれた肉を紙切れの如く吹き飛ばした。

 僅かに数秒の射撃。それだけで密集していた帝国兵たちは地に伏せ、運が悪い者が零す僅かな呻きを残すばかり。

 ただ、決して彼らが特別に運の悪い部隊だったわけではない。

 何処からか撃ちあがった照明弾は、ゆっくりと降下しながら北防壁に展開する帝国軍を浮かび上がらせる。

 彼らにとっての悪夢もまた、同じようにいくつも佇んでいたが。



 ■



「クラッカァ突撃! 指定した範囲の敵を殲滅しなさい!」


 軍獣アンヴに騎乗したままの私は、ショウメイダンの光を反射する白銀の刃を振りかざす。無論、相手が人間ではないので、剣を振ったところで何の意味もないのだが。

 セイモンニンショウ、とキョウイチは言っていた。なんでも耳に引っ掛けている小さな道具が、私の声を拾って鉄蟹達に命令を届けているらしい。

 どういう仕組みなのかは全くわからないが、短い期間で最低限の扱い方は聞いた。また何ができるのかも少しは理解したつもりだ。

 ただ、実際に戦っている姿を見れば、あまりに大きすぎる古代兵器の力に息を呑んだが。


「……ほんと、テイマーなんてなるべきじゃないわね」


「なんか、ちょっとこわい。マオリーネはおとなだからこわくない?」


 私の背から覗き込むポラリスは、一方的に蹂躙される敵を見てポツリとそんなことを呟く。

 天災の如き力を持っている彼女だが、子どもであることに代わりはない。だから私は少し表情をやわらげ、わざとおどけたような声を出した。


「ふふ、そう見える? でも、私だって震えるくらい怖いのよ。もしポラリスと2人だけだったなら、きっと逃げ出していたでしょうね」


「おとななのに?」


「大人でも怖いことは変わらないわ。ただ、守りたいものがあるだけよ」


 国のためというのは最早建前かもしれない。

 私が本当に守りたいもの。それはあのタマクシゲという空間であり、心の底から愛している男の幸福なのだ。

 だからこそ自分もポラリスも傷つかないまま、何としても彼が来るまでを戦い抜く。

 その雰囲気を、勘のいい彼女は察したらしい。


「キョーイチの、ため?」


「悔しいけど、惚れてるってそういうことなのよ」


「……それなら、しょーがないなぁ」


 ポラリスはモコモコした防寒着の首元を手で押さえ、短く深呼吸してから空色の瞳を戦場へと向ける。

 その頭をガントレットでふわりと撫でてから、私は強く手綱を引いた。


「しっかり掴まってなさい! 北門前の敵、全部平らげてやるわ!」

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