第11話 対戦者・守護天使姫の介入

 開き直って腹をくくったとはいえ、シャント・コウ……山藤のことを心配していないわけではなかった。帰宅してからも、道端でいわゆるカツアゲに遭っている知りあいを見て見ぬふりして通り過ぎたような、嫌な気分で一晩中過ごした。

 そんな気持ちで寝ても睡眠は足りず、次の朝は鈍い頭痛を覚えながらふがふがと起きる羽目になる。自分の部屋の窓を開けてみると、朝早く出勤するサラリーマンが雪に長靴の足首まで埋めながらバス停へと歩いていた。

 この辺ではたいして珍しい積雪ではないが、バスが遅れるには充分だ。俺は父が出勤してからかなり待っていたらしい母に朝食を急かされながら、慌ただしく制服に着替えて家を出た。

 山々も田畑もすっぽりと覆いつくした雪が鈍い朝日に冷たく光る中、俺は30分も遅れてきたバスに悠々と乗り込んだ。高校のある町中のバスターミナルで延着証明を取れば、堂々と重役出勤できる。

 1時間目が始まってからのこのこ教室に入って来た俺を見とがめる者はいなかった。これが去年だったら「サボリだ」「不良だ」とヤジが飛んだところだが、今年は誰もが黙々と担任の授業を聴いている。別に、2年生の年末になって急に進路意識に目覚めたわけではなく、どいつもこいつも異世界転生で魂を抜かれて品行方正になっているにすぎない。

 窓から差し込む雪の照り返しの中、綾見沙羅が俺に向かって可愛く片目を閉じてみせたが、俺は知らん顔をしていた。一昨日だったらお調子者が大騒ぎを始めただろうが、俺と沙羅を除く39人が残らず授業を受ける機械と化している今では、担任が黒板に向かってチョークを振るいながら「延着証明」と請求の一言を告げるだけで済んだ。

 俺の望んだ、平凡で平穏な日常の究極がそこにあった。


 授業が終わると、沙羅は俺の席まで近寄ってきた。転校当日は一挙手一投足が注目を浴びていたのに、もはや誰も彼女を気にしてはいない。当然、急接近されている俺が男子のやっかみにさらされる心配もなかった。

「ねえ、何で夕べは何にもしなかったの?」

 知らない人が聞いたら誤解する。俺は反射的に辺りを見渡した。教室外に用事がある者を除いては、誰もが静かに自習に励んでいる。ときたま他クラスの生徒も教室に入ってくるが、話しかけた相手の当たり障りのない受け答えと素っ気なさに、怪訝そうな顔で出ていく。早めに転生を解かないと、このクラスの何名かは他クラスの友人をなくすことになるだろう。

 それはそれとして、沙羅のきわどい発言を聞きとがめた他クラスの生徒はいないようだった。廊下を通り過ぎる生徒も、ちらちらと彼女を眺めていく程度だ。いくら美少女とはいえ、教室が違うと、男子も女子も様子見ということになるのだろう。

 俺は周囲の無反応を確認してから、沙羅の顔も見ないで囁いた。

「声が大きい」

「誰も聞いてないわ」

 そう言うなり、俺の目の前に電源の入ったスマホを突き出す。画面の中では、闇の中でも何が起こっているか分かるよう画像処理された汚い馬小屋の中に、手足を縄で縛られたシャント・コウ……山藤が横たわっているのが見える。

 一晩何もできなかったから、こいつはこういう目に遭っているのだ。

「俺がそれ没収されたの知らないだろ」

「うん」

 半分は恨み節だったが、沙羅はそれを知ってか知らずか、幼い作り声で答えた。次の授業まで時間がないのと、悪びれもしない様子が腹立たしいのとで、俺は手短に、素っ気なく答えた。

「だから電源切れ。お前も没収されるぞ」

 沙羅はふふ、と笑って俺の肩を叩いた。

「心配してくれてありがとう」

「べつにそんなわけじゃ」

 みっともなくうろたえている自分が、誰に対してというわけでもなく恥ずかしかった。慌ててごまかすと、沙羅は高く昇り始めた太陽を反射した雪の光に包まれて席に戻っていった。

「そうなったら八十島君のターンよ」

「ターン?」

 逆光の中で、沙羅のすらりとした背中から返事が聞こえた。

「私のターンはもう終わったから」


 放課後、担任からスマホを返してもらってからバス停に立っていると、目の前に沙羅が立ちはだかった。

「逃げるとは卑怯なり」

 額を小突こうとするのをのけぞって避けると、露骨に不満気な顔をした。

「これ対戦ゲームなんだから」

「オンラインだから関係ないだろ」

 沙羅から目をそらして、ターミナル行きのバスがやってくる方向を見る。

「ちょっと八十島君」

 今度は、スマホの画面が視界を遮った。

 異世界のほうは朝になったらしく、山藤が転生したシャント・コウの姿が明るいところではっきりと見える。まだ手足は縄で縛られ、馬小屋を改造した木の檻に閉じ込められている。みずぼらしい衣服も含めてべたべた汚れているのは、たぶん馬糞にまみれているからだろう。ここまで来ると、ちょっと痛々しい。

 続いて、ステータスが表示される。


 生命力…1

 精神力…1

 身体…3

 賢さ…5

 頑丈さ…3

 身軽さ…2

 格好よさ…1

 辛抱強さ…1

 階級…何者でもない


 ……これ以上やったら死ぬんじゃないか、本当に。

 転校直後とはいえ、同級生ひとりを恐ろしい運命に追いやった美しい女子生徒の顔を、俺はまじまじと見つめた。

 その綾見沙羅が、屈託のない微笑を返してくる。

「どうかした?」

「どうもこうも、これはお前、過酷すぎるだろ」

 いかにプレイヤーが選んだ運命とはいえ、虐待にもほどがある。

 だが、俺の抗議はいとも簡単にスルーされた。

「ゲームの管理者に言ってよ」

「お前の世界だろ」

 沙羅は、ここから来たお姫様のはずだ。その無責任さを非難すると、急にちらちらと左右の様子をうかがいはじめる。やがて、片手を当てた口元を俺に近づけて、神妙な顔で囁いた。

「声が大きい」

 ……お前が言うかそれを。

 人に聞こえるような問題発言を繰り返してきた張本人に食ってかかりそうになった時、その背後をターミナル行きのバスが通り過ぎていった。

「あああああ!」

 誰もいないバス停に響きわたる俺の絶叫は、遠ざかっていくエンジン音と共に消えていった。

 肩をぽん、と叩いた沙羅は、呆然としている俺を慰めたつもりだったのだろう。歩きだすなり、誘いの言葉をかけてきた。

「家まで送ってくれない?」

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