第176話 ネトゲ廃人、最後の戦いの後に見る夢

 体力のあるうちに、水車小屋の前にたどり着けたのはラッキーだった。グェイブも十字架も杭もニンニクもない以上、僕にヴォクスを倒す方法はない。

 だいたい、戦って倒そうというのが無理だったのだ。あのめちゃくちゃ強いテヒブさんがグェイブみたいな魔法の武器エンチャンテッド・ウェポンで倒せなかった吸血鬼に、ハルバードも扱えない僕が勝てるわけがない。

 でも、死ぬのはごめんだった。

 考えてみれば、このままヴォクスにのエナジー・ドレイン生命力吸収を食らってアンデッド死せる魂になれば、リューナと一緒にいられる。

 でも、彼女はヴォクスのものになってて、僕はその下僕でしかない。アンデッドにされたリューナがヴォクスの餌食にされたままイチャイチャするのを黙って見ているのだけは、絶対にイヤだった。

 勝って、リューナを奪い返すしかない。

 でも、どうやって? 僕にできるのは、もう、逃げることしかない。

 しかも、もう、ぼく1人じゃない。僕についてきてくれた、というか、勝手についてきた小さなククルと、そのお友達がいる。

 足手まといといえばそうだったけど、あの荷車を一緒にひっくり返した時からは、そうじゃなかった。

 小さいけど、みんな、僕の大事な仲間たちだった。死なせるわけにはいかない、絶対に。

 逃げるしかない僕の行く先にあるのは、あの水車小屋しかないのは分かっていた。しばらく逃げていると、水の音も聞こえてきた。

 当然、身体の中に冷たいものがあふれてくる。そう、あの川馬ケルピーの呪いだ。自分を乗りこなしたら、誰かを生贄にしないでは済ませない、あの幻獣に僕は狙われている。

 だから、僕は村はずれにたどりついても、木橋の上から動けなかった。できるのはただ、両手を上げては振り下ろすことしかない。これがあの男の子に通じなかったら、何もかもおしまいだった。

 そう、僕は動けなかったんじゃない。動かなかったのだ。

 声を出してもいけなかった。何を持ってきてほしいか言えば、追ってくるヴォクスに手を読まれてしまう。

《小僧! 捕まえたぞ!》

 後ろからやってきたヴォクスが、ものすごい力で僕の肩を左右から掴んだ。もう、逃げられない。

 でも、それはヴォクスも同じことだった。僕がやってみせたことは、ククルにべったりだった、あの男の子に通じていたからだ。

 水車小屋から駆け出してきた男の子は、その手で大きな斧を引きずっている。その柄を短く持つと、木橋に縛り付けられたロープに刃をぶつけ始めた。

《小僧、何のつもりだ?》

 知能の高い吸血鬼も、子供のすることまでは見当がつかなかったらしい。ケルピーの呪いとヴォクスのものすごい力で、僕の身体はもう全然動かなかったけど、作戦はだいたい成功だった。

 この橋は、木で出来ている。そのパーツを固定しているロープを斧で切ってしまったら、簡単に落ちてしまうのだ。

 その下には、小さいけど、リューナが裸で水浴びできるくらいの水が流れる川がある。

 そして、ここが肝心なところだ。


 吸血鬼は、流れる水を渡れない。


《そういうことか、小僧!》

 頭の中に響く声に、僕は日本語で叫んでやった。

「アタマ悪いぜ、吸血鬼!」

 予定ではこの決め台詞で、僕はヴォクスと一緒に川の流れの中に転落するはずだった。

 ところが、足元はまだ、しっかりしている。

「何やってんだよ!」

 文句を言える立場じゃなかった。男の子は、小さな手で掴んだ大きな斧を、一生懸命に橋のロープへと叩きつけている。

 やっぱり、子供の力で長柄の斧を使うのは、ちょっと無理があったかもしれない。

《幼子とはいえ、容赦はせんぞ!》

 僕の肩に、ヴォクスの爪がめり込む。僕は痛いのが我慢できずに、つい叫んでしまった。

「うわあああああ!」

 でも、それは僕だけの声じゃなかった。

 橋のそばで、男の子が斧を放り出して、身体を引きつらせている。何か、恐ろしいお化けにでも会ったみたいだった。

 確かにヴォクスも吸血鬼だから怪物モンスターといえばそうなんだけど、身体を引きつらせちゃってるってことは……。

 邪眼イーヴル・アイ

 リューナを操ったときのやつだ。ヴォクスは後ろにいるから見えないけど、たぶん、目は光っているはずだ。

 僕を殺そうとしたときのリューナみたいに。

 もう、ダメだ。橋が落ちなかったら、ヴォクスを流れる水に沈めることはできない。

 それに……。

「ひいっ!」

 首筋に冷たいものが当たって、僕は思わず悲鳴を上げていた。

 何が来るか、もう分かっていた。吸血鬼の牙だ。このまま食いつかれたら、エナジードレインが待っている。ファンタジー系RPGでいったら、HPヒットポイントのゲージが下がって、レベルも下がって、どっちもゼロになったところで、ゲームオーバーだ。

 僕は覚悟を決めた。


 ……さよなら、リューナ。


 暑い太陽の下で見た、あの笑顔が瞼の裏に蘇る。風に揺れる金髪が眩しい。それから、この真下の小川で朝早く水浴びしていたときの、あの白い身体。

 その、最後の思い出の中から、いきなり飛び出してきたものがあった。

 何だかよく分からなかったけど、大きな水の塊みたいだった。そいつは大きな顎で僕の身体を後ろにいるヴォクスごと挟む。

「うわああああ!」

 叫んだのは、怖かったからじゃない。身体の芯まで凍りつきそうな寒さで、指先までが固まってしまったからだ。

 おまけに、ものすごい音と一緒に、足元がふわっとなくなった。そのまま、僕の身体は空中を吹っ飛ばされる。

 橋ごとやられたんだと分かったときに、気が付いた。

 こんなことが、前にもあった。この谷川よりもずっと奥で。

 あれは確か……。

「ケルピー!」

 そうだ、川馬ケルピーだ。あのときはグェイブを背中に突き刺してしがみついていたけど、今度は、そうはいかない。

 あのときの、仕返しをされているのだから。

 そこで、僕の身体は水の中に沈んでいた。ここから先は、川馬ケルピーのターンだ。

 息がどんどん苦しくなる。身体が冷たくなる。手も足も動かない。何も考えられなくなる。

 それでも、僕は最後まで忘れなかった。

 太陽の下で笑う、リューナの姿を。


「シャント?」

 聞き覚えのある声が、僕の名を呼んでいた。もちろん、異世界での名前だ。

 でも、この名で僕の名を呼べるのは、2人しかいない。

 目を開けると、その中のひとりが、僕を見下ろしていた。

 太陽の下で、笑顔が眩しく輝く。

 どうやら、僕はまだ、水の中で川馬ケルピーと戦ってるみたいだった。これが瞼の裏にあるうちは、死んではいないということなんだろう。

 でも、僕はさっき、目を開けたはずだった。

 

 ……あれ? どういうことなんだろう?


「シャント!」

 柔らかい身体が、僕の上にのしかかってきた。温かい。これは、絶対に水の中じゃない。

 しばらくしがみついていた身体を起こしたのは、見覚えのある少女だった。でも、聞き覚えのある声と、その姿がどうしても重ならない。

 だって、僕は彼女の声を聞いたことがなかったからだ。

 いや、一度だけあった。僕は一度だけ、ほんの少しの間だけ、ほとんどしゃべれない異世界の言葉で、この金色の髪をした女の子と話したことがある。

「リューナ?」

 吸血鬼に魅入られ、喋れなくなった女の子。村人にいじめられ、軍隊を連れてやってきたリズァークとの取引に使われてもくじけなかった、強い心を持つ女の子。でも、僕みたいに何の役にも立たないヤツに優しくしてくれた女の子。 

 そのリューナが、吸血鬼ヴォクスのところへ行ってしまったはずのリューナが、どうして?

 そうか……。

 これは夢なんだ。きっと、水の中で死ぬ前に見ている、最後の夢なんだ。

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