第140話 ネトゲ廃人、努力に見合わない窮地に立つ

 ……もうヴォクスはやってこない!

 勝手に自分に言い聞かせて寝てしまったけど、運のいいことにそのまま朝を迎えることができた。

 僕の目を覚ましたのは、村長の騒ぐ声だった。開けた窓のそばで、何か喚いている。その言葉のなかには、テヒブさんが吸血鬼の下僕になる前に家の掃除をしたおかげで、分かるのもあった。

「……! 窓!」

 窓枠を壊したのに文句つけられてるんだろう。良くないことだってのは分かってるけど、急がなくちゃいけなかったんだからしょうがない。

 ……そりゃ寝ちゃったけど、結局ヴォクス来なかったんだからいいじゃん!

 とりあえず、何をやっていたのかだけはアピールすることにした。ベッドから飛び降りると、ナイフで棒を削って杭にする。

 すると、村長はすごすごと部屋を出ていった。とりあえず、何のつもりか分かったらしい。

 ……何で?

 僕はまだ、村長たちに杭や十字架の使い方を教えていない。ちょっと考えて、思い当たることが1つだけあった。

 夕べ、グェイブを突き付けられて気を失ったことだ。たぶん、僕が使ったナイフを見て思い出したんだろう。

 それに気が付いた僕は、朝食のときも金貨を全てなくしたことも気にせず、堂々としていられた。

 村長はそのまま、僕の前から逃げるように畑仕事かなんかに行ってしまった。リューナとおかみさんは、また庭で豆を房から取る仕事だ。

 僕だけ杭を削ることには、どこから文句をつけられることもなくなった。でも、部屋の中では蒸し暑い。続きは外に出てやることにした。

 なるべく風通しのいいところで、というか、なるべくリューナの姿が見えるところだ。あまり近くでやると、昨日みたいに冷たくされるかもしれない。

 でも、木は固いし、僕はナイフを使うのに慣れてない。思ったほどには削れなかった。

 だんだん暑くなってくるし、いい加減、疲れてきた。

 ……もうやめようかな。

 そう思ったところで、僕の目の前に影が差して、白くて華奢な手が突き出された。見上げると、リューナだった。

「私……する」

 異世界語で、そう言ったみたいだった。ナイフを差し出すと、僕のそばにしゃがみこんで、さっさと杭を削り始める。

 僕なんかがやるよりよっぽど速く、杭の先は尖っていった。そういえば、これはリューナを襲った吸血鬼ヴォクスを倒すためのものなんだから、リューナが自分で作ってもおかしくはない。

 だけど、それも長くは続かなかった。おかみさんがやってきて、リューナを叱りつけた。

「豆……」

 たぶん、異世界語で仕事を言いつけたんだろう。リューナはナイフを持った手を止めて、何か言い返した。ちょっと早口だったし、知っている異世界語がなかったからよく聞き取れなかったけど、言葉がどんどん戻ってきているのが分かってうれしかった。

 そこへ豆を摘んだ荷車が戻ってきて、リューナは自分の仕事に戻った。去り際に太陽の下で笑ってみせた顔がかわいい。僕も笑ってみせて、杭を削りにかかった。

 豆を積み下ろす荷車は、それから何往復もした。その間に、杭の先は鋭く尖っていった。

 ……もういいだろう。

 太陽の下にかざしてみると、削りたての部分が刃物みたいに光った。リューナにお礼の一つも言いたかったけど、またおかみさんか誰かにサボっていると思われても悪い。

 豆を剥いては籠に入れているリューナに向かって杭を振ってみせると、ちょっとこっちを向いた。それで充分だって気がした。

 リューナのいる辺りに、荷車が戻ってくる。車輪の具合が悪いみたいで、何かでコンコンと叩く音がした。

 ……あれ、もしかして?

 眺めてみると、木槌みたいだった。僕は慌てて自分の部屋に杭をしまうと、荷車が動きだすのを待って、後を追った。

 グェイブを持って走ってくる僕を見て、男たちはかなり引いた。でも、その長い柄を服の背中に突っ込んで後ろから押す僕を見たら、何をしたいか分かったみたいだった。そのまま何も文句を言わないで、畑まで連れて行ってくれた。

 暑いところで一日中、僕は豆を収穫しては荷車の往復を手伝った。車輪の具合が悪くなると、男たちは木槌を手にして叩いた。時々は、僕も見よう見まねで叩いてみた。

 あまり意味はなかったみたいだけど……。

 日が暮れて最後の往復が終わる頃には、僕のやった仕事はお駄賃として木槌をもらえるくらいにはなっていたみたいだった。その現場を見ていた村長が何も言わなかったのは、夕べのことを気にしていたせいかもしれない。

 昨日なくしたものを1つ取り返して、僕はホッとした。リューナも仕事が終わっただろうから、やっと声をかけることができる。

 でも、ぞろぞろ帰り始めていた村の人の間に、その姿はなかった。台所のへんで薪でも割っているんじゃないかと思って探してみたけど、いなかった。

 勝手口から中を見てみると、いつもは居眠りしてるおかみさんが、包丁をトントンやっている。

 ……おかしい。

 リューナはどこか聞きたかったけど、異世界語ではどう言うのかわからない。とりあえず、日本語を使ってみた。雰囲気で、伝わるかもしれない。

「リューナは?」

 おかみさんは、首を縦に振った。いいか悪いか聞いたんじゃないから、何のことか、さっぱり分からない。

 でもよく考えたら、こっちの意味じゃ「ダメ」っていう意味だ。

 ……いない?

 村長の家でなかったら、どこにいるんだろうか。心配になって、グェイブを手に道まで出てみた。

 ……あれか?

 もう崩されてしまった壁のほうへ歩いていく影が見えた。

「リューナ!」

 力いっぱい呼んだけど、返事がなかった。走って追いつこうとしたけど、歩いているリューナになかなか追いつけない。

 だんだん息が切れてきた頃、リューナがやっと立ち止まった。僕は息が苦しいのを我慢して、思いっきり笑ってみせた。

「どこ行くんだよ、リューナ」

「気づかんのか、シャント」

 振り向きざまに答えた声は、リューナの声じゃなかった。もっと低い、しゃがれたギンギン声が誰だか思い出すのに、ちょっと時間がかかった。

「テヒブさん……」

 グェイブを構えたけど、足は疲れと恐怖でガクガク震えている。

 だいたい、相手はテヒブさんじゃない。テヒブさんに操られたリューナなのだ。とても戦えるような状態じゃない。僕はグェイブの刃を向けるのがやっとだった。

「来ないで、リューナ」

 リューナの後ろに、夕日が沈む。その影となったリューナは、どんな顔をしているのか分からない。

「オイは……」

 名乗る声だけが、テヒブさんだった。

「やめて! テヒブさん!」

 僕は叫んだけど、聞いてはもらえなかった。リューナの影が、高々と跳躍する。何が起こったか分からないうちに、背中に柔らかいものが押し当てられた。細い腕が、僕の首に両側から巻きつく。

「戦わんと死ぬぞ」

「だ……って……」

 それは、リューナを傷つけるということだ。できるわけがない。だいたい、後ろから攻められてるこの姿勢じゃ無理だ。

 でも、リューナはすさまじい力で首を絞めつけてくる。このままでは、テヒブさんの言う通りになってしまう。

 おまけに、別の声が頭の中に響いてきた。

「諦めろ、小僧……」

 そのギンギンいう声が誰のものかは、直ぐに分かった。

「ヴォ……クス……!」

 コウモリが1羽、夕焼け空の中を小さな影となって飛んでいるのが見える。あれが、たぶんヴォクス男爵の変身した姿だ。

 2つの声が、僕の頭の中で響き合う。

「テヒブ……やれ」

「承知」

 僕の身体が、真っ二つに折れるんじゃないかと思うくらいにのけぞった。リューナ……じゃない、テヒブさんが腕に力を込めたのだ。

 このままじゃ、本当に殺されてしまう。僕は、思わず喚いた。

「死ぬのは、嫌だああああ!」 

 暴れた弾みに、グェイブの柄がリューナの身体に当たるのが分かった。目の前が真っ白になって、身体がふわりと浮き上がる。

「アアアアアア!」

 耳の奥に、ものすごい叫び声が聞こえる。女の人の声だったけど、リューナの声じゃなかった。

 誰の声か分からないうちに、テヒブさんの声が重なる。

「それでいい、シャント……」

 白い光の中で、固い地面に身体が叩きつけられるのが分かった。疲れと痛みで、僕の意識は遠のいていった。

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