第136話 女性間対話

 工具を抱えたダマルと翡翠を着込んだキョウイチが巣穴に潜っていくのを、私は他の3人と共に見送った。

 一応ついて行きたいと申し出はしたのだが、何かあった場合に備えてタマクシゲを操作できる人間は残しておきたいと言われてしまえば、合理性の面から言い訳もできず、渋々ながら納得せざるを得なかった。これが一度調査した場所でなければ、もう少し食い下がったかもしれないが。


「暇ですねー」


 同じく護衛のためにと残されたファティマは、大きな欠伸を1つ。

 タマクシゲを動かせることも彼女を護衛とすることも、先のような拉致事件を回避する手段とキョウイチは考えているらしい。

 実際、警戒状態のタマクシゲを襲えるような者が居るかと聞かれれば、私は無謀以外の何者でもないと答えるだろう。その上、ファティマはマオリィネとの訓練で腕を上げており、人間が相手とはいえヴィンディケイタを打ち負かしている。また、その師であるマオリィネが強いのは言うまでもなく、我流で剣を振るうような有象無象の個人コレクタくらい相手にならないだろう。

 そんな中でも群を抜いて強力なのはアポロニアだ。ジドーショウジュウという古代の武器を用いる術を得た彼女は、アステリオンという種族の弱点が一切関係なくなっている。ただでさえジュウという飛び道具を前にしては、現代の金属鎧など何の防具にもならないのだから。

 人間や獣程度が相手なら、動く無敵の城、と言っても過言ではない。おかげで私は運転席から離れ、寝台に横になるという無警戒ぶりだった。


「あの……シューニャ? 流石にダレ過ぎじゃ無いッスか?」


「やることがない。ファティが言うように暇」


「それにしても無防備過ぎないかしら。ここは街中じゃないのだし、柵も壁もないのだから、いつ何に襲われてもおかしくないのよ?」


 苦笑するアポロニアと苦言を呈するマオリィネを前に、私は狭い寝台の上をゴロゴロと右へ左へ転がった。キョウイチが居る前では絶対に見せられない姿だと自分でも思う。

 タマクシゲは快適だ。マオリィネが同行するようになって一層手狭ではあるが、炎がなくとも明かりがあり、フカフカの寝床と身を守る力を持つ移動式武装住居の中なのだから、多少はだらけたくもなる。


「タマクシゲを襲うため、余程入念に準備されていなければ問題になるとは思えない。クロスボウを弾き、炎すら効かない鋼の箱で何を警戒しろと」


「うーん……み、ミクスチャとかッスかね?」


「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ。王国内に現れたなんてなったら、国家存亡の危機じゃないの」


「王国どころか、大体どこでもそうですよね」


 うんうんと全員で頷く。

 しかし、それは逆にミクスチャ以外が脅威でないということになる。人間種の天敵の多い時代において、これがどれほど贅沢な話か。


「ユライアランドの野生動物はヘルフとバイピラーが一般的な害獣。あとは盗賊とそれ紛いのコレクタとかだけれど、どちらもタマクシゲの敵じゃない」


「退屈で溶けちゃいそうなんで、賊くらいならちょっとくらい来てくれてもいいんですけどね。少しはお金にもなりますし」


 ファティマは顔を擦りながら碌でもないことを口にする。

 もしもこの瞬間に得物片手に襲い掛かって来た連中が居たとすれば、私は彼らの冥福だけを祈る羽目になるだろう。いくらならず者共であっても、退屈しのぎに身体を上下泣き別れさせられたのでは、流石に少しあわれに思えた。

 これにはアポロニアも同じ意見らしく、どこか呆れたような表情を浮かべて首を横に振る。


「ほんっと、何かにつけて猫は血の気が多いッスねぇ……」


「犬だってあまり怠けてると太りますよ。ただでさえ胸以外ちっちゃいのに、それで太ったら切り株じゃないですか」


 猫はさらりと禁句を口にする。

 貧者の多い現代では多少肉付きがよい者が好まれたりもするが、太っているというのは話が別だ。女性にとって太ることが敵なのは言うまでもなく、それも切り株などと称されては黙っていられるはずもない。


「んなぁっ!? な、なるわけないでしょうが! それに胸以外もアステリオンとしちゃ平均くらいッスよ!」


「そんなに吠えなくてもいいじゃない。女としては羨ましいくらいよ? その胸」


 興奮するアポロニアを軽く宥めにかかったのはマオリィネだ。

 19歳と聞いていたが、傍目から見れば貴族という立場とすらりとした背格好も相まって、アポロニアよりは完全に年上に見える。

 しかしそんなことよりも、私としてはもう1つの禁忌に触れられた気がして腹の底に火種が落ちた。

 己が体を見下ろせば私の目には床が見える。だが、アポロニアのアレは視野を塞いでいるに違いない。身長では自分よりも低いというのに、どうすればあんな凶器を持ちうるのか。アステリオンが元々小柄な種族だからと言われればそれまでなのに、それだけで納得できるかと理論を超えた何者かが叫んでいる。

 そんな私の心中をアポロニアが知るわけもなく、なんならマオリィネから持ち上げられたことによって、彼女の勢いは急速に失われていた。


「う……そ、そう言われても困るッス。結構大変なんッスよ? 男は胸の大きさをやたらと気にするッスけど、こっちとしては重いし肩凝るし、兵士としては弓が扱えなくなったりとかあんまりいいこともない――ぅキャァーンッ!?」


 私がほぼ無意識のうちにその太い尾を引っ張ったのは言うまでもない。

 奇襲攻撃によりアポロニアはその場で四つん這いに崩れ落ちた。だが、尾を押さえて鼻を鳴らす彼女を見下ろしても、私の心中に巻き上がった炎は一切収まらなかったが。


「お、おごぅ……し、尻尾ぉ……尻尾がぁ……いきなりなんてことするッスかぁ」


「持つ者は傲慢」


 これでもイエヴァに相談を持ち掛けて以降、何かと調べて努力はしているのだ。

 学術書曰く、ボスルスの乳を飲めば成長が早まるとか、胸部を鍛える変わった運動をするとか、双頭大芋虫バイピラーの成虫が出す鱗粉を肌に塗り込むであるとか、その他その他。

 バイピラーの鱗粉など貴重品を用いるものは継続できていないが、ともかくそんな努力を続けてもなお変化の訪れない我が身と、特に何かをやっているとは思えないアポロニアの身体には大きな差があるのは少々理不尽が過ぎると思うのだ。そこを本人が突いてきた以上、多少の鬱憤を尻尾にぶつけるくらい許されるだろう。

 涙目でこちらを振り返ったアポロニアがひぃと声を上げたのは、それが顔に出ていたからだろうか。


「その……確かにシューニャはその、スレンダー、よね?」


 だが、間を取りなすように再びマオリィネが言葉を発したので、私は犬娘から視線を逸らした。否、逸らさざるを得なかった。


「もしかして馬鹿にされている?」


 このぽっと出デミ貴族、言ってくれるではないか、と炎が赤色から青白いものへと変わったのを感じる。

 アポロニアの場合は胸だけを敵視すればいい話なのだが、マオリィネの女性的な身体を見ていると驚くほど負けた気がしてきて余計に腹が立つ。

 出るところは出ている、引っ込むところは引っ込んでいる。これが貴族という見栄やらプライドやらの世界で生きていく上の武器であることくらい想像できるものの、タマクシゲという小さなコミュニティの中では自分に対する当てつけとしか思えない。

 そういう意味ではファティマもそうなのだが、ひたすら戦士である猫に対して様々な顔を持つマオリィネの雰囲気は明らかに強敵であった。それが故に、あまりにも大きなこの格差はなんだと、神々への怒りが込み上げてくるのだろう。

 だが、こんなことは慣れっこだと言うように、マオリィネは肩を竦めて見せる。


「違うわよ。私からしたら太ってないのも羨ましいものなんだから」


「マオリィネが太っているようには見えない」


「私は鍛えてるから簡単には太らないけれど……晩餐会なんて出てみなさいよ。嫌でも食べないといけないし、貴族が太っているのも頷けるでしょ?」


 続けて馬鹿にされていた気もしていたが、こう言われてしまえば成程努力が必要なことも理解できて、私は口から噴き出しそうだった程の火炎を押さえ込んだ。

 決して左手で長い黒髪をふわりと流す姿はやけに様になっており、こういう所作の1つについても魅力という物が宿るのだろうと別の部分に劣等感を覚えてしまい、怒り狂う自分が幼稚に思えたからではない、はず。


「一理ある。しかし、世の人々が多少なりとも大きなものを望む傾向にあるのも確か。そういう点ではスレンダーというのは欠点の方が多いと考えられる」


 故に冷静になっていつも通りの理論防壁を展開するのも容易だった。

 そもそも体格に悩めるなどと言うのは余裕がある人間の道楽であり、生きることに必死な人々にとっては太ることなど容易ではない。

 だが、現実がどうであれ自分達にとって重要なのは、キョウイチからどう見えるか、という1点だけが問題なのだ。


「シューニャ、変わりましたよね」


 ファティマの不思議そうな声に、私の頭は急激に冷や水を浴びせられたようになった。

 自分の思考形態が変化したという部分に関しては疑うべくもない。ただでさえ数か月前まで恋愛など不毛と断じ切っていたのだから、それはキョウイチへの初恋を認めた時点で瓦解、あるいは進化を遂げて当然だろう。

 だが、どうにもファティマの言葉にはその部分ではない意味が含まれている気がして、私はポーズだけでも、そう? と首を傾げて見せた。

 対するファティマは黄金色の大きな瞳でこちらを凝視したまま、はい、と迷いなく答える。


「ヘンメさんの所に居た時は、体形の話なんて完全に無視してたじゃないですか。だから興味ないんだろうなー、って思ってたんですけど、やっぱりおにーさんの事ですか?」


「まぁシューニャもお年頃ッスから、興味がない方が変ッスよ。それも想い人ができれば、女も男も変わるッスからねぇ」


 尻尾へ与えた衝撃から復旧したアポロニアは、立ち上がりながらカラカラと笑う。

 彼女はこんな時ばかりしっかり年上として対応してくる上に、ファティマとそろってねぇ? などと顔を見合わせて見せるのだ。喧嘩するほど仲がいいとは言うが、実際この2人は互いにしょうもないじゃれ合いを繰り返しているだけで気は合うのだろう。

 おかげで同時攻撃に晒された私は、頬が熱くなるのを感じて咄嗟に反論した。


「そ、それを言うなら2人だってそう。アポロニアはこのところ甘い匂いがするコーワの香り袋サシェを身に着けているし、ファティは今まで嫌っていたはずの沐浴をよく行っている。それも石鹸まで使って――ん?」


 なにか空気が張り詰めたように感じて、私は小さく首を捻る。

 すると間もなく、協調していた獣2人は横目で互いの顔を見つめ合ったかと思うと、フッと鼻で笑った。


「最近犬から変な甘ったるい匂いがすると思ったらそういうことですか――色気づくなんて気持ち悪いですね」


植物性油脂レトクエンなんて高価な石鹸、ご主人辺りが適当に選んだんだろうと思ってたんスけどそういう事ッスか。想い人に臭い体ですり寄るわけにも行かないッスもんねぇ?」


 沈黙。


「コーワって異性を虜にするための匂いでしたよね? そんなものに頼るとか、気持ち悪いくらい欲望丸出しじゃないですか」


「王都じゃレトクエン石鹸が男受けのいい匂いだって噂が流れてたッスね。まさかその無駄にデカい耳で聞いたことないとは言わせないッスよ」


 沈黙。

 そこで私がふぅと小さくため息をつくと、間もなく2人の拳がその場で交差した。


「犬はなんでもあからさますぎなんですよ! 頭の中スケベな妄想で溢れてるんじゃないですか!?」


「沐浴嫌いの汚っこい猫に言われたかないッス! ご主人の布団に夜な夜な潜り込んでた癖に!」


 本来取っ組み合いでアステリオンがケットに敵うはずはない。だが、何がそこまでさせるのか、アポロニアはファティマの猛烈な連撃を巧みにいなし躱しつつ、身体能力の差を押し返して反撃する。

 逆にケットがアステリオンに負けることなど許されない。それも完全勝利でなければならないとなれば、アポロニアの攻撃を片手で受けながら、ファティマは爪を出さない拳をアポロニアにぶつけていた。

 一方の私は、2人が単純でよかったと呼吸を整える。軽く火種を投げつけるだけで派手に燃え上がってくれるので、晒した醜態は最低限で済んだと言っていいだろう。

 これであとは彼女らを叱り飛ばして鎮火するだけと深呼吸を1つ。ただ、そこへ横槍が突っ込まれるとは思いもよらなかった。


「一応誤解だと困るから確認なのだけれど、3人ともキョウイチのことが好きってことでいいのかしら?」


 新入り貴族の存在を忘れていたことを、私は大いに後悔した。

 己が信念として、問われた情報に関しては適当なことを言いたくない。だが面と向かって好きかなどと聞かれて、はいそうですと言うには私はあまりに生娘だった。


「……ひ、否定するつもりは、ない」


 おかげでこんなに微妙な肯定が口から流れ出る。それも恥ずかしすぎてマオリィネに目を合わせる事すらできないままでだ。

 だがそれは狭い範囲で暴れまわっていた2人も同じらしく、ピタリと動作を止めるやアポロニアは後ろ頭を掻きながら視線を逸らし、ファティマは顔を真っ赤にしながら僅かに俯いた。


「あ、改めて言われると困るッスけど……まぁそんなとこッス」


「その……ボクはそのつもりですよ。初恋、です、から」


 ハハハと乾いた笑いが車内に響き渡る。全員の知り合いだからこそ余計に気まずい。

 せめて誰か恋愛経験が豊富な者が居れば違ったのかもしれないが、何せ自分達は揃って恋愛初心者である。

 そんなこちらの反応に、マオリィネはどこか含みのある笑顔を浮かべながら、さらりと長い黒髪を払った。


「この環境で3人に迫られるって、彼も隅に置けないわね。というか、むしろ貴女たちがいがみ合わない方が不思議だわ。抜け駆けとかしないの?」


「そりゃやれるならしたいとこッスけど、なんていうか――ご主人から見たら全員平等なんスよ」


 アポロニアの本音らしい発言にファティマが目を光らせた気がしたが、考えてみれば自分でも1歩先んじてやりたいと思う心があったのか、マオリィネに視線を向けられれば素早く目を逸らす。


「えっと――もしかして全員納得の上で重婚体制だったりとか?」


 こちらの反応が不思議だったのか、彼女の口からは実に貴族的発想が転がり出る。

 裕福な男であれば複数の妻を娶る事は多い。無論逆もしかり。

 それこそキョウイチのような力、あるいはダマルの知識や技術力があれば、豪商や貴族と対等にやりあえるくらいの金銭を手にすることは難しくない。

 マオリィネが彼らをどう評価しているかは別として、重婚体制というのは意外と現実味を帯びていた。

 だが、私たちがそうありたいと望んでも現実は厳しいため、マオリィネの問いにファティマは困ったように笑顔を浮かべた。


「そうだったら、むしろよかったんですけどね」


「実際にはその逆。全員纏めてフラれている」


 自らの言葉にチクリと胸が痛む。普段は隠れていても、掘り返せばとても全て飲み下せたとは言い難かった。

 そんなこちらの想いを知らないマオリィネは、大きく琥珀色の目を見開いて口に手を当てていたが。


「きょ、キョウイチってもしかして男色趣味だったりしないわよね……?」


「それは本人が否定している。何より、キョウイチには以前恋人が居たらしい」


 もし男色家だと言われていれば、自分達の諦めもついただろう。おかげでアポロニアは大きく肩を落とした。


「まぁその恋人が問題って言うか……恋人との間に起こった出来事が問題なんッスよ」


 マオリィネは僅かに悩んだように見えたが、真面目な顔をこちらに向けてポツリと呟く。


「……聞いても、いいのかしら?」


 正直、本人の意思に関係なくトラウマが拡散するというのはいいことではない。

 だが、あの一件以来、自分たちの中で対策が行き詰っているのもまた事実であり、こちらの内情を知る彼女に私は僅かな期待をかけた。


「黙秘が絶対条件ではある。けれど、私たちだけでは解決の糸口が見つからないから、よければ知恵を貸して欲しい」


 私の提案に対して、ファティマからもアポロニアからも反対意見は出ず、マオリィネは暫く私の目を見てから、ハッキリと頷いて見せた。

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