第13話  ……に行くのはまだ早いよ! 守護天使くん!

 俺が安堵の息をつくと、拝殿の前に佇んでいた沙羅がしずしずと歩み寄ってきて、畏まった口調で告げた。

「イエローカード」

 みー、と突然おどけてホイッスルを真似てみせるのを、俺は遮った。

「話しかけてないぞ」

 プレイヤーへの情報提供は反則という合意はしたが、手を貸してはいけないと言われた覚えはない。だいたい、あれを見過ごしてはいけないというのなら、沙羅がゲームを降りればいいのだ。彼女の前世の王国がどうなろうと、俺の知ったことではない。

 だが、沙羅が非難したポイントはそこではなかった。

「モブがメイン張ってどうするのよ」

 その理屈は分からないでもないが、見境際をはっきりしてもらわないことには平穏無事にゲームを終わらせることができない。

 沙羅がアプリを通じて前世の王国を治め、俺が異世界に転生したクラス全員を連れ戻すこと……それこそが、俺を心安らかに眠らせてくれるのだ。

 誰ひとりとして、傷ついてはいけない。

「じゃあ、どこまでがモブか教えてくれよ」

 俺の真面目な問いに、沙羅は一言で答えた。

「メインキャラに関わらない者」

「あの殴った方の男は?」

 殴るというのは、関わるということだ。

「その場面ではメインの一人ね」

「じゃあ、俺は?」

 シャントを助けた時点で、俺も関わったことになる。

 沙羅は、一言ひとこと句切るように説明した。

「その場面ではメインだから、他のモブを動かすの……さっきみたいに」

 さっき……?

 少しばかり戸惑ったが、思い当たることがあった。

「あの声か?」

「そう」

 沙羅の得意げな顔は、「これがフェアプレーよ」と言わんばかりだ。

「私は私のモブで外に出て、やって来た荷車の前で手を振っただけ。それを見た他のモブが、馬小屋の中のモブを呼んだの」

「じゃあ、何で荷車が来るのを知ってたんだ?」

 どうも物事の運びが都合よすぎると思ったが、沙羅の話はそれなりに筋道が通っていた。

「前の晩に、モブたちの会話を聞いてたから」

 つまり、自分で拾った情報をもとに、モブを動かして万事丸く収めればいいのだ。

 沙羅は俺のすぐ脇を通り過ぎて、神社の境内を出ていく。その後をついて行かざるを得ないのは、それこそ下僕になったようで情けない気がした。

 再び川沿いの道を歩くと、やがて町の中心部へと向かう橋の前に出た。ここを渡れば、古い町家が軒を連ねる街並みを歩くことになる。

 道なりに行けば、昭和や大正、下手をすると創業が明治維新にまでさかのぼる古い旅館や料亭の並ぶ細い道を通って、バスターミナルまで行くことができる。

 橋のたもとに立って、沙羅は俺に告げた。

「私ん家、こっちなんだけど」

「そうか」

 俺はバスターミナルへと歩き出した。

「ちょっと! 送ってくれるって言ったじゃない」

 沙羅が追いすがってくるのを、俺は突っぱねた。

「言ってない」

 送ってくれないかとは言われたが、承諾した覚えはない。

「……分かった」

 間を置いた割には楽しそうに返事して、沙羅は橋を渡っていった。川が流れていく先から差す低い夕日が、背筋をまっすぐ伸ばして歩くコート姿の少女を横から照らす。それに思わず見入ってしまったのは、やはりお姫様が生まれ持つ気品という奴のせいだろうか。

 そんなに長くない橋の途中で、沙羅は振り向いた。

「ニンニク!」

「……はあ?」

 沙羅だけでなく、自分の声が大きいのにも気づいてうろたえた。周りを見渡したが、幸い、人はいない。慌てて橋の上まで駆け寄った。

「何の話だよ、やめろ」

「ごめん、言い忘れてた」

 用件を小声で囁く。

「馬小屋の外壁に、ニンニク吊るしといたの」

「……だから?」

 人を呼びつけておいて、沙羅は話がよく見えない俺の疑問には何一つ答えず、橋の向こうへと駆け去ってしまった。

 呼び止める気も失せて踵を返したとき、川の流れてくる奥に見える山々の急斜面が冬の西日に照らされて、冷たい真紅に染まっているのが見えた。


 築30年くらいの古いバスターミナルで、俺はところどころ塗装の剥げたベンチに座ってスマホを出した。

 画面の中は、強い西日が照りつける夏の夕暮れのようだった。

 荷車に縛りつけられた両手を解放されたシャントが、今度は手枷をはめられて馬小屋へと引かれていくところだった。

 シャントは疲れ切って口を開くこともできないが、周りのモブたちはよくしゃべった。

《働かねえな、こいつ》

《朝はちゃんと食わせたのにな》

《いや、食わせてねえぞ》

《この働きじゃ夕飯だって勿体ねえ》

 どうやら、山藤は今夜、何も食わせてもらえないらしい。

 俺はとっさに、最後にしゃべったモブをタップした。その腕を、馬小屋の壁へとドラッグする。そこには、ニンニクが一株干してあった。

 モブのひとりが、俺の動きに反応した。

《じゃあ、それ食わしとけ》

 なるほど……こういうことか。

 沙羅の言ったことにようやく納得が行った俺は、スマホの画面を眺めてバスを待った。

 ステータスを確認する。


 生命力…1

 精神力…1

 身体…1

 賢さ…3

 頑丈さ…1

 身軽さ…1

 格好よさ…1

 辛抱強さ…1

 階級…何者でもない


 意識だけがなんとか働いている状態なんだろう。

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