第177話 ネトゲ廃人、夢の終わり

 でも、もう1人の声で、僕は夢を見ているんでも、死ぬところでもないってことが分かった。

「シャント!」

 僕を温かいベッドから引きずり出したのは、日焼けした小柄なおっさんだった。

「……テヒブさん?」

 返事もしないで僕を頭から固い床に転がしたテヒブさんは、楽しそうにゲラゲラ笑った。

 夢にしては妙にリアルだし、ぶつけた頭は痛い。

 でも、テヒブさんだってヴォクスに血を吸われて、下僕にされていたはずだ。何が何だかさっぱり分からない。

 だいたい、ベッドの中にいたってことは?

 ぐるっと見渡してみて、思い出した。

 ここは、確か、馬小屋に現れたヴォクスをニンニクで追い払った次の朝、目を覚ました部屋だ。

 ということは、村長の家に来てるってことになる。

 じゃあ、リズァークはどうなったんだろう? テヒブさんを捕まえに、村に戻ってたんじゃなかったんだろうか。

 窓を開けて外を確かめてみたら、朝の太陽が眩しかった。

「うわっ!」

 僕がじたばたするのがおかしかったのか、リューナとテヒブさんが僕の後ろで笑うのが聞こえた。

 明るいのに目が慣れてきて見えたのは、庭に集まった村の人たちの姿だった。でも、今までとは何か違う。

 僕が覚えているのは、女の人たちが庭のあっちこっちで豆をより分けたり剥いたりしているところだった。時々、男の人たちが荷車いっぱいに豆を積んで持ってきたりする。

 でも、荷車は1つしかなくて、しかもそれは、僕がリズァークのところから馬に引かせて持ってきたのだった。そういえば納屋にも、僕が開けた大穴が見える。

 これが夢じゃないとして、僕が生きてるんだったら、いったい何が起こったんだろう?

 そこで気が付いたのは、村の人たちが持っているのは鍬や熊手じゃないってことだった。

 みんな、剣や槍を手にしている。やっぱり、わけが分からない。

 そこへ、子供の甲高い声がした。

「グェイブ!」

 振り向いてみると、ククルが飛びついてくるところだった。

「グェイブ! グェイブ! グェイブ!」

 リューナが笑いながら、言い直してみせた。

「シャント……シャント・コウ」

「シャント? シャント?」

 ククルは首をかしげて、異世界での僕の名前を何度も繰り返す。それでも納得できないのか、グェイブとつぶやいて僕の手を引いて走りだした。

 リューナの笑い声が弾けるのを聞きながら部屋を引きずり出されるとき、テヒブさんの手に見えたのは、その魔法の武器エンチャンテッド・ウェポン、グェイブだった。 

 ククルに引っ張られるままに村長の家を出ると、庭中からわっと声が上がった。武器を手にした村人たちが、僕をじっと見つめている。

「うわあああああ!」

 今まで、こういうときはろくなことがなかった。集団で殴られたり、手枷足枷をはめられたり、閉じ込められたり。

 グェイブを持っているときはまだ無事でいられたけど、それはもうテヒブさんのところへ戻っているわけだから、僕はただのバカで無力なキモい他所者でしかない。

 イコール、袋叩きだ。

 中学校までもそうだったけど、思わず身体が縮こまった。でも、これが心の準備なのだ。

 いじめられたとき、傷を最小限で済ますための。

 でも、石は飛んでこなかった。殴られることもなかった。わけの分からない異世界の言葉で怒鳴られることもなかった。

「シャント!」

「シャント・コウ!」

 みんなが、この世界での簿記の名前を呼んでいた。これも、なんでだか分からない。分かったのは、村のみんなが僕を認めてくれてるってことだけだった。

 そこでまた、わっと声が上がって、村の男たちが縛られた誰かを連れてきた。それは、リズァークの兵士だった。 

 なんとなく、いろんなことが頭の中でつながってきた。

 まず、僕は死ななかった。で、ヴォクスはたぶん、川でおぼれて死んだのだ。

 だから、リューナとテヒブさんは、吸血鬼の下僕じゃなくなった。

 テヒブさんは正気に返るまえにリューナを助け出して、グェイブを取り返していた。

 で、村へ戻ってきて、リズァークたちを追い払ったのだ。村の人たちが持っているのは、兵士たちが捨てていった武器なんだろう。

 僕は僕で、あの荷車に乗せられて帰ってきた。

 みんなが僕の名前を呼んでいるのは、テヒブさんとリューナが、ヴォクスやリズァークとの戦いを語ってくれたからなんだろう。


 ……ということは?

 

 異世界に転生して、誰も弱点を知らなかった吸血鬼を倒した僕はヒーローだってことになる。

 やった! 異世界サイコー!

 転生して何日経ったか忘れたけど、やっといいことがあった。いや、苦労したんだから、痛い想いや怖い思いをしたんだから当然だ。

 これからは、この村のヒーローとして認められて、リューナとの仲も公認で、あとは異世界ラブイチャの毎日ってことになる。

 そう思うと、あの綾見沙羅にも感謝したい気になってきた。だって、あの異世界転生アプリのおかげで、刺激的な毎日が手に入ったんだから。

 なんかいい気分になってきたところで、頭から冷たい水が降ってきた。誰かがいたずらをしかけてきたのだ。

 村のみんながどっと笑った。冷たい水が気持ちよくって、僕もつられて笑った。

 でも、声が出なかった。濡れた身体が重たくなって、急に足がすくんだのだ。

 夕べの、小川の橋の上みたいに。

「……呪い?」

 村のみんなは笑っていたから、僕が日本語でつぶやいたのは聞こえなかっただろう。

 川馬ケルピーの呪いだとしか思えなかった。ヴォクスは僕と一緒にケルピーに襲われたけど、生贄の代わりにはならなかったのだ。

 ということは、僕はまだ、川を渡るたびに溺れて内臓を食われないかと、いや、何かあるたびに、ケルピーに怯えて暮らさなくちゃならないわけだ。

 そんなのは、いやだ。何とかならないだろうか。ケルピーの呪いを解いて、この異世界の村のヒーローとしてリューナとラブイチャ、うまく行ったらHまでできる生活を手に入れることはできないだろうか。

 そんなことを考えていると、また、わっという歓声が上がった。

 村長に伴われて、テヒブとリューナが現れたのだ。まるで、年の離れた親子のように見える。

 いや、たぶん、テヒブさんはリューナの父親みたいなものなんだから、僕はもしかすると、あれをやんなきゃいけないかもしれない。

 あの、「お父さん、お嬢さんを私に下さい」っていう、あれ。

 そう思うと、今しかチャンスがないような気がしてきた。この空気で、このテンションじゃないと、言えない気がする。

 異世界の言葉を覚えるまで待っていたら、間に合わないかもしれない。

「……よし!」

 僕は覚悟を決めた。

 この異世界で、生きていく。リューナと一緒に、いつまでも。

 村の人たちはいつの間にか、テヒブさんだけじゃなくて、今まで嫌っていたリューナの周りにも、真逆の態度で馴れ馴れしく集まっている。それはそれでなんだかムッときたけど、そこは我慢した。

 人の間に身体を押し込むみたいにして、テヒブさんとリューナの前に出る。周りのにもみくちゃにされながら、リューナはテヒブさんのそばに立っていた。

 いきなり現れた僕を、きょとんとした顔で見つめる。

 金色の髪のせいとかいうわけじゃないけど、キラキラしてる。やっぱり、可愛い。水浴びを見ちゃったことなんか思い出して、つい、言葉に詰まった。

「あの……」

 日本語じゃ、分かるわけがない。リューナは首を傾げて、助けを求めるようにテヒブさんの方を見た。

 その時だった。

「え……」

 テヒブさんの頬に、リューナの唇が触れる。

 その瞬間、僕の目の前にメッセージが1行、浮かんだ。

「異世界転生しますか?」

 その下には、あのときみたいに、「YES」「NO」のボタンがある。

「え? え? え?」

 急なことにおろおろする僕を急かすように、意外な大人の展開が見せつけられた。

 テヒブさんは逞しい腕でリューナの豊かな胸の辺りを抱き寄せると、思いっきり二人の唇を重ねたのだ。

「ええ~!」

 目の前が真っ白になった僕の前に、片方のボタンがでっかく浮かび上がった。 

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