第175話 ネトゲ廃人の背後に迫る影

 俺はとっさに俯瞰画面で村の全景を確認していた。

 穴の開けられた壁の方角から押し寄せる赤い点々が、ある一カ所に集中している。それが村長の家の辺りだろうということは見当がついていた。

 たぶん、村人の中に斥候が紛れ込んでいたのだろう。村長の家へと馬車が突っ込んだのを見届けた上で、僭王の使者リズァークへの伝令に走ったのだ。

 つまり、リズァークは城を焼かれた吸血鬼ヴォクスの出現を知らない。探しているのは、あくまでもお尋ね者の元宮廷衛士テヒブだ。

《村長! 戻ったぞ!》

 ヴォクスが去ったかと思えば、今度はリズァークだ。村長も気の休まる暇などなかっただろう。吸血鬼1人か人間の大軍かというのは、まさに究極の選択といったところだろう。

 もちろん、平穏を好む俺なら、迷わず人間を選ぶ。なにをしでかすか分からん人外のバケモノなんぞ、相手にしたくはない。

 松明の灯がさっと左右に分かれて、村長が家から出てきたと分かった。

《テヒブはおりません。それよりも、どうかお助けくださいまし。吸血鬼ヴォクスが先ほど現れました》

 もう少し早く着いていたら、再びヴォクスに足止めを食わせられたのだが、今さらそんなことをぼやいても始まらない。

 しかも、リズァークは俺と同じことを考えていたのだった。

《ヴォクスが出たなら、いずれテヒブも現れよう。ここで待たせてもらう》

 要は、王命でもないのに私怨で無駄な戦をするのは懲りたということだ。

 そんなわけで、この軍勢はもうアテにできない。俺は画面をシャント…山藤の周辺に戻した。

 兵士の誰かをモブに使おうと思えばできないことはなかったが、このゲームにおいて、俺の勝利条件は山藤を助けてやることではない。逆に、窮地に追い込んで異世界転生をやめさせることだ。

 そして、ヴォクスに追われていること以上の窮地が今、あろうはずがない。CG処理された闇の中で、シャント…山藤の引く荷車はのろのろ進む。

 仕方がない。小さな女の子が1人乗っているのだから。

 その傍にぴったりついた男の子が、山藤を急かした。

《グェイブ、ヴォクスが来るよ!》

《グェイブ!》

《グェイブ!》

 子どもたちが呼んでいるのは、かつてテヒブがシャント…山藤に託した宮廷衛士時代の武器の名である。ただし、それはもう手元にはない。

 あの鈍い光を放つ長柄の刃物は、ヴォクスと戦うのに有効な唯一の武器だったのだが。 

 それなのに、山藤は子供たちの命までも守らなくてはならなくなっていた。言い換えれば、山藤は我が身ばかりではなく、子供ひとりの、いや、周りの子供たちすべての命も背負っている。

 だが、緊迫感はなかった。

 ヴォクスの足も遅い。

《小僧、小賢しい手を!》

 田植えでもするような格好で、荷車をチョンボチョンボと追っていく。どうやらこの吸血鬼は、豆粒のような細かいものを拾わないではいられないものらしいのだ。

 その姿は、情けないの一言に尽きた。

 だが、尽きると言えばそれは、豆の数の方が早い。

《これで最後だ、そこで待っておれ!》

 その叫びを聞く限りでは、とうとう、その時がきたようだった。人間を超えた脚力で追って来られたら、山藤の足で、しかも子供たちに囲まれて荷車を引いていては逃げ切れるわけがない。

 子供たちも悲鳴を上げた。

《来るよ、グェイブ!》

 山藤もそれは分かっていたらしい。画面を本人に近づけてみると、必死の形相で荷車を引いていた。

 だが、その足はなかなか動かない。

《グェイブ! 捕まっちゃうよ!》

 子供たちは急かすが、なにぶん相手は山藤だ。できることとできないことはどちらが多いかといったら、1対9の割合で、できないことの方が多い。

 さらに、まずいことが起こった。こいつの体力は、下手をするとそこらの子供にも劣るのだ。

 やがて、10歩行くか行かないかのうちに、荷車を引く足が止まった。

 ククルが怪訝そうにつぶやく。

《グェイブ?》

 シャントの手が、荷車から離れる。それでこそ山藤というべきなのだが、ここで異世界転生を捨てられても困る。このゲーム、クリアしなければ、現実世界にもどることなどできはすまい。

 つまり、ヴォクスに勝ってリューナを救いださなければ、こいつは異世界で死んでおしまいだ。ゲームはリセットされ、山藤は別の誰かとして異世界をさまようことになる。

 こいつの甲斐性では、もう最初からゲームクリアを目指すようなことはやりもしないし、やろうとしてもできはすまい、やはり。

 だが、シャント…山藤は希望を捨ててはいなかった。

《ククル!》

 小さな女の子を抱え上げて、よろよろとふらつく。その身体を、男の子が支えた。

《僕が!》

 シャント…山藤から奪い取るようにしてククルを背負いあげるなり、子供たちに指図した。

《倒して! それ、倒して!》

 子どもたちが、下手すると自分たちの背よりも高い車輪の向こうに潜りこんで、一斉に荷車を持ち上げる。

 それを呆然と見ていたシャント…山藤だったが、それでも我に返ったのか、荷車の下に潜り込んだ。

 あの疲れ切った細腕でも、子供たちよりは力があるのだろう。荷車はひっくり返り、子供たちは歓声を上げた。

《しっ!》

 山藤は唇に指を当てたが、子供たちはなおも騒ぐ。どうやら、異世界ではサインが違うらしい。

《静かにしてったら!》

 そう言ったところで、もちろん、現代日本語が通じるわけもない。だが、不思議と子供たちは口を閉ざし、真剣な面持ちでシャント…山藤を見つめている。

 もちろん、それに応えられるような山藤ではない。口を真一文字に結んで、あちこちきょろきょろしている。

 ……と、思いきや。

《あっちだ!》

 指さした方向へ、のろのろと歩きだす。意外に毅然としていたが、そのせいもあってか子供たちも、しんと静まり返って後に続いた。

 ヴォクスはといえば、画面上に広い範囲を映してみたところ、倒された荷車から少し離れた場所にいた。

 たしか吸血鬼は、コウモリになったり霧になったりできるはずである。それでも敢えて足にこだわるのは何故かという疑問が生じたが、荷車の手前で助走をつけるのを見て、見当がついた。

 コウモリは小さいし、霧は空気の状態に左右されやすい。走ったほうが、遥かに早いのだ。

 だが、ヴォクスがひらりと荷車を飛び越えたときには、もちろん、シャント…山藤と子供たちはいない。

 その姿はもう、村外れにある水車小屋の前にあった。

 ただし、1人を除いて。

 男の子の背中から、小さなククルが呼んだ。

《グェイブ?》

 山藤は、ガタガタと震えながら、小川の上にかかる橋を渡っていた。

 すっかり忘れていたが、あの川馬ケルピーの呪いで、こいつはすっかり水のそばに立つのが恐ろしくなったようなのだ。

《グェイブ!》

 男の子が叫ぶ。だが、山藤の足は、すくんだまま動かない。

 そこへ背後から、あの恐ろしい声が追いかけてきた。

《見つけたぞ、小僧!》

 ヴォクスだった。山藤が、男の子に叫ぶ。

《水車小屋! 水車小屋!》

 異世界語ではなかったが、ククルは山藤の言わんとしたことを察したらしい。じたばたもがいて男の子の背中から降りると、水車小屋の戸を開けた。

 子供たちがどっと逃げ込むが、ククルは動かない。少年が駆け寄って、扉の中に押し込んだ。

 ヴォクスの叫びも聞こえる。

《そこか、小僧!》

 絶体絶命のピンチだった。山藤は、橋の上から一歩も動けない。恐怖のせいか、もう声も出ないようだった。

 ただ、頭の上に組んだ両手を振り下ろす仕草をするばかりである。

 錯乱したのだろうか? 恐怖で理性がすっ飛んだのだろうか? 

 もはや手の中にないグェイブを振り下ろすことでしか、意識を保てないのだろうか?

 だが、最後に残った男の子は元気よく返事した。

《分かった、グェイブ!》

 何がどう分かったのか、男の子は水車小屋の中に駆け込む。それと同時に、ヴォクスの吠える声が聞こえた。

《そこか、リューナは!》

 だが、その水車小屋から駆け出してきたのはもちろん、リューナではない。

 斧を手にした、あの男の子だった。

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