第180話 守護天使、ネトゲ廃人と接触する

 終業式の日は3時間で放課となる。

 1時間目は、大掃除だった。俺と沙羅は同じ班で、寒い寒い体育館周回路の掃除担当だった。

「あ、山藤君、OKだって」

 体育館の裏で、雪の上に散らばった木の葉や枝を火バサミで拾いながら、沙羅はため息まじりに報告した。

「早すぎだろ、返事」

 体育館周りのコンクリートにうっすらと溜まっている砂を掃き集めながら、俺はぼやいた。

「どうしよう」

 沙羅にしては弱気なのが気になったが、自業自得というものなので、冷たくあしらってやった。

「言いだしたのお前だろ」

「それは……そうだけど」

 それっきり、沙羅は押し黙った。日陰にそそり立つ壁沿いに、冷たい風が吹き抜ける。俺は敢えて、身を震わせてみせた。

「おお、寒い」

 俺としては、冷たい風に晒された上に、間がもたないのがイヤだっただけだ。それだけの話なのだが、沙羅は遠回しに答えを促されたとでも思ったらしい。

「断ると思ったんだ、山藤君」

「何で?」

 沙羅にしては、口調が妙にしおらしい。それも引っかかって、つい聞いてしまった。

「だって、リューナのことが本気で好きだったわけで」

「たかが……CGだろ」

 俺が言葉に詰まったのは、やましいことがあったからだ。リューナの胸元や水浴びや裸につい見とれてしまったのは、天も地も俺自身も知っていることだ。

 そこを突くかのように、沙羅は俺に詰め寄った。

「いや、俺はその……」

 だが、いくら後ろ暗い思いをしようとも、内心がそうそう隅から隅まで知られるはずもない。

 沙羅の怒りは、もっと深刻なところにあった。

「山藤君にとっては現実だったの!」

 返す言葉がなかった。言われてみれば、その通りである。

 ただ、わけが分からなかったのは、そのとき流れた一筋の涙だ。

「え……?」

 何も、まずいことを言った覚えはない。うろたえて息を呑んだところで、沙羅は深い心の傷を口にした。

「私にとっても……」

 掃除道具を投げ出して、その場から駆け去る。俺はその場に突っ立ったまま、追いかけることもできなかった。

 入れ替わりに、背後からやって来た者がある。

「あ、いたいた」

 振り向かなくても、相手と用件は分かっていた。だが、こっちから顔を見せないと、こういう手合いは面倒臭い。

 俺と目が合うなり、他クラスの女子で構成される反綾見沙羅連合軍はだいたい3列縦隊になって間合いを詰めてきた。

「何やってんのよ」

「掃除だけど」

 すっとぼけてみせながらも、返す言葉を考える時間を稼ぐ。だが、女子たちは詰問を緩めることはない。

「綾見沙羅、パーティ来るんだって?」

「らしいね」

 他人事のように返事をしたが、実際に他人事だ。俺に干渉する義理はない。

 確かに気にはなるが、それがどうしてだか分からない限り、沙羅に構うつもりはなかった。

 俺は、平凡と平穏に生きるのだ。

 だが、女子たちにしてみれば、そんなこっちの都合は知ったことではない。

「誘い出してよ、あの女……つきあってるんでしょ」

「……え?」

 どこをどう誤解したらそういう話になるのかよく分からない。返す言葉に困っていると、女どもは口々にまくしたてた。

「2人で並んで橋渡ってたっていうじゃない」

「クリスマスの買い物したり」

「つきあってないんならどういう関係?」

 もう、いやだ。

 頭の中にこんな色恋沙汰しかない女どもと関わるのは、時間の無駄である。冬の風の中で、身体も完全に冷え切っていた。

「悪い、そろそろ教室戻んないとホームルームだし」

 沙羅の落とした火バサミを拾うなり、俺はさっさとその場を逃げ出した。

「ちょっと!」

 女どもは大挙して追いかけてくる。結構、まずい状況だった。本当にホームルームが始まるまでは時間がある。山藤ほどではないが、走っても体力が続かない。

 人目につくところならこんな目にも遭うと体育館裏から抜け出しはしたが、この寒空の下、大真面目に外で掃除をしている者などいなかった。

 学校の校舎内に逃げ込もうとも思ったが、全力疾走することはできない。教室まで戻る前に追いつかれたら、本当に沙羅をクリスマスに誘い出すのを了解させられる。

 それは、出来ない相談だった。オヤジとオフクロのクリスマス婚記念日参加を強制させられている俺には、門限を破るのも自宅から脱出するのも不可能である。

 だが、そこで救いの神が現れた。

「山藤! 山藤!」

 何の用かは知らないが、暖房の利いた校舎内からわざわざ出てきた山藤耕哉を俺は呼び止めた。女どもはバツが悪そうに、異世界帰りの小柄な男子とすれ違う。

 その姿が校舎の廊下の奥に消えて見えなくなったところで、山藤がやって来た。

「何?」

 特に用などなかった。

「いや……別に」

 はぐらかして教室に戻ろうとしたところで、今度は山藤に呼び止められた。

「聞きたいことがあるんだけど」

 実をいうと、まともに言葉を交わすのは初めてだった。

「……何だよ」

 こいつのとの関わりは、スマホの異世界アプリを介したものでしかない。まさかという疑いが、俺の頭の中をよぎった。

「綾見沙羅さんのことなんだけど」

 それを俺に聞くということは、もしかすると、もしかするかもしれない。

「綾見……さんが、どうしたって?」

 沙羅と言いそうになるのをぐっとこらえたところで、山藤は思い切ったように聞いてきた。

「どういう人?」

 まさか、異世界から来た姫君だなんてことを言うわけにはいかない。山藤は、更に畳みかける。

「何で、僕を誘ったの?」

 異世界転生アプリに誘ったのは、決して悪意があったからではない。この世界と異世界をつなげた罪滅ぼしに、別の人生を経験させようとしただけのことだ。

 だが、散々な思いをする羽目になった甲斐性なしに、それは言えなかった。

 代わりに、山藤が口を開く。

「クリスマスパーティなんか、僕、関係ないのに」

 そっちだった。

 まずは一安心だったが、こっちはこっちで問題だった。行くといったのをやめさせる、最後のチャンスだからだ。

 俺の頭に閃いた答えが、たった1つだけあった。だが、それは危険な爆弾だった。

 だが、迷っている暇を山藤は与えてくれなかった。

「それ聞きに行ったら、綾見さん、八十島君と話して来いって」

 あの女、パーティが嫌なら嫌って断ればいいのに、山藤を山車だしに使ったというわけだ。

 そこで山藤は、当然の質問をした。

「どういう関係?」

 ここでパーティ出席をやめさせる方法は、1つしかない。俺は、腹を括った。

「俺は、綾見沙羅に告白した。今、返事を待っているところだ」

 いちばん筋道の通った止め方が、これだった。

 確かに、心にもないその言葉を口にしているうちに、腸が煮えくり返ってきた。だが、こう言っておけば、山藤を止める理由にはなる。

 付き合っているといったほうが効果的だったかもしれないが、後で沙羅に否定されたら赤っ恥をかくのは俺のほうだ。リスクの高い選択肢の中で、これがいちばん効果的で、害が少なかった。

 山藤は目を見開いていたが、やがて頷いた。

「わかった。でも……」

「でも?」

 返答はなかった。更に運の悪いことに、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴りだす。

 慌ただしい言い訳だけが、その場に残された。

「ごめん! やっぱり、僕……綾見さんが……」

 俺は、その言葉の続きを聞こうと後を追った。

 まさか、沙羅に気があるというわけでもないだろう。そう簡単に、リューナが忘れられるとも思えなかった。

 教室に入る直前に捕まえて、さっきと同じことをようやく問いただした。

「綾見……さんが、どうしたって?」

 チャイムの残響の中で、山藤は恐る恐る答えた。

「怖いんだ……怖いんだよ、断ったら、何をされるか」

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