第5話 闘いの前夜

 朝礼の後、間もなく1時間目が始まった。

 普段の騒然たる状態と比べると、授業は信じられないほどスムーズに進んだ。

 なにしろ、教科担当の質問にまともに答えられない連中のほうが多いのだ……このクラスは。

 見当違いの答えも、横から入るツッコミもない。これほど真面目に授業に取り組んだことは今年度が始まって以来なかったんじゃないかという気がした。

 私語ひとつなく、聞かれたことにはその場で答え、分からないことは丁寧に質問してノートを取るという模範的行動。

 それを全ての生徒が取るのを見て(俺はいつもどおり振る舞っていただけだが)、教科担当はチャイムと共に満足そうな顔をして帰っていった。

 休み時間にも、誰ひとり、表情一つ変えることはない。

 トイレ行ったり本を読んだり、提出課題やったり。

 学力さえ問題にしなければ一人残らず優等生になってしまった教室で、俺と沙羅だけが再び密談を始めた。

「と、まあ、そういうわけよ」

 センセイ方にとっては理想的な教室を眺めて、沙羅は意味深な笑顔を見せた。眉をひそめてみせた俺に、ちょっとカチンと来る説明が加えられる。

「言われた通り、きちんと朝起きて学んで食べて寝て、そのうち働くようになる」

「それは向こうの」

 世界の都合、と言おうとしたところで、沙羅に遮られた。

「そう、こっちでは誰も困らないわ」

 その意味するところはこうだ。

 転生した連中が残した身体は、大人の言うことに口答えを一切しない優等生として、滞りなく勉強する。然る後に高校を卒業し、いずれは平凡な勤め人になって平穏な一生を終えるのだ。

 言い換えると、俺のポリシーそのものだった。だが、沙羅の言い分にはどうしても納得できない。その理由は、はっきり意識できていた。

 仮に望んで転生なんてことをしたにしても、また、人生が好転しているとしても、それが知らないところで動かされていたら、俺は平気ではいられない。

「だから、それが世界をつなげた罪滅ぼしってわけか」

 そう尋ねる俺の声はいささか震えていた。

 この世界と、スマホの中の沙羅の王国。

 俺の平穏な生活と、異世界から転生したなんていう沙羅のキテレツな人生。

 関わらなくても済む災難といっても、限度ってものがある。

 だが、そんな怒りは一言で軽く受け流された。

「そうよ、ただし」

 沙羅の指が目の前に突きつけられて、ちょっとたじろいだ。

「俺?」

 澄んで落ち着きのある声が、急に低く冷え冷えとした響きと共に告げた。

「あなたは別。秘密を知った以上、ただでは置かないわ」

 確かに秘密だが、別段、隠す気も吹聴する気もない俺は鼻で笑ってみせる。

「誰もこんな話信じない」

 平凡に、平穏に生きようと思ったら、突拍子もないことは言わないものだ。

 だが、沙羅は思いのほかムキになって食い下がってきた。

「そうかしら? あなたは今、怒ってる」

「あいつらなんかどうなったって」

 怒ったってどうなるものでもない。異世界だか何だか知らないが、考えもなく自分で選んだことなのだ。そのツケは転生した本人が自分で支払うしかない。だいたい、仮にここに戻ってこられたとしたら、より美味しい人生が待っているのだから、誰にも損はない。

 だが、異世界から来て俺の同級生を残らずさらっていったお姫様は、それだけでは飽き足らないようだった。俺の揚げ足にまでちょっかいを出してきたのである。

「そんな人生つまんないって言った、さっき」

「俺は関係ない」

 確かに言ったが、それは転生していった連中一般についてのことだ。その選択をどう思ってどう表現しようと勝手だし、そもそも俺は沙羅の「異世界への誘い」には応じなかった。

 それでも、このお姫様は追及をやめなかった。俺の言葉尻を捕まえてくる。

「つまらない人生よね、それも」

 関係ないことにまで、首を突っ込みたくない。

 俺の切なる願いは、そんなにたいそうなものじゃないはずだ。それを全否定されるとさすがにムッと来たので、吐き捨てるように答えた。

「それでいい」

「後悔するよ」

 その笑みは、意味深というよりも無邪気な子供がいたずらを思いついたときのものだった。正直、構わないでほしいと思った。

「お前には関係ない」

 きっぱりと言い切ったが、沙羅も負けてはいなかった。

 僕を見据えて言い放つ言葉には、不思議な威厳があった。

「もう、敵味方よ。私を許さないあなたを、放っておくつもりはない」

 挑発というより、挑戦の言葉だった。もちろん、応じる気なんかない。

 それなのに、僕の心のどこかで、ナメられてたまるかという意地が働いた。

「どうするつもりだ?」

 それは、挑戦を受けるという意思表示でもあった。沙羅にもそれは分かっていたのか、冬の曇り空の下にもまばゆいばかりの笑顔で言った。 

「勝負しましょう」

「どういう形で?」

 挑戦は受けても、勝負の形式が分からなければ戦いようがない。

 それも道理だ、というように深く頷いた沙羅は、事務的に淡々と告げた。

「このゲームのシステムを説明するから、受けるか受けないかは放課後までに考えてきて」

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