第232話 言い伝えと掟の終わり?

 豪勢に盛られた色とりどりの料理に、高級そうな透き通った酒。

 ここまで現代を生きてきて、途中からはそれなり以上に贅沢な暮らしもしていたように思うが、目の前に並べられたそれらを見て、僕は豪華さの天井など見えはしないのだと改めて悟った。

 そして目の前で立ち上がった男は、朗々と声を響かせる。


「太古よりの約束はここに果たされました。祭りは準備の兼ね合いで後日となりますが、ともかく今日はささやかながら宴と参りましょう。皆、新たなる指導者の誕生に盃を捧げよ!」


 応と上がる声に対し、頭と耳、ついでに胃が痛かった。

 料理の豪勢さを除けば、確かに宴としての規模は小さいのだろう。集っているのは中心者である管理官ニクラウスと、数人の長たちのみなのだから。

 だが、結果的に指導者へと祭り上げられることに変わりはなく、僕は引き攣る顔を必死で制御しながら、隣ですまし顔をしているシューニャに小声で助けを求めた。


「……これって絶対受けないとダメな奴かい」


「司書の谷において言い伝えは絶対。だから、キョウイチが管理官の上に立つ存在になるのは、逃れようがないと思う」


 諦めろと言うように、隣に腰かけたシューニャは小さく首を振る。

 実際、管理官であるニクラウスの言葉を聞いた時から、地下遺跡の封印を解けば歓待されるかもしれないと予想はしていたが、まさかガーデンの出口で待ち伏せされ、そのまま宴会席まで連行されてからのコレは想定外だった。

 せめて事前連絡と意思確認ぐらいしてもらいたいものだが、残念ながらニクラウスにそのつもりは更々ないらしく、あれほど厳しそうに見えた男は酒杯を掲げながら笑いかけてくる。


「そう心配されなさるなアマミ殿。谷の運営に関しては私が補佐いたします故、貴方様は思うがままに指揮を振るわれればよいのです」


 あまりにも頼もしいお言葉に、僕は苦笑を浮かべながら皿の料理をつつく。あまりの事態に味が全く感じられないのは非常に勿体なかったが、家族たちが美味しそうに舌鼓を打っているため、それでよしとすることにした。

 その後も愛想笑いを浮かべつつ食事を続けていたのだが、ふと酒で口を軽く湿らせた時、自分の頭に悪知恵が浮かんだ。もしかするとアルコールの所為かもしれない。


「ニクラウスさん、先ほど指導者と仰られましたが……それはこの谷において、絶対的な命令権を行使できる、という意味でよろしいでしょうか?」


「無論です。我らは言い伝えにより、封印を解いた貴方様の全てに従う義務がある」


「なるほど……全てに従う、ね」


 言質は取ったと、僕は見えないよう拳を握る。

 しかし、それは隣からしっかり見えていたらしく、シューニャは無表情のままで、お前何をするつもりだ、という視線を向けてきた。その程度で止まってやるつもりはなかったが。


「では、早速1つ、命令を行使させていただきたい」


 僕が背筋を伸ばせば、前に控える司書の全員がおぉと声を上げ、すぐにその場で姿勢を正して静かに耳を傾けてくれる。

 なるほど、為政者とはこういうものなのだろう。よくこんなむず痒い真似が続けられるものだと感心しながら、僕はその場でハッキリ告げた。


「今より自分の持つ管理権限を、遺跡およびシューニャの罪業に関するものを除き、全てアルト・リギ・ニクラウス管理官へ不可逆的に委譲する。今後はニクラウスの指示命令に従い、司書の谷の運営を行うように」


 となりでシューニャがむせていたように思う。

 何なら、しっかり命令を聞いたはずのニクラウスすらポカンとし、周りの長たる面々に至っては未だ頭すらあげられていない。

 これは一種の屁理屈だ。1つだけ願いを叶えてやると言われ、だったら何度でも願いが叶うようにしてくれ、というようなものであろう。それでも、絶対的な命令権を行使できる、という言質を取っている以上、否とは言いにくいはず。

 無論、ポラリスを除く周囲の身内からはとんでもなく冷たい視線を浴びせられたが、自分の生活を守ることが最優先である以上、撤回するつもりなど更々ない。

 おかげで暫くニクラウスは黙りこくっていたが、やがて意を決したように顔を上げると、まるで縋るように口を開いた。


「どうか、どうかその命だけは取り下げてもらえませぬか。我らはようやく言い伝え通りに、太古の約束を果たせたのです」


 どうかこの通り、と、ニクラウスは額を床にこすりつける。正直に言えば、一体何が彼をここまでさせるのか、と思わなくもない。

 しかし、今まで絶対者であった管理官の姿勢を見せられ、シューニャは何か思うところがあったのだろう。小さく僕の裾を引いた。


「キョウイチ、これは……管理官に立つ瀬がない」


 小声で告げてくる彼女を僕は手で制する。

 こういう反応が来るであろうことは想像できていた。それほどまでにニクラウスは、言い伝えと掟を重視していたし、外で祭りの準備が進められている様子を見ても、今更何も一切変わりません、という訳にはいかないはず。

 だからこそ、僕は本命の案を口にする。


「ふむ……どうしてもと仰るなら、自分を名誉職としてはいただけませんか?」


「名誉職――ですか? それは、一体どういう……?」


「司書の谷の実権的な運営をお任せすることは変わりません。ですが、名前の上では私が不可侵の長です。そして唯一、名誉職の選任を行える権利を持つ。これならどうでしょう?」


 実質的に言っていることは何も変化していない。ただ、名誉管理官とでも言うべきお飾りの新役職が作られ、そのポストは自分しか選べず、それが代々受け継がれていくというだけの話だ。

 ただ、こういう形式的な部分が、人々を納得させるうえで重要なのも確かであり、ニクラウスを含む重鎮たちは盛んに意見を交わし始める。

 自分にも家がある以上、これ以上譲ってやるつもりはないが、1日そこらで決着できる話でもないだろうと考え、僕は食べきれない食事を前に席を立った。


「正式な判断は後日で結構です。僕にはまだやらねばならないことがありますから。本日はこれでお開きにさせてください」


「は、ハハッ!」


 流石にこれ以上意見することはできなかったのだろう。それでもニクラウスは宿の案内までしようとしたが、これはシューニャが居るから必要ないと場所だけを聞いて、その日は解散となった。



 ■



 ポラリスとファティマは宿に入るや、疲れからかすぐに豪華なベッドに入った一方、マオリィネとアポロニアはダマルへ食事を持っていってくれた。もしかすると、げんなりしていた自分への気遣いかもしれない。

 おかげでささやかな自由を得られた僕は、拳銃とバヨネットだけの軽装となり、シューニャに連れられて谷の市街地へ繰り出していた。


「せっかくの対面なんだ。親子水入らずにすればいいのに」


「わ、私だけが帰ったことで、家族に余計な心配をかけたくない、から、これは――そう、ちょっとした保険」


 さっきの自分の屁理屈も大概だが、シューニャの言葉はいつものような切れ味が無い。

 とはいえ、わざわざ理由を問い詰めようとは思っていないため、僕はそうかいとだけ言って彼女に導かれるまま住居らしき穴の並ぶ市街を歩き続ける。

 それから間もなく、彼女は特に変哲の無い扉の前で立ち止まった。


「ここが、実家」


「へぇ」


 とは言ったものの、残念ながら横穴を家としている場所では、他との違いが全く分からず、感想を述べることも難しい。強いて言えば、常に明かりを保つのは燃料の確保とか換気とか大変では? という程度だ。

 そんなしょうもない思考の時分を置いて、シューニャは小さく深呼吸してから扉を軽くノックする。

 すると、中からゆっくりと足音が聞こえてきて、扉が薄く開かれた。


「はいはぁい……こんなおっそい時間にどちらさん――よぉ?」


 明らかに今から寝ようとしていました、という恰好で現れたのは、シューニャとよく似た顔立ちながら、背が高くスタイルのいい女性である。彼女とは違い、無表情固定がデフォルトという訳でもないらしい。

 ただ、キャスケット帽を静かに脱いだシューニャを前に、その女性は目を丸くして固まった。


「ただいま。姉さん」


 姉、と呼ばれた彼女は、シューニャの声を聞いて扉をゆっくり押し開くと、呆然としたまま静かににじり寄ってくる。その姿は踊り子のような薄着であったため、僕はなんとなく目を逸らしていたが、姉妹の再会に自分など居ようが居まいが関係なかった。


「え、っと……シュー……ニャ、よ、ねぇ? ほん、ものぉ?」


「偽物は見たことない。姉さんも元気そうでな――にょぶふりゅ」


 シューニャの答えが終わるより、姉の動きは速かった。

 彼女は目の前に居るのが本物の妹だとわかるや、満面の笑みを咲かせてシューニャを掻き抱き、やぁー! と声を上げながら金紗の髪を撫でまわす。ついでに頬ずりも加えながら。


「ホントにホントにシューニャよぉ!! キャー! この抱き心地、間違いないわぁ! なんで帰ってきたのよぅ、駄目じゃない! でも可愛いからお姉ちゃん許しちゃうわー!!!!」


「姉さ、むぐふ、く、苦し、放し、て」


「やぁーよぉ! せっかく2年ぶりのシューニャなんだからぁ! お姉ちゃんどれだけ寂しかったと思うのぉ!」


 なんとも姉妹とは思えない雰囲気の違いである。過剰なまでのスキンシップは、体格差によってシューニャの頭を豊満な胸に押し込み、それに抵抗して彼女も暴れることで金紗の髪はボッサボサに乱れていた。

 そんな光景を、僕はただただ呆然と眺めていることしかできない。何せこの女性の目には、自分はおろかシューニャ以外の何者も映っていなかったに違いないのだ。周囲ではあまりに喧しい彼女の声に、何事だと窓や扉を開けて様子を見るご近所さんも多かったが、その原因を見つけるや諦めたように家へと戻っていく始末である。


「ちょっ……い、いいか、げん、にッ!」


 だが、ぎゅうぎゅうと強く抱かれ続けたことで、シューニャは温い抵抗では止められないと感じたらしい。ついに彼女はなんとか動かせる範囲で手を持ち上げ、彼女の豊満な胸を全力でつねったのである。これには流石に耐えかねたらしく、シューニャの姉は、あひゃい、と変な声を上げて跳びあがった。


「も、もぉ! せっかくなのに、つれないんだからぁ」


「はー……はー……か、歓迎してくれるのは嬉しい、けど、限度がある。それに、この時間に叫ぶのは近所迷惑……」


 過激なまでのスキンシップに抗議しつつ、シューニャは息を整えて崩れたポンチョを整える。ただ、その視線は明らかに大きな2つの膨らみに向けられているような気がして、わざわざそこを狙ってつねったあたり、違う意図も感じられた。

 だというのに、彼女の姉はそんな過激な抵抗も含めて妹が愛おしいらしい。


「そんなこと言わずに、ねぇ? お姉ちゃんともうちょっとギューしましょう?」


「嫌」


 最短の言葉で誘いを蹴り飛ばすシューニャ。それでもなお、女性は鼻息も荒く迫ろうとしたため、ついに彼女は自分の後ろへと身を隠してしまう。

 ただ、この行為が何かのトリガになったのは間違いなく、姉と呼ばれる存在は最初にシューニャを見た時以上の石化を見せた。


「……ねぇシューニャ、その人はだぁれ?」


「私の、


 なんとなく、この状況でその言い方をするのは不味い気がしたのだが、自分の腰辺りから顔を覗かせるシューニャは敢えて危険な言葉を選択したらしい。

 そして女性はそれに対して、笑顔のまま顔を青ざめさせ、それでいて口の中を噛むという器用かつ複雑な表情を作り上げる。


「あ、あの可愛い可愛いシューニャが……こともあろうに……男、と、家族ぅ?」


「何かとんでもない誤解をされている気がするんだが、シューニャ?」


 そう言って翠玉の瞳を覗き込むも、プイと視線を逸らされる。この行動から、僕は自分が半ば生贄状態となっていることに気付かされた。

 先ほどまでの様子を見る限り、この女性がシューニャを目に入れても痛くないくらいに溺愛していることは、早くも疑いようがない。それが奇跡の再会と思って早々、見知らぬ男を家族と紹介したとなれば、その先は言うまでもないだろう。


「ふふ、ふふふふふ、うふへへへへへへぇ!? あり得ないあり得ないあり得ないわぁあああああああッ!? そう、これは夢、夢なのよサーラ!」


「えーと……すみません、大丈夫ですか?」


「大ッ丈夫なもんですかぁ! なになになんなのアンタはぁ!? 私の可愛い妹を毒牙にかけようっていう以上、覚悟できてんでしょうねぇえええええええ!!」


 なるほどよくわかった。普段がどうであれ、彼女は同じ言語を喋っているだけで、言葉を理解しないタイプだ。それも、無手だったからよかったものの、剣でも持っていようものなら確実に抜いていたに違いない。何せ獣のように腰を落とし、口から煙を吐く勢いでゆらりと身体を揺らしているのだから。

 僕はその対応に困り果て、猿叫えんきょうを響かせる女性とシューニャの顔とを見比べたのだが、その程度で解決の糸口が見えれば苦労はない。

 しかし、今にもバーサーカーと化した憤怒の姉が飛び掛かってこようかというとき、その頭に後ろから拳骨が落とされた。


「おぎょんっ!?」


「サーラ、夜中にうるさいぞ。静かにしなさい」


「そうですよぉサーラちゃん。お客様も御用があっていらっしゃっているのに、そんなにキイキイ言うものではないわぁ」


 おおおと唸りを上げて蹲る姉の後ろから現れたのは、固い表情を一切崩さないままの紳士と、柔らかい雰囲気を醸し出す童顔の女性だった。

 しかし、その2人も自分に隠れたシューニャの姿を見るや、流石に驚いた様子で目を見開く。特に童顔の女性は不安と喜びが入り混じった表情を浮かべ、よろよろとこちらに歩み寄ってきた。


「シューニャちゃん……っ!? どうしてどうして? 帰ってきたら駄目じゃないの。こんなところに居たら――」


「大丈夫、お母さん。罪はちゃんと許された。この人のおかげ」


 ようやく前に出たシューニャは、おどおどした様子をみせる童顔女性の両手をしっかと握る。正直、僕には母親という年齢の人には見えなかったが、母と呼ばれた女性が喜んだのは言うまでもなく、またもシューニャは強く抱き締められていた。

 その一方、父親であろう紳士はやはり渋い顔を崩さない。というより、表情の作り方をそれしか知らないとでも言った雰囲気だった。


「とりあえず皆、中へ入りなさい。何が起こったのか、きちんと説明してくれんと困る。それに、お客様を立たせたままなのも失礼だ」


「そうねそうね。ほらサーラちゃんも、いつまでも唸ってないの」


「ぐえっ!? か、母さん! 引き摺らないでぇ、私の首とお尻がぁ!」


 母親はすぐにシューニャを解放すると、何故かそのまま姉の首根っこを掴まえて引っ張っていく。小柄で優しそうな人物ながら、中々にパワフルである。

 シューニャの家族は明るく賑やかと言うべきか、あるいは変わり者たちと言うべきか。僕は導かれるまま、彼女の実家に招かれることとなった。

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