第64話 天罰てきめん! 劣情ネトゲ廃人、絶対の危機

 バスが来るまでも来てからも、さらに乗り込んでからも、俺はスマホから目を離すことができなかった。

 画面の中では、シャント・コウが悲しみに沈むリューナを慰め、励まそうと知恵を絞っていた。

 ……山藤にしては、なかなかやる。

 ネトゲ廃人ごときが大活躍するのは面白くなかったが、それでも俺は、こいつをちょっと見直してもいたのだ。

 ところが、家に帰ってからの評価は180度変わった。

 ちょっとメシ食ってフロ入ってるうちに、シャント…山藤はただの破廉恥漢に成り下がっていたのだ。

 布団の中で開けた画面には、藁の上にシーツをかけただけのベッドに横たわるリューナが映っている。

 胸元も露わに、しなやかな脚を晒したしどけない寝姿には、俺もドキっとして目を背けた。だが、熟睡しているらしいリューナへの狼藉は、男の風上にも置けなかった。

 ……おい、何やってる!

 これが目の前にいたら張り倒してやりたいところだが、あいにくスマホの中ではどうにもならない。操るモブもいない以上、俺は黙って見ているしかなかった。

 急いで画面を閉じて、アプリから沙羅にメッセージを送る。

〔見てるか? 何とかしろ〕

 すぐに返事が来るはずもなかったが、何とかモブを動かして邪魔に入ってほしかった。

 そうでないと、こいつは……こいつは!

 許せん! 異世界なんぞに逃げ込んだ挙句、美少女のキスまで奪って、そのうえ夜のベッドで……。

 見ていることしかできないうちに、リューナの姿がシャント(あくまでも山藤ではない)の身体の陰に隠れた。

 ……天罰オプションか何かないのかよ、このアプリ!

 指でいろいろ画面を動かしてみたが、そんなボタンはないようだった。

 この先は見たくなかった。絶対見てやるかと思った。だが、何が起っているのか知らないと、今後の事件に対応できない恐れがある。 

 仕方なく、俺は自分に言い聞かせた。

 ……こいつは、山藤じゃない。異世界のシャント・コウだ。

 何があっても、それはゲームの中で起こったことだ。山藤とは関係ない。いわばエロゲーのボーナス画面みたいなもんだ。

 いや、見たことはない。人から聞いた話だ。

 ……って、誰に言い訳してんだ俺は。

 思い切って(白状すると、ちょっと期待して)、異世界画面を開ける。

 だが、そこにあったのは、見るまいとしていた(お子様が見ちゃいけない)光景ではなかった。

 首根っこをつかまれて宙を舞うシャント…山藤。

 ざまあみろと思う間もなく、床に叩きつけられていた。

 リューナに。

 ……え? 

 今度は、シャントがリューナの身体の陰になっていた。

 長柄の武器が放つ燐光の中に白く浮かぶ腕が、鞭のように振り上げられる。

 俺は慌てて、画面をぐるぐる撫でて視点を動かした。シャントの身体が見えないんでは、どうにもならない。

 もっとも、見えたって手も足も出ないのだが。

 リューナの手が、シャントの喉首を押さえている。揃えられてまっすぐに伸びた指が、恐怖も露わに見開かれた目を、猛禽がえぐるように襲った。

 ……もうだめだ。

 むごい瞬間を想像して、俺は目を閉じた。だが、そこに聞こえてきたのはシャント…山藤の悲鳴ではなかった。

《テヒブ! テヒブ!》

 そこにはいないはずの男を呼ぶ声に、リューナがびくっと身体を震わせた。

 バンバンと板を叩くような音がする。たぶん、誰かが家の戸を叩いているのだ。

 起き上がったリューナが窓を開けると、異世界の言葉が聞こえてきた。

《リューナ! テヒブを出せ!》

 解放されたシャント…山藤はポール・ウェポンを手に、1階へと駆け降りる。それを追っていくと、やはり家の戸の向こうに村人が来ているようだった。

《開けろ!》

《テヒブを出せ!》

 口々に喚いてはいるが、相手が山藤では……いや、俺がシャントでも伝わらないだろう。異世界の言葉が分からないという以前に、スマホから聞こえてくる響きからしても、雰囲気が尋常ではなかった。

 2階から駆け下りてくるリューナの勢いも凄まじかった。戸口に立っていたシャント…山藤がすくみ上がったくらいだ。さっき目をえぐられそうになった上に、また襲われると誤解したからだろう。

 半狂乱になってシャントを押しのけると、リューナは閂のかかった戸に身体を押し当てた。こういう切迫した状況になると使いものにならないのは、やっぱり山藤だ。

 戸の向こうで、男たちは喚き散らす。

《聞こえるな、リューナ!》

《ア……! ア……!》

 必死に何か言おうとして、リューナは呻く。だが、それは戸を叩く音と怒号に紛れて、男たちには聞こえないようだった。

 ましてや何が言いたかったのかは、男たちはおろか、すぐそばにいるシャントにも分からなかったろう。もちろん、神視点で見ている俺さえも知る由はない。

 リューナの声は、次第に涙声になっていった。その身体が時々はねるのは、男たちが体当たりか何かを始めたからだろう。

 ……何やってんだ、山藤!

 鉄製の、割と大きなかんぬきが掛かっているとはいえ、戸が破られるのは時間の問題だ。それなのに、シャント…山藤はまだ、呆然と立ち尽くしている。真剣に、天罰オプションが欲しかった。

 だが、戸が2度、3度と揺れて、吹っ飛ばされたリューナが床に転がると、さすがのシャント…山藤も状況に気付いたらしかった。慌てて武器を捨てると、リューナの代わりに扉を押さえる。

 もっとも、異世界だろうがシャント・コウだろうが、山藤は山藤だった。

 戸がメリメリと音を立てはじめると閂にしがみつきはしたが、小柄で貧弱な身体は、衝撃で軽く吹き飛ばされてしまった。

 あと数回、男たちが身体を叩きつければ閂も壊れて落ちそうだった。

 ……リューナと共に捕まるか? テヒブの武器を振るって抵抗するか?

 もし、刃傷沙汰になったとしたら、この2人は村の中で完全に孤立するだろう。それどころか、命も危ない。

 絶体絶命の危機に、シャント…山藤は再び立ち上がった。揺れる戸に駆け寄ると、身体を丸めて押し返す。

 だが、戸の向こうからのたった一言が、その努力の全てを徒労に帰した。

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