第179話 退屈、骸骨、人助け

 俺はその日、バイクで出かける恭一とシューニャを見送った。

 朝からタンデムの仕方で全員が玄関先に出そろい、自分も乗りたいと騒いではいたが、今日はシューニャの担当日であったこともあり、2人が出掛けてしまえば静かな物だ。

 アポロニアはいつもどおり家事に向かい、マオリィネはポラリスの教育役兼遊び相手として部屋に戻り、ファティマは薪を拾いに行くと言って森へ出かけていく。

 それぞれが役割を持って過ごす中で、俺はと言えば特にすることもない。

 家が整った上に玉匣の整備は万全であり、翡翠も銃火器の類もピカピカだ。


「そろそろ新しいオモチャでも探しに行くかなァ」


 玄関先で煙草を吹かしながら、俺は独り言を零す。

 ボンヤリ過ごしたり惰眠を貪るのは決して嫌いではないが、それも毎日となれば流石に飽きるものだ。

 いつも何かしらの目的を持って過ごしていた旅の日々と違い、家を持ってしまった以上メカニック兼運転手としての自分の役割は薄い。

 であればこそ、何かしら文明の遺物でも弄って使えるようにしてみたい、と考えてしまう。

 幸いなことに玉匣という足は残されており、個人防御火器PDWの類は弾薬も今のところはまだ潤沢なので、1人で行動することは特に難しくもない。

 一度そんな思考が回り始めると止まらない物で、俺は煙草をもみ消して、一丁やるかとガレージへ足を向ける。

 しかし、そのやる気は背後から聞こえた悲鳴に、一瞬で霧散させられてしまった。


「なんだ? 朝っぱらからお盛んな野郎でも居んのか?」


 我が家は街道からそれなりに距離がある。それこそ、街道上で何か問題が起きて叫びを上げたとて、とても届くはずがないくらいの遠さだ。

 だというのに、自分の耳孔がそれを捉えたということは、少なくとも誰かが我が家へ続く細道の途上に居ることになる。

 その上、家の中や森に居る他の面々には聞こえなかったらしい。

 本来ならば誰かを呼びに行くべきなのだろうが、悲鳴だった以上状況は一刻を争うだろうと判断し、俺はとてつもなく大きなため息をついた。


「ったく、いきなり冷や水ぶっかけてくれやがったのはどこのどいつだ。アホ男だったら土下座しても許さねぇからな」


 恨みは全て面倒ごとを起こした本人にぶつけようと、ガレージの中から愛用の機関拳銃サブマシンガンを引っ張り出していつもの兜を頭に被る。

 ざわめく木々の間を、苛立ちを募らせながら街道へ向かって駆けだしてみれば、街道から少し入ったところでその原因に出くわした。

 咄嗟に近くの樹木に身を隠す。

 見たところ野盗らしき男が15人程。既に地面へ倒れ伏している奴も加えれば20人程の集団らしい。

 逆に襲われている側は3人と少数だが、2本手斧を両手に構えたキメラリアが返り血を一身に浴びていることから、5人の野盗を転がしたのはそいつで間違いない。


 ――だとして、あの様子はどうなってやがる。


 不思議なことにそのキメラリアは酔っ払ったかのように赤い顔をして、額に手を当てている。とてもではないが戦闘を続けられるようには見えないのだ。

 そしてその隣、メイド服を着せられたキメラリアは戦闘向きではないのか、ただ怯えるばかりで役に立ちそうにはない。

 最後にその2人を従えていたであろう女性に視線を移し、舌打ちするための舌がないことを驚くほど煩わしく思った。


「連中の頭を弾くのは決まりだぜクソッタレ。宇宙人が見てもゲロ吐く面にしてやる」


 様子見は終わりだと俺は木の陰から飛び出した。

 連中の罪状は3つ、1つ目は男が複数人で女を襲撃したということ、2つ目は明らかに合意なき性的な行為を目論んでいるのが丸わかりの顔をしていること。

 そして最後の1つが俺の飛び出した最大要因だった。


「よぉ、人の知り合いになんか用事か? ウジ虫共」


「あぁ!? なんだてめぇは!?」


 賊としては装備の整った連中だが、煽り耐性は極端に低いらしい。

 できるだけフランクに声をかけたにも関わらず、味方の最後尾でニヤニヤしていたスキンヘッド男は、たちまち額に青筋を立てて唾を飛ばす。

 おかげで俺は苛立ちを抱えながらも、ユーモアを交えて話すことができそうだった。


「おいおい、そうカリカリすんなよ。頭に鼻糞しか詰まってねぇのがバレると、女にモテねぇぜ?」


「な……いきなり出てきていい度胸じゃねぇか。騎士みてぇな恰好だが、てめぇ1人でこんだけの人数相手にやろうってのかぁ!?」


「まぁ正直、ズル剥け頭どもはどうでもいいんだ。あーっと……確かジークルーンさん、だったな? マオリィネかスケコマシに用事か?」


 男たちが人垣を成す中で、俺はその隙間から茶髪をハーフアップにした貴族女性に声をかける。

 相変わらず気弱な彼女は、目から涙を鼻から鼻水を流しながら、隣にいた鳥のようなキメラリアと抱き合ったままで、しかしこちらの問いには声を震わせながら口を開いた。


「だ、ダマル、さん……?」


「おう、ダマルさんだ。立ち話もなんだからさっさと我が家に招待してぇところだが……こりゃ先に尻を拭う作業が必要、でいいな?」


 ジークルーンは俺の汚い言葉にも、全力で首を縦に振る。

 女から頼まれた以上、断罪要件にプラスアルファだと俺は1人骸骨の身体を揺すって笑った。

 そして煽り耐性が低くとも、なんなら脳が鼻糞でできていようとも、スキンヘッド男とてその言葉の意味を理解できないということはなかったらしい。


「この野郎舐めやがって……おい! こいつを血祭りにあげてやれぇ!」


「応よぉ!」


 途端に周りの取り巻き連中が、得物を抜いて迫りくる。

 1対15という圧倒的な戦力差。だが、俺はその盗賊共の中にキメラリアの姿がないことで、どこか拍子抜けした気持ちだった。

 乾いた音が断続的に響き渡る。

 すると駆け寄ってきていた数人が体から血を流して倒れ込み、運悪く生き残った連中は何が起こったのか理解できないまま身体を硬直させた。


「俺に血が通ってるといいねェ。なんならお前らの血を分けてくれてもいいんだぜ?」


 銃口から燻る硝煙を嗅ぎつつ、兜の奥でニヤニヤしながら男たちへ歩み寄る。

 それをまた口々に魔術がどうだとか言いながら、賊はじりじりと後ずさった。


「ったく、わからねぇことがあるといちいち魔法だのなんだの、そろそろ聞き飽きたぜ原始人どもが」


「か、頭……! こいつヤバいですぜ!?」


「うろたえんじゃねぇ! 囲んで潰せ!」


 へぇ、と俺はスキンヘッド男の株を少しだけ上昇させる。

 ただの賊なら既に壊乱してもいいくらいの士気低下だというのに、それを見事に取りまとめて対策まで考えられるのは悪くない頭脳だろう。

 問題は敵の能力を見誤っていることだが。


「死ねぇ――ぐべっ!?」


「おおおおおッ! あばがっ!?」


 同時に突っ込んできた2人を軽く躱して、片方の顔面にガントレットを、もう片方の腹に前蹴りを叩き込んで転がし、それに1発ずつ弾丸を撃ち込んで眠らせる。

 できればこういうは、誰かに見せたいものではなかった。


「はぁ……あのスケコマシがマキナ使うのが上手いだけなら、もーちょい活躍できたんだろうがなぁ」


「何わけのわかんねぇことを――」


 やられていく仲間への苛立ちから、ついに自ら出てこようとしたスキンヘッドの眉間から血が噴き出した。

 長を殺されたことで一気に賊は壊乱しはじめる。そのタイミングを逃さず軽く機関拳銃を振り回せば、全滅するまではあっという間だった。

 15人に対して撃った弾丸はマガジン1つ。上出来だろう。


「やーれやれ……おい、片付いたぜ? とりあえず話聞かせてくれよ」


 給料外の面倒な仕事だったと、スキンヘッドの亡骸を足で脇に転がして、俺はジークルーンに歩み寄る。

 そうなると現金なもので、彼女はわぁっとこちらに飛びついてきた。


「あ、あ、ありがとうございますダマルさぁん!! も、もうダメかと思ってましたぁ……」


「お、おう、そいつは何より、なんだが――」


「ふぇええええええええん!」


 久しぶりに女から熱い抱擁を受け、喜ぶべき場面なのは重々承知している。

 しかし、それが大混乱の中で泣きわめくものだから、俺はどうしたもんかと兜を掻くくらいしかできそうにない。

 結局ジークルーンが落ち着くまでそのままで居るほかなく、よくわからないキメラリア2人を含めて我が家へ案内できたのは、太陽が中天を指すような頃だった。



 ■



 曰く、最近はユライアシティとポロムル近郊に賊の出現情報がなかったこと。

 曰く、腕に自信があると語ったフーリーと呼ばれる種族のキメラリアを連れていたこと。

 曰く、陽のある時間帯なら安全だろうと思っていたこと。

 そんな要件が重なって、特に護衛もなしでジークルーンは王都からこの家を目指したという。


「まさか賊みたいな人たちが、スイビョウカなんて持ってると思わなかったから……」


 しょげたように肩を落としながら、泣き腫らした目を擦ってジークルーンは呟く。

 それを両隣からマオリィネと、見覚えのない緑色の髪をしたキメラリアが慰める。なんとも不思議な光景に、俺はハァとやる気のない声を出すほかなかった。


「その、スイビョウカってのはなんなんだ? 俺にゃ聞き覚えがねぇんだが」


「ケットやカラみたいな鼻の利くキメラリアに効く、きついお酒みたいな草のことよ。臭いを嗅いだだけで酩酊して動けなくなってしまうような劇薬で、滅多に市場に出回らない貴重品なのだけれど」


 腕を組んだマオリィネは、随分懐に余裕のある野盗が居たものだ、と唸る。

 その言葉から察するに、キメラリア用のマタタビと言うべきものだろうと想像を固め、そしてソファの上で未だひっくり返っている毛無のキメラリアへと視線を流した。

 浅黒い肌に鈍色にびいろの髪。鼻先を黒く染め、両頬に3筋の白いフェイスペイントを走らせる変わり者だ。体型はスレンダーだが、美しい顔立ちを見るに女性だろう。


「じゃあ、こいつぁその薬の被害者ってことか」


「そうなんです。キメラリア・フーリーは他のどの種族より鼻が利くから、こんな風に」


「大丈夫なのか?」


 顔を覗き込めば、フェイスペイントの奥でも頬が赤くなっているのがわかる。呼吸も浅く、額から汗を流していることから熱病に罹患しているかのようで、見ているこちらが心配になってきた。

 しかし、飲み物を持ってきたアポロニアは、大丈夫ッスよ、なんてあっけらかんと言い放つ。


「スイビョウカはほんとすぐ酔っ払ったみたいになるッスけど、普通ならすぐ抜けるッスから。まぁこの狐は慣れてなさそうッスから、長めに見て半日ってとこッスかね」


「そんなもんか。じゃあ悪いんだが、こいつ客間に寝かしてきてやってくれ」


「ほいほい、了解ッス」


 こういう作業は本来ファティマに頼むべきなのだろうが、残念ながら彼女はまだ森から戻っていないため仕方がない。

 しかし、フーリーと呼ばれる少女は見た目以上に軽いのか、薄めた果実酒をテーブルに置いたアポロニアは、特に苦労することなくを背に担ぎあげて部屋を出ていった。


「まぁ、とりあえず襲われてた経緯はわかった。んで、家には引っ越し祝いにでも来てくれたのか?」


「あ……は、はい。果物のチュコラを焼いてきたんですけど、ちょっと形が潰れちゃって」


「お! 焼き菓子じゃねぇか! 家主が出かけてて居ねぇから、あとでいただくとするぜ」


 加工された菓子類は現代で貴重な品だ。机の上で開かれた籠の中、美しい色彩を放つフルーツタルト然としたそれを見て、俺は悪くないと1人盛り上がる。

 そんな様子が意外だったのか、ジークルーンは目の前でポカンと口を開けていたが、やがて口に手を当ててクスクスと笑い始めた。


「ジーク?」


「ご、ごめんなさい。でも、なんだかダマルさん可笑しくって」


 はて、と俺はマオリィネと顔を見合わせる。

 何か不自然な振舞いをしたつもりはなく、ただただ素直に甘味が嬉しかっただけの話であり、可笑しいというのは最早見た目以外に思いつかない。


「何がだよ?」


「だって――あんなに強い騎士様が、チュコラに子どもみたいな喜び方して、フフフッ」


「強い騎士様って……ダマルが?」


 先の戦闘を見ていないマオリィネが訝し気に眉を顰める。

 これが軍人と言われてこの表情なら文句の1つも言えただろうが、騎士と呼ばれて違和感ありありなのは認めざるを得ない。

 しかし、ジークルーンはそれさえ違和感と思わなかったようで、拳を握って戦いの様子を力説しはじめた。


「そう! 凄いんだよダマルさん! 剣を持ってる相手にも全然怯まなくて、近くに来た相手は叩いて倒しちゃうし、離れてる相手は魔法でタタタンって!」


「そ、そう……よね?」


「おい、疑うなよ。誇張されてる気はするが、やったことはまんまだぞ」


 名誉のために、自分だってやればできるのだ、とマオリィネに視線を投げれば、何故か鼈甲べっこうのような瞳で睨まれる。

 ただその理由もイマイチ理解できない俺は、肩を竦めてそのタルトを籠ごと抱え上げ、抗劣化冷蔵庫へ入れておくという名目で一旦その場から逃げ出すことに決めた。



 ■



 リビングに残された私はダマルが出ていったことを確認してから、視線を隣へ流す。

 そこにあるのは、胸を押さえて顔を綻ばせる幼馴染、ジークルーンの姿。自分が覚えている限り、彼女のそんな姿を見たのは、子どもの頃以来ではないだろうか。


「……はぁ」


「ちょっとジーク、どうしたのよ?」


 どこからそんな艶めいたため息が漏れるのか。

 それを軽く指摘してみれば、彼女はビクリと肩を震わせて両手をわたわたと振り回す。


「ち、ちちち、違うのマオ!? 別に変な事なんて考えてないから!」


「そんなこと言ってないでしょ。貴女、さっきからちょっと変よ?」


「う――や、やっぱり、変、かなぁ」


 うん、と私はハッキリと頷く。

 こういうときジークルーンははっきりこちらの意見を伝えておかないと、何もかも曖昧なままで決着のつかない話をしはじめるからだ。

 しかし、これは聞かない方がよかったかもしれない。


「……カッコいいなぁって」


「え゛ッ!?」


 それこそ騎士様が迎えに来てくれることを夢想する乙女のような顔で、齢20歳の幼馴染は頬を染める。

 嗚呼これが普通の相手ならばどれだけよかったことだろう。今までもジークルーンにだけは、貴族がどうのではなく、恋した相手と結ばれて欲しいと必死で祈り続けてきたのだから。

 彼女の恋する姿は確かに自分の望みを叶えたはずなのに、私は顔を青ざめさせることしかできなかった。


「ジーク、ちょっとよく考えて? 呪われてるから鎧は脱げないし、顔も見られない相手なのよ?」


「わかってるよぉ……でも見た目なんてどうでもよくて、誰かのために咄嗟に手をさしのべられる人って、カッコいいと思うんだぁ」


 時、すでに遅し。

 最早誰の言葉も彼女の耳に届かないだろう。そしてこれ以上あの悪魔騎士のネガティブ要素を伝えることもできず、私は顔を引き攣らせながら笑うほかなかった。

 その様子を反対側から、わかるわかるとキメラリアの使用人が頷いて聞いていたが、きっとジークルーンの目には彼女もまた映っていなかったに違いない。

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