第14話 吸血鬼のニンニク嫌いをプレイヤーとなった僕だけが知っている

 生でも塊でもなんでもいい、とにかく食べられれば何でもよかった。嚙み砕いたニンニクを、涙が出そうな臭さと辛さが鼻と口の中に広がるのに耐えながら呑み下すと、食道がひりひり痛んで、胃の底が灼けた。

 こんな感じは、高校の近所で人気のラーメン屋に初めて入って、通ぶった注文をしたとき以来だ。

 肉マシマシ・野菜マシマシ・ニンニク油ガラメ。

 大盛りにした覚えのないラーメンの上に分厚いチャーシューが4枚と、丼1杯分ぐらいの炒めキャベツに茹でモヤシ、その上に刻んだニンニクを、具を炒めた中華鍋の底の油で絡めてぶっかける……。

 あの後きっかり24時間、僕の周りには家族も学校の生徒も半径1m以内には近寄ってこなかった。

 それでもいい! それでもいいからなんか食わせてくれ! 

 ……っていうか帰りたい。

 異世界に転生してチートなんかしなくていいから、五体満足で腹いっぱい食べて、ぐっすり眠りたい。

 転生するまで当たり前だったことが、実はものすごい幸福だったのだ。

 それに気づいて思わず涙ぐみながら、僕は放り込まれた「牢の床」で横になった。自分の腕を枕にして寝て初めて、藁クズのいい匂いに気づいた。朝は土がむき出しな上に馬糞で汚れていたのに、誰かが掃除してくれたのだ。

 昼間に散々殴ってくれたあの連中が、こんな奴隷のためにわざわざ手間をかけてくれるわけがない。

 ……すると、誰だろう?

 薄暗がりの中で、つくはずもない見当をつけようとあれこれ考えを巡らしていると、隣の牢から格子越しに突き出されている手がぼんやりと見えた。

 その中でも、はっきりと見えたものがある。

 手の中のパンだ。

 柵の向こうにいる女の子が分けてくれたパンに、僕は飛びついた。頭の中は暗がりの中でも真っ白で、ただ手に取った食べ物にかぶりつくことしか考えていなかっら。

 でも、受け取ったパンを実際に口に運んだ時、それがちぎったものではなく、まるまる1個あるのに気が付いた。

 ……分けてくれたんじゃない、くれたんだ。

 そのまま返そうかと思ったが、空腹で気を失いそうだった僕は、どうしてもパンを手放すことができなかった。

 いけないと思いながらも、パンを掴んだ僕の手は動かなかった。それは昼間の重労働で力尽きたわけじゃなくて、もらったパンを返したくなかったからに過ぎない。

 でも、オタクにだって最低限のモラルはある。僕は残った体力を振り絞って生理的欲求をねじ伏せ、柵の向こうへとパンを返そうとした。

 夏とはいえ、日が暮れる時は暮れる。その上、明かり取りの窓もないので、隣の牢にいるはずの少女の姿はよく見えない。でも、そんなことには構わないで、僕は手に持ったパンを格子の向こうへ突っ返した。

 手応えはなかった。目を凝らしてよく見ると、微かな光の中できれいな眼が見つめ返している。これは絶対に受け取らないなという気がして、手を引っ込めた。

 やせ我慢はやめた。

 僕はパンを半分だけ、隣の檻の中へ差し出した。闇の中で藁クズのがさがさいう音が聞こえて、何かを引きちぎる感触があった。手を引き戻してみると、パンは掴んだ辺りからなくなっている。そこでようやく気が楽になって、自分の取り分をむさぼり食うことができた。

 わずかな食べ物でも腹に収めると、安心と疲れとですぐ眠くなった。そのまま横になると、一気に意識が遠のく。夢も見ることなく、どのくらい時間が過ぎたのかも分からなくなった。

 それからどのくらい経っただろうか……僕は突然の悲鳴に目を覚ました。

 普通ならがばっと跳ね起きるところだが、そんな力はもう残ってない。寝返りを打つのが精一杯だ。叫び声のする方を横になったまま見てみたが、真っ暗で何も見えはしなかった。分かるのは、それが隣の牢から聞こえたということだ。

 ということは……。

 藁クズがガサガサと跳ね飛ばされる音が聞こえる。何を叫んでいるのかは分からないが、襲い掛かるものに抵抗しているのだということは見当がついた。

 眠気と疲れで痺れた頭の中に、昼間の男たちの姿がフラッシュバックする。僕を殴り倒し、炎天下の道で荷車に縛り付けた連中だ。腕が太いだけが取り柄で全く品がない。現実世界だったら絶対、そこらのヤンキーで終わる。

 そんな奴らが柵の向こうで彼女に何をしているか想像する前に、僕は全身の力を振り絞って「牢」を仕切る柵へと這っていた。

「手を放せ! その子に触るな!」

 格好良く叫びたかったが、そんな声は出ない。ただ、僕の心だけがそう言っている。やっと「牢」の端にたどり着いたときには、もう悲鳴は聞こえなかった。

 彼女が抵抗を止めたのだと察して、僕は木の格子にしがみついた。

 こんなにぐったり疲れ切った状態で、柵越しに何ができるわけでもない。そもそも最初から、僕なんかにそんな力はない。

 あるのは、気持ちだけだった。

 見ず知らずの、ただパンを半分くれただけの女の子だ。だけど、助けたい。この命に代えても!

「は……な……せ……! さ……わ……る……な……!」 

 僕がその思いを心の底から吐き出したとき、自分でも分かるくらいの凄まじい刺激臭が、暗闇の中を満たした。

 さっき球根1つまるまる貪り食った、ニンニクの臭いだった。

 命までも懸けようと心に決めても、できたことはこの程度だ。

 カッコ悪いと思う間もなく力尽きた僕の目と耳が最後に捉えたのは、慌てて開けられた扉から差し込むランタンの明かりの中で、キイキイと鳴きながら飛んでいく大きなコウモリの姿だった。


 どれほど気を失っていただろうか。いや、眠れたといったほうがいいかもしれない。

 眩しい朝日を感じて僕が目を覚ましたのは、柔らかいベッドの上だった。

 不思議な夢を見たと思って天井を眺めてみると、白いクロースが張られた僕の部屋とは全然違う。古い材木が縦横に渡された、シミの多い板天井だ。

 そういえば、ベッドの感触も違う。シーツはいつも使っているのよりも分厚くてゴワゴワしているし、マットもガサガサしている。たぶん、馬小屋に積んであったような藁クズが詰まっているんだろう。

 鉄の蝶番が軋むような音が聞こえたので、そちらを見てみると、木の板をいくつも細長い金属板で継ぎ合わせた扉を開けて小柄な老人が現れた。

 ベッドにとことこ歩み寄ると、もともと曲がっていた腰をさらに屈めてぼそぼそと話しかけてきた。もちろん、何を言ってるのかさっぱり理解できない。

 返事できないでいるのを無視だと思ったのか、老人は僕の腕を掴むと、ベッドから引きずり出した。そこで固い木の床の上で筋肉痛の身体を打ち付けて呻くと、今度は馬乗りになって、噛みつくように怒鳴りつけてくる。理解できない言葉で喚いているのは、まるで獣が吠えているようだ。

 もがいているうちに腹がゴロゴロ言いだしたかと思うと、ゲップが出た。老人がむせかえったのを見ると、夕べのニンニクがまだ臭っているだろう。だが、そんなことでは放してもらえそうになかった。

 この騒ぎを聞きつけたのか、やがて夕べの男たちが何人か部屋に入ってきて、老人を僕から引き剥がした。それでも意味不明の罵声は止まない。男たちも倒れたままの僕を取り囲んで、ものすごい形相で見下ろしている。

 もしかすると、夕べの女の子が何者かに襲われたことが原因だろうか? それなら濡れ衣だ。僕は何にもしていない。それどころか、柵の向こうで何もできないまま、気を失ってしまったのだから。

 誤解なら、無実を伝えなくちゃまずい。何もしていないときでさえ、あれだけ殴られたのだ。これで悪者扱いされたりした日には、リンチなんかじゃ済まないだろう。

 僕はようやくの思いでよろよろ立ち上がった。言葉は通じないが、仕草で何とか伝わるかもしれないと思ったのだ。これができなければ、もう身の潔白を明かす方法はない。

 まず、どこかで見たパントマイムの「壁」を真似てみた。僕の正面と脇に柵が立ててあった様子を伝えるためだ。

 男たちと老人は互いに顔を見合わせていたが、次第に僕の動作に注目し始めた。そこで、今度は脇にあった柵の前でうずくまっていたときの姿勢を再現する。男たちのひとりが同じようにうずくまったので、言いたいことはたぶん伝わったのだろうと思った。

 今度は柵の向こう側に行って呻きながら寝転がり、女の子が横たわる姿勢を表現する。その場で起き上がって少女にのしかかるポーズを取ると、元の場所に戻って「やめろ」と叫んだ。

 ……伝わったかどうか。

 老人と男たちの反応をうかがうと、その結果はすぐに分かった。

 僕は老人の一蹴りを横っ面に食らって床に転がり、男たちはそれぞれ老人たちをなだめながら部屋を出ていった。

 どうやら、誤解は解けなかったみたいだ。あの老人は、少女の家族か何かだろうか。それなら僕に掴みかかっても当然だが、男たちが結果的に僕を助けたのはなぜだろうか。

 床に寝転がったまま考えていると、再び扉が開く音がした。

 さっきの誰かが戻ってきたのかと縮み上がったところで、入ってきたのはさっきのようなむさくるしい男とは似ても似つかない少女だった。

 髪の毛はぼさぼさに乱れてはいるが、窓から差し込む夏の朝日を受けて金色に輝いている。だが、ところどころ継ぎはぎされたボロボロのシャツからのぞく細い腕はまだらに日焼けしていた。長いスカートからは、白い素足が見える。

 少女は僕のそばに、長方形の木のトレイに乗ったパンとスープ、水の入った木のコップを置いて行った。そのとき僕の耳元で優しい響きの声をかけていったが、やはり言葉が違うので何の話かは分からなかった。

 でも、その時気付いたことがある。

 食事を置くためにしゃがみこんだとき、首筋に点々と2つの傷口が見えたのだ。

 まだ部屋に充満しているニンニクの臭いが、僕にひとつの答えを与えてくれた。

 ……吸血鬼だ!

 この女の子は、吸血鬼の犠牲者として忌み嫌われ、馬小屋に監禁されていたんだろう。夜中に僕の口臭で逃げていったコウモリは、その姿で夕方から馬小屋に潜んでいた吸血鬼だ。

 部屋を出ていこうとした彼女を呼び止めようと思ったが、さっき言葉が伝わらなかったのに気付いてやめた。

 また何か誤解されて、この子にまで嫌われるのは嫌だった。

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