第16話 異世界美少女への守護天使的対抗チート

 一晩経った曇り空の朝、除雪された後の道は家から学校までパリパリに凍りついていた。もっとも、バスに乗っている間は確かめようがないが、道行く人が足を滑らせたり、降りた自転車を慎重に押していくのを見れば見当がつく。

 眠い目で再び眺めたスマホの中では、村長むらおさらしい老人が、ベッドの中のシャント・コウに丁重な頼み事をしているところだった。

《リューナが申しますには、夕べの吸血鬼めを追い払ってくださったとか》

 あの少女のことを言っているようだ。

 シャントは起きているのだが、返事をしない。言葉が通じないのだから当然だ。だが、村長はなおも低姿勢で尋ねた。

《どのように追い払ったか、お聞かせ願いますまいかのう》

 ベッドにすがりつかんばかりにして哀願する老人だったが、何を言われているのかわからないシャントは横になったまま、相手をじっと見つめているばかりだった。

 この老人にしてみれば、どこの馬の骨とも知れない奴隷風情にコケにされたことになる。吸血鬼退治の秘力を持つ者として、夕べのうちに個室を与えてやったのに、その相手にナメられて逆上するのも無理はない。シャントをベッドから引きずり出して、馬乗りになるや胸倉を掴んだ。

《このガキめが、こっちが下手に出ればいい気になりおって!》

 シャントがじたばたもがいているうちに、老人がむせかえった。察するに、ニンニク臭の強いゲップをもろにくらったのだろう。

 昨夜、吸血鬼は隣の檻の犠牲者に再び襲いかかった。シャントは見事、ニンニク臭でこれを撃退して少女リューナを守ったのだ。

 手間暇かけて渡したものを使いこなしてくれるかどうか確かめるのには、一晩かかった。布団の中で寝ては起き、寝ては起きしてスマホの画面を眺めるのは、なかなかに不健康なことだということは今、身体で思い知った。

 眠くて仕方がないが、そこはぐっとこらえてスマホの画面を見つめる。傍目から見れば、マナーの悪いそこらの高校生に見えるだろう。

 CG処理された異世界では、やがて部屋の中に入ってきた何人かの村の男が、シャントの首っ玉を掴んで離さない老人を抱き起こしていた。

 吸血鬼がなぜ逃げたのかは、俺でも分かるくらいだからファンタジー系オタクの山藤つまりシャント・コウが気づかないはずがない。問題は、言葉が通じないことだ。そもそも、こいつは何を聞かれたのかさえ分かっていない。

 やがて、シャントはふらふら立ち上がった。

 因みに、ステータスはこうだ。


 生命力…5

 精神力…4

 身体…4

 賢さ…7

 頑丈さ…5

 身軽さ…4

 格好よさ…3

 辛抱強さ…3

 階級…謎のよそ者


 だいぶ回復したのはいいが、何だよ「謎のよそ者」って。

 胡散臭さ全開だろ。気味悪がられても仕方がない。

 何かの弾みでリンチに掛けられる危険性は、奴隷よりも高いかもしれない。

 このピンチに、シャント・コウこと山藤はいったい何を始める気かと思いきや。

 ふしぎなおどりをおどった!

 ……お前がRPGのモンスターやってどうする!

 思わず腹の中でツッコんだが、それはいわゆる「ガラス・マイム」という奴だった。文化祭の練習の合間に、演劇部の生徒がクラス全員の前でやってみせたことがある。シャント……山藤も当時は非協力的に見えたが、ちゃんと見ていたらしい。

 どうやら、表現しようとしているのもガラスではなく、牢を仕切っていた柵のようだった。「柵」に掌で「触り」ながらしゃがんだシャントは、今度はうずくまってみせる。男たちのひとりが怪訝そうに動きを真似ているのは、そのジェスチャーが何を意味するのか理解しようとしているからだろう。

 やがて、「柵」を越えたシャントは、横たわるリューナを襲う吸血鬼の姿勢を取ってみせると、元の位置に戻って叫んだ。

《やめろ!》

 実際は息も絶え絶えだったのだが、そんなことまで再現しても仕方がない。要は、このときの息がニンニク臭かったのが伝わればいいのだ。

 あくまでも伝われば、の話だ。

 俺はこのポーズの瞬間、誤解を招くんじゃないかと思った。実際、老人は怒りに震えてシャントを横っ面から蹴転がしたのだが、これは無理もない。

 シャントのメッセージは、こう伝わったのだ。

《教えてほしかったら、あの娘を抱かせろ》

 男たちが止めて連れ出さなかったら、老人は吸血鬼に襲われた娘の純潔というよりも村長の誇りを賭けて山藤……シャント・コウを叩きのめしたことだろう。

 そんなことにはならなかったが、結果は同じことだった。

 シャント・コウは呆然と目を開けたまま、その場に横たわっている。涙こそ流してはいなかったが、その顔はいわゆるベソをかいて、完全にやる気をなくしていたた。

 無理もない。

 名も知らぬ女の子を助けたのに、それを説明できないばかりか吸血鬼に代わって手を出そうとする要注意のスケベ野郎だと思われてしまったのだから。

 シャントの心が折れてしまったのを見て、俺も万事休すかと思った。

 だが、そこで部屋の扉が開いて、もう一人の要注意人物が顔をのぞかせた。俺にとっては、まさに助け舟と言えた。

 シャントの食事をトレイに載せてやって来たのは、吸血鬼の犠牲者となった娘のリューナだったのだ。

 俺はとっさに、リューナを連れてきたらしい扉の奥の人影をタップした。

 扉はすぐに閉まったが、俺の視点はもうその向こうに移っている。シャント・コウ……山藤に声をかけることなく、やる気にさせる方法はひとつだけあった。

  

 バスターミナルに降り立つ人は昔ながらの石油ストーブの周りに集まって手を擦り合わせるが、高校へのバスは接続が早いので、すぐやってくる。本当は渓流のかなり川上まで乗っていくことができるバスをすぐ近くの高校で降りると、足下に除けられた雪はもう、粒の荒いザラメ雪になっていた。

 この寒いのに、クラスの連中は朝礼の30分前にはきちんと席についていた。中には所用で教室を出ていく者もあるが、すぐに戻ってくる。他のクラスの生徒もちょくちょく顔を出すが、席についた話し相手の素っ気なさに、さっさと出ていってしまう。

 そうした連中がチラチラと眺めていくのは、窓際から雪を残した山々を見ている綾見沙羅だった。一見、美少女だから目を引くのは当然だが、なかなか声をかけづらいらしい。

 やがて、朝礼5分前の予鈴が鳴ると他クラスの連中はいなくなる。そこで、沙羅はようやく俺の席へと歩み寄ってきた。

「やってくれるじゃない」

 抗議にも聞こえる言葉に、俺は動じることなどなかった。

「お前もな」

 対抗するつもりで沙羅の顔を見上げると、楽しそうに微笑している。俺の読みは、当たっていたということだ。

「あ、分かっちゃった?」

 沙羅は俺の前に、スカートの裾から白い膝を晒してしゃがみこんだ。澄んだ無邪気な眼でまっすぐに見つめられると、つい口ごもってしまう。

「だからさ、お前、その……あのリューナって娘を」

 言葉を選んでいるうちに、チャイムが鳴ってしまった。沙羅は立ち上がると、思わせぶりに背を向けた。

「想像に任せるわ……そこはおあいこだし」

 

 リューナがあんなに都合よくやってくるはずがない。彼女を放ったのは沙羅だ。たぶん、シャントを立ち直らせるためだろう。俺は1時間目が終わるとすぐ、窓際の転校生に歩み寄った。

 俺が何か言う前に、沙羅が口を開いた。

「私、好きよ、ああいうの。ちょっと反則気味チートだけど」

 最初の一言で、教室の外から覗きこんできた他クラスの生徒がいたような気がするが、気にしないことにした。没収の危険を避けるためにスマホを出さないでいる以上、対戦者が何をしたのかは口頭で情報交換しておきたかった。

「直接、情報を与えなけりゃいいって話だったんでな」

 俺の取った手段はこうだ。

 タップして動かすことができたのは、リューナを連れてきた田舎の農夫っぽい中年の女だった。その手を拡大してトレイに伸ばすと、リューナはそれを素直に渡してくれた。

 トレイにはパンとスープ、水の入った木のコップが置いてあった。スープをすくうスプーンがないわけではなかったが、これも木製だった。俺は仕方なく、野良仕事で膨れ上がったらしい指を動かして、爪でトレイに書いた。

〈隣をよく見なさい、そこにあなたの味方がいる〉

 隣といっても、馬小屋の牢の隣だ。もしかすると元の場所に戻されるかもしれないし、そうでなくても、ちょっと考えれば「隣人」といえるのはリューナしかいないことは見当がつくはずだ。

 言葉も通じない、信用もないという完全敵地アウェーの真っ只中で、ファンタジーRPGオタク山藤がシャント・コウとして味方にできるのは、吸血鬼の犠牲となったリューナしかいない。自分の意思で動くために必要な情報と言語と信頼を手に入れるには、彼女と関わることが最も確実な方法だった。

 沙羅も同じことを考えていたようだった。

「リューナに目を付けたのは正解ね」

 不敵な目つきで偉そうに講評するのを見下ろして、俺も冷ややかに言い放ってやった。

「やっぱりお前もか」

 その俺をたしなめるように、沙羅は言う。

「ヒーローにはヒロインがいなくっちゃ」

「これはドラマじゃない」

 これには、ちょっと腹が立った。シャント……山藤は別に友達というわけじゃないが、まるで彼の人生がゲームにして弄ばれているように見えたのだ。

 だが、沙羅は大真面目だった。

「そうじゃないと、この世界を動かしてもらえないもの」

「モブじゃだめなのか?」

 実際、沙羅が動かしているのはモブだ。だが、返ってきた答えは面倒臭そうだった。

「普通の人たちが暮らしていくには、世界を動かすヒーローが必要なの」

「でも現実は」

 俺たちが今、使っているのはダウンロードされたゲームアプリだ。それでも、その中に生きている人にとっては現実だ。

 沙羅は、問いかけた俺を真っ向から見つめてきた。

「世界を動かしてる実感、ある?」

 そう聞かれると、話が大きすぎて俺には答えられない。仕方なく、自分でそらした話題を強引に元の軌道へ戻した。

「で、どうやったんだ?」

「シャントが部屋に運ばれたとこから、ずっとモブを追ってたの」

「そんなこともできるのか」

 確かに、最初に教わった操作ではモブからも部へと動作をリレーしていた。しかし、モニターまでできるとは。沙羅はイライラとこめかみを掻いた。

「教えてないけど、そこは応用してよ」

 俺は、出来事のつじつまを合わせようと答えをせっついた。

「リューナは一晩中、どうしてたんだ?」

「隣の部屋に監禁されてた」

 沙羅の答えはどんどん投げやりになっていく。そんなことぐらい自分で見ておけ、と言わんばかりだ。

「馬小屋に隔離してたのに?」

「シャントはもう、吸血鬼退治の切り札よ」

 俺に指をつきつけて、そのパートナーとなった沙羅は自信たっぷりに言う。そこで、事情は納得できた。

「目につくところに2人ともまとめとくわけか」

「リューナも、守りやすいようにシャントの近くに連れて来なくちゃね」

 沙羅が補足したところで、ようやく最初の質問に戻ることができた。

「で、どうやってリューナを連れてきたんだ?」

「食事のトレイを受け取ったモブを、彼女の部屋の前で立たせてたの」

 答えは単純だったが、それにどんな意味があるのかは分からなかった。

「何で?」

 聞いてみれば、その根拠は随分といい加減だった。

「ほかのモブが交代でよこされても片っ端から止めてれば、いずれ運ぶのはリューナひとりしかいなくなると思ったのよ」

 魂のないクラスメイトたちが、それぞれの席で背筋を伸ばす。最初は不気味にも感じたが、もう慣れた。教科担当の中にも、それをいいことにチャイムが鳴る前に入ってきて悠々と出席簿を確認する教員が見られるようになった。

 この時間の女性教員も例に漏れなかった。教壇から教室全体を一息に見渡すと、まだ席に戻っていない俺に目を留めた。

「綾見さんが気になるかもしれないけど、節度は守ってね、八十島君」

 これが今までなら、教室が爆笑の渦に包まれただろう。

 誰ひとりとして含み笑いもしない静寂の中で俺が慌てて着席すると、沙羅はこの冗談を営業スマイルで軽く流した。

「それセクハラ寸前ですよ、先生?」

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