第144話 善の守護天使のいない闘い

 走りだしたバスは、すぐに沙羅たちを追い越した。上から眺めると、男子たちに囲まれた沙羅は、結構はしゃいでいる。

 それを見たくないので、俺はスマホ画面を眺めた。

 シャント…山藤はまだ、大きな荷車を押している。木槌ひとつのためにご苦労なことだが、かなり疲れてきているようだった。

 ……まあ、ガンバレ。

 お互いの大変さを噛みしめながらスマホをカバンにしまったが、バスターミナルに着いた頃、いきなりアプリのメッセージ音が鳴った。

 ……沙羅だ!

 俺はバスから駆け降りながら、スマホを確かめた。

〔何やってんの、大変!〕

 沙羅の言葉に胸が高鳴ったが、大きな事件を見落としていたことに動揺はしていなかった。 

 映した画面には、村長の家の周りをうろうろするシャント…山藤の姿があったが、俺はすぐ、その反対側に道へと出ていくリューナの姿を発見することができた。

 ……何やってんだよ、沙羅!

 こういうとき、今までなら山藤は、モブで都合よく誘導されていたはずだ。そもそも、それを妨害して浮世の辛酸を嘗めさせるのが俺の役割である。

 俺はリューナも心配だったが、対戦相手も放っておけなかった。

〔俺は放っておくぞ、いいな!〕

 さっきの恨みも込めてメッセージをおくってやったが、返事がない。やきもきしながら画面を見ていると、シャント…山藤もようやくリューナの異変に気付いたのか、道へと出ていった。

 ……壁のあるほうへ?

 嫌な予感がした。画面を拡大してみると、走っているシャント…山藤が歩いているリューナに追いつけない。

 いくら山藤の足が遅いといっても、限度がある。明らかに、何か起こっているのだ。

 リューナが立ち止まったところで、シャントはようやく追いついた。だが、俺は叫ばないではいられなかった。

「ダメだ、山藤!」

 周りの視線を感じて慌てたが、そこへちょうどバスがやってきた。俺がシートに座ったとき、山藤の声に老いた男の声が答えるのが聞こえた。

 画面のウィンドウには、そのやりとりが浮かんでいる。 

《どこ行くんだよ、リューナ》

《気づかんのか、シャント》

 そこにいるのはリューナだが、台詞はテヒブだった。

 ……こういうのって?

 確か、担任の授業でやった『源氏物語』にあったような気がする。

 「あおい」だ。

 光る源氏の子を宿した妻「葵の上」に、「六条御息所ろくじょうのみやすどころ」が嫉妬のあまり、生霊となって憑依する場面だった。

 ……あれか。

 グェイブを構えるシャント…山藤の膝が笑っている。

《来ないで、リューナ》

 山藤に、ここでどうこうする知恵も度胸もあるわけがない。もたもたしているうちに、リューナに憑依したまま跳躍したテヒブに、後ろを取られて裸締めにされてしまった。

《戦わんと死ぬぞ》

《だ……って……》

 いや、方法は無くもない。だが、山藤には無理だ。

 グェイブの柄で突けば、相手を吹き飛ばせる。もちろん山藤も無傷では済まないが、思いつかなければどっちも起こり得ない。

 それは、俺と山藤のゲームオーバーを意味する。

 ……どうする?

 俺は画面を俯瞰視点に変えた。村長の家が見える程度のズームだ。手駒として動かせるモブが必要だったのである。

 仕事を終えて帰るらしいモブを1人、急いでマーカーで捕まえて拡大し、進む方向を指差してから道へと移動させた。

 うまい具合に、村人がついて動くと、それを追う野次馬が次々と現れた。先頭のモブを俯瞰視点で動かしてやると、村人の集団が一斉に動くのが分かった。

 ……間に合うか?

 俺は焦った。いくら急いでも、人間の走る速度は知れている。

 だが、意外な助け舟が入った。

 山藤とテヒブの闘いに、別の何者かが割り込んできたのだ。

《諦めろ、小僧……》

 それが誰だかすぐには分からなかったが、山藤は気付いたようだった。

《ヴォ……クス……!》

 どこにいるか分からなかったが、画面をよく見てみると、画面を小さな点が小蠅のように飛び回っている。時間帯からして、鳥ではない。

 ……コウモリ?

 吸血鬼が変身したものだとすれば納得がいくが、そうするとおかしなことがある。

 主人が現場に来ているのに、下僕がリューナを遠隔操作できるものだろうか。逆なら分かるが。

 ……待てよ。

 俺は、俯瞰画面をよく眺めてみた。リューナから離れたところに、人影を探す。

 ……いた!

 崩された壁の辺りの丘に、ぼんやりした黒い影がある。ここからでは、山藤でなくても気付きようがない。

 その影と実体のどちらに命じたのか、ヴォクスの声がした。

《テヒブ……やれ》

《承知》

 村人をかなり接近させることができたので、画面を拡大した。

 山藤の身体がエビ反りにのけぞっている。だが、身体が折れてしまうほどではなかった。

 だが、テヒブの力なら、簡単にできたはずだ。

 ……憑依された身体のパワーしか出せない?

 リューナがどれだけ頑張っても、それだけの力しか出せないということだ。

 肉体の限界を無視すれば、もっと力が出るかもしれない。だが、それはテヒブの望むところではないだろう。

 いずれにせよ、これが憑依というか遠隔操作の弱点と見ていい。

 だが、相手がリューナでもテヒブ本人でも、山藤が耐えられなければ同じことだ。さらに距離が縮まって画面をもう少し拡大したとき、山藤は叫んだ。

《死ぬのは、嫌だああああ!》

 怪我の功名というヤツで、暴れた弾みに、グェイブの柄がリューナに当たった。閃光と共に、シャント…山藤もろとも吹き飛ばされる。

 試練に応えた山藤に、テヒブの声が聞こえたかどうか。

《それでいい、シャント……》 

 なぜなら、俺が連れてきた村人の中で、ひとりの女が悲鳴を上げて倒れたからだ。

《アアアアアア!》

 画面を白く焼きつかせた光が失せると、シャント…山藤とリューナが仲良く並んで倒れていた。

 無事に事が片付いてホッとしたものの、その山藤を見てイラっときたのは、男どもと帰っていく沙羅の姿が目の前にちらついたからだ。

 やがて、目を覚ましたシャントはふらふらと立ち上がると、しどけなく横たわっているリューナを抱き起そうとした。

 ……このままじゃ、リューナを救った英雄だな。

 それじゃ、困る。

 幸いというか何というか、さっき倒れた女はまだ、意識を失っていなかった。ただ、茫然としているだけだ。

 俺は自分の操っているモブ女を、その眼の前にしゃがませた。まるで、卑猥なものでも見たかのように、手足を操って身をよじらせる。それを見ていた女は、身体をすくめた。

 ……引っかかった。

 山藤がグェイブで女に襲いかかったと誤解するような先入観を与えたのだ。良心が痛んだが、このくらいひどい目に遭わせておかないと、現実に帰ろうという気を起こさせることはできない。

 引っかかったのは、その場にいた男も同じだった。1人がシャント…山藤に襲いかかると、横っ面を張り倒したのだ。

《女に何てことしやがる!》 

 それを別の男が後ろから抱き留めた。

《やめとけ!》

 うめき声をあげているのは、山藤がグェイブを杖に立ち上がったからだ。こういうとき、暴力はすべての理屈を超える。

 だが、山藤の立場を決定的に悪くする事態が起こった。俺の誘導に引っかかった女が、告発に踏み切ったのだ。

《こいつ、リューナをやっちまおうとしたんだ》

 村人たちは、リューナをかばって結束した。辺りを見回しているリューナは、まだ、何が起こったのか分かっていないようだった。

 だが、山藤が見つめているのに気付いたのか、一言つぶやいた。

《シャント……?》

 俺は、モブ女を動かして視線を遮った。山藤が弁解しようする。

《待ってよ、僕は……》

 あいにくと、日本語だった。残念だが、村人やリューナとの関係は、ゼロから再構築だ。

 だが、またしても悪役からの助け舟が入った。

《その娘、私のものだということを忘れぬよう……》

 山藤が見上げる先を追うと、暗い空を飛び回るコウモリが見える。テヒブが去っても、ヴォクスは残っていたのだ。

 村人たちは、ぽかんとしていたが、そのうち何人かはひそひそ話を始めた。その囁き声を拾い上げてまとめたかのように、リューナが空を見上げてつぶやいた。

《ヴォクス……》

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