第12話 守護天使くん、転生した姫君の仮住まい……

 除雪されてじっとりと濡れた車道は、夕暮れを前に冷たい風を歩道までも送って来た。昨日の夕方から今日の未明にかけて降り積もった雪は、いかに日中が晴天だったからといってもそうそう解けるものではなく、車道でも歩道でも脇に寄せられたまま残っていた。

 冬の夕方は、陽が沈む前の淡い光に満ちている。

 肩をすくめた紺色のコートの背中では、複雑に編み込んだ髪の房が揺れている。その正面では、沙羅が高い襟を寒そうに掻き寄せていることだろう。

「並んで歩いてくれなくちゃ」

 不満げな声が聞こえてくる。俺は沙羅の数歩後ろを歩きながら答えた。

「俺はこっち帰るだけなんだから別に」

 高校から町中のバスターミナルまでは、歩いて20分はかかる。だが、わざわざ次のバスを待つよりは早い。たまたま沙羅の家が、その通り道にあったというだけのことだ。

 沙羅はちらりと振り向いた。

「スマホ見ながらじゃないと」

 仕方なく、俺はその隣についた。

「歩きスマホは……」

 危険だからやめろと学校でもしつこく注意されてはいるが、異世界の時間は現実とは違う流れて進んでいるらしい。夕べ、というか、たぶんこの日中の休み時間も含めて、山藤……シャント・コウに何があったのかは知りたいところだ。

 再び鼻先に沙羅のスマホ画面をつきつけられて、足がもつれる。転びそうになって慌てた俺には、そこで何が起こっているのか見る余裕などなかった。

「だから危ないって」

「ちょっと大変なことになってるんだけど」

 画面を眺めてみると、さっきの牢の中でシャント・コウが柵の向こうの男たちと罵り合っていた。

《出せ! この縄ほどけ!》

 汚い床に転がったまま喚き散らすシャントの言葉が、吹き出しに現れる。

 柵の外で男のひとりが何を怒鳴っているのかも、色違いの吹き出しで分かった。

《やかましい! 朝メシやらねえぞ!》

《ほどけ! ほどけ! 助けてくれ!》

 全く会話が成り立っていない……そこで、ふと気づいて沙羅に尋ねてみた。

「何語でしゃべってるんだ?」

「さあ……」

 少なくとも一方は自分の生まれ故郷の言葉でしゃべっているにもかかわらず、沙羅は他人事のように言った。ゲームの内容とは関係ないが、今度はそっちが気になった。

「転生前の言葉、覚えてないのか?」

 ふふん、と結構あるブレザーの胸を反らした沙羅は、自慢げに答えた。

「ちゃんと分かるわ。だから、いつ帰っても大丈夫」

「……帰れるのか?」

 それならさっさとそうしてほしい。これ以上、この世界の人間を巻き込まれてたまるか。 

 返事を待ってじっと見つめていると、沙羅は急に寂しげな声を漏らした。

「さあ……今のところ、どうやったら帰れるのか分からないし」

「自分で転生すりゃあいいだろ」

 考えてみれば、ゲームアプリなんか使わなくても、沙羅自身がプレイヤーになって異世界の国を治めればいいのだ。この世界の綾見沙羅という人物が魂の抜け殻になっても、誰も困りはしないだろう。クラスの連中をそうする前に、同じことを自分がやるべきだったのだ。

 沙羅は答えられないようだった。しばしの沈黙が続き、俺たちはその間に片側2車線の広い車道を離れて、街を貫いて流れる渓流を狭い街道の向こうに眺めながら歩いた。瀬を噛む逆波は、凍りついたかのように白い。身体の芯から冷えてくる光景を、沙羅もまた見つめていた。

 やがて、冬の冷たいせせらぎの中に微かなつぶやきが聞こえた。

「私のアプリは、ログインしか要求してこなかったから」

 返す言葉がなかった。帰りたくても帰れない沙羅には、残酷なことを聞いてしまったらしい。

 その顔をまともに見られないでいると、急に俺の腕が、横から肘でつつかれた。

「何だよ」

 いけないと思いながらも邪険に聞くと、沙羅は急に俺の前を横切った。その先には、道を挟んで川に向かって建つ神社の石鳥居がある。

 何百年も前に植えられたらしい杉の大木に囲まれた境内には、屋根に雪を積もらせた拝殿がある。その前で追いすがると、沙羅は苦笑しながら自分のスマホ画面を指差した。

「なんとかしてあげたら?」

 俺はスマホを取りだして、電源を入れた。アプリを起動してみると、シャント・コウこと山藤が、手足を縛られたまま胸倉をつかまれて、頭やら腹やらを散々に殴られている。

 無抵抗の者に一方的な暴力をふるうヤツへの怒りと共に、どうしていいか分からない狼狽で、頭が一瞬だけ真っ白になった。俺は指先ひとつの動きに、しばしのためらいを覚えていた。

 沙羅が苛立たしげに急かす。

「モブキャラを動かすの!」

 慌てて、何人かの男たちから1人を選ぶ。小さな逆三角錐のマーカーを頭上でくるくる回す男を、牢の中へとドラッグする。

 シャントを殴る手を止めた男が、俺の動かすモブを睨んだ。

《何だよ!》

 返答するコマンドはない。俺はモブの腕をタップして、二人を引き離す。突き飛ばされた形になったシャントはふらふらと、部屋の隅に積まれた藁クズに倒れ込んだ。

「よくできました」

 沙羅は手を叩くが、画面の中の事態は何一つ好転していない。なおも男は、シャントの襟を掴み上げようとする。これ以上殴られたら、シャント……山藤は死んでしまうかもしれない。本当はゲームがリセットされるだけだということが頭では分かっていても、目の前でサンドバッグにされている顔見知りを放っては置けなかった。

 俺はなおもモブを動かす。シャントに近づいて助け上げようとすると、馬小屋の戸が突然開いた。牢の外にいた男のうち、1人が馬小屋から出て様子を見に行った。

《荷車が来たぞ!》

 戸の外から吹き出しが出ると、シャントは襟首を掴まれたまま馬小屋の外へと引きずられていった。

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