第282話 眠れぬドギー

 星明りと篝火に照らされるタマクシゲ。

 その周りには護衛のヴィンディケイタが数人立っていたが、近づいてくるのが家人だと分かれば警戒もされることもない。

 自分は彼らに、ご苦労様ッス、と小さく声をかけながら、そっと後部ハッチの取手に触れる。既に眠っているであろう皆を起こさないよう、物音には極力気をつけながら。


 ――誰も、起きてないッスね。


 別に隠れる必要なんてないのだが、自分は聞こえる小さな寝息に心の中で拳を握る。

 寝台と座席に挟まれた通路を忍び足で歩き、目指した先は開け放たれたままの荷物室。その中から、愛用のジドーショウジュウと、タイセンシャユードーダンハッシャキを1本抜き取った。

 相変わらず重たい武装たちは、背中に回した瞬間ガチャリと音を立てる。おかげで気にする必要もないのに、自然と全身の毛が逆立った。

 しかし、それで誰かが起きてくる気配はなく、自分は小さく息をついてから、再び足音を立てないようにしながら外へ。

 後部ハッチを閉めた時、ようやく脱力することができた。

 ただ、そんな自分に人影が落ちてくるとは思わなかったが。


「こんな時間に、お出かけですか?」


 それはあまりにわざとらしい自己主張で、だからこそ無視することもできず、さっきの苦労は何だったのか思いながら、肩越しにタマクシゲの屋根を見上げた。


「……そっちこそ、まだ起きてるなんて意外ッスね」


「さっきまでは寝てましたよ。ただ、途中で目が覚めちゃっただけです」


 硬い鋼の屋根に腰を下ろした猫は、夜空を見上げたままで、長い尻尾をゆっくり揺らす。

 何を考えているのかはわからない。ただ、夜中に目覚めて寝直さなかったと言うのは、やはり今日のことが原因だろう。

 だから自分は、余計なものが出てこないよう自らの心に蓋をしながら、できるだけいつも通りに口を開く。


「ほぉん? もしかして興奮で眠れないッスか?」


「気持ち悪いですね、なんですか急に。別にコーフンなんてしてませんけど」


「今更隠さなくてもいいんスよ。うまいこと行ったんでしょ? ご主人とのお、は、な、し」


 わざとらしくニンマリと頬を引き延ばしつつ、夕方に起った事実を口にすれば、流石に視線を逸らしたままでは居られなかったらしい。

 闇夜に輝く金目でこちらを射抜くと、大きな耳を後ろへ逸らしながら僅かに腰を浮かせた。


「……聞いてたんですか?」


「単なる偶然ッスよ偶然――でも、よかったじゃないッスか。初恋、実ったんスよね?」


 別に進んで聞き耳を立てたわけではない、と軽く手を振って否定する。

 そのついでに心の奥底で思っている言葉を、喉元にある感情で汚されないように気をつけながら取り出せば、何か言いたげだった猫は、むぅ、と小さく唸るだけで再び屋根の上に座り込む。


「正直……まだ夢なんじゃないかなって、思ってます。それに、恋人同士になれたのは嬉しいんですけど、そこから先はどうしたらいいのか、何をするものなのか、全然知らないですし」


「何ッスかそれ。後回しになってる自分への当てつけッスか?」


 からかうような笑顔の片隅で、自分の表情が小さく引き攣ろうとしたのが分かる。

 しかし、彼女は小憎らしい面が目立つとはいえ、基本的にその言葉に裏表はない。今の言葉にも、勝者の余裕を見せつけよう、などという意図はなかったに違いない。

 だというのに、自分の吐いた言葉には、冗談っぽく覆い隠そうとしても、明らかに拭いきれない嫉妬心がこびり付く。それはあまりにも情けなく思えて、柔らかい掌に爪が小さく食い込んだ。

 ただ、猫はこちらの内心に気付かなかったのか、あるいはわかっていて無視したのか、いつも通りのぼんやりした様子を崩さなかったが。


「別におにーさんは後回しになんてしてないと思いますよ。ただ、死んでも治らないくらいのなだけで」


 言葉に詰まった。

 そんなことくらい、彼の深い傷を少しでも癒すのだと決めたあの日から、わかりきっていたことだろう。

 あまりにも鈍感で奥手で生真面目で、それでいてとても優しく温かい最強の兵士。

 彼への愛おしさは日に日に強くなる。その気持ちに嘘がつけないから、きっと今もこうして胸が締め付けられるように痛くて、そうッスね、という簡単な言葉すら声にならなかった。

 とはいえ、こちらがどんな気持ちで居るのかなど、言葉にしなければ伝わるものでもなく、猫は沈黙した自分の背中に視線を逸らした。


「それより、武器なんて持ち出してどうするんですか? 敵が来た感じはしませんけど」


「あ、あぁ、別に何って訳じゃないッスよ。猫と一緒で眠れそうにないから、ちょっと自主訓練でもって思っただけッス」


 事前に準備していた中途半端な嘘は、想像以上にスラスラと流れていく。

 眠れないからではなく、眠りたくないからだ。そして眠らない分の時間で、少しでもご主人の役に立てるようになりたかったからだ。

 それくらいしか自分を磨ける方法が、否、彼の役に立てそうな行動が思いつかなかったと言っていい。

 自分の言葉を猫がどう思ったかはわからない。ただ、何かを見透かすような目でこちらを暫く眺めていたかと思えば、やがて興味を失くしたかのように、ふぅん、と小さく鼻を鳴らした。


「まぁ、犬が何しようと勝手ですけど、あんまり心配かけさせないようにしてくださいね」


「心配って、誰にッスか」


 お前以外には誰も知らないだろう、と言外に告げたものの、彼女は大きな欠伸を1つ漏らすと、再び夜空を見上げるばかりで、それきり口を開こうとはしなかった。

 イマイチ思考が読めないことは相変わらず。ここで質問を重ねたところで、どうせ答えてはくれないだろう。

 そもそも、改めて聞く気にもなれなかったため、自分はタマクシゲに背を向けて人気のない防壁の傍へ向かった。無論、誰かに見られたくないからである。

 要塞の建物と防壁の間。僅かに開けているだけで、何もない場所に自分は一旦腰を下ろすと、ジドーショウジュウを置いて長筒にくっついている箱を覗き込んだ。


「相変わらずごちゃごちゃしてるッスね、この武器。とりあえずってのにして……よっと」


 太古の武器は種類が多く、それでもジドーショウジュウやキカンケンジュウ、キカンジュウといった物に関しては、使う機会が多かったこともあって、それなりに慣れてきている。

 ただ、ムハンドウホウだのタイセンシャうんたらだのという名前がついた強力な筒に関しては、幾度かの実戦とカソークウカンにおける訓練以外では触る機会もなかったため、咄嗟に考えて使えるかと言われると自信がない。

 しかし、これから起こるであろう戦闘において、自分達はミクスチャとの戦いが中心になってくる。となると、自分が役に立つには、これらの扱いに慣れるほかない。

 その中でも特に、このタイセンシャユードーダンハッシャキと言う奴は、目を瞑っても当てられるという魔法の矢ではあるものの、複雑な操作が色々あって全く覚えられていないのだ。

 だから自分は、小さな蝋燭の明かりを手に、ご主人が書いてくれた簡単な使い方を読みつつ、その手順を頭に叩き込んでいく。


「これで目標指示待機状態だから、相手がどういう奴なのかを見極めて……だいれくとあたっくかとっぷあたっくを選ぶ? 今は上が光ってるから、だいれくとあたっく? えぇいわかりにくいッス!」


 800年前にこの武器を作った奴は、一体何を考えてこんな複雑な構造にしたのだろう。

 確かに強力な武器ではあるし、撃った弾が絶対に当たるというのは飛び道具の目指す先かもしれないが、それにしたってどうにも難解である。何よりこの、とっぷあたっく、というのを作った理由は何なのか。相手の上から襲い掛かるように攻撃する方法、とご主人には聞いているが、この武器なら当たりさえすれば大概のものは吹き飛ばせるだろうに。


 ――全部ショウジュウくらい簡単に使えたらいいのになぁ。


 それならひ弱なアステリオンでも、マキナを使うご主人をもっと手伝えるし、たとえミクスチャが相手でも、猫のように背中を預けてもらうことだってできたはず。

 あるいは、この重く難解で強力な武器を一人前に扱うことができるようになれば、隣に並ぶことを許してもらえるだろうか。


「敵は動きの速いミクスチャ……攻撃方法はだいれくとあたっく……右上の光が点滅する時は狙いを定めてる最中で……」


 腰を下ろしたままショウジュンキを覗き込めば、アンシモォドとやらが働いているらしく、暗い世界が緑色に輝いて見える。

 そのまま敵を探すようにぐるりと身体を動かせば、ちょうど防壁の上にを示す四角い表示が現れた。

 ちょうどさっき呟いていた通りの位置で、描かれている古代文字がチカチカと点滅を繰り返し、やがて狙いを定めたという意味のピーという甲高い音が鳴り響く。


「よぉし、ここまでくれば、あとはこのボタンを押し込むだけで――んぇ?」


 である以上、何をしたって実際に攻撃はできない。だからこそ、ショウジュンキが適当に狙いを定めてくれたことも、自分としては幸運だとしか思っていなかった。

 だが、どうしてか防壁の上に輝く四角形の枠は、突如画面上を物凄い勢いで移動しはじめ、たちまちショウジュンキの中から消えてしまう。狙っていた相手が消滅したからか、先ほどまで輝いていた発射準備が整ったという意味の光も消え、再び最初の状態に戻っていた。

 ただでさえ難解な武器である。自分には咄嗟に何が起こったのかわからず、操作を間違えただろうか、と首を傾げながらご主人が書いてくれた説明に視線を落した。

 その直後、凄まじい轟音と共に、空から何かが降ってくるとは夢にも思わなかったが。


「わぁああああああっ!? ななな、何ッスかぁ!?」


 咄嗟に武器から手を離し、頭と耳を庇いながら地面をコロコロ転げていく。あまりに猛烈な衝撃と視界を塞ぐ砂煙に、死んだのではないかと一瞬本気で思った。

 ただ、薄く目を開けてみれば、自分の手足はきちんと繋がっているままで、周囲にも石造りの防壁やら赤土やらが見えるあたり、どうやら普通に生きているらしい。

 その上視界の片隅には、衝撃の原因であろう存在まで、ぼんやりと映り込んでいるではないか。


「……ひ、すい?」


 いつしか見慣れた青い鎧。それが篝火に照らされ、敵を軽々と薙ぎ倒す強力な武器をこちらに向けて立っている。

 無論、それはほんの一瞬であり、倒れているのが自分だとわかるや、リビングメイルにあるまじき人間臭い動きで、翡翠はバタバタとこちらへ駆け寄ってきた。


『なっ、アポロ!? 大丈夫かい!? 怪我は――ッ!』


「じ、自分なら大丈夫ッスよ……ちょっとビックリして転げただけッスから」


 フラフラと頭を揺すりながら、自分はゆっくりと身体を起こす。

 軽く手足を動かしてみても、パイロットスゥツのおかげか、怪我をしている感じはしない。あまりの驚きに痛みがわからなくなっていなければ、だが。


『……すまない。まさかアポロが居るとは思わなくて』


「そりゃまぁ――いやいや、そんなことより、何かあったんスか? だいぶ慌ててたみたいッスけど」


 手を差し出してくれる翡翠に掴まって体を起こした自分は、あまりご主人を心配させたくなくて、咄嗟に話題を修正する。

 無論その中には、この場に居た理由を探られることを、一時的でも避けたかったということも含まれていたが、ご主人は特に何かを聞こうとはせず、小さく頷いて状況を教えてくれた。


『あぁ、さっき急にロックオン警報が響いてね。その照準元がこの辺りだったから、厄介な敵が侵入した可能性があるんだが』


 それがまさか、本日2度目の聞かなければよかった、に繋がるとは思いもしなかったが。

 一気に頭が冷えたせいだろう。知らない間に周囲は騒がしくなっており、武具を揺らして走る音や、警戒を呼び掛ける怒声まで飛び交っており、考えただけで冷や汗が噴き出してくる。

 自分も元は斥候兵。事態の重大さは容易に理解できるため、ここで嘘をつくことなどできるはずもなく、硬く冷たい手からよろめくように離れながら口を開いた。


「え、えーと……多分それ、自分ッス」


『へ?』


「実はその、さっきまでこれの練習してて、適当にあの辺りに狙いを定めてたんス。も、もちろん言われた通り、てすともぉどで、ッスけど」


 固まる空気。

 実際、ヒスイの中に何が聞こえたのかはわからないし、正直ろっくおんというのがどういうことなのかもあまり理解していない。ただ、ご主人が自分目掛けて飛んできた以上、原因は明らかだった。

 長く続いた沈黙は、徐々に世界のざわめきを遠のかせ、それに合わせて背筋は冷たくなっていく。

 目の前で組まれる鋼の腕。それが何だか恐ろしくて、特徴的な金属の音にビクリと身体が震えた。


『成程、そういうことかぁ』


「あの、お、怒ってるッス、よね。自分その、なんていうか、ちょっと寝付けなくて、それならちょっとでも役に立てるように練習でもって――め、迷惑かけてごめんなさいッス!」


 ため息のように零れた声に、自分は崩れるように膝を折った。

 ただでさえ、奇襲に備える不寝番は意識を張り詰める仕事だ。それに余計な混乱を持ち込んだのだから、ヒスイの向こうでご主人はどんな顔をしているのか、想像するだけで怖くて仕方ない。

 するとどうだろう。自分の心を蝕んでいた嫉妬心はいとも崩れ落ち、その内側にあった本心があっさりと露わになる。

 褒めて欲しい、嫌われたくない、認められたい、自分を見ていて欲しい。

 あまりに単純で、あまりに浅ましい承認欲求。ファティマが受け入れてもらえたことで、自分のそれは心の中であまりに大きく膨らんでいた。

 だからこそ、次の言葉を聞きたくないし、彼の方を見たくない。

 自分は失敗した。しかもあまりに間抜けかつ馬鹿馬鹿しいやり方で。

 この一瞬、自分は何に縋ればいいのか、どの神に祈ればいいのかと、地面に額を擦りつけたまま硬直していた。

 それでも時間は流れる物で、凍り付いた空気を解したのは、いつもと変わらない、ヒスイ越しのくぐもった声である。


『そんなに怯えないでくれ。これくらいのことで怒ったりはしないし――まぁ、練習するのなら、事前に言っておいてほしかった、ってくらいかなぁ』


 小さく零れる苦笑い。顔が見えなていなくても、どんな表情をしているかくらいわかる。

 ただ、許されていながらも、自分のしたことがとても情けなくて、どうしても何かが遠ざかってしまったような気がして、自然と鼻が鳴りそうになるのを堪えながら、もう一度涙声の謝罪を口にしていた。


「ホントに、ごめんなさい、ッス……」


『気にしなくていいよ。よかれと思ってやってくれたことなんだろう? ほら、土を握ってないで玉匣に帰ろう。警備の人たちには僕が後で言っておくから』


 差し伸べられた冷たい手に触れ、自分は俯いたまま立ち上がる。

 ご主人の目には、どう映っただろうかなんて、そんなことばかりを考えながら。

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