第102話 守護天使の静観する死闘前の静寂

 その時、大音声だいおんじょうで命令が下った。

《王の名の下に出された約定を違えるな!》

 村人の背中を貫こうとしていた槍が、ぴたりと止まる。それは村人たちも同じことで、防戦一方の兵士を取り囲んで小突き回す手を一斉に止めて、壁の上を見上げている。

 その先にいるのは、鎧を着た背の高い男だった。今朝、兵士たちが「騎士」と呼んでいた男だ。

 今朝、村長と交渉していた僭王の使いである。

 いさかいが収まったところで、村長は再び壁の前へと歩み出て問いただした。

《日暮れまでは待つんだな!》

 身の安全が保証されると強気に出る、実に現金なジイさんである。立ち位置がそのまま、人間の格での位負けを表しているようなものだった。

 だが、村長本人はおろか、騎士のほうでもそんなことは気にしていないようだった。

《待とう!》 

 それだけ告げると、ゆったりと歩いて壁の向こうに姿を消す。どうやら、こういう交渉事のための長い雲梯でも持ってきているらしい。

 僭王の使いに続いて、兵士たちも縄梯子に手をかけながら引き上げていった。怪我で登れない者は、傷の浅い最後の1人に縄梯子にくくりつけられて引き上げられる。残った者のためにも、後から縄梯子が下ろされた。

 事態がとりあえず一旦の収拾を見たところで、俺は沙羅に尋ねた。

〔で、山藤どうする?〕

〔そろそろ日も暮れるしね〕

 異世界も、そろそろ暗くなりはじめていた。普段なら壁のどちら側でも夕食の準備を始めるところなのだろうが、火を焚く煙も上がらなければ、煮炊きを始める様子もない。

 双方、膠着状態のようだった。食事の準備をする余裕もないほど、お互いに警戒し合っているのである。

 俺はふと、部屋の窓の外を見た。

 ……こっちはどうなんだろう? 

 雪は止んでいた。異世界の夏とは違って、外はすっかり暗くなっている。それでも、遠くまで続く山々は夜闇の中にぼんやりと白く浮かび上がっていた。

 俺はカーテンを閉めて、部屋の明かりを点けた。

 ……沙羅はどうしているだろうか。

 あの古い町並みが深い雪に埋もれている様子を思い浮かべる。

 ……雪かきはどうしただろう?

 家の前でせっせと除雪していた沙羅の姿が思い出された。もしかすると、今日は俺にせっせとメッセージを送りながら、雪を除けていたんだろうか。

 ……健気というか器用というか。

 俺はというと昼から夕方まで、ずっと部屋の中にいたわけだが、昼飯の後にオフクロがやったんだろうか。沙羅の言葉ではないが、やっぱり俺はたいした「ごくどーもん」だった。

 ……後悔しても始まらない。

 自分に言い訳して、再びスマホの中の異世界に目を向ける。シャント…山藤がどの辺を歩いているか気になった。

 いくらなんでも山の中からはもう脱出しているだろうとは思ったが、壁から水車小屋辺りまで道を戻っても、シャントはおろか人っ子一人いなかった。

 ……なに寄り道してんだか。

 念のため、テヒブの家辺りを確かめてみた。窓も扉も閉めきられている。

 ……誰かいる?

 人影があったような気がしたが、家の周りでぐるりと視界を回転させても、ただ夕闇が次第に濃くなっていくばかりだった。

 ……まさか。

 俺は水車小屋の手前まで来た。明かりはないが、薄暗い中でも辺りの様子はCG処理で分かる。

 ここにある橋は、水車を回す小川にかかっている。小さいとはいえ、幅は人の身長2つ分はあった。大きな水車が回せるだけの水量はあるようだった。流れも結構、速そうに見えた。これをさかのぼると、シャント…山藤がケルピーに襲われた辺りに出るのだろう。

 その橋の向こうには、山奥へと続く道がある。俺は急いで、人影を探して画面を撫でた。

 ……どこだよ山藤!

 手元がどんどん暗くなっていく。現実でも異世界でも、どんどん日が暮れているのだ。

 それでも、シャント…山藤がこっちへ向かっているなら、どこかで出会ってもよさそうなものだ。

 ……道に迷った?

 山の中の一本道では考えにくかったが、そこは山藤だ。要注意である。俺は画面上に地図を広げて、さっき山藤が焚火をしていた辺りをクローズアップした。

 崖の上には木々の茂る斜面があり、そこから少し離れたところに山道がある。念のため、俺はそこから更に奥へ奥へと道をたどっていった。

 ……いた!

 最悪の読みは的中していた。何を思ったのか、山藤はわざわざリューナのいない方向へとひたすら歩いていたのだった。

 ……どうすんだよ、おい!

 それは、俺自身へのツッコミでもあった。間違いに気づかせようにも、行く手を阻むモブも連れて来てはいないのだ。

 もっとも、誰ひとりとして部外者であることを許されない修羅場の中では、マーカーはどこに置けなかっただろうが、それは自己弁護でしかない。

 山藤が自分で誤りに気付かない限り、シャント・コウによるリューナの救出は期待できなかった。

 ……こんな山奥に何があるっていうんだ!

 せいぜい、熊の住みかぐらいだ。

 とは言っても、そんなものは山里に住んでいる俺でも実際に見たことはない。この辺の小学校に通っていた頃、「近くに熊が出没してるから気を付けろ」という有線放送が聞こえたことはあったが、その時は「気をつけたってどうなるもんでもないだろう」と腹の中で悪態をついていた覚えがある。 

 だが山藤には、気をつけてもらわないと命に関わる。打つ手がないのにイライラしながら画面を眺めていると、暗い影が画面の中をよぎった。

 ……何だ?

 二度、三度と飛び過ぎるそいつのぼんやりした影が、CG処理で形を取る。

 それは、大きなコウモリだった。

 俺の頭の中で、真っ先に閃いた名前があった。

 ……ヴォクス?

 吸血鬼は、コウモリに変身できるはずだ。だが、ヴォクス男爵はシャント…山藤に恨みはあっても、ここまで殺しにこなければならない理由がない。用があるのはリューナのほうだ。

 だが、彼女を狙うなら、方角が違う。そもそも、そんな場合でもなかった。

 ……こんなときに襲ってくるか?

 僭王の使いの率いる兵士たちがどれほどの脅威になるかは見当もつかないが、リューナの血を吸うためにわざわざ蹴散らしに来るとも思えなかった。

 いずれにせよ、そんな詮索をしている場合ではない。このコウモリがヴォクス男爵でないのを祈るしかなかった。

《うわああああ!》

 フキダシ付きでシャント…山藤が絶叫する。やっぱりかと思った瞬間、画面が一瞬だけホワイトアウトした。

「山藤!」

 思わず叫んだところで、階下のオフクロが俺を呼んだ。

「誰か来たの? こんな雪の中を」

 聞きはするが、絶対に動きはしないのは分かっている。だいたい、やましいことはしていない。

「電話だよ!」

「そろそろ夕ご飯だからね!」

 もう、そんな時間なのだった。考えてみれば、昼から夕方までじっとスマホばかり見ているのだから、これほど不健康なことはない。だが、その画面の中で起こっていることは放っておけなかった。

 もっとも、俺にはどうすることもできない状況だが。

 しかし、画面が再び薄暗くなってCGが映し出したシャント…山藤の姿は、別の意味でどうすることもできないものだった。

 真っ二つになったコウモリを後にして、シャントが来た道をよろよろと歩きだしたのである。あの閃光は、コウモリを切り裂くグェイブの一閃だったのだ。

 自分で危機を乗り越えたところに、試練も含めて、何を与えてやる必要もない。村はずれの壁まで行くのに気付かないかもしれないが、少なくとも村の中まではたどりつくだろう。他に行くところもないのだ。

 それを追う俺に、沙羅からのメッセージが届いた。

〔山藤君は?〕

〔やっと気付いた〕 

 言葉が足りないのは百も承知だった。それまで道に迷っていたという事情を知らない相手に返す言葉ではない。それほどまでに山藤を追うのに必死だったのだが、沙羅にしてみればそんな苦労は知る由もない。

〔なんとかして〕

〔無茶言うな〕

 毒づいた俺に、怒りの一言が浴びせられた。

〔こっちも大変なの!〕

 慌てて画面を村全体のマップに広げて、視点をシャント…山藤から離した。村はずれの壁の辺りを拡大する。

 その内側では、いつの間にか準備されていた松明が、村人たちの顔を濃い夕闇の中で照らしていた。男も女も、老人から子供に至るまで、みんなぐったりと疲れ切った様子で地面にうずくまっている。その目はどれも虚ろだったが、見ているところは同じだった。

 壁の上である。たぶん、最後通告はここに立った者が伝えるのだろう。

 誰かがつぶやいた。

《死んだモンが助けに来るわけがねえ》

 自分たちを、と言いたかったのか、リューナが、と言いたかったのか、それは分からない。

 ただ、その言葉を受けたかのように、村人たちのまなざしを一身に受け止めて現れた者がいた。

 昼間に僭王の使いからの言葉を伝えた、兵士たちの隊長らしき男である。

 夕暮れの残光が消えた暗い夜空の下で、そのよく通る声が更に苛烈な宣告を新たに伝えた。

《日は沈んだ。約定に従い、我々の手で逆賊を弑する》

 俺の背中を冷たいものが駆け抜けた。

 ……来る!

 訓練された戦闘集団の前に、初めて包丁を持った素人が勝てるわけがない。

 戦慄に身体が震えた時、階下からオフクロの声が聞こえた。

「夕ご飯先に食べる?」

 オヤジの帰りが遅いらしい。異世界で今にも始まりそうな修羅場と比べれば、現実世界の日常はあまりに呑気だった。

 ……緊張感が。

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