第152話 ネトゲ廃人、生身の怪物と戦う

 手に持った白いバラの花を、じっと見つめる。

 まるで、リューナみたいだった。今朝、光のなかで水浴びをしていた真っ白な身体が目に浮かぶ。もちろん幻だけど、本物だとしても下手に手を出せない。何も考えずに触ると、怪我をするからだ。

 白バラの花みたいに。

 それでも僕がこれを引きちぎったのは、ファンタジー系RPGをやっていたとき覚えたことを思い出したからだった。

 白いバラは、吸血鬼の力を奪うのだ。これに触った者を、あっという間に干からびてさせてしまうらしい。

 もしかしたら、しおれてしまうかもしれない。でも、ヴォクス男爵と戦うには、これしかもう方法がなかった。

 ……絶対に、倒してやる。

 リューナが自分でヴォクスについていったのだとしても、それは操られていたからだ。吸血鬼本人を倒せば、きっと正気に返るはずだ。

 僕はまた、立ち上がって歩きだした。月の出ていない夜だったから、道は真っ暗だった。グェイブの光で見えるものは、自分の足元だけだ。

 だから、道が分からなくなった。

 だいたい、ヴォクスの城がどこにあるのかなんて、木の切り出しにつれていかれた山の斜面から見た場所しか思い出せない。その方向へ歩いていけば見つかるんじゃないと思ってたからこっちへ来ただけのことだ。

 でも、よく考えたら、吸血鬼はコウモリになれるんだし、テヒブさんは足強いし、この2人がいたら、生身のリューナだって、道がなくても何とかなるんじゃないかって気がする。

 気が付いたら、この間、リューナを探しに行って迷い込んだ山の中みたいなところにいた。

 でも、斜面に細い道があるとか、そういうんじゃない。木の間をどこまでも、細い道が続いているみたいな感じだ。

 ……帰ろうかな。

 そう思って振り向いたけど、グェイブの光ではもう、何も見えない。それどころか、どこから歩いてきたのか分からないくらい、奥まで入り込んでしまったみたいだった。

 それでも、道がついているんだから帰れるはずだ。

 ……やっぱり、引き返そう。

 リューナの行った先も分からないのに、わざわざ危ない所を通らなくてもいいんじゃないかっていう気がしてきた。

 でも、そうはいかなかった。深い森の奥から、何かが叫ぶ声がしたのだ。

 誰か、じゃない。どれだけいいほうに取っても、少なくとも人間の声じゃなかった。

 ……ということは?

 考えたくなかった。振り向いて、必死で走りだしたけど、こういうときって絶対、悪い方向に話が進む。

 今回も、そうだった。

「来るなあああ!」

 何が現れたのかも分からないうちに、僕は思わず叫んだ。はっきり目には見えないけど、鳥肌が立つような感じの何かがすぐそこで通せんぼをしているのが、グェイブの光で分かった。 

 徘徊する怪物ワンダリング・モンスターだ。

 たまたま遭った僕を、きっといいエサだと思ったんだろう。ほーっ、とそいつが吐いた息は、吐きそうなくらい臭かった。

 それを我慢して、僕は二、三歩下がっただけで片手のグェイブを突きつけた。でも、そこからはもう何もできない。斬りつけたくても、身体がガタガタ震えている。

 それに、もう片手にはあの白いバラがある。これだけは絶対に落としたり、なくしたりするわけにはいかなかった。 

 ……戦えるだろうか?

 いや、戦わなくちゃいけなかった。グェイブの光だけじゃ、どんなモンスターかわからない。でも、何か大きそうだった。

 ……熊? それとも。

 ファンタジーRPGのモンスターで、こんな暗い森の奥に出てきそうなのを片っ端から思い出してみる。


 たとえば、ゴブリン。洞窟の中に住んでるもんだけど、夜の森の中に出てきたっておかしくはない。でも、もっと小さいのが普通だ。

 それから、オーク。定番のやられ役だ。ゲームによっていろんなのがいるけど、あんまり大きいっていうイメージはない。

 あり得るのは、オーガー。ゲームでは普通、醜い人食い鬼だ。パワーがあって、いろんな武器を使いこなす。結構、強敵だ。

 もしかすると、トロール。これもファンタジー世界によっていろんなバージョンがあるけど、たいていは森や洞窟に潜んでいる巨人だ。こいつだったら厄介だ。もしかしたら、死ぬかもしれない。

 ありえないのは、フォレスト・ジャイアント。たぶん、違う。デカすぎる。

 

 そんなわけで、オーガーとかトロールとか、そのくらいのデカいモンスター相手に、僕は戦って勝たなくちゃいけなかった。

 ……モンスター名は「トローガー」ってとこかな

 ネトゲなら、やる。殴られても痛くないし、だいいち、死なない。

 でも、これはゲームじゃなかった。命かかってる。

 ……逃げようなんて思うんじゃなかった。

 あのまま森の奥へと進んでいたら、こいつと出くわさなかったかもしれないのだ。

 今からだって遅くない。こいつにケンカ売ったわけじゃないし、無理に戦うこともない。

 僕は反対側に向かって走り出した。いきなりやれば、この「トローガー」もびっくりして、ついてこられないかもしれない。

 でも、それは甘かった。こいつは僕の考えを読んでいたみたいに、もう目の前に立っていたのだ。

 ……やっぱり、グェイブに頼るしかない!

 僕は長柄の武器をできるだけ短く持って構えた。モンスターとはいえ、やっぱり殺したくなかった。

 いや、それは嘘だ。怖くて戦えないのだ、僕ってヤツは。最初に逃げようとしなかったのを、本当に後悔した。 

 ……いや、もっとヤバいの出てきたかもしれないし。

 自分で自分に言い訳したりもしてみるけど、そんな場合じゃなかった。最初から逃げることばかり考えてる僕の気持ちなんか、見透かされてるみたいだった。

 グェイブの光が届かないところで、何かがブンと唸る。何か太い棒みたいなのが、上から降ってきた。

「わあああああ!」

 慌てて両腕を上げて、頭をかばった。すごいショックが来て、身体が前につんのめる。つい目をつぶっちゃったから、よく分からなかったけど、たぶん、棍棒みたいなものがグェイブの柄に当たったんだろう。

 転んだりしたら、白バラの花を潰したりなくしたりするかもしれない。必死で踏ん張るしかなかった。

 でも、僕のそんな努力、そのトロールとかオーガーみたいな「トローガー」には関係ない。頭の上で、臭い息の中でグルグル言う声が聞こえた。棍棒が、ごおっと鳴る。

 ……だめだ! やられる!

 身体を起こさないと、無防備な真上から頭を殴られて死んでしまうかもしれない。僕は地面に転がりそうなのをこらえて、何とかグェイブを杖に突くことができた。

 そのときだった。

「ガアアアアアアア!」

 トローガーがモンスターっぽく咆えたのが怖くて、僕はこれ以上、何をする気もなくした。

 ……もう、だめだ。

 異世界の、こんな森の奥で、僕は死んでしまうんだ。で、自分で名前を付けた、姿もよく分からないモンスターに食われてしまうんだ。

 でも、今、僕はどうなってるんだろう。

ネトゲだったら、ゲームオーバーのメッセージが出て終わりだ。そしたら、新しいキャラ作ったり、課金して復活したり、またゲームをスタートすればいい。

 でも、これは現実だ。異世界だけど、現実だ。ていうことは、今の僕は?

 何かに引っ張られて、身体が横に倒れていった。

 ……やっぱり、な。

 地面に叩きつけられて、ここでおしまいなんだと思った。でも、そのとき、耳元で何か大きなものが倒れる音がした。

 そこには、グェイブの光が暗闇の中でぼんやりと照らしているものがある。

 毛むくじゃらで、鬼のお面みたいな顔をした、大きな人型の獣だった。

 トロールみたいな、オーガーみたいな。

 ……トローガー?

 つまり、僕は勝ったのだ。

「や……や……」

 自分でも驚いてるのか怖がってるのか何だか分からない。そのうち、身体の中からあふれる気持ちが声になって出た。

「やったぞおおおお!」

 自分の力で、モンスターを倒したのだ。

 ……勝てる! 勝てる! やればできる!

 たぶん、こいつは僕がやろうとしていることを先読みできるのだ。だから、フェイントかけたつもりでも、逃げる方向に先回りされてしまったんだろう。

 その分、想定外のことにはどうにもならなくて、いきなり突き立てられたグェイブに刺されてしまったんじゃないだろうか。

 そう思うと全身が熱くなったけど、それは一瞬で冷めた。森の奥で、何かが遠くから吠える声が聞こえたからだ。

 それにつられたのか、いろんな獣や怪物っぽいものの吠え声が聞こえてくる。

 ……やべ!

 でも、ここから逃げようとすれば、もっと強いのが出てくるかもしれない。僕はtトローガーの身体から引き抜いたグェイブの光を頼りに、白バラの花を手に持ったまま、森の奥へと走った。

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