第162話 地底決戦(後編)

 限界は最早目前だった。

 傷ついた者を下がらせながら敵弾の壁となり続け、これでどれほどの時が流れたのか。

 強靭な戦士たちもその体力は無尽蔵ではなく、息切れした者から順に地に伏していく。それはヘルムホルツという名高いキメラリア・シシであっても同じこと。


「……まだ、まだだ。まだ負けぬ、負けられぬ!」


 轟と声を上げるものの、ヘルムホルツの膝は持ち上がらない。戦いの中で歪み拉げたメイスを杖に、立膝の身体を支えるのが精一杯だった。

 最強の壁たるシシに対し、鉄蟹は青白い雷が弾ける腕で迫る。更に他の鉄蟹は彼を躱すようにして、バリケードを乗り越えながら赤い光をクロスボウ部隊に向けた。

 最早彼らを守る盾はない。

 タルゴがサーベルを手に何かを叫び、ラウルがウォーハンマーに手を伸ばす。他の者達もクロスボウを捨てて近接武器に持ち替えては居たが、鉄蟹の動きの方が圧倒的に早い。

 すまぬ、とヘルムホルツはゆっくりと目を閉じた。黒く鈍く光る銃口が火を吹けば、たちまちその場は血の海と化しただろう。そして自分もまた、この白い雷の中で焼かれて死ぬと、最後の電撃音を聞いていた。


「これでも、食らいやがれぇっ!!」


 それは待ちわびたイーライの声。

 カッと見開かれたヘルムホルツの目には、真っ赤な筒が宙を舞っているのが見えた。

 鉄蟹、クラッカーには自己の防御を優先する命令が存在する。その判断は曖昧なものだが、少なくとも飛翔してくる金属体を迎撃、あるいは回避するというのはわかりやすい行動だった。

 なんせこの警備用自動機械は、そこまでのだから。

 それでも空中目掛けてばら撒かれた機銃弾は、見事自らを害するかもしれない物体に直撃する。それが何者なのかもわからずに。

 響き渡る炸裂音と舞い上がる桃色の粉末。それはヴィンディケイタたちにも降り注ぎ、耳のいい連中は突然の音に転げまわる。

 とはいえ、ばら撒かれた白い粉末に照準を阻害された鉄蟹も状況は大して変わらず、最も前面に出ていた1機が状況確認のために警戒信号を発したことから、ヘルムホルツの前に居た1機もまた一瞬だけ動きを止めてしまった。


「ゴォアアアアアアアッ!!」


 彼は血が流れることも構わず残された力を振り絞り、雄叫びと共に筒状のボディへ盛大なを食らわせた。

 キメラリア・シシのそれは、重装鎧で固めた身体をもって槍と盾との防御陣形を容易く吹き飛ばす、戦場において畏怖される必殺の1撃。

 巨漢ヘルムホルツの膂力から繰り出されたそれに、細い脚しか持たないクラッカーが耐えられるはずもなく、関節部分のモーターが火花を散らして悲鳴を上げた。

 狙いの付けられなくなった機銃を撃ちながら倒れていく鉄蟹を相手に、ペンドリナはダガーナイフでスタンガン装備のアームを切り落とし、馬乗りとなったヘルムホルツは胴体にガントレットを叩きつける。

 1発2発と拳が刺さるたび薄い金属装甲に亀裂が走り、ついに4発目で大きく開いた破口から、彼は配線と基盤を引きずり出した。

 内部を破壊されては動作を続けられるはずもなく、クラッカーはぐったりと手足を弛緩させて動かなくなる。ただ、その上に乗っていたヘルムホルツも地面を転がった。


「半人前が勝ったか……グッグッグ。戦とは斯様にも面白いものであるな」


 もうもうと立ち上がる煙幕を見ながらシシは笑う。

 飛び道具を封じられて混乱する鉄蟹など、精鋭たるヴィンディケイタ達にとっては敵となりえない。煙幕の向こうに姿は見えずとも、どうなっているのかは手に取るようにわかった。

 そして状況の好転は連鎖することも彼は良く知っている。


「おいおい、なんだこりゃ!? まだ発煙弾が効いてるってのか?」


 廊下側から駆けてきたのはアマミ・コレクタの騎士と、リベレイタらしい2人のキメラリア。ケット以外はあの飛び道具を携え、油断なくこちらの状況を警戒している。


「鉄蟹もまだいるみたいッスね。援護行くッスよ猫」


「言われなくても―――は、は、はぁっぷしっ! うー……なんだかすっごく粉っぽいです」


 特に騎士が何を言わずとも、リベレイタ2人は煙幕の中へと突入していく。

 すると間もなく、聞こえなくなっていたはずだった飛び道具の音が響き渡り、更にケットの1撃が炸裂したのか金属片が宙を舞った。

 だが、騎士は一切をリベレイタに任せて動こうとせず、ヘルムホルツは倒れたまま不思議そうに頭を向けた。


「お主は行かぬのか」


「あん? お、おいおい、その傷で生きてんのかよアンタ」


 地面に倒れたままの血を流す猪男を見て、全身鎧のダマルはギョッとしたが、逆にヘルムホルツとしてはその反応が可笑しかったのか、また喉の奥でグッグッと笑う。


「小生はこう見えてそこそこ頑丈でな」


「カッ、冗談が言えるなら死ぬ心配もねぇか。止血するからちょっと耐えろよ」


「かたじけない」


 ダマルは鎧に固定された違和感だらけのポーチから救急パックを取り出し、手際よく応急処置を進めていく。ガントレットをしたままだというのに一切手元を狂わせることもない器用な動きを見て、ヘルムホルツは感心したように鼻を鳴らした。

 王都でガントレットをつけたままの生活を強いられたことで、ダマルは必然的に慣れざるを得ず、応急処置のやり方は軍で飽きるほどやった訓練で身体が覚えている。それを誇ることもなく、骨は内側が一切見えない兜の中から猪男に話しかけた。


「聞いときてぇんだが、こりゃなんだ。発煙弾はここまで持たねぇだろ」


「研究者たちの知恵が編み出してくれたものだ。小生に詳しいことわからぬが、赤い筒が煙を撒き散らしていた」


「煙を撒き散らす赤い筒と粉っぽい空気……そりゃ一体――」


 骸骨騎士がヘルムホルツの言葉に想像を膨らませようとしたところ、ちょうど煙幕の中から件の筒が飛び出して地面を転がった。

 徐々に濃くなる煙幕に迎撃ができなくなったらしく、破裂しないままバリケードの上を越えて床にぶつかり、カーンと鐘のような音を立てるのみ。

 それはダマルにとってもなじみ深い、どこの施設でも目にする単純なものだった。


「ってぇ消火器かよ!?」


 兜越しではわからないが、ダマルはその暗い内側で下顎骨を落としかけた。

 側面に貼られたステッカーがボロボロになっていて、本来描かれているべき使い方や使用期限などは読み取れないが、どう見ても一般的な粉末消火器である。

 だが、即席の煙幕として使うには十分であり、骸骨は感嘆を漏らした。


「ッカぁー……よく思いついたもんだぜ。前に破裂でもしたのか?」


「やはり知っているのだな。お主らは本当によくわからん」


「事情は色々あるんだがよ。それよかむしろ、テクニカの研究者って連中に脱帽だぜ」


 互いに顔を向け合って肩を震わせて笑う。

 それから間もなく、煙幕の向こうから鬨の声が響き渡り、2人は戦闘の終結を知ったのだった。



 ■



 玉匣の寝台で僕はシューニャのジト目と、マオリィネの呆れ顔に耐え続けていた。

 ファティマの手で寝かされて間もなく目が覚めたはいいが、随分と心配をかけてしまったらしい。

 いや、寝食を共にする家族が血だらけになったのだから、余程嫌い合ってでもいない限りは誰でも心配くらいするだろう。

 とはいえ、原因はそこではない。


「あの状況で笑っていられると、不安でしかない」


「そう、言われてもなぁ」


 彼女が言うには、僕はボロボロになりながらも実に楽しそうに笑っていたと言う。無論、こちらにそんなつもりはなく、それどころかガタガタの身体で意識も朦朧としていたため記憶も曖昧だ。

 寝台で横になって体は少し落ち着いている。それでも動こうとすれば節々が軋む上、口の中では鉄の味が漂っているし、呼吸するだけで胸がズキズキと痛んだ。


「あんなアクシデントで死ななかったんだから、十分儲けものだよ。僕みたいなのは特にね」


 今回は色々な要素と皆に救われた。それこそ奇跡と言っても差し支えないだろう。

 こちらの武装は在り合わせだったにも関わらず、敵の性能は完全に未知数。そんな状況でありながら、常時リミッター解除状態を続けられるような化物と戦ったのだ。

 大見得を切ったとはいえ、ここに自分が生きていることは不思議でならない。なんとすれば、自分以外の皆を生かせるかどうかもわからなかったのだから。

 そんな僕の弱気な思考を読み取ってか、シューニャは誰にも分らないくらいに僅かだけ眉間に皺を寄せると、後ろで額を押さえているマオリィネに何かしら目配せをした。


「はぁ……ちょっと外の空気を吸ってくるわ」


「外?」


 突然の申し出に僕は瞬きだけで驚きを表現したが、彼女は長い黒髪をふわりと掻き上げると、当然と言った様子で呟く。


「こんなに長く地下に居たことないもの。息が詰まってしょうがないし、ついでにテクニカの様子も見てくるわ」


「そう、かい」


 とても息が詰まっているようには見えないが、とは口にしなかった。別に彼女が外に出たいと思うのならば、それを止める理由もないのだから。

 ハッチが閉まる音が消えると、エーテル機関を停止したままの玉匣の中は珍しく静寂に包まれた。唯一聞こえるのは、寝台上段で横たわるポラリスの寝息くらいである。


「少し、聞きたいことがある」


「ん?」


 改まった様子で、シューニャは寝台の脇に立った。

 今までのようなジト目ではなく、いつも通りの無表情。なのに、どことなく憂いのような感情が滲んでいる。


「キョウイチは私にそう簡単に死ぬつもりはないと言った。それは本当?」


「なんだい藪から棒に。当り前じゃないか」


 いつもよりも出にくい声で、いつもよりも一層ぎこちない笑顔で、あしらうように言い放つ。

 自分は決して自殺志願者になった覚えはない。シューニャに限ってそれが理解できないとは思えなかったが、不思議なことに彼女は僅かに言い淀んで、しかしハッキリと首を横に振った。


「そうは思えない。ミクスチャの時も、今回も、貴方は自分の命と私たちの命を天秤にかけるとき、常に自分を後回しにしている気がする」


「そんなことは――」


「ないと言い切れる?」


 シューニャの鋭い一言に、僕は言葉を詰まらせた。

 何より、思考を整理してみれば、そうだとも違うとも言い切ることができない。どちらに舵を切っても、必ずどこかに嘘が混ざってしまう。

 即答できなかった僕に対し、彼女は淡々と、しかし今度は強い憂いを込めて呟いた。


「私たちを守ってくれることには感謝している。けれど、それで貴方が帰ってこなくなることが、私にはとても怖い」


 怖い。

 ハッキリと言い放ったシューニャの言葉に込められた感情は重く、僕は彼女から目を逸らして上段寝台の底を眺めた。それはきっと、弱弱しい自分の逃げだったのだろう。


「僕は兵士だった。いや、今でもきっとそのままだ。皆が危険に晒された時、真っ先に矢面に立つのが兵士の役割だと思い続けてる」


「……それで、誰かが悲しんでも?」


「死にたいとは思わない。最悪は命を盾にする覚悟がある、というだけだよ」


 そうだ。

 だから天秤は常に大切な者へ傾ける。自分が犠牲となってでも、守らなければならないと。


「貴方は誰かが帰らなくなる、二度と会えなくなるという苦しみを知っているはず。なのに、どうしてそんな風に笑えるの?」


 氷のような棘が、自分の心に突き刺さった気がした。


「シューニャ……? 君は、何を――」


「貴方の恋人、ストリの話」


 幻聴か、あるいは既に夢の中か、そう思いながら強くシーツを握りしめる。

 何も返ってこなければ、あるいは痛みに目が覚めれば、ただただ最悪の目覚めをもたらした悪夢と聞き流せただろうに、鈍い痛みばかりで空間が転じることはない。

 深呼吸を1回した後に、僕はようやく声を出すことができた。


「は、はは、そうかい……そりゃあ随分情けない話を聞かれたものだ。ダマルから?」


「違う。キョウイチがダマルに話している時、盗み聞きしてしまった。ごめん、なさい」


 僅かに怯えるように首を沈め、それでも1歩も退かずにシューニャは目を伏せる。

 僕は余程難しい顔をしていたのだろう。だが、盗み聞きされたからと言って、彼女を責めるのはお門違いだ。


「いや……いずれどんな形でも、話そうと思っていたことだから、謝る必要はないよ。あれは、僕自身の弱さが問題なんだから」


 シューニャを含めた3人に告白されたあの日。彼女らの気持ちを踏みにじったあの日。そこからどれほどの時間が流れただろうか。

 未だに整理もつけられないまま棚上げした自分の感情は、この場でシューニャから切り出してもらわなければ永遠にそのままだったのかもしれない。挙句、ポラリスというストリによく似た存在に、僕は驚くほど揺らいでいるのだ。

 いい加減、決着をつけないといけない。込み上げてくる狂気に似た感情を押さえつけながら、僕は深く深く息を吸って吐いた。

 その様子を見て、シューニャはまた口を開く。


「失望してくれてもいい。ただ、怖がって欲しい」


「怖がる? 何をだい?」


「もしもキョウイチが居なくなったら、私はきっと貴方と同じように傷ついて悲しんで、その相手を恨む」


 頭の中を駆け巡るあの日の映像に、僕は胃が強く締めつけられるのを感じた。

 シューニャを仮に失ったとしたらどうだ。結局僕は、その相手を八つ裂きにしてでも収まらないだろう。それと同じことを、彼女にさせるというのか。

 僅かに潤むエメラルド色の瞳に、僕は何も言えなかった。


「貴方は優しい。その優しさをもっと自分に向けてあげて欲しい。私も、きっと皆も、貴方が居ないと悲しいから」


 いつもいつも鉄仮面のシューニャ。そんな彼女が薄く優しく、微笑んでいる。

 腕も、肩も、胸も痛い。けれども歯を食いしばりながら、なんならどこかで血が溢れてでも、僕は必死でその細い腕を掴まえた。


「こんな時ばかり、笑うんじゃないよ」


「あぅっ……!?」


 驚くような彼女の声を無視して、軋む体も気にせずに引き寄せれば、軽いシューニャは転げるように僕の胸へと倒れてくる。それを受け止めて彼女の頭を抱きしめた。


「キョウ……イチ?」


 戸惑うように見上げてくるシューニャの頭を、僕は震える手で優しく撫でる。

 絹のように滑らかで細い彼女の髪からは僅かに石鹸の香りが漂って、僕はそれに顔を埋めるようにして力を込める。


「すまない。少しだけ、このままで居させてくれ」


「……ん」


 最初は居心地悪そうにもぞもぞと動いていたシューニャだったが、やがて呆れ果てたのか諦めたのか、痛みを訴えてくる胸板に体重を預け、そっと目を閉じた。

 自分にはまだ片付けられないことがある。けれど、それを置き去りにして前へ進むことは、絶対にできない。

 それでも今この瞬間だけは、この少女の優しさに包まれていたかった。

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