第15話 見守ってよ守護天使

 扉がバタンと閉まってから、僕は急に現代並みになった朝食を口に運びながら考えた。 

 結果的に彼女を救ったから、僕は馬小屋からこの部屋に移されたんだろうけど、じゃあ、あの老人が襲いかかってきたのはどうしてだ?

 そこで僕が思い出したのは、さっき話しかけられても返事ができなかったことだ。もしかすると、老人は吸血鬼を撃退した方法を聞きたかったんじゃないか? 彼女が吸血鬼の犠牲になっているのを考えると、父親かお爺さんなのかもしれない。

 だけど、それが分かったからといって、何ができるわけでもない。

 そもそも言葉が通じないんでは、どうして吸血鬼を撃退できたのか教えることはできない。身振り手振りだって通じやしないのだ。

 すると、あの少女を守れるのは僕しかいないことになる。たぶん、この異世界で吸血鬼の弱点を知っているのは僕だけなのだ。

 ……結構、可愛かったな。

 パンを半分分けてくれた優しさを思い出した。さっき耳元で何か囁いた、あの温かい息の感触が蘇る。

 やってやろうじゃないか、と思ったとき、ひとつの壁にぶち当たった。

 今は吸血鬼を追い払う方法を知るためにおだてられているが、このまま言葉が伝わらなかったら、秘密を隠していると思われてどんな目に遭わされるか分からない。この辺りからニンニクを手に入れてくるにしても、人に頼む方法がないのだ。

 だからといって勝手に持ってくれば、野菜泥棒だ。下手をすると吸血鬼の手下扱いされて、リンチに掛けられたり殺されたりするかもしれない。

 絶体絶命だ。あの女の子を助けてやるどころか、自分の身も危ない。ここでは、安っぽいヒーロー願望は破滅をもたらすということだ。

 僕は大人しく、ベッドに戻って寝ることにした。皿の乗ったトレイを扉の外に出そうと思ってドアノブを引いたが、動かない。カギがかかっているようだった。

 とりあえず、扉から一歩入ったあたりにトレイを置く。そのとき、僕は食器と食器の間に書かれた文字に釘付けになった。

 〈隣をよく見なさい、そこにあなたの味方がいる〉


 日本語……! あの子は、日本語が書けるということなのか? 

 僕は叫びながらドアを叩いた。

「開けろ! 開けろ!」

 ドアはすぐに開いた。そこにいるのはあの子と思ったが、現れたのは例のむさい男のひとりだった。

 男は顔をしかめながら何やら話しかけてきたが、無論、意味は分からない。だけど、別にそんなことはどうでもよかった。

「あの子を出してくれ!」

 こう叫べば、日本語の通じる相手に伝わるはずだ。きっと、あの少女がやって来るに違いない。

 でも、集まったのはあの男たちだけだった。

「そうじゃない、彼女だよ!」

 再び叫んだところで、ガヤガヤとお互い相談し合う男たちをかき分けるようにして、あの爺さんが現れた。今朝とは打って変わって、おどおどと僕の顔を見上げては何かを懇願する。でも、言葉が通じないんじゃ意味がない。

 僕は、名前も知らない彼女を呼んだ。

「来てよ! 話を聞いてほしいんだ!」

 やがて、男たちがびくっとして誰かに道を空けた。その先には、階段がある。するとここは2階なんだろう。

 爺さんは、その階段を上がってきた女の子につかつかと歩み寄ると、襟首を掴んで引きずってきた。

「待て! その子だ!」

 僕は食事のトレイを取って、扉の外に出ようとしたが、男たちに押しとどめられた。構うことはない。彼女に聞きたいことがあった。

「これ、君だよね? どうして、日本語を知ってるの? ここはどこ? どうして、君は吸血鬼に襲われたの?」

 女の子は僕の言葉に全く反応しなかった。それでいて、何やらゴチャゴチャ言ってる爺さんには、身振り手振りで何かを伝えようとしているようだった。

 ……え?

 やがて解放された彼女は、僕の手からトレイを受け取ると、階段を上がってきた女の人にそれを渡した。爺さんは女の子の手を取ると、扉の前から消える。そこには廊下があるようだった。

 すぐに、部屋の隣で扉が閉まる音がした。男のひとりが懐からカギを出して、そっちへ消えた。二言三言、爺さんの怒鳴り声が聞こえたかと思うと、錠のパチンという音がした。

 それと同時に僕の部屋の扉も閉まって、外で錠が下りる音がした。

 しばらく呆然としてから、全身の力がどっと抜けて、ガックリ座り込んだ。


 ……あの子じゃなかったっていうのか?

 それどころかあの子も、ジェスチャーを見る限りは、どうやら言葉そのものが話せないらしい。爺さんの話は通じているみたいだから、耳は聞こえるんだろう。それなのに、僕に反応しなかったってことは、言葉が通じなかったのだ。

 ……じゃあ、あの日本語を書いたのは誰だったんだろう。

 話が通じるという当てが外れたショックと疲れとで、もう考えるのも嫌だった。でも、ここにいる誰かが僕を見ていて、ヒントをくれているらしいというのは分かった。今、すがることができるのはこれしかない。

 僕は自信のない頭をフル回転させて、必死で考えた。

 彼女でもなく、あの爺さんでもなく、男たちでもない。すると、他の人を知らない僕がそれを詮索するのは時間の無駄だ。むしろ、その誰かとコミュニケーションを取った方がいい。

 ……あのトレイがまた来たら、メッセージを書けばいいんだ!

 いや、でも、それがまた同じ人に渡るとは限らない。試してみてもいいけど、リアクションは期待しないほうがよさそうだ。

 今、最優先しなくちゃいけないのは吸血鬼を撃退する方法を、他の人に伝えることだ。誰が味方なのか分からない以上、それは僕がやるしかない。

 ……じゃあ、まず、何を?

 そこで思い出したのは、あのトレイの文字だった。

 〈隣をよく見なさい、そこにあなたの味方がいる〉

 ……隣? 

 隣には、確かに部屋があるようだった。そこにいるのは、あの吸血鬼に襲われた少女だ。すると、僕の味方はあの少女ということになる。彼女と何らかの形でコミュニケーションを取って行動を起こせば、僕を見守る誰かにも伝わるはずだ。

 ……守護天使の思し召しってやつか。

 何でも、人には守護天使っていうのがついてるらしい。その人の未来に何が起こるかは全部知ってるんだけど、本人には教えてくれない。代わりに、何かするたびにヒントを出してくれるんだという。じゃあ、それに答えなくちゃいけない。

 僕は小さな行動を起こした。彼女の閉じ込められた部屋に向かって、壁を叩いたのだ。あまり大きな音は立てられないけど、辛抱強く続ければ、きっと気づくはずだ。

 どれほど叩きつづけただろうか。壁の向こうから、微かな音が聞こえてきた。  試しに壁を叩くのをやめてみた。向こうの音も止む。1回叩くと、音も1回返ってきた。2回叩くと、2回返ってくる。

 彼女が、僕のサインに気付いたのだ。

 背中から、重い荷物がすっと下りたような気がした。僕は夢中で壁にかじりつき、しばらくの間、彼女から帰ってくる音を待って拳を打ち付け続けた。


 そのうちに、ファンタジー系RPGの知識をフルに使って、ようやく頭の中で整理できたことがあった。

 僕が転生した夜、彼女は吸血鬼に襲われた。夜の馬小屋にいたのは、吸血鬼に襲われて隔離されていたからだ。夜の吸血鬼化を恐れて、離れたところに監禁しておこうとしたんだろう。最初の朝、彼女に気付かなかったのは、自分のことで精一杯で、隣の柵までは見ていなかったからだ。

 日が暮れるまでは目に付くところでこき使うかなんかして監視下に置いているんだろう。ということは、吸血鬼が昼間に現れないことは知られているんだ。

 僕は僕で、その彼女が吸血鬼に襲われた後に縛られて引きずられていくのを助けようとして、村の男たちの返り討ちに遭ったわけだ。その結果、やらされたのが昨日の奴隷労働だ。

 村外れで道をふさぐ壁を築くのに使う大きな石を運ばされたのを思い出して、僕は苦笑した。あの場所は小高い丘の間を掘り崩して作ったような道だったけど、そんなことしたって全く意味がないのだ。

 こいつら、吸血鬼が道を歩いてくるとでも思っているらしい。現に夕べはコウモリになってやってきて、日が暮れる頃から馬小屋に潜んでいたっていうのに……ということは、吸血鬼がニンニクを嫌うことも知らないんだろう。

 それで分かった。あの爺さんも男たちも、僕がどうやって吸血鬼を追い払ったのかを知りたかったのだ。

 彼女への扱いの乱暴さからすると、あの爺さんは村全体に責任をもつおさか何かだろう。吸血鬼撃退に困っていたところで、彼女から僕に助けられたと聞かされ、僕に方法を聞きに来たのだ。ところが、それに応じない僕に無視されたと思い込み、さらに、彼女に襲い掛かるようなポーズをしたものだから……。

 考えるのは、そこでやめにした。たぶん、あの爺さんは教える報酬に彼女をよこせと言われたと勘違いしたのだ。そこまで判断できれば十分だった。よく思い出せば清楚な感じの子だったから、僕がそんな目で見ていたと思われているのは嫌だった。

 でも、そんな気持ちとはうらはらに、耳元には彼女の吐息がくすぐったい感触となってよみがえる。

 ……ダメだ、ダメ! 僕は彼女を助けるヒーローになるんじゃないか!

 必死で理性を働かせたおかげだろうか、頭の中に、さっきとは別の考えが閃いた。

 まるで、推理アドベンチャーゲームでもやっているかのようだ。

 囁けるということは、言葉が話せるんだろう。声に出せないだけだ。それなのに、彼女は自覚できていない。つまり、言葉が出なくなったのは最近のことだ。もしかすると、吸血鬼に襲われたショックが原因じゃないのか?

 もっとも、当たっているかどうかは確かめようがないけど。

 それは置いといて、肝心なのはここだ。

 名前も知らない彼女を襲った吸血鬼の弱点を、この異世界で僕だけが知っている。

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