第90話 俺を帰さない姫君のワガママ
3時間目が終わったところで、校内放送が入った。
「すべての先生方にご連絡いたします。至急、職員室にご集合ください」
授業を終えた教科担当が出席簿と教材を抱えていそいそと出ていくと、遠くのクラスからは歓声が聞こえた。
うちのクラスはというと、静かなものだ。
どいつもこいつも転生して魂を抜かれているし、沙羅は事情が呑み込めていない。
そこへすり寄るかのようにやってきたのは、沙羅の取り巻き連中だ。
軽薄が音波に返還されたかのようなハイトーンの声が耳に響く。ただでさえ耳障りなのに、それが数人分、ステレオだ。
「姫ひめ姫ヒメ~!」
沙羅の方は見ると、吹きすさぶ雪を映した窓を背に、群がってくる逆ハーレムの田舎男どもを営業スマイルで迎えている。
……確かに姫には違いないが。
沙羅が異世界の王女だということを、俺はすっかり忘れていた。転校してきたのは10日くらい前だが、幼い頃に起こった内乱を逃れて転生してきたのは、17年前らしい。
それまでの記憶を残したまま成長してきたのだというが、つい1時間ほど前、思い出に流した涙を隠そうと、雪で顔を洗っていたのも沙羅だ。
……さっきの涙は何だったんだよ。
腹の中で毒づきながらよく見れば、男どもへの作り笑顔の中でも、目だけは俺に助けを求めているような気がしないでもなかった。
……知らねえよ。
だいたい、彼氏でもなんでもない俺には男どもを止める権利はないし、そんな義理もない。俺は自分の机に突っ伏して、寝たふりをした。
それでも、会話はきっちり聞こえてくる。
「ねえねえねえ、休みだよこれ、絶対」
「どうして?」
ふふ、という微かな笑い声に、男どもはそんなに大したことでもない情報を、重大な機密でもあるかのようにひけらかす。
「全部の先生に放送入ったし」
「大雪で帰れっていう会議。たぶん、今」
「終礼終礼、もうすぐ」
知識の断片を口々に披露する連中に、沙羅は楽し気に言った。
「じゃあ、帰れるってこと?」
それにけしかけられるように、男どものテンションも上がった。
「そうそうそう」
「姫、家どこ?」
「送っていくよ」
「心配だし、こっち来たばっかりで」
話を聞く限りでは、こいつらは沙羅の自宅をまだ知らないようだった。沙羅はというと、この親切に聞こえる図々しい申し出を丁重に断った。
「ありがとう、気にしてくれて。私、大丈夫だから」
男どもが口々に溜息をつく。それは沙羅の上品な物言いへの感嘆とも、自宅を確かめられない失望とも取れた。
そこでやめておけばよかったのに、沙羅は余計なことを言う。
「帰り、八十島君も同じ道だから」
嫉妬の視線がグサグサ突き刺さるのを感じて、俺は即座に立ち上がって反論した。
「俺、バスだろバス!」
「こんな大雪で来るかな、時間通りに」
人を勝手に窮地に立たせておいて、更に追い込みをかけてくる。それは、こう命じているようにも聞こえた。
……「何があろうと供をなさい!」
もちろん、そういう態度を取られて唯々諾々と従う俺ではない。
……意地でもバスで帰ってやるからな。
睨みつける男どもを無視して腹の中でそう思った時、教室に担任が入ってきて冷ややかに宣告した
「終礼を始めます。君たち、速やかに教室に戻りなさい」
すでに担任が戻ってきている教室では、生徒の歓声を抑えようとする声が、困惑したような、また怒鳴りの響きを伴って聞こえてくる。
転生中の委員長が没個性的にかける起立・礼の号令の中、沙羅の取り巻き男どもはすごすごと出ていく。教室の中が落ち付くと、担任は大雪警報の発令と、学校の対応を事務的に告げた。
それによると、いくつかのバス路線が完全に止まってしまったらしい。担任はその終点の名前を次々に上げ、該当する生徒の挙手を求めた。
やがて数名が、次々に手を挙げていく。それを見て、俺は空しく思わないではいられなかった
……ここに本人はいないのに。
もう転生してしまっているのだから、残った身体が手を挙げても、それは音声センサーを搭載した機械が特定の声に反応しているのと同じだ。
一方で、転生を拒否した俺はというと、名前が最後に上がった。考え事をしていたせいで、返事が遅れた。
「は、はい!」
笑うものはない。担任は抑揚のない声でメモを読み上げた。
「ええ……代替バスが、周辺の施設から出ます。対象者は、次の時刻になったら、校門前バス停にて待つこと……以上」
担任が出ていくと、教室からは異世界に転生した連中が、無言のままぞろぞろと出ていった。俺も含めたバス待ちの数名だけが残される。そこへ、沙羅の取り巻き連中が戻ってきた。
「ねえ姫、何してんの?」
「早く帰らないと雪が」
「心配だから一緒に」
そんなことを言いながらも、ときどき牽制するかのように、俺の顔をじろじろ見る。知らん顔してやったが、沙羅には言ってやった。
「これから積もると帰れなくなるぞ」
沙羅は俺の顔を見ないで、取り巻きに返事した。
「だってさ」
こいつらも雪の中で暮らしてきたわけだから、俺の言う言葉の意味が分からないわけがない。男どもはぶつくさ言いながら、俺に一瞥をくれて出ていった。
そうなると、教室に残るのは俺を含むバス待ちの生徒を除いては沙羅だけである。俺は本気で心配して、沙羅に言った。
「帰れよ、冗談抜きで」
答えは笑顔で返ってきた。
「い・や」
この女が素直に聞くわけがない。だいたい、転校前はどこにいたのか知らないが、学校が休みになるほどの雪を経験したことがあるとも思えない。
地方のカルチャーギャップを埋めるために、俺は帰らないことのリスクを具体的に挙げてみせた。
「積もると足、抜けなくなるぞ」
だが、そこは沙羅だった。ああ言えばこう言う。
「じゃあ、みんな朝までそこに突っ立ってるの? 夜中に歩いたら」
「屁理屈言うな、小学生かお前は」
強引な理屈をたしなめたが、沙羅は引かない。
「じゃあ、大げさなこと言わないで」
やっぱり、信じてない。いかに沙羅が小憎たらしくても、女の子は女の子だ。心配してやるのが男ってもんだろう。
地道に、ひとつひとつ条件を詰めていくしかなかった。
「本当に歩きにくいんだよ」
「でも、帰れなくなるわけじゃないでしょ」
しょっぱなからコレだった。だが、窓の外は日没前のように暗い。怯むわけには行かなかった。
「道も渋滞するし」
「歩きなんだから関係ない」
「接触事故! 歩きにくいとこへ持ってきて、道が車で一杯!」
もう必死だった。というか、俺はもう意地になっていた。自分の危険を顧みない女の子のワガママに負けるわけにはいかない。
とにかく、さっさと帰らせたい一心だったが、沙羅は突然、微笑んだ。
「心配してくれてるんだ」
媚びても無駄だ。俺は男のプライドにかけて、思いっきり顔をしかめて言い切った。
「心配してやるんだから帰れ」
その時、閃いた。
……一緒に帰ってやればいいんじゃないか?
俺がバスにこだわらなければいいのである。
だが、それに気付いたとき、担任がやってきて淡々と告げた。
「予め自宅へ連絡を取りなさい、スマートフォンの利用は許可します」
まるでコンピューターでプログラムされた機械のように、異世界へ転生した連中はスマホを一斉に取り出した。口々に電話で親と話し始めたが、その様子はごく普通の高校生だった。
でも、なぜかやはり生気がないのが気になる。俺は見知った顔がひそひそ声でせわしなく話すのを見つめていたが、担任の声で我に返った。
「綾見沙羅さん、あなたは関係ありませんね。帰りなさい」
沙羅がスマホを制服の内ポケットにしまうところだった。どさくさに紛れて異世界の様子を見ようとしたらしい。そんな校則違反は担任が来る前か、去った後にやればいいのだが、それを敢えてやろうとするのが綾見沙羅という女だ。
俺は自分の電話をかけようとしたが、そのとき出したスマホの電源を入れると、映った画面は炎天下の道を歩くシャント・コウ…山藤耕哉だった。
俺は全身の力がどっと抜けるのを感じた。
……何で外にいるんだよ!
こいつは村長の家で、2階の一室に閉じこもっていなければならないはずだ。リューナはシャント…山藤の安全と引き換えに、生命と養育の恩人であるテヒブが死んだと認めることにしたのだ。
それを、先王の残党狩りをしに来た僭王の使者に告げる以上は、彼女を襲った吸血鬼ヴォクス男爵との戦いで失踪したテヒブを探したり、守ったりすることはできなくなる。その決意を示すためには、どうしてもシャント…山藤に、テヒブから受け継いだ魔法の武器であるグェイブを捨てさせなければならなかった。
それなのに、こいつはそのグェイブを意気揚々と担いでいる。
……分かってんのか、リューナがどんな思いだったか!
本来なら、村人たちはシャント…山藤にグェイブを使わせたくない。こいつはカギのかかる部屋に、手枷をはめて閉じ込められても仕方がないのだ。そうならなかったのは、自分の利用価値を知っているリューナによるぎりぎりの駆け引きの成果だ。
こいつは、それを全然分かっていない。シャント…山藤は、逃げないことを条件に、手足の自由を保障されたのだ。
……誰がけしかけた?
答えは1つしかない。電話をする気も失せて、俺は小声で沙羅に食ってかかった。
「お前何やった」
「何にもしてない」
真顔で囁くところを見ると、嘘はついていないようだ。沙羅が覗きこむスマホの画面では、シャントが水車小屋の前を歩いている。リューナの邪魔にはならないが、不可解な行動ではあった。そこで俺は一応、異世界転生の事情を知る唯一の相手に確認してみた。
「しかもこっち」
「反対じゃない? よく分かんないけど」
「リューナは、壁の方に行った」
「だから解放されたのね、山藤君」
手枷が外れた経緯を知らないはずの沙羅も、ようやく状況が呑み込めたようだった。
リューナを救出したいなら、こんなところにいるはずがない。シャント…山藤が何を考えているのかさっぱりわからなかったが、とにかく引き戻さないと後が厄介だった。
沙羅も同じことを考えていたようだった。
「これ、まずくない?」
言われるまでもなかった。
僭王の使者にテヒブの死を証言したら、リューナは用済みだ。シャントがいなくなったことで、村人たちがこんな小娘にナメた取引をさせられたと誤解したら、何をされるか分からない。
とりあえず、シャント…山藤は連れ戻す必要がある。こいつが異世界で苦労するのは勝手だが、俺としてはリューナを傷つけたくはなかった。
……急ごう。
だが、わざわざ担任の前でスマホを使って没収の憂き目に遭うことはない。さっさと外に出ようとしたところで、担任が口を挟んできた。
「連絡は終わりましたか」
そんな暇もなかったのだった。俺は教室から駆け出そうとした。
「お先に失礼します」
「まだ順番は来てません」
杓子定規にも、担任は止めた。沙羅は面白そうに、俺をからかった。
「ほら、ね」
どうやら、俺だけを帰すのはいやだが、雪の中での立ち往生は避けたいらしい。
……さっさと帰れよ、諦めて。
腹の中でのそんなボヤキが通じたのは、当の沙羅ではなくて担任だった。
「あなたは帰りなさい」
意外な援護射撃だった。
……そらみろ。頼むからいらん心配をさせんでくれ。
だが、沙羅は転校直後は封印していた持ち前の横着さを露わにしようとしていた。
「外で待ってます」
営業スマイルで口答えするのを、担任は無表情のまま正論で返した。
「風邪をひきます」
沙羅は、どう考えても納得がいかないというふうに、露骨に顔をしかめてみせた。
「そこは自己管理の問題じゃないんですか?」
「健康管理も指導のうちですから」
そう答えるまでは変わらなかった担任の表情は、沙羅が次に発した質問で呆けたように変わった。
「何か御用でも?」
「え?」
沙羅はその隙を見逃さなかった。
「何か意図的に引き留めている感が」
「……そんなことはない」
咳払いしてその場を取り繕った担任だったが、沙羅は押しの手を緩めなかった。
「じゃあ、帰っていいですよね」
それは本来、俺が聞くべきことだった。
「バスが来ないと帰れないでしょう」
沙羅は相手にせず、担任は俺の方を見て答えた。だが、沙羅は負けじと間に割り込む。
「じゃあ、まだ帰りません」
「あなたは帰りなさい」
沙羅が駄々をこねるのを、担任はあくまでも機械的に、事務的に切って捨てた。その懐では、スマホのバイブレーションが唸っている。それが理由で焦っているんだろうと思ったところで、ようやく口を挟む機会が生まれたのに気付いた。
「じゃあ、俺も」
「まだ早いです、1本後に」
すぐに電話に出なくてはならなくても、既定方針は揺るがなかった。だが、担任の危機に乗じて、関係ないはずの沙羅が食い下がる。
「それに乗っちゃいけないんですか?」
担任も急いでいるのだろう、事実だけを冷ややかに述べた。
「スキー場の方に行ってしまいますが」
沙羅は怪訝そうに、俺の方へ振り向いた。
「ダメなの?」
「逆方向」
先週、沙羅が他クラスの男どもに誘われたスキー場は、確かに山奥ではある。だが、帰るのとは正反対の方角にある。
自分が山車にした当の本人に話の腰を折られ、沙羅はやっとのことで沈黙した。担任は、呼び出しを続ける自分のスマホをようやくのことで手に取ることができた。
二言三言話しただけで電話は切られてしまったが、その内容は、沙羅の理屈を全て徒労に帰する一言で伝えられた。
「……ああ、早めに出たそうです。すぐ来るそうですよ」
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