第178話 2人の守護天使が語り合う秘密
「山藤のアホが……」
結局、まる一夜をスマホに向かって過ごした俺は、「GAME OVER」のメッセージを確認して床に就いた。
シャント…山藤が意識を失っている間に起こったのは、こういうことだった。
吸血鬼の支配を脱したテヒブは、リズァークたちの背後から現れて、グェイブを手に軍勢を蹴散らした。不意打ちに総崩れになったところへ襲いかかったのは、鍬や熊手、棍棒といった、ありあわせのもので武装した村人たちだったが、それを率いていたのはリューナだった。
やがて、子供たちに先導されて大人たちが引いてきた荷車の上には、ぐったりとしたシャント・コウの姿があった。
その山藤は丁重に寝室へと運ばれ、失恋を運命づけられた朝を迎えたというわけである。
今度は、それを見届けた俺が眠りをむさぼる番だった。
目が覚めると、もう昼前だった。それも自分から起きたわけではなく、2日後に迫った、オヤジの栄転祝いを兼ねたクリスマス婚記念日というシチ面倒臭いイベントのための買い出しを急かされたからである。
もうちょっと、寝ていたかった。頑張った自分へのご褒美というやつだ。
そもそも、山藤耕哉のごときネトゲ廃人が異世界に転生しようがするまいが、俺の生活にも人生にも何の影響もない。
それなのに、わざわざ改心させて現実に引き戻す手間を何日もかけて、しまいには徹夜までしたのは、何もしないで放っておくのは寝覚めが悪いからというだけのことに過ぎない。
平凡と平穏を守るというのは、思いのほか手間がかかるものだということが身にしみてよく分かった。
無論、最後に山藤が選んだのは「異世界転生NO」のボタンだ。そのきっかけになったのはもちろん、テヒブによるリューナへのキスの誘発だ。
俺も正直、あのオッサンがそこまでやるとは思っていなかった。
リューナが実はテヒブに恋しているのだとシャント…山藤に思わせられれば、それでよかったのだ。
種を明かせば簡単なことで、リューナが横を向いたタイミングでモブを使って、横から押してやっただけのことだ。
気は小さいし頭も働かない山藤のことだから、これだけで誤解して意気消沈するだろうと踏んだわけだが、別にこれは思い付きでも何でもない。
これが、最終的な山藤の能力値だ。肉体的にすっかりガタが来ていることは、水を浴びた瞬間の反応を見れば見当がついた。
このまま
そんなわけで、山藤耕哉は異世界でのシャント・コウとしての生活を捨てて、夢も希望もないが命だけは保証された現実世界へ帰ってきたわけである。
いろんな意味で目が覚めた今頃はどうしているか、そんなことに興味はない。
最寄りのバス停辺りの道は、路面の凍結も溶けてぐしゃぐしゃのシャーベット状になっていた。
バスに乗り込んでみると年末、というかクリスマスの買い出しに出る客も少なくはなく、車内は結構混み合っていた。
これが、現実だった。退屈だが平凡で平穏な、かけがえのない現実だった。今頃は山藤も、それを噛みしめていることだろう。
バスターミナルに降りてみると、そこには綾見沙羅が待っていた。
「よ! お久しぶり」
グレーのコートにマフラーを分厚く巻いた姿で、編み髪の沙羅は陽気に手を振ってみせる。
「何やってたんだよ」
「そろそろ来る頃じゃないかと思って」
俺が言っているのはそういうことではない。夕べ一晩中、何も行動を起こさなかったのはどういうわけかと聞いているのだ。
だいたい、俺が今日の昼過ぎに来るなどという見当がなぜついたのか。
「明後日クリスマスだし」
「関係ないだろ」
そう突っぱねたところで、こうも考えてみた。
ゲームが夕べクリアされたことを根拠に、俺が今日やってくると見当をつけて朝から待っていた。
不可能なことではないが、虫のいい発想だ。沙羅には俺のためにそこまでする理由がない。
そう結論を出したところで、沙羅はムスッとしてスマホを突きつけた。
「私のメッセージは無視?」
そういえば、午前中いっぱい寝ていたのを叩き起こされたわけだから見る暇もなかったし、散々苦労させられた異世界など、用が済んだら見るのも嫌だった。
しぶしぶスマホを出してアプリを起動してみると、確かに沙羅からのメッセージが入っている。
〔本日お昼から感想戦、バスターミナルにて〕
なぜ、俺の都合を一切考慮しない沙羅のメッセージに、その日のスケジュールを左右されなければならないのか全く分からない。
「俺、買い物あるし」
「じゃあ、付き合う」
傍目から見れば完全にデートである。沙羅の取り巻きやってる他のクラスの男子に見咎められて、妙なやっかみを受けるのも面倒臭い。
「だいたい感想戦って何だよ感想戦って」
そうぼやいてみても、沙羅の前では無駄な抵抗でしかない。せいぜい、絡めてくる腕を振りほどくくらいが関の山だった。
白い瀬を冷たく噛む川面を見下ろしながら、俺と沙羅は橋を渡る。川の流れていく先には、灰色の山脈が空の彼方へと、遠く、また薄く霞んでいく。
また、雪が降りそうだった。
「まずはミッションクリア、おめでとう」
沙羅が上から目線の祝辞を述べる。
「それはどうも」
当たり障りのない礼の言葉を返して足を速めると、沙羅は「もう」と膨れて追いすがった。
「モブを動かしてシャントの行く手を阻む、ってとこに特徴があったかな」
偉そうに講評を垂れてみせるのには、ちょっとムカッときた。
「無理やりプレイヤーにされたビギナーだからな」
「そう言う割にはよく面倒見たじゃない、山藤君の」
別に山藤を心配したわけではなかったが、好意的にコメントされて悪い気はしない。人を上げたり下げたり、器用な女だ。
「つい、助け舟を出してしまったりもしたしな」
「まあ、いいんじゃない? 気づかなかったら苦労するのは山藤君だし」
意外に冷たいことも言う。俺よりも山藤のほうが好きだと言ったこともあるような気がするが。
「そういうお前は、夕べ何やってたんだ?」
手詰まりのまま事態を見守るしかなかった恨みつらみをこらえて、俺は極力、当たり障りのない言葉を選んだ。
沙羅はちらっと横目で見返す。
「何でリズァークがあんなに都合よく村を出ていったと思う?」
「そういうことか」
沙羅は何もしていなかったわけではなかったということだ。
ヴォクスが死ぬのを見越して、モブを動かして村人たちを武装させておき、リズァークの軍勢に向けて移動させたのだ。
リューナの動きは予想外だっただろうが、村人たちにしてみれば、正気に返ったテヒブの帰還を告げられれば、リズァークと戦う気にもなるだろう。
よく分からないのは、村長の家が包囲される前に斥候を捕らえるなり何なりできなかったのかということだ。
それについては、沙羅のほうから口を切ってきた。
「いろいろ、あってさ」
そういえば、男子から告白されたとかなんとか言っていた覚えがある。俺が触っていい話題ではなさそうだった。
他のことを話そうと思って考えを巡らせながら、あっちこっちと眺め渡していると、橋の袂で遠い山脈を眺める、どこかで見た人影があった。
シャント・コウ……いや、山藤耕哉だ。
「あれ、山藤じゃないか?」
「あ、ホントだ」
ちょっと沈んだ表情を浮かべていた沙羅の頬が、朗らかに綻んだ。
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