第179話 ネトゲ廃人、転生姫のエスコートを仰せつかる

 橋の上から眺める川は、やっぱり冷たそうだった。といっても、リューナが水浴びしていた、あの小川とは意味が違うけど。

 もう冬なんだってことが信じられなかった。だって、僕は昨日まで、夏の異世界にいたんだから。

「夢…だったんだよな」

 目が覚めたら、僕はベッドの中にいた。また村長の家かと思ったけど、味噌汁の匂いと布団の温かさで、僕の家に帰ってきたんだと気が付いた。

 懐かしいけど、なんか寂しかった。

 朝ごはんを食べてるとき、親が2人とも家にいるから、日曜日なんだって分かった。点けてるのに見ないテレビは、先週と変わらなかった。

 いつの間にか、終業式は明日に迫っているのだった。

 僕が異世界に行っている間に何があったのか知りたくて、授業ノートを開いてみた。

 何にも、起こってなかった。

 汚い字だったけど、ノートはちゃんと取ってあった。今まで、まともに書いたことなんかなかったのに。

 何だかそれが悲しくって悔しくって、僕は昼過ぎまで意地になって、ベッドの中に転がっていたのだった。

 何かが起こっていてほしかった。僕が異世界に行っていていない間、何かがおかしくなっていてほしかった。

 僕がいなくても何も起こらないんだったら、何もしなくたって同じだと思ったのだ。

 その通りだった。ただ寝ていると、時間だけが過ぎていった。

 面白くなくて、外に出てみたら寒かった。夏みたいに半袖半ズボンだったのに気がついて、慌てて温かい服に着替えてきた。

 でも、歩いて橋の上まで来ると、やっぱり身体はぞくっとする。

 そこで思い出した。

 ……川馬ケルピー

 そんなわけなかった。冬の空気が冷たかっただけだ。やっぱり、何も起こってない。

 橋の上に立っているだけで、どんどん冷えてくる。何も起こってないなら、暖房の利いた家に帰ったほうがマシだという気がしてきた。

 やっぱり僕は、シャント・コウじゃない。山藤耕哉だ。

「山藤君じゃない? 久しぶり!」

 聞き覚えのあるような、ないような声が僕を呼んだ。

 ……誰だろう?

 振り向いてみる。

 そこには、あの女がいた。

「山藤君?」

 ニコッと笑って見せるけど、この女がどんなヤツかは、よく分かってる。

 あの異世界転生アプリに誘ったのが、何のためかは分からないけど。

 何者かはもう、どうだっていい。とにかく、関わりたくない。

 転校生、綾見沙羅とは。  

「おい、やめとけよ」

 その隣で不機嫌そうに止めた背の高いのは、同じクラスの八十島栄だ。

 僕も人のことは言えないけど、こいつは何をするにも面白くもなさそうな顔をして、言われたことだけを言われたとおりにやって、さっさとその場を離れてしまう。 

 何だか嫌な感じのヤツだけど、綾見と付き合ってるんだろうか?

 悪い意味でお似合いだと思ったけど、僕は僕でリューナにふられたばっかりだ。何だか、面白くない。

 ……でも、仕方がないよな。

 リューナを守っていたのもテヒブさんだし、ヴォクスのところから助け出したのもたぶん、テヒブさんだ。

 すごい年の差があるけど、結局、リューナの気持ちが僕には向けられなかったんだから、どうしようもない。

 そう思うと、悔しくて、悲しくて、どうしてもその場にはいられなかった。

「……どうも」

 それだけ言って、僕はさっさと家へ逃げ帰った。


 次の朝、僕は転生する前と同じように学校へ行った。

 終業式の朝っていうのは普通、みんなクリスマスとかお正月とかスキーとかでみんなテンション上がってうるさいから、僕は正直、休みたいくらいだった。

 でも、1人で家の中にいると、異世界のことを思い出してしまう。リューナのことを考えてしまう。つい、あの異世界アプリなんか開いてしまったら、テヒブさんと仲良く働くリューナの眩しい笑顔を見なくちゃいけない。

 うるさい学校にいたほうが、マシだった。

 そう思って教室に入ったら、静かだった。みんな、黙って机に向かって座っていた。一言もしゃべらない。

 最後に入ってきたのは八十島栄と綾見沙羅だったけど、栄のほうは机に突っ伏して寝てしまったし、綾見は窓際の席で、他のクラスの男子どもと何かひそひそ話していた。

 何を話してるかなんて、僕には関係ない。とにかく、これは考えてなかった。異世界とリューナのことを忘れたいのに、この静かさはたまらなかった。

 もうすぐ朝礼だってことは分かってたけど、図書館で何か本を読んでいようかとも思った。

 でも、いつも読んでいるのはファンタジー系の本ばっかりだ。やっぱり、リューナのことを考えなくちゃいけなくなる。

 困っていると、窓際で沙羅を何かに誘っているらしい男子が大きな声を上げた。

「ねえ、来てよったら!」

 どうしよっかな、と綾見は焦らしてみせる。これが、メチャクチャうっとうしい。

 ……リューナとは、大違いだ。

 ダメだった。やっぱり、異世界のことを考えてしまう。耳を塞いだけど、やっぱり男どもの声は聞こえてくる。

「ねえ、クリスマスなんだし」

「そうだよ、ね、いいじゃない」

 パーティかなんかやるらしいけど、やっぱり僕には関係ない。でも、うるさくしてくれるのには助かった。

 僕の心の中から、リューナの姿が消えて……いかなかった。

 忘れようとすればするほど、あの笑顔や水浴び、リズァークに対して一歩も引かなかった格好良さが目の前に現れてくる。

「ね、ここに、時間と場所」

「絶対来てよ、待ってるから」

 男どもがしつこく誘う。綾見は身をよじらせて照れてみせたり、ふざけてみせたりと忙しい。

 その他は、みんな静まり返っている。背中をまっすぐにして座って、黒板の方を見つめたまま、ぴくりとも動かない。

 八十島は、寝ている。寝たふりかもしれない。

 そんなことを気にしてみても、やっぱりリューナの思い出は消えない。考えないようにしようとしているのに、異世界での毎日が目の前に現れてくる。

 男どもは綾見を誘い続ける。綾見も軽いノリでしゃべりつづける。

 うるさい。

 うるさい。

 うるさい。

 うるさい……。

 僕はとうとう、机を叩いて立ち上がった。

「静かにしろ!」

 でも、叫んだのは僕だけじゃなかった。

 八十島も身体を振るわせながら、背中で僕の目の前を遮っていた。

 珍しいものをみた気がして何も言えないでいると、代わりにしゃべってもらえた。

「……もうすぐ朝礼だろ」

 そう言うなり、八十島はまた、机に突っ伏した。静まり返った教室に立っているのは、僕ひとりだ。

 でも、クラスでは他の誰ひとりとして、僕を見てはいない。転校生の綾見なんか数に入れることもないけど、この女だけはきょとんとして僕を見ていた。

 男どももそうだったけど、すぐに凄んできた。

「何だよお前、関係ないだろ」

 そうだ、関係ない。だから、放っておいてほしい。勝手にしゃべっててくれれば、それでいい。

 僕がリューナのことを忘れるときまで。

 返事をする気もないので、黙って椅子に座ろうとした。もうすぐ、顔の長いメガネの担任がやってくる。

 すると、その前に綾見がとんでもないことを言った。

「山藤君が行くなら、行こうかな」

 僕はその場で口を開いた。

「ちょっと……」

「おい!」

 同時に声を上げたのは、やっぱり八十島だった。身体を起こすと、やっぱり僕の目の前は遮られる。

 だから、綾見がどんな顔で返事をしたかは見えなかった。

「別にいいじゃない、賑やかなの好きだな、私……いいでしょ、山藤君」

「よくないって」

 そう答えたのは八十島だけど、僕の気持ちも同じだ。そういう場所は、苦手なのだ。

 でも、僕本人に選択権はないみたいだった。

 担任が入ってくるとクラスのみんなは一斉に立った。僕も八十島も綾見も立った。

 他のクラスの男子だけがこそこそ出ていったけど、机の上にはしっかり、綾見に渡すつもりだったらしいクリスマスパーティの案内状が置いてあった。

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